もう一つの戦い・3
「んうう……」
後方からの衝撃を受けて倒れ込んだ音央の目の前には、買ってきたばかりのホカホカのたこ焼きが無残に地面に転がっていた。
「ご、五百円……」
ご両親からもらった今月のお小遣いで友達のために買ったとっておきの食べ物なのにとちょっと涙ぐんでしまう。
しかし涙を浮かべているのはそれだけが理由ではなく、倒れた拍子に膝を少し擦りむいていたからだ。
「どう……なったんですか?」
たこ焼き以外の状況を呑み込めずにいた音央は体を起こして辺りを見回した。
暗かった商店街が煌々と明るいのはライトではなく火の灯し。熱風が周囲に渦巻いている。
目の当たりにした光景に音央は恐怖と不安の表情を浮かべるが、逃げ惑う人々の姿に直ぐ様立ち上がった。
「火を消さないと……!」
その時、音央の前に灼熱が舞い降りた。
熱気熱量熱風熱炎、全ての熱をその身に宿す……身体自体が熱そのものの人の形を成す火炎。
顔のない火炎の怪人に見下されているように思え、音央は強張った。
「あッ!」
音央が動き出す前に、彼女の体を抱えて飛び退いたのは凜花だった。
揺らめく炎の化身を見据えながら、脇に抱えた音央に囁く。
「音央チャン。スグ逃ゲテクダサイ」
そして腕から抜け出していた音央は凜花の隣に立ち、トゥインクルバトンを召喚していた。
「アレレ!?」
いつの間にやら凜花よりも先に音央が臨戦態勢を取っていた。
「わたしは火を消します。りんかさんはあの……めらめらしてる人を」
凜花にはそいつが人間には見えなかったが、災害の元凶であることは確かであり見過ごす訳にはいかない。なによりも、この状況を鎮圧するのがこの場に派遣されていた彼女の任務である。
「了解……デース」
スイと一歩前へ出ながら、冷静に分析を終えていた。
アレとは相性が良くないと、彼女自身が一番理解していた。
火炎と電気、化身と生身。普通に対峙すればこちらが大火傷を負う敗色濃厚。
仕掛けてこない敵を前にいくつものシミュレートを行う凜花の後ろで、鈴白音央はバトンで足元に円陣を描く。
「光芒よ、我に力を与え給え!」
陣から天へと立ち上る光が音央の体を包み込み、バトンで光を振り払う純白の魔法少女が広場へ降り立つ。
「幻獣奏者ネオ、急ぎます!」
言うが早いか、トゥインクルバトンの切っ先が素早く走り、空に召喚陣を一気に二つ描き出す。
「フロース! ウーネ!」
境回世界より現世に呼び寄せられた二体の幻獣。
一体は永久に凍てつく氷原に住まう氷の獣。四足が触れる大地には氷の華が咲き、ひと鳴きすればネオたちを囲むように氷の壁が広場を覆う。一般人の目を遮り、外への被害を抑える意味での囲いである。
一体は月の精霊ルナのように女の子を模す水の精霊。青く透き通る水のような肌に銛を手にしている。尾びれをくねらせ空を泳ぎ、氷の壁の上で銛の先端から天に向けて水を撒き、火の手の止まぬ商店街へ雨を降らせた。
これで火災は収まってくれるはずとネオが思う矢先、怪人が急激にその火力を増大させた。
「うぅッ」
熱波がネオとフロースに襲い掛かり、思わず後退ってしまう。
敵は生まれたばかりにも関わらず、生誕したばかりだからこそ、その身の危機を感じ取ったのだ。このまま氷に覆われた舞台にいては、空から水を降らされれば、存在が無に還ってしまうと。
氷壁の内で巻き上がる火柱が壁を解かさんと最大の火力を発揮した時、空気をつんざく破裂音が轟いた。
「ヒゃッ!」
直近で熱と音を続けざまに受けたネオはビクリと身を竦ませ……恐る恐る目を開いた。
「ウムム……ヤハリ相性ハBADデスネ」
先の爆音は凜花が指先から電撃を放ったものであった。
ネオとフロースを守護するよう敵との間に入った彼女が、火炎に指を向けていた。
「りんかさん……」
「安心シテクダサイ。音央チャンハスベキ事ヲ」
そう言うと、彼女は再び電光を放つ。すかさず耳を塞ぐネオの傍で再度の破裂音、そして炎は電を弾き、大気に霧散させていく。
攻撃が通じていないことに動揺はない、想定していたことだ。凜花はまず敵の狙いを自分へと集中させることにあり、それは次の敵の動きを見て成功したと思われる。
火柱が収まり人の姿を形成する火塊が、離れて召喚獣を使役し消火を行うネオから近くでちょっかいを掛けている凜花へと向き直っている、ように見えたからだ。
明確な表情も視線も輪郭もない相手に断言はしにくいが、熱気が凜花へと向かってきているのは確かであった。
裏付けるように火炎弾が凜花へ撃ちだされる。攻撃対象がネオではなく自分であることを確信すると共に横へ飛び火球を躱す。
熱が彼女のいた場所を薙ぎ、氷壁にぶつかるとその場にしばらく留まり消えた。分厚い壁が大きくえぐり解かされている。貫通する程ではなく外への被害はなかったが、生身に直撃すれば骨まで焼き尽くされるだろう。
しかし、
ボンッ、
ボンッ、
ボンッッ。
続けて放たれる火球をこうして避けているだけでは、敵の注意が自分から離れる可能性もある。
時折電撃で反撃を試みるが、火炎の体には暖簾に腕押し。通用している様子もない。
もう少し接近すれば手はある。熱炎を耐えられれば、であるが。
「ドラゴちゃん!」
「グオオン!」
高らかに宣言する少女の声と同時に天空より飛来する咆哮。
凜花の視線の先、大地に墜突する子龍が地を揺るがし火炎を掻き消す。
「音央チャン!?」
救援活動を行っているはずの彼女が戦闘に介入してきたのだ。本来なら助太刀はありがたいのだが、それは自分が手をこまねいているせいで少女がすべきことを放棄したのではと凜花は考えてしまった。
「もうお外は大丈夫です!」
凜花の心配は杞憂であった。ネオはこの短時間でウーネの能力を最大限用い、既に壁外の火災は鎮火させていた。加えて遠くから聞こえるサイレンの音。
「……グッジョブ! デス」
親指を立てる凜花にネオは頷き返した。
しかし壁内は未だ戦場。ドラゴの一撃で散ったかに思えた炎が再び巻き起こる。
「戻って!」
「グルル……」
火中から大きく飛び退いた龍が凜花の傍に降り立つ。
これがサモンコンダクターの主力ドラゴン。
凜花は小さな龍の秘める威圧感と、並び立つことの頼もしさも感じていた。
一人と一頭の後方にはネオとフロースが控えている。少女は使役獣に指示を飛ばす司令塔、隣の獣はフィールドの形成を維持しているので戦闘への参加は難しい。
先程まで消火にあたっていた小さな精霊は龍の召喚と引き換えに姿を消している。基本的に二体しか召喚しないことを凜花は共有されている情報によって把握していた。




