魔法少女と幻龍王
やがて下り坂の終点が明かりの先に現れた。平地になっている。ようやく谷の底へ辿り着いたか。
「長かったね……空もあんなに小さくなってる」
谷の切れ目から見える空は先程よりも更に遠くにあった。上って帰る時のことを考えたらそれだけでくたびれてしまう。
「それで、この谷底のどこに幻龍王様ってのはいるんだい」
「すぐ見えてきますよ。ほら」
彼女の言葉に前を向いた時、目の前に現れたのは大きな洞窟だった。谷底に洞窟? そんなこともあるのか。
「おいおい……またこの洞窟の中を進んでいくのかい? いやまあここまで来たらどこまででも付き合うけどさ」
いかんいかん、思わず愚痴をこぼしてしまった。鈴白さんが気にしないよう頑張って強がっていなくては。
ところが俺の言葉に首を捻ったのは鈴白さんだ。俺の手を引っ張ると、耳打ちしてきた。
「ドークツ……? ううん、ここで終わりですよ。幻龍王さまは目の前です」
こそこそと話しかけられた言葉に疑問符を浮かべてしまう。ここで終点だというのに、何者もいないじゃないか。
その時、光源となっていたライトとルナが高く舞い上がり辺り一面を照らし出す。明らかになる谷底の様相に俺は絶句した。
洞窟だと思っていた空洞から風が吹いてくる。これは吐息。巨大な龍の口から吐出される龍王の息吹。
谷底の幅いっぱいに陣取っているのは洞窟なんかじゃなく龍王の頭部だった。岩のようにゴツゴツとした頭部を見上げる。切り立った壁と見紛う程の大きさに思わず後退ってしまった。
『久しいな』
幾重にも響く巨大な声に驚き耳を塞いでしまう。頭が割れそうだ。
「人の、言葉?」
顔をしかめて呟く。今直接聞こえた言葉は、確かに聞き慣れた言語だ。違う世界なのに言葉が通じるのか。
「お久しぶりです。幻龍王さま」
鈴白さんは顔色一つ変えずに受け答えをしている。慣れたもんってことか。
「こんなに大っきいなんて聞いてないよ……。これ、これが幻龍王……」
生物なんて言われても認識できない。それほどまでに巨大な存在。境回世界を統べる王。
「坂を下ってきてからずっと体の上を歩いてたんですよ。気付きませんでした?」
「アイエェ!?」
地面と思っていた足元が幻龍王の体の上だと聞き、慌てて確認した。岩にしか見えないが、その顔も岩のように頑強そうならば、全身がそうであっても当然かもしれない。
俺が驚いたのがおかしかったのか、鈴白さんはクスクス笑って続けてきた。
「ずっと体を動かしてないから地面と一体化してるみたいになってるんです。谷の側にある岩山も、翼の一部が表に出て見えてるんです」
スケールが違う。いくつもの山を越えて降り立った先にあった連なる石柱もこの他にも目の前の洞窟も、全部が全部一つの存在から成るモノだったなんて。
「クエッ!」
俺たちの背後から飛び出していくものがいた。鈴白さんの背後で寝ぼけていたドラゴだ。壁の上……ではなかった、幻龍王の頭頂部まで舞い上がり、そこへ降り立つとなんとも嬉しそうな声で鳴いて全身を擦りつけはじめた。
『些か成長が遅いようだな』
幾重にも聞こえる声。少し高い声質は女性のものか。龍に人の常識を当てはめるのが正しいとも思えないが、少なくとも俺の中ではドラゴの母親と思うことにした。
「最近わたし達の世界は平和であんまり呼ぶ機会がなくって……えへへ」
この世界の王と謁見してるにしては随分と親しげな口調である。こんな距離感でいいのか、俺はどれくらいの距離感を持ってこの幻龍王と接すればいいのか、鈴白さんを参考にはできそうもないぞ。
『何をしに訪れた?』
「少し力をつけたいと思って、こっちにやってきました。久しぶりにきたから、幻龍王さまにも声をかけておこうと思って」
『殊勝だな』
褒められました。ってわざわざ嬉しそうに俺に報告しなくってもいいんだよ、ちゃんと聞こえているからね。
『その男はネオの夫か』
「オット!?」
「違いますよ、ただのお友達です! あの、少し相談したいことがあって連れてきたんです」
しばし訪れた沈黙にハッとし、一歩踏み出した。
「お、俺は相沢草太っていいます! 自分の力のことを知りたくて、あなたなら力になってくれるかもしれないと鈴白……音央さんに言われて、連れてきてもらいました」
俺はここへ来た事情を説明したが、向こうから反応が返ってこない。隣の鈴白さんもそわそわと俺と幻龍王を交互に見やっている。
生唾を呑み込んだ。無視されているのか、気に入られないことでも口走ったかと不安になった頃にようやく動きがあった。
洞窟の上部に亀裂が走る。カラカラと石の落ちる音が徐々に大きくなる。横に走る亀裂が大きくなり岩が砕け地が揺れる。
亀裂の奥から太陽が姿を現したかと錯覚した。
それは、輝く瞳だった。縦に裂ける瞳孔が俺を射抜く。
右目を開くだけで大地に影響を与えている。想像を超えるスケールと迫力、そして揺れのせいで立っていられず、尻餅をついていた。
圧倒的な光にあてられたせいか、今まで俺たちのために谷底を照らしてくれていたライトとルナの二人は姿を消していた。この世界の住人からすれば、逃げ出すのも当然の存在ってことか。俺も逃げ出したくなってきた。
『……』
腰を抜かす情けない姿を見ていた瞳の光量が落ち着いていく。二つの光源が消え去った谷底の世界において、幻龍王の右目が新たな光源となり俺たちの姿を薄っすらと照らしてくれている。
『珍しい者を連れてきたな』
「珍しい……ですか?」
言葉を繰り返した鈴白さんが俺を見てくる。へたり込んでいる姿をこれ以上晒したくないと思い、気を取り直して立ち上がった。若干膝が笑っているのは、それだけ強烈な気迫をぶつけられたせいだ。
「俺のこと、何か分かったんですか」
幻龍王の口ぶりに引っかかりを覚えて訊ねた。俺のことを見てくれたということは無視されてるわけじゃなさそうだ。
『未熟で制御できていないが使いこなせればネオの役にも立つ。逃げられぬよう契りを交わしておけ』
「ちぎり?」
「契約のことだよ」
「お兄さんは契約して呼び出したりできませんよ。冗談言わないでください」
鈴白さんに続き、俺も幻龍王へ声をかけた。
「人の役に立てる能力なんですね? 教えてください、あなたが分かったことを俺に……お願いします」
俺を見る目が細まった。品定めされているようでおちつかないが、知ったことを教えてもらうまではと、この場にグッと留まった。
『魔法式の解の拒絶と許容。常態では拒絶することしかできず意識しなければ許容は不可能。だがここにいるということはネオの転移術を受け入れてきたということだ。無自覚の許容……やはり未熟。魔法式を意識しなければ許容に関しては使いこなせぬ。本気で己の力を知りたいのならばまずは魔法式をその目で捉えられるようになることだ。さすれば自身が何を拒み何を受け入れるべきか、解の良し悪しも理解できよう。貴様の瞳に魔法式は見えているか? 見えていなければ話にならん。式は常にそこに在るものだ。見ようとしていないだけにすぎん。ネオの魔法式をその目で見よ。召喚陣は視えるのだろう。ならばそれと同じ要領だ。式はそこに在る』
捲し立てられたことにも面食らったが、何よりその言っている内容がほとんど理解できない。幻龍王様の大事なお話の途中で鈴白さんと顔を見合わせると、彼女も首を捻っていた。
「えぇとつまり……」
「……どういうことでしょうか」
俺たち二人とも何も理解できずに話しかけると、幻龍王様が嘆息した気がした。出来の悪い生徒ですみません。
『魔法式の解の拒絶。その意味が分かるか』
「きっとお兄さんの能力のことです」
俺は頷いた。会話の流れを考えれば、現竜王が俺の能力について言及したことは間違いない。魔法式の解、その拒絶。頭の中で言葉を何度も反芻した。
「……それは、俺にかけられた魔法の効果が現れることを拒む。っていうことじゃないですか? 例えば、催眠魔法とか、回復魔法とか」
例えとは言ったが、俺が経験した限りで自分にかけられた魔法はこの二つしかない。数少ない経験を全部吐き出して、幻龍王の問いかけに答えた。
『概ね、その通りだ』
ホッと一息ついた。どうやら間違った考えではないようだ。
『より正しく評するならば魔法式の解が自身に作用する前に打ち消す……解の導きを無にすると言ったところか』
要するに、数式に例えるなら問いと解を繋ぐイコールを消しているってことか。解答を導き出せないなら、結果として現れる効果……回復とか催眠とかが俺に作用することもない。
『解の拒絶。それは無意識下に働いている。意識することなく貴様は貴様にかかる魔法式の解の全てを消し去っている』
「ちょっと待ってくれ……ください。それじゃ俺は回復魔法を受けることはできないはずなのに、先輩……ブレイブウルフの治癒の力で傷を癒されたことがあります。それは何故なんです?」
『強大すぎる力を前に貴様の異能が抗える容量を越えてしまっただけのこと。自惚れてはならぬ。異能とは全能ではない。万能と思えても使い手次第で天と地ほどの差が開く』
「自惚れなんて……」
するはずもない。先輩との力の差はよく分かっている。比較するのもおこがましい。
先輩が本気を出せば自分の能力なんて消し飛ばして回復してくれる。ということはそれだけ強力な力を持つ敵が現れたら俺もそいつの能力の犠牲になるし、役立たずになってしまうということだ。
全能でも万能でもない。龍王の言葉が身に沁みる。
『まずは自覚し制御できねば話になるまい』
それだ、それができていない。それが分かっていない。自分のことなのに自分ではまったく掌握できていないのだ。
「どうすれば……」
『何故ここへ来ることができたか理解せよ』
話の筋が見えずに困惑するが、言われるままに境回世界へ来るときのことを思い出そうとした。
『転移魔法をその身で受けたはずだ』
そうだ。彼女が地面に描いた魔法陣を通って俺はここまでやってきた。
『転移魔法陣から発せられる解を受け入れることでこの世界まで辿りつけたということだ。それは』
おかしい。幻龍王の見識が正しければ俺は魔法陣の式の解を拒むはずだ。それは転移魔法を受け付けないということ。
そのことを自覚した途端、世界が歪みだした。浮遊感を感じた瞬間、我が身が強烈な力に吸い上げられる。
「なんだ!?」
「お兄さん!」
『無意識の解の許容が拒絶されたことでその身に受けた転移魔法式が解消された。慌てるな、ただ人之世に還るだけだ』
「帰る……!?」
ここに来る時に通ってきた暗黒のトンネルを漂っていたのと同じ感覚に蝕まれる。
鈴白さんが差し伸べてくる手を取ろうとするがすり抜けた。自分の存在がこの世界からズレた。そう直感した。
『次に貴様が此処へ来るのは己の力を根本を理解した時だ。心せよ。お前にはもう視えている』
「何が見えてるってん……!」
『また語らおう人の子よ』
「語ってんの……あんただけじゃんっ!!」
叫んだと同時に暗黒の世界に投げ出された。前後不覚に陥った感覚は、やはりここへ来る時に通ってきた場所と同じものだ。
ただ、今は俺だけしかいない。鈴白さんをすり抜けた右手には彼女の手の温もりなんて残っちゃいない。
くそ、くそ、くそ! 抜けられるかも分からない不安の渦の中で毒づきながら、延々と暗闇が続くことに恐怖と不安を覚え、
「――あッ!」
と声を上げた時、世界は日常に戻っていた。




