人と神、魔女と蛇
階下で閃光と共に轟音が響く。
美しい……と、宇多川健二は見惚れていた。三方へと散っていった光のあったあそこにどれだけの魔力が、超常の力が渦巻いているのか考えただけで下半身が疼く。
ああ、研究研究全てを解明し真理を突き止め何もかもを手にしたい。
行き過ぎた知識欲が彼の過剰な行動原理の根幹にある。
そしてそれを思い通りに運ばせずに挫折に追いやった元凶の一人が同じステージに上がってくる。
「やあ……」
手すりから身を離した彼は両手を広げた。意中の相手が胸に飛び込んでくるのを待っているかのような気持ち悪さ。
階段を上がりきったところで歩を止めた彩女に代わって健二が近付いていく。
一歩、二歩……三歩目を踏み込ませなかったのは、彼女から放たれる怒気に圧力を感じたからであった。
ギリリと握り込まれた少女の右拳に一瞬だけ視線を向けた健二は、彼女の顔を見てニタリと笑みを浮かべていた。
「いぃい顔だ。憎くて憎くて堪らないといった感情が手に取るように分かるよぉ! でもねえ腹立たしいのは僕の方さ。君たちが介入してくれたおかげでこのザマだぁ……右腕だってさあ!」
ガンガンガンと腕を叩きつけられた手すりは飴細工のように容易く形を変形させた。
「あんの糞女……顔色一つ変えずに腕を斬り落としやがった。けど! おかげで! 人を超えた! 力を!」
自身の変化を誇示するように、メキメキと音を立てて肥大化する腕を足元に何度も何度も叩きつける。
健二の行為を目で追う彩女は、彼の傍にまだ乾かぬ血溜まりがあることに気が付いた。
「……やったの?」
静かな問いに、事も無げな答えが返ってくる。
「それ? もういらなかったから。用済みだ」
「平気で人を傷付けるのね」
「気にすることじゃないだろう? 手に入れたんだ、人を超えた力を! だったら後はもう虫を潰すことと同じさ! 人の命は僕より軽い! 脆い! 生死は僕が司る! 君と同じ――」
真っ正面から真っ直ぐ愚直に貫くように。
剛拳が健二の顔のど真ん中を打ち抜いた衝撃で、彼の体は宙を舞い四回まわって壁に衝突した。
「一緒にしないでちょうだい……!」
駆け殴った姿勢を正し言い放つ。
「何か知んないけど人を馬鹿にしたみたいにベラベラくっちゃべって得意気になってるみたいだけど、どうだっていいのよ! 平気で人を傷付けて、巻き込んでかき回して……いい迷惑なのよ!」
「かっ……かは、ははは……はははは! どうしたぁ、もっと全力でやらないと僕は殴り殺せないぞ」
「馬鹿言わないで。あんたには彼に心の底から詫びてもらわなきゃなんないんだから」
「詫びる? 僕が? 人に?」
ケタケタケタと奇怪な笑いが木霊する。
「言ったろう! 人を超えた存在となった僕には塵芥と同義だ! 謝罪など不要」
「子どもね」
「神さ」
傲慢に自負する健二を前に、彩女は深く息を吐いた。
「君が来てくれて嬉しいよ……神砕く牙を冠する獣。今の僕の相手にピッタリだ!」
「あんたは……勘違いしてる」
前置きして語りかける彼女の瞳は、神を名乗る男に対して憐れむような哀しむような、淋しげな色をしていた。
「あんたは神でもなけりゃ只の人よ。他人を利用して誰かを傷付けて思い通りに支配してる気になってるだけの、情けないこどもだよ」
「んひゃはははあははああはは!!」
気に障ったのか、言葉ではなく拳が返ってきた。人一人を虫のように叩き殺した後付の人造生体腕の直撃を、左腕で防いで掻い潜る。
擦れた皮膚が熱く焼け、意に介さず踏み込んだ彩女の右拳は初撃と同じように健二の顔を殴りつけた。一撃目と違うのは、床を滑るだけに留まったこと。殴り飛ばされず踏み留まったその顔は、心底愉快げだった。
「大したことない……大したことないぞ神砕き! 所詮こどもかこの程度! 大人の僕には敵わない!」
高笑いが続く。肥大した右腕の体積が全身に転移するように彼の体が一回り太くなる。まるで力に蝕まれるように。
「本当に、能天気ね」
「は…………」
そう口にする彼女の腕の傷は、癒えていない。人外の力を受けた人の皮膚は裂け、血が滲み、痛みの信号を激しく発する。
「あんたを二回殴ったのは人の手。噛み砕くなんてできない、取るに足らないと見下している人の拳。そんな拳だから、伝わる痛みがあるはずよ」
彩女は下にいた三人と違い、まだ自身の能力を発動してはいなかった。だから腕の傷は癒えていない、だからズキズキと感じる痛みを歯を食いしばって堪えていた……だから、健二を二度殴りつけた拳は、唯の女子高校生のモノであった。
「ふざけるなああああああああ!!!!!!」
その事実に思い至った健二は激怒した。成人男性のおよそ二倍程に膨れ上がった体から放たれる拳の乱打が彩女を襲う。
「ッ――」
二階の床が崩落する。瓦礫と拳が彼女を呑み込み、土煙を巻き上げながら尚も健二の腕は留まることを知らない。
「ふざけるな! ふざけるなよ! どれだけ僕を馬鹿にするんだ! 只の! 女が! この! 神の前に! 只の! 見下しやがって! お前も! 魔女も! あいつもあいつもあいつもあいつもどいつもどいつも僕を認めやがらない! 見せしめだ! お前の死体を! ズタズタの! 穢して! 晒し」
必死の形相で腕を振り下ろし続ける。その顔も体も、次第に人からかけ離れていく。神――否、それは怪物。人の形をした物の怪。
と、不意に彼の腕が瓦礫に突き立ったところで止まった。
「安心した」
止められたのだ。動かせない、強い力で拳を掴まれ、微動だにしない。
「人の目を気にして、怒って、感情的で……。やっぱりあなたは、只の人だよ」
瓦礫の中から、健二の拳をしっかりと受け止めて姿を見せたのは黒衣の魔法少女。目立った外傷もなく、埃で汚れた顔は、その瞳は神を豪語する人間を真っ直ぐに見据えていた。
「ふっ、ふふは! そうだそれでいい! ブレイブウルフ、貴様を倒し神さえ超えたと僕は確信する!」
「そういうのは……」
横合い、掴まれていない方の腕が殴りつけてきた。腕を交差させて一撃を防いだ魔法少女の体は地を滑り、二者の間合いが僅かに開く。
「……まずは駄々っ子を黙らせるのが先か」
「来い魔獣! マガツを離れて創りあげた僕の力を思い知れ!」
ビキビキと肉体を変貌強化していく神を名乗る男と、噛み砕く牙を宿す魔法少女が衝突した。
――――――
ローブで素顔を隠す不審者と共に倉庫の入り口を破砕しながら飛び出した魔法少女マジシャンズエースは、大鎌・ハートスレイヤーを携えて夜の港の海際でその者と対峙していた。
「刃を交える前に訊きたいことがいくつもあるのだけれど」
鎌の切っ先を差し向けながら、赤いマフラーとツインテールを靡かせる魔法少女は語りかける。
「止めておけ止めておけ。答えるつもりは微塵もない」
「残念。遺言も一緒に聞いてあげようと思ったのに」
「遺言なら私が聞こう。他の者を屠る直前に伝えてやっても良いぞ」
「お生憎。貴方に殺されるつもりも皆を殺させるつもりも毛頭ないの」
奇術師は半身に構え、突き出した鎌の切っ先を微かに上げる。
「どれどれ。少しだけ遊んでやろう」
風に煽られローブがはためく。奥に潜む表情は一向に見えてこない。
「邪魔でしょう? 取ったら?」
「取ってみよ」
白刃が煌めく。ハートスレイヤーが薙いだのは、ローブの首元。
刃が空を裂く。瞬時に背後を取ったマジシャンズエースの一閃は見事に躱された。
「疾いわね……」
一瞬前まで敵のいた場所に立つ彼女。入れ替わるように自分のいた場所に立つローブ姿。首の辺りに微かな切れ筋が刻まれているのみ、奥へ達してはいない。
「疾い疾い。流石と言っておこうか」
「どうも。逃げ足はお速いようで……消極的なのね」
「用心深くてな。お主のような実力者相手は特に」
「臆病なのは懸命なことよ」
ふふん、と嗤うエースを前にそいつは黙って佇んでいる。
確かにあまり熱くならないタイプみたい。
彼女も冷静に相手のことを見定め、ついでに口を開く。
「そうやってじっと遠くから観察するのが好きなのかしら。この間も直接手は出さずにあたし達にちょっかい掛けてきたでしょ」
ふむ、とローブの下で唸るのが聞こえた。その反応は図星であると彼女は踏んだ。
「蛇香……貴方が提供したって言ってたものね。少し気にかかってる事があったの。少し前にあたしと彩女が倒した怪物から蛇が抜け出たように見えたのだけど……貴方と結びつけていいんでしょ?」
「よく気のつく魔女だ」
「目的は?」
「同じく集った者の一人がそちらのことを面白そうに語ったのでな。ついつい味見をしてみただけのこと」
「迷惑な話ね」
エースは肩を竦めて呆れてみせた。顔まで背け隙だらけだが、敵はそこを突こうとはしてこなかった。
「……ま、誰が語ったのかは想像に難くないけれど……どうして貴方たちは、あの男まで引き入れて、アリスの下に集まっているの?」
「別に」
と言いかけたところで言葉が止まった。エースの眉根がピクリと動く。
「やれやれ。少しお喋りが過ぎたな、やれやれ……ついつい情報を引き出されるところであった」
「あらあら。気にせず話してくれても良かったのに」
「そうはいかん」
腹の中を探ろうとするエースを拒むのは、準備が整ったからである。
彼女が口車に乗せて話を聞き出そうと目論んでいたのと同じく、敵もまた会話に集中させることで攻撃の機を窺っていたのだ。
マジシャンズエースの背後で音もなく首をもたげ口を開く数多の蛇が一斉に襲い掛かり、彼女の華奢な体に無数の牙を突き立てた。
ハートフォームの赤い衣装が自身の鮮血で更に赤く染まっていく。
己の策が嵌まった事にニヤリと嗤う。死角となるローブの背後から送り出した蛇の群れは港の縁から海を伝い、静かに着実に身を進めマジシャンズエースの背後に到達していた。
後は準備が整ったところで会話を打ち切り、攻撃を加えるのみであった。念には念を入れ毒蛇も送り込んだ。あっという間に体に回る毒は体の自由だけでなく命さえも奪うことになるだろう。
ニヤリとした笑みは蛇に噛まれながらも止まることはなかった。
ポン、と煙のように彼女の姿は消えた。疾さで消えた始めと違う、まるでそれは人を欺く奇術のように。
「取ってあげる」
――斬ッ。
上空から縦一文字に振り下ろされたハートスレイヤーの軌跡がローブの背後を斬り裂いた。




