もう一つの戦い・1
「あーあ。不完全燃焼」
倉庫群の上を行く集団の先頭を切る少年は不満たっぷりの口ぶりで長い袖を振りながら夜空を舞っていた。
「案ぜずとも次の機会もある。我らはアリスの意を汲みつつ立ち塞がる者を叩けば良いのだ」
肩に男を一人担ぐ少女は灰色の髪を靡かせていた。肩の荷物は口から体液混じりの怨み辛みを呪詛のように繰り返し小さく呟いていた。
「……前から思ってたけどさあ」
少年はフードの奥の瞳を少女に向けて思いを述べる。
「あんたいっつも偉そうだよね。何様のつもりだよぅ」
それぞれがそれぞれの思惑で集った以上、そこに序列はない。対等であるべきだと思うのは当然であり、故に仕切るように音頭を取る少女に対して少なからず反感を覚えていたのだ。
「我らと違い一つの組織を束ねていたと聞いたであろう。ならばならば面倒なまとめ役は押し付けて良いではないか」
最後尾を行く男は全身をローブで覆い隠しているが、よく見れば布に多少の傷みがある。そして裾からは粘液の雫がポタリポタリと垂れていた。
「我の強い者共をまとめるなどとは確かに面倒事でしかないな。それでお主らが良ければ……だが」
ローブの男アポフォスは気にしていない様子であるが、フードの少年ルイアナは子供らしいワガママが残っているらしく未だに不服そうであった。
「命令はしないでよね。絶対に従わないから」
「命令など出しはしない。あくまで我らは対等な立場だ」
「信じられないなあ。あんた悪党じゃん」
「フハハ。悪人同士で信頼が芽生えるわけがなかろう」
「我らは対等。それを心がければよい」
年長の者どもに言い包められることを良しとせず、未だに口を尖らせる子どもに対してアポフォスが告げた。
「では信用はともかく嘘は述べぬと証明しよう」
「えーどうや」
「上に気を付けろ。と教えたかったのだが」
「遅かったな」
先頭にいたルイアナの姿が消えた。
一瞬前に、天空から飛来した煌めきが彼を大地へ誘ったのだ。
「ヨオ久しぶりだな。死んだか? 死んでろ」
形成されたクレーターの中央に突き立つ挟撃攻具・シザードレンチ。人の身の丈程もある巨大な武器を足場にするのは、所有者大門真希奈。
明るい色の髪を後ろで束ね、戦闘服を纏う女性は足元で挟み潰されているであろう小さな子どもに声を掛けた。
既に亡き者とした相手から視線を外し空を見上げれば、撤退中だった集団は足を止めた。
「何者だ?」
「ああ……ああ……どこかで見た気もするが。はてさて何処であったか」
ローゼンクロイツとアポフォスは突如現れて同志の一人を叩き落とした真希奈を見下ろし、闇夜に姿を現すのが彼女一人だけでないことを知った。
「逃走中の集団で一番弱そうなお子様を不意打ちで圧殺。大人気ないと思いますが……お子様同士お似合いでしたね」
「っるせえよ」
真希奈が悪態をつく先に姿を見せたのはメガネをかけスーツを着る大人びた女性。陥没した地面の中にいる真希奈を見下してクスクスと嗤うのは菊池景子であった。
また知らない闖入者が増えたこと、その者たちに足止めされてしまっていること、思い通りに物事が進まなくなったことでローゼンクロイツは微かに苛立ちを覚えた。
だがそんな感情も知った者の気配がしたことで消えていった。
「いきなり飛び出して行くなんて。足蹴にしてる子のことがよっぽど気になってたのねえ」
おっとりとした柔和な声がローゼンクロイツ達の後方から聞こえ、二人はそちらを振り返った。
「ほお……こうも早く再び見えることになるとは」
「メイドと知り合いとは。顔が広いのだな」
二人と同じく倉庫の上に現れたのも二人。どちらも端麗な顔立ちをしたメイドであった。
一人は組んだ腕に豊満な胸を載せ、泣き黒子のある糸目をにこやかにアーチさせている。
一人は膝をつき、切れ長の鋭い眼光を灰色の少女が担ぐ科学者に向けている。
「宇多川健二を渡してもらおう。そうすればお前たちは見逃してやる」
平たい方のメイド服が要求を突きつけ、ローゼンクロイツは鼻で笑った。
「不意打ちで一人沈めてくる集団の戯言に従うと?」
「見逃しはしてくれんだろう。怖い怖い」
「私は見逃してやる」
「私たちは逃がすつもりはないから、ここで死んでくれるかしらぁ?」
囲まれる二人の醸す雰囲気が少し変わった。
「アリスの下に集う者は始末か。余程恐れていると見える」
「目覚めればさぞ愉快な世界になるだろう」
アポフォスはクックと喉を鳴らすが、その音が二重になっていることに気付き声を止めた。残った音は下方から、メガネの女が同じように嗤っていた。
「ここで死ぬのにまだ見ぬ世界に思いを馳せるのは無駄ですね」
意地の悪い笑みを向ける女に対しローブの下で息が漏れる。
「最近の女子供は口が悪いことこの上ない」
肩を竦める仕草と同時に大きく首を回す。ローブの中で何かがぬるりと蠢いた。
「早くそれを渡せ」
メイドの一人、ヒサが催促する。ローゼンクロイツは肩の荷物を乱雑に転がしたが、無論相手の要求に応じたためではない。ゲシゲシと爪先で小突いて立つように急かす。
「ほれ、動け。四対四でさっさと済ませるぞ」
「ク……どいつもこいつも馬鹿にしやがってえぇ…………」
苦々しい呟きを繰り返しながら宇多川健二はボロボロの白衣を羽織るボロボロの体で立ち上がろうとしていた。
「四対三、だろうが。節穴かよガキ」
シザードレンチを足で叩きながら訂正の言葉を叫ぶ真希奈であったが、足元の微動を感じハッとした。
「節穴は貴様の方であったな」
「お、おっと……チッ」
不安定にグラつき始めた攻具を残して景子の傍に飛び退いた直後、クレーター中央から激しい土柱が立ち上り、大地が攻具諸共弾け飛んだ。
「おいおいクソが。俺の商売道具をスクラップにしやがって」
巻き起こる土煙の中、圧し殺したつもりでいた少年が肩で息をしながら立つ影が見えていた。フードは裂け挟撃された頭から血を流し、一見すれば満身創痍の様相であった。
「子ども一人始末できないなんて情けない。ああ手心加えたんですね、流石は子ども大好き真希奈さん。真似できませんよ」
「うっせえな! てめえとの喧嘩の後から調子が怪しいとは思ってたんだよクソ。ああもう大損だぜ」
「整備不良は所有者の責任ですよ」
ガミガミと言い合う二人であったが、クレーターの底から地鳴りのような低い音が響いたことで話を打ち切り地の底を見やった。
グルグルグルと怒りに満ちた唸り。
「……アレ任せますから。責任取ってくださいよ」
「ちぇ。面倒臭え」
大人しく死んでくれてれば楽だったがそういかず。仕方なく真希奈は再びクレーターの下へ滑り降りていった。
一組出来上がったのを見届けたローゼンクロイツは顔を上げ、にこやかな笑顔を崩さない女に向けて語りかける。
「私の相手は貴様がしてくれるのか」
「あらあらやる気ですね。てっきり見逃してくださいって泣きついてくれるかと思ったのにぃ」
「クハハ。見逃すつもりはないと言ったのは手前だろう」
二人は笑い合った。すぐ傍らのヒサは凄惨な気配を察し背筋が冷えるのを感じたが、すぐに標的に視線を切り替えた。
彼の目的はそいつ一人だ。
「貴様を連れ帰る」
「……あの雌犬と同じようなことを言いやがってぇ」
ギリギリと歯を軋ませ顔を歪める男の顔は全く知的には見えない。マガツ機関で部所長を任された者と同一人物とは思えない程だ。
「誰のことかは知らぬが思いは同じということだ。その身を我が主の下に差し出してもらう」
「お前の主人だとぉ……」
「マガツ機関所長、神木や――」
「うがあああああっッ!!」
突如狂乱した健二はヒサへ跳びかかり、二人はその場から離れていった。
「仲間を助けに行かなくて良いのか?」
「あれくらい問題ないでしょう」
ローゼンクロイツと巻菱蓮は視線を切り結んだまま動きを見せずにいた。
「手を貸すか?」
アポフォスが訊ねるが、少女は顔をメイドから背けずに答えを返す。
「お前は頭の上のを相手した方がいい」
瞬間、アポフォスの頭上に現れた景子が模造刀の切っ先を振り下ろす。
「おや。意外とすばしっこいんですね」
アポフォスの立っていた場所に苦もなく模造刀を突き立てた景子は横に跳んで躱したローブ男を鼻で笑うにやけ顔で見やりながら刀をスイと抜いて立ち上がった。
向かい合ったところでわざとらしく相手を気遣う台詞をアポフォスが口にした。
「背中が無防備ではないか? 後ろの童女は凶悪も凶悪であるぞ」
「役に立たない忠告ですね。そっちの人が私に手を出すゆとりがあるわけないじゃないですか」
確かに景子の言う通り。巻菱蓮とローゼンクロイツは二人の世界に入っていた。入らざるをえない。他に気を払う隙を見せれば致命傷になると二者ともに直感しているからだ。
そしてそれは、この場にいる誰しもに言えることであった。
「では我らは我らで」
「殺しますから」
模造刀を構える景子は言い放つ。
どうにも今日は生意気な女と巡り合う星の下にあるようだと考えながらアポフォスは間合いを取った。
どのような手段で即殺するか思い描きながら、景子は後を追う。
こうして茶会の参列者とマガツ機関の少数編成隊は戦いの火蓋を切って落とした。




