魔法少女と幻獣奏者
「そういえば、さ」
くじらのクゥちゃんの背に乗って、鈴白さんとドラゴと共に幻龍王の元を目指す道中……飛んでいるから空中か、とにかくその途中、なんとなく訊ねてみた。
「鈴白さんはどうして魔法少女になったんだい?」
「わたしですか?」
眠りについて静かになったドラゴの頭を右手で撫でる鈴白さんが顔を上げた。突然の質問に不思議そうな表情を浮かべる彼女に頷く。
「音無先輩と四之宮先輩のことは聞いているから、折角だし君のことも知っておこうかなって思って。勿論答えにくいなら無理に聞き出したりしないよ」
先輩風に言うなら、鈴白さんの物語に興味があった。どういう経緯で魔法少女となり今日まで過ごしてきたのか。興味は大いにあるので、聞けることなら聞いてみたかった。
鈴白さんは空を仰いで唸った。眉根を寄せ、困っているようだ。
「話しにくいならいいんだ。聞かなかったことにするよ」
「ううん、そうじゃないんです。わたしがサモンコンダクターになったのはたまたまですから、どう説明しようかなって考えて」
「サモンコンダクター……」
召喚、と指揮者か。そういえばこの間対峙した敵からは幻獣奏者とも呼ばれていたっけ。彼女自身が名乗るならば、そのサモンコンダクターというのが魔法少女としての彼女の正式な呼び名なのだろう。
「それじゃあ俺が質問するから、答えられそうなら答えてよ」
「はい、いいですよ」
「そのサモンコンダクターには何年前になったんだい?」
「小学三年生の時ですから……四年前になります」
魔法少女歴四年とは結構長い。
「確か先輩たちが中学二年からで三年になるから……先輩たちより一年先輩になるじゃん。大先輩だよ」
「そそそ、そんなことないです! 人よりほんの少し魔法少女になるのが早かっただけで……実力はぜんぜん」
顔を赤くして手を振る彼女を見て、小さく笑った。先輩たちを引き合いに出されて謙遜しているのか、ともあれ俺からすればスペシャライザーとしての大先輩には違いないわけだが。
「その四年前にどういう経緯でサモンコンダクターに?」
「最初言った通り本当にたまたまなんです。たまたま、この世界に迷い込んじゃって」
「迷い込んだ?」
「はい。わたし達が暮らす世界からこの境回世界へのトンネルが偶然つながることがあるんです。普通の人は落ちたりしないんですけど、わたしみたいに同調しちゃった人が現実の世界から落っこちて、こっちに来ちゃうんです」
「そうなのか……けどさ、同調して落ちてくる人は君以外にもいたりしたんじゃない?」
「わたしは遭遇したことはないですけど、そういう人もいるみたいです」
「その中で、なんで君がサモンコンダクターに選ばれたんだい?」
「わたしは特に同調が強かったそうなんです。ここへ迷い込んでも意識がしっかりしていて……それが幻龍王さまの目に留まったんです」
「迷い込んだ人は意識を失ったりするのかな」
「そうみたいです」
「なるほどね。鈴白さんがこの世界に選ばれた……ていうことかな?」
右手の平を上に向けて彼女を示したら、照れたのか小さく首を竦められた。
「わたしが選ばれたなんて、そんな……」
「謙遜? しなくていいって。君が、その幻龍王直々に選ばれたサモンコンダクターなんだから」
と口にしてから、ふと気になったことを続けざまに訊ねた。
「……鈴白さんだけなんだよね? 今、サモンコンダクターを名乗ってるのって」
「はい、わたしだけですよ。どうしてですか?」
「他にも同じ召喚術を使う魔法少女がいるのかなって思っちゃっただけさ。そっか、鈴白さんだけか」
「誤解されたらいけないから言っておきますけど、召喚魔法を使う人はわたしの他にもいますよ。幻龍王さまのいる境回世界から召喚できるのがわたしだけなんです」
「うん。分かった」
彼女以外にも、別の理屈を使って召喚術を使う魔法少女がいる。それが誰かまでは聞かないが、そういう子がいるということはちゃんと覚えておこう。
「やっぱ選ばれるべくして選ばれたんじゃない? オンリーワンの存在なんだし、替えのきかない立派な魔法少女だよ」
また照れたのか、今度ははにかんだ笑顔を見せてくれた。謙遜の言葉はなかったが、代わりに違うことを口にした。
「だけど、わたしよりももっとこの世界に相応しい人が現れたら……わたしは力を手放すことになります」
その台詞にえっと思ったが、サモンコンダクターという唯一人しか得ることができない肩書きのことを考慮すると、その意味が分かった気がした。
「……オンリーワンの存在は一人だけ。鈴白さんより適任な子が幻龍王の目に留まれば、その力は譲渡されることになる……そういうこと?」
彼女は頷いた。その横顔は少し寂しげな雰囲気を醸し出していたように思えた。
「それはいつになるか、分かったりしないの?」
次はふるふると首を振った。
「明日かもしれませんし、一年後かもしれませんし、わたしがおばあちゃんになってからかもしれません」
「つまりは分からないってことか」
彼女は小さく頷いた。
「鈴白さんの前にいたサモンコンダクターは、やっぱり力を失って普通の人になったのかい?」
「わたしは前の人のことを知らないんです」
「面識がない?」
「前の人が辞めてからわたしが選ばれるまでに、長い期間があったそうです。だからしばらくはサモンコンダクターの存在しない時期があったって……そんなに珍しいことじゃないって教えてもらいましたけど」
常に一人のサモンコンダクターがいるわけじゃないのか。前任の人から力の継承が行われずにブランク期間が存在するのは、相応しい後継者が現れなかったからだろう。
「色々と大変そうだね……」
そんなことしか言えず、彼女はてへへと笑うだけだった。
鈴白さんが力を得た切っ掛けは知ることができた。なら彼女はその力を使って何を成すのだろう。力を使う目的、それも気になった。
暫し沈黙した後、そのことを訊こうと話しかけようとした矢先に彼女の方が口を開いた。
「そろそろ着きますよ」
正面を向くと、目的地である連山はすぐそこまで迫っていた。
「あんなに離れてたのに、いつの間にかこんなところまで来ていたのか」
何十キロ……いやもっと離れていたようだったので長い時間がかかると思っていた。彼女との会話に夢中で時間が経つのを忘れていたのか。
「クゥちゃんは結構速いんですよ。この世界で行きたい場所にすぐ連れて行ってくれるんです」
「そんなに速度出てるように感じなかったけどなあ。そういうもんなのか」
話している最中にも山を一つ越え二つ越え。山のように目立つものが近くにあると、実際に出ていた速度がよく分かる。こいつ超速かった!
四つ山を過ぎたところで流れる景色の速度が緩やかになり、徐々に高度が下がっていく。クゥちゃんが降下している。
「ここが……?」
「目的の場所です。降りましょうか」
ずずんと衝撃を響かせて着陸した場所は屹立する岩山の群れの中。岸壁と地肌が剥き出しのぺんぺん草もなさそうな荒涼とした土地だった。
「掴まってください」
ステッキに跨がり背中に翼を生やした鈴白さんに促され、彼女と同じようにステッキに跨って腰に手を回した。
「これって跨がらなきゃならないものなの?」
フワーッと浮いたところで彼女に聞いたら、うんと首を縦に振った。
「魔法少女っぽいですから!」
彼女の中にあるイメージはそうなっているようだ。魔女は箒に跨って空を飛ぶイメージがあるし、似たような魔法少女も何かに跨るのが正しい作法なのだろうか。
ともあれ彼女の作法に従って宙を飛んでいたがやはり二人は定員オーバー、翼は必死でバタバタしてるがそれに反して俺たちはゆっくりと下降し地面に辿り着いた。
フラウィングには無理をさせたかもしれない、そう思い労うつもりで撫でてみたが、指が触れた瞬間にファッと消えてしまった。鈴白さんがあの子を帰したのだ。
「あれ? ドラゴちゃんは?」
「そういやあいつまだ寝てたな……このまま置いていこうか」
「だ、ダメですよぉ!」
「冗談だよ……半分ね」
後の半分はついてこなくていいんだけどなという思いで満たされていた。あいつが傍にいるとまた噛まれたり踏まれたりしそうな予感があったからだ。
「ドラゴちゃんおーきーてー」
鈴白さんが遙か高みにあるクゥちゃんの背に向けて呼びかける。やがて、そこから一つの影が真っ逆さまに俺の頭上に落ちてくる。
「ほらな!?」
絶対わざとだろうこの野郎。そう胸の中で毒づく俺の背中は寝ぼけ眼の龍の子どもに押し潰されていた。
「お兄さんのことが好きなんだね」
「どこをどう見てその感想が浮かんでくるのか俺には分からない……ほら、早く退け!」
彼女には俺とドラゴが仲良く遊んでいるように映っているのか。いくらなんでもそれはないよ。
俺の背中から降りた龍は眠そうにフラフラと歩みながら、鈴白さんの後ろについて服の裾をその爪で摘んだ。
「んもう……幻龍王さまのところに着いたらちゃんと起きるんだよ?」
「クェ……クゥ」
欠伸で応じる龍にやれやれといった表情を浮かべていた彼女が俺の方へ手を差し伸べてきた。
「さあ、行きましょう」
「ん。ああ」
彼女の手をおずおずと握り返した。手を握ってるところをドラゴに見られたらまた突っかかられるかもしれないと思いチラリと後ろを見やったが、あいつはコックリコックリしながらノソノソと歩いてついてくるだけだった。
「寝ながら歩くなんて器用だな……」
流石龍の子だ。それが関係あるかどうかは分からないが。
「クゥちゃん、少し待っててね」
鈴白さんは空いている右手を振って、俺たちをここまで運んでくれたクジラに一旦別れを告げた。俺も礼のつもりで軽く左手を挙げてみたが、クジラのクゥちゃんも寝ているのか、特に反応らしいものは返ってこなかった。鈴白さんも特に気にした様子はないし、これがクゥちゃんの普通なのだろう。
「これから岩の間を抜けると、深い谷があります。そこの底まで行きます」
「そこのそこまでか……」
鈴白さんなりの洒落かな。余計なことを言うと白い目で見られたり最悪スルーされて恥ずかしい思いをするのでここは黙っておいた。時には我慢も必要なのだ。
「しっかし、本当に殺風景なところだね。緑もない岩の色一色の世界……」
「この辺りには幻龍王さましかいません。他の生き物……植物も含めて、傍には近寄らないんです」
「そんだけ近寄り難い存在ってことか」
俺なんかが謁見していいのか甚だ疑問に思えてきた。鈴白さんの手引きがあるとはいえ、本当に大丈夫だろうか。
そびえ立つ円すい状の岩柱は林のように続いている。剥き出しの岩肌を踏みしめながら林を抜け出た時、俺の足は竦んでしまった。
「ここが龍王の谷です。あとはここを降りていけば……」
彼女の説明は耳からすっぽ抜けていった。眼下には底の知れない深すぎる谷。暗闇に覆われた谷の底はどれほど深く刻まれているのか想像できない。
谷の対岸は見えているがどれだけ離れているのか。五百メートル……一キロ……いやもっとか。
眼前を横切る谷の左右に視線を向けても、その果ては見えなかった。どこまでも続いている。まるでこの世界を分断しているかのようだった。
「お兄さん?」
「……こんだけでかいとは聞いてなかった」
「わたしも最初はびっくりしました」
鈴白さんは笑っている。俺もこの場所を見て笑える日がいつかくるんだろうか。今はビビるしかできない。
「それでは行きましょう」
俺を導いてくれる彼女の小さな手がなんとも頼もしい。何年も魔法少女として戦ってきたのだし、ここにも幾度となく訪れているに違いないので当然か。スペシャライザーになりたての俺にはこの小さな少女でさえ大のつく先輩なのだ。
谷にはまるで人が通って下るためにあるかのように、道ができていた。勿論整備された道路などではなく、ゴツゴツとした硬い岩盤でできた細い道である。それが谷の絶壁に沿って闇の向こうまで続いていた。
「ライト……ルナ……」
鈴白さんが片手でステッキを操り空中に魔法陣を二つ描く。そこから現れたのは先程まで一緒にいた月の精霊と、もう一つは初めて見る子だ。いや正確には見えていない、光そのものだ。光の中心に何かがいるようだが、光量が強く直視できずにいた。
「これで大分先まで明るくなります」
「そうだね。これなら足を踏み外す心配もなさそうだ」
二つの光源は俺たちの後方から歩む先を照らしてくれている。それでも谷の底まで光は届かない。どれだけ下ればいいのやら。
「クゥちゃんから降りた時みたいにフラちゃんに助けてもらえば谷の底までゆっくり下降できないのかな?」
「今はドラゴちゃんがいるから……三人は無理です」
「こいつ飛べるじゃん……」
「まだ寝てますから」
鈴白さんに甘やかされやがって。羨ましいなこの野郎。相変わらずドラゴはこっくりこっくりしながら鈴白さんの衣装をつまんで歩いて寝ていた。
俺と鈴白さん、ドラゴ。そして頭上に控えるライトと呼ばれた新しく会った子とルナちゃん。五人もいると心細さは感じないが、それでも長い道程に次第に心が参ってきていた。
谷の形に細長く切り取られた空を見上げる。これだけ下ってきてもまだ底は見えないでいた。
「そういや、さっき聞きそびれたんだけどさ」
「はい?」
並んで歩いてきた鈴白さんに久々に声をかけた。
「君が力を得た切っ掛けは知ったけど、その力を使って何をするんだい?」
「それはもちろん、お兄さんを助けたりとか……」
「それはありがたいんだけどさ。訊き方が悪かったかな」
俺が何を訊きたかったのかしっかり伝えようと、改めて考えて口にする。
「音無先輩はちゃんと戦うべき相手がいたらしいし、四之宮先輩もシャドウって言う妙な奴らを退治しているよね」
俺の言葉に彼女は頷いた。そういう事情は付き合いの長い鈴白さんの方がよく知っていて当然だ。
「要はそういう敵って言うかな……何か相対する相手や、やらなきゃいけない目的がサモンコンダクターにもあるのかなって思って、それを訊きたかったんだ」
「そうですか……わたしのやるべきこと、ですか」
今度はちゃんと伝えることができたようだ。彼女からどんな言葉が返ってくるか、俺は耳を傾けた。
「幻龍王さまから頼まれているのは、ドラゴちゃんを育てることです」
「こいつを?」
「はい。将来この世界のあととり……になるから、少しでもけんぶんを広めるために外の世界を見せるように……っていうことです」
この生意気なワルガキっぽい龍が世界を統べるようになるのか? 想像ができない。
「と言ってもこの子が大きくなるのはとっても遠い未来のことになるから、わたしだけが育てるわけじゃないんですけど……」
「君の後にサモンコンダクターになった人も、こいつを育てなきゃならないってことね」
「はい。あと、やらなきゃならないことってわけじゃないんですけど……境回世界の子たちをまとめることができたらしてほしいって、言われました」
「今はまとまってないのかい? ああ、そう言えば乱暴なやつもいるって言ってたっけ」
「はい。大人しくさせた子しか契約して呼び出すことはできないんです。だからみんなをまとめることはわたしのためにもなるんです……これもわたし一人でやり切るなんて無理なことなんですけど」
「でも強くなりたくてここに来たってことは、その乱暴なやつの誰かを大人しくさせて従わせなきゃならないんだよね?」
俺の問いかけに少しだけ考え、彼女は口を開いた。
「とりあえず大深林の地や湖氷の近くで契約を交わしていない子を探してみようかなって。他の場所にいる子を大人しくさせるかは、考え中なのです」
「そっか。大変だろうけど頑張んなきゃね……」
「はい。ありがとうございます」
こんなことしか言えない俺に笑ってお礼を述べてくれるなんてなんていい子なんだ。本当にかわいい。
ともあれこれで鈴白さんの事情や物語の骨子は大まかにだが知ることができた。
彼女がサモンコンダクターに選ばれたのは適正が高かったためであり世界に一人しか存在できず、彼女より適正の高い人が現れればその力はその子に受け継がれることになる。
彼女はその力で幻龍王の跡目になる小龍ドラゴの成長を助け、できることなら境回世界の幻獣をまとめることも頼まれているそうだ。その役目は彼女だけでなく、その次にサモンコンダクターとなる子に力とともに継がれていく。
大体こんなところか。先輩たちのように明確な敵がいない分、戦うだけの魔法少女生活というわけではなさそうだけど、彼女の物語にははっきりとした区切りがないように思える。その点に関しては、俺と似ているかもしれない。俺にもはっきりとした敵なんていない。
俺の物語の目的を挙げるならば、先輩たちの助けとなることだ。そのために俺は自分の力についてより深く知るためにここへ連れられてきた。目的へ向かい一歩一歩確実に近づいている。




