双牙と破者、一角と薔薇
壁を突き破り隣の倉庫へ舞台を移したところで、世壊刃姫アステリオーは小さく息を吐いた。
「うーん? どうしたんだいお姉ちゃん溜め息なんか吐いて」
耳ざとく聞きつけたフードの少年のせいで今一度同じ所作を繰り返した。ムッとした気配をさせたのが分かり、もう一度溜め息を吐くところであった。
「……俺だけガキの子守りをさせられればこうもなる」
「うわあひどい! 先に手を出しておいてその言い草……僕傷ついちゃうなあ」
袖をパタパタとさせる仕草と声色は拗ねた子どもと言われれば確かにそう感じさせる。
「でもそうやって油断してるとぉ」
しかしそれは仮初。無邪気な子どもを装ってはいるが、内には凶悪な邪気を宿している。
小さな両足の裏がアステリオーの顔を捉えた。並外れた破壊力の蹴りの余波が無人の倉庫内を大きく震わせる。
「こんな目に遭っちゃ」
「油断。何のことだ」
顔面を蹴り抜かれる寸前のところ、アステリオーの手が子どもの足を受け止めていた。
「敵を前に気を抜く馬鹿がどこにいる」
投げ飛ばす勢いで振り払った腕からひらりと舞った少年が音もなく降り立ち、へえと声を漏らした。
「さっさと来い。子守りを続けるつもりはない」
クイと指を曲げ相手を誘う。同時に少年の全力の殴打がアステリオーの頭上から襲い来る。
振り下ろされた服の袖は中に何か仕込んでいるのかと思わせる異常な重さを備えていた。左腕で受け止めたアステリオーの脚が微かに床に埋没し、二人を中心に放射状に破砕した。
一撃の重さはエストルガーと同等か、それとも。
蹴りと殴打を続けざまに受け止めて痺れる左腕の状態も確認しながら、握りしめた右拳を宙空で制止する少年の腹目掛けて繰り出す。
小さな体がぬるりと腕に絡みつくように拳を逃れ、踵がアステリオーの右頬を弾いた。
「ッ……」
頬から後部に伸びる特徴的なシルエットをした対となる双牙の片割れがピシリと鳴った。
思わず数歩後退ったのは回し蹴りの勢いに押されたからでもあるが、身を覆う鎧装を砕かれずとも傷を負わされたことへの僅かな衝撃があったからだ。
油断はしていない。
だが敵の攻撃はこちらの守備を幾分上回っている。
速さもある。
「あれあれ? どうしたの? 腰が引けてるよ?」
くるくるくると駒のように爪先を立てて回る隙だらけの子どもに対し、一思いに間合いに踏み込むことはせず。警戒心が募っていく。
とはいえお見合いをするつもりはない。
おどける少年がピタリと動きを止めて対峙した時、アステリオーは床を蹴った。
見え透いた隙に釣られるほど愚かではない。正面からぶつかり、正面から捩じ伏せる。
放たれる最短最速の直拳は敵を貫くこと叶わず、またもや躱される。
捉えきれな――。
強襲する拳がアステリオーの顎を跳ね上げる。
――いのなら、捉えるまでだ。
反撃を受けることは覚悟していた。激しく痛烈な一撃を喰らっても意識を保てたのはそのためだ。
「ん? お?」
振り上げられた少年の右袖をアステリオーの左腕が絡めとる。
「逃がさんぞ……!」
繋がれた二者。自由は利かず手を出せば確実に当たる状況。
三度繰り出す右拳。次こそ外しはしない、外すことはない。
「わっほい!」
少年は楽しそうに声を上げて応じた。フリーな左腕をぴょいと突き出す。
衝突する二つの拳。
衝撃で弾け飛ぶ両の腕。
力は互角。否。
「はぁッ!」
間髪を入れずにアステリオーの膝蹴りが子どもの腹に突き刺さる。
んぐ、と小さな呻きだけを漏らした小さな体は大きく後退した。
千切れた袖の切れ端を煩わしく払い捨てる明は、現状がかなり不利であることに忌々しく仮面の下の顔を歪めた。
「お姉ちゃん強いねえ。僕ちょっとだけ楽しくなってきたよ」
ウキウキとした餓鬼の様子に苛立ちが募っていく。
右腕は使えない。先のぶつけ合いで感覚がとんでいる。自由に動かせるのは一分後か二分後か。
「化物め」
フードの奥に垣間見える口が大きく横に裂けた。
やはり、子守りは性に合わないな。
不満を胸の内に吐き出すアステリオーの子守りはまだ終らない。
――――――
幻創闘姫エストルガーは苦戦を強いられていた。
「ぐうぅッ!」
腕を交差して一撃を防いでも、ガードの上からその身を大きく吹き飛ばす。
倉庫を派手に転がるが体勢を、
「遅い」
立て直す暇もない。
灰色の少女の小さな掌がエストルガーの顔に触れ、そのまま床に叩きつけた。
「がっ」
大きくバウンドして宙に舞ったところを急襲され、壁を突き破り隣の倉庫へと蹴り飛ばされてしまう。
既に元いた倉庫からいくつも離れた倉庫へと追いやられていた。一方的な展開を繰り広げられてだ。
呻きながらも起き上がろうとする聖のところへ、灰色の少女の姿をした中身は老人のゴスロリ服が近付いていく。
近付きながら頭を振るその表情は浮かないものだった。
「……新しい肉体を手に入れはしたが、かつては貴様か明の体を得るために様々な手段を講じたものだ」
「な……にを?」
「数多の作戦と怪人を送り込み、時には依代たる二人を戦わせ……我が意に応えるように貴様たちは己の体、力と技を磨いていった」
不意にかつてのことを……一野聖がこの街に来る以前、聖がまだ彼であった頃のことを懐かしむように、ローゼンクロイツは語った。
「日に日に力をつけるお前たちを見ては、私も心密かに喜んだものだ。……だが今はどうだ」
かつての記憶を天を仰いで思い返していた少女は一変し、今目の前に倒れる白鎧の戦士を見下した。
「肉体の変異と力の解放。私が策を弄していた頃と比べれば確かに強い。強くなった。だがそこで貴様の成長は止まっている」
「なん……だと……」
「毎週のように黒十字結社の刺客と死闘を繰り広げ死線を越えていたあの頃の貴様は今よりもギラギラとしていた……」
否定はできない。ローゼンクロイツの言葉には確かに事実が含まれていると感じていた。
「奴らとの温い環境が貴様を弱くした」
「くっ……!」
だがその台詞には強い反発を覚えた。弾かれるように飛び出したエストルガーの拳はローゼンクロイツの手に難なく受け止められたが、言葉は止まらなかった。
「違う! 僕は彼らに出会えたおかげで独りの弱さを知った! あのまま戦い続けて明と憎しみ合っていたらそれこそお前の思う壺だった! 僕は彼らから、助け合うことの強さを知った!」
「一人前の台詞は」
エストルガーの手を開放したローゼンクロイツの小さな体は懐へと潜り込み、そっと掌を鎧装の腹へと押し当てた。
「独りで私の相手をできるようになってからほざくのだな」
くるりと踵を返すローゼンクロイツがエストルガーから離れると、その体は膝から崩れ落ちた。
「う……ぐっ……」
満足に呼吸ができずに喘ぐエストルガーに、既にローゼンクロイツは目もくれずにいた。
「こんなことなら貴様の誘いに応じずに魔女を二人がかりで甚振っていた方がまだ手応えがあったか」
「……………………」
「手の内を知らぬ未知の強敵。引き出しも経験も貴様より多いのだろう。今から向かうかとも思ったが……おやおや、寝かしつけた筈だが?」
ローゼンクロイツは足を止めて不敵に笑った。しばらく動けぬほど叩き伏せたつもりでいた相手が、背後で立ち上がる気配を感じたからだ。
「そこまでコケにされて、大人しく寝ていられるか……」
「フン、意地かプライドか負けん気か。寝たふりをしていればこれ以上痛い目に遭わずに済んだものを」
「それでも立つさ……! お前をノコノコ行かせて先輩に迷惑を掛ける訳にはいかないんだ!」
立ち向かわんとする気迫は十二分にローゼンクロイツにも伝わっていた。裏腹に足はその場から僅かも進んではいない。
「成る程。精神力に於いてはかつてより成長していると見た。哀しいかな身体能力はその成長に反して微塵も伸びていないがな」
言葉に詰まってしまっては、敵の言葉を認めてしまうことになる。代わりに体を出そうにも、悔しいが足が言うことを聞かない。
「安心しろ、と貴様に言うのも妙なものだが。今は魔女の元へ向かいはしない」
「……?」
「我らの目的は既に達成されている。これは余興のようなものだ。だがそれであいつに死なれても困るのでな……そろそろ迎えに行かなくてはならない」
目的。
それはあの男が言っていた鋼の意志を砕くということか。
余興。
それはこうして僕たちを相手に戦っていることか。
彼らが主賓と呼んでいたアリスという少女、その子が彼を傷付ける命令を下したと言っていた。
命令、違う、要求だ。組織じゃない、仕えているわけじゃない。ただ集った。
駄目だ、支離滅裂、考えがまとまってこない。先輩たちなら全体が見えてるんだろうか。
「――次に会うときは少しの成長くらい見せてみろ。期待しているぞ、我が依代になり損ねた戦士」
ハッと気付いた時にはローゼンクロイツの言葉がエストルガーの耳元で囁かれ、それを最後に一野聖の意識は完全に絶たれていた。




