幕間・鬼面鉄騎と守護巫女
生まれたばかりで確信していた。
何者よりも速いのだと。
参守町と野臼町をつなぐ鉄道の山間部にかかる地点、南から北へ向かい尋常ならざる速度で進むものがいた。
ついさっきこの世に生を受けた物の怪は自身の特性をよく理解していた。
動物が本能で生きる術を知っているように、自分がどのように生きていけばいいのかを。
鉄道のレールの上を走る。否、滑る。否、跳ぶ。否、飛ぶ。
地上スレスレを鋭く尖る矢のように飛ぶ怪奇なる存在は生まれてから今に至るまで速度を上げ続けていた。
始めは人よりも速く、やがて獣よりも素早く、そして鳥よりも鋭く、ついには音を置き去りにせんとしていた。
このまま駆け続ければいずれ人の目に留まることなく光さえ越えていくのだろうか。
しかしながらまだ訪れぬ未来の話よりも先に懸念せねばならない事態が迫っていた。
このまま進み続ければ数分後には遥か前方を走る電車の最後尾に衝突してしまう。その時果たして鉄の方舟は中に乗せる船人と共に無事で済むであろうか。
レール上を滑空する矢は自身より遅いものを貫き飛ばす勢いに満ち満ちていた。
数秒後、前方から光が差した。
もう電車の最後尾を捉えたのか?
――否!
それは鉄騎のヘッドライト。夜の闇に紛れ、闇を切り裂き現れた二輪の鉄馬。
悍馬を手懐けるは鬼の形相を浮かべる鉄仮面。
手を離し、愛機の後部に据え付けられた鞘から抜刀し顔の横に抜身の刃を構えた。
一際大きくけたたましい咆哮を木霊させ、鉄騎に跨る鬼神は爆音を遥か後方に置き去りにして眼前に迫る光矢に横一文字の一太刀を浴びせた。
白刃の煌めきが己を裂いたことに気付きもせず、生まれた目的を達することも叶わず駆け続ける怪奇の物語は呆気無い終焉を迎えた。
後輪を滑らせ、鉄騎は鉄道の上で車体を横にして停まった。今しがた斬り捨てた敵の最後を見届けると、長刀を鞘へと収めた。
「……」
愛機のモニターが通信がきていることを告げてくる。彼女は指を伸ばすと、通知をぷつりと断った。話すことはなにもない。問題はないのだから。
何より彼女は、マガツ機関に席を置いてはいない。だから何者にも縛られることはない。敵対することに利点はないというだけで、彼女はただ一人で自由に動いているのだ。
再びバイクは音を上げる。しかし用事を済ませた後の咆哮は、夜の闇に溶け込むかのように穏やかで静かなものであった。
――――――
街の北東、山の麓の開けた平地。見晴らしのいい場所において、暗闇の中で蠢く尚暗き闇の存在は目のいい者がいたならばすぐ気付くだろう。
地に染みつく邪気は時間をかけて地上に現出するのだが、今宵は街全体に薄らと拡がる微かな気配に充てられて、にわかにその気は地表に吹き出し巨大な影を形作っていったのだった。
邪気の塊は地を這いながら、地から養分を吸い上げるかのように徐々に肥大化の兆しを見せていた。影の通りし跡には不浄が残り、大地に死をもたらせていた。
このまましばらく進めば巨大な影は街に到達してしまう。遮るもののない開けた土地に進行を妨げる障害は何人もいない。
たった一人がいた。
雲の切れ目から溢れる月明かりに照らされる長髪の巫女だけが、そのものの進路を阻むように座していた。
伏せていた顔を上げるのは、巫女服にはあまり似つかわしくない金髪の少女であった。
化粧を施し丈の短い学校の制服を着用する方が間違いなく相応しい小麦色の肌の少女は、折り目がついたように美しく颯とした所作で膝を払い立ち、凛とした視線を闇なる巨躯へ向けた。
止まらぬ悪気を前に、少女は舞った。
軽やかな動きは風に靡くよう……いや彼女自身が穏やかな風そのものの如く淀みや乱れを感じさせぬ舞は見るものの心を惹きつける。
ただし、今は観覧者はいない。彼女が舞を見せつけているものは観覧者ではない、封印すべき邪悪であった。
タン。
彼女が袴に隠れる足を大きく踏み鳴らした時、舞の終わりと共に左掌から薙刀を引き出し構えた。
どういう手品を用いて武器を手にしたのか気に掛ける様子もなく、巨大な邪気は眼下で羽ばたいていた小虫をただただ蹂躙すべく這い進む。
しかし、それは巫女も同じである。
彼女の使命こそ目の前で蠢く闇を破邪する地の守護者。彼女にとってそれは、これまで封じてきた数多の穢れの一つに過ぎぬ。
中段に構える得物の切っ先が月明かりに煌めいた。跳躍した巫女の三日月を描く斬撃が闇を深く斬り裂いた。
手応えナシ。
闇と交叉し地に降り立った少女は慌てる様子もなく確認した。
攻撃を受けて初めて影は歩を緩める素振りを見せた。邪魔する五月蝿い存在と意識したのか、まるで首を巡らすような動きで己に斬りかかってきた羽虫に気を向けた。
が、既に地上に巫女はいない。
舞の舞台は空へと移り、薙刀を脇に抱えた巫女が懐から取り出した三枚の鳥の羽を地へ向けて射た。
羽は彼女が使役する式神と化し、地に達するとその姿は巫女と瓜二つに変化した。
三人の巫女はそれぞれが携えている薙刀を構え、影を封じせしめるための呪法陣が大地に刻まれる。
雷撃の如く大地を走る光が輪となり影を照らしその場へ縫い止める。
動きを止められた影は顔があれば苦悶に歪み、声があればもがき叫ぶ咆哮を上げていただろう。
そして三人の式神の助力を得、天に飛翔する巫女は動きを封じられ身じろぎすらできぬ影を芯から真っ二つに斬り裂く斬撃を振り下ろした。
式によって身を固められた巨影はいとも容易く二つに割れ、どろどろと大地に溶け込むようにその姿が霧散していく。
影と陣は消え、そして役割を終えた式神は羽へと戻り巫女の懐へと還っていく。
穢れを祓い土地を護った巫女は小さく息を整えると、左掌に薙刀を収めてその場を後にする。
未だ街には、離れた場では不穏な気配の余波を受けて覚醒した悪意が蔓延しているが、自分の関与するところではないと彼女は割り切った。
彼女の使命はこの山嶺と裾野の不浄を正すことのみである。




