翌日…
滅茶苦茶深く眠っていた気がする。
目覚めは悪くない。けどすぐに動けなかったのは、知らない天井が見えていたからだ。
ここはどこだろうと首を巡らせ、枕元にある床頭台に飾られた一輪の花が目に付いた。
ガラスの花瓶に活けられた黒い薔薇。
「……似合ってねえな」
部屋の雰囲気にそぐわない。そう感じたのは、全体が白っぽい室内だったから。そしてようやく、ここが病院のベッドの上らしいと気付くことができた。
「起きたか」
足元から声が聞こえた。上体を少し起こして見れば、背中を壁に預けて腕を組む明の姿があった。
「……おはようございます」
と、布団が妙に引っ張れる感じがしたので視線を下ろすと、ベッドに突っ伏して眠る音無先輩の姿があった。椅子に腰掛けて体を倒して……なかなか無茶な体勢だ。それでもぐぅぐぅ寝入っているのは疲れているからだろうか。
視線の先にある開いた扉の向こうでは、廊下の椅子に座って目を閉じている四之宮先輩もいた。部員の一人は見当たらないけれど、どこかにいるに違いないと思った。
「そ、そうだ」
気になることがあった俺は起きて間もないのに慌ててベッドから飛び出して、よろめきながらも小走りに急いだ。
「オイ」
突然動き始めたことを呼び止める明の声が聞こえるが、それに従うことなく廊下に出ると、出会い頭に柔らかいものが顔に触れた。
「あっ……起きたのかい?」
姿の見えなかった聖だった。胸で俺を受け止める聖の肩を掴んで訴えた。
「あいつは……あいつは無事なのか!?」
聖に支えてもらいながら連れて来てもらったガラスに閉ざされた広い病室。無数に並ぶベッドに横たわっているのは、蛇香スネークバインドの毒素を除去された中毒者の人々だった。
その中には西台高校の生徒も勿論いた。上級生の運動部員だけではなく、柏木京子の姿もだ。
聞けば昨夜、俺がぐっすり眠ってる間に音無先輩が全員の治癒を行ったそうだ。経過に問題がなければすぐにでも普通の生活に戻れるらしい。
「良かった……」
外から京子の寝顔を眺めながらほっと安堵した。
俺が寝ている間に何が起きたのか、ここに来る間に聖が掻い摘んで教えてくれた。詳細は今後訊ねるとして、まずは反省すべきことが脳裏をよぎる。
「……ごめん。迷惑かけた」
ガラスに置いた右掌を固く握りしめて言葉を発した。
相馬さんが一緒にいてくれたとはいえ、みんなに黙って行動したせいで今回の結末に至ったのだから。
「迷惑だなんて思ってないよ。誰も」
本当かなと思いながらも気遣う台詞がありがたい。
俺は手を握ったまま、小さな声で聖に問い掛けた。
「俺は、あいつを巻き込んだだけなのかな……」
「うん?」
「困ってる友達を助けるつもりだったのに、いつの間にか他の友達を危険に晒してた。良かれと思って行動したんだ……なのにさあ……なのに、近くにいたあいつ一人助けられなかった……」
ガラスに額を押し当てたのは泣きそうな顔を見せたくなかったからだ。とはいえこんなに肩を震わせていては情けないことに変わりはない。
「君がいたから柏木さんだけじゃなく、大勢の人がここに運び込まれる結果になったんだ。君のおかげじゃないか」
肩に触れる聖の手。できることならそれに応えてすぐに震えを止めたいけれど、まだ少し、もう少しだけ涙は止まりそうになかった。
「悪い……俺の面倒見させちまって……」
「慰めが必要ならいつでもそうするよ」
グシグシと涙を拭い、ようやく嗚咽とまではいかない小さな声づまりを止めることができた。
「けどこれからは何かする前に相談してくれよ。君が誰かを助けたいと思うように、僕も君が傷付く前に助けたいと思っているんだから」
「ああ……そうだな」
「そう。君を助けられるよう、“僕”は強く……」
独り言のような小さな声を不思議に思って顔を上げた時、
「“俺たち”は――だ」
静かに歩み寄ってきていた明が口を挟んでくる。
「お前一人の強さでそいつを助けるなどと思い上がるな」
いきなり棘のある言葉を投げかけている。また二人の間に剣呑な空気が流れるかと危惧したのも束の間、驚くほど素直に聖はその言葉を受け止めた。
「分かってる。嫌という程現実を突きつけられたから」
どういうことかと首を捻ったが、いつもと違う二人の様子はそこまで俺が気を張らなくていいように思えた。
「うん。まあとにかく……二人とも頼りにしてるぜ」
「当然だ」
「だからちゃんと頼ってくれよ」
俺たちは視線をかわした。頷きはしなかったが、それだけで考えが通じ合った気がした。
「ふぁわわわわぁ……」
「だらしない大あくびね」
さっきまで病室で寝ていた二人の先輩が遅れてやってきた。そういえばまだ謝罪もお礼も述べていない。早く口にしなくては。
こうして、期末テスト期間前に起きた一つの事件が収束した。解決とはいかない、この出来事は今後起こる別の事件の発端にしかすぎなかったのだから。
けど当初の目的は解決したと言えるかもしれない。
運動部を中心に起きていたイザコザはこれ以降に波が引いたように静かになっていき、付随して俺に対する風当たりも穏やかになっていった。
平穏な学校生活が戻ってくることになるのだが、それを知るのは病院を出て登校できるようになってからのことであった。




