大門真希奈の休日 1
「おはよう」
「ああ、おはよう」
出勤してきた尊田武が既に下のデスクに着席していた同僚の鏑矢誠に声を掛け、自分のデスクへ手荷物を置く。
今日も一日机に張り付いての仕事が始まるのだが、準備の手を止めた武が再び声を掛ける。
「外にさ、いかついバイク停まってたけど」
「あの人来てるよ。なんでも、この間こっちから請け負った仕事の報告書の提出だって」
その仕事については彼らも聞き及んでいた。
結果として仕事を依頼した少女は息を引き取るという後味の良くないものとなってしまったが、顛末をまとめたレポートをバイクの持ち主は所長である神木夜代へ届けに来ているのである。
「朝一から来るなんて、大門さんもマメだよな」
「面倒事はさっさと終わらせたいんでしょ。帰ったら仕事だってぼやいてたし」
「休日がないとは悲しいことだ」
「人の事は言えないけどな」
彼ら自信も休日は多くない。溜め息を吐き合ったところで、他の同僚の姿が見えないことに気付いた。
「あっちの二人は?」
武が指差したのは反対側にある空席のデスク二つ。本来なら女性のオペレーターがいるはずである。
「先日入居してきた一野くん……だっけ? 連絡が来たんだけど、それを聞いてバタバタ出て行ったよ。ちょっと空けるから後はよろしくー、だって」
女性の声色を真似る様は、一人職場に残されたことに不満そうにも見えた。
「朝からドタバタしそうだなあ」
「忙しくならないことを願うぜ」
そしてしばらく、男二人でマガツ機関中央センターの管制室を回すハメになるのだった。
「――つうわけで、俺が伝えられる話はこれで全部だ。わざわざ口頭で言わなくていいだろ? そっちに書いてんだからよ」
徹夜だぞ徹夜。徹夜で書いたんだ。
神木夜代が居を構える所長室。デスクに腰掛け、大門真希奈から受け取った報告書に手早く目を通す彼に向けて徹夜を強調するバイクの持ち主の姿があった。
黒ずくめのライダースーツの彼女が退治しているのは、対象的な白衣の青年。
「なるほどね」
メガネを掛ける青年は書類の束をパタンと閉じ、腕を組んで部屋の壁に背を預ける長身の女性に目を向けた。その目は鋭いと言うより細い。迫力に欠ける糸目であるが、強い眼差しをしていることに真希奈は気付き、眉根を寄せた。
「君が交戦した少年についてだが」
それについては報告書にも詳細に記している。
フードを被り袖を引きずる男の子。可愛らしいものではなかった。
無邪気に邪気を振りまく凶悪な邪鬼。
真希奈は思い返す度、あの飄々とした立ち居振る舞いにイラッときていた。
「茶会の参列者と……確かにそう名乗ったのだね?」
「クドいな。間違いねえよ。俺の耳元ではっきりと答えやがった」
答えを聞くと夜代は小さく頷き俯いた。
「思い当たることでもあんのかよ?」
ふむ……と煮え切らない返答。
「言えよ。こちとらそっちの情報不足で痛え目にあったんだ」
歩み寄った真希奈はデスクに手をつき詰め寄った。
「腕二本、大損だ。割に合うネタでもなけりゃあ」
「おや? その分の補填は先日豪さんに……」
「あぁ!?」
彼女の口が歪むのを目にし、夜代はあっと声を漏らした。
「今の発言は忘れてくれたまえ」
「あんの腹黒狸が……」
バッチリ真希奈の脳裏に刻まれてしまう。もう消すことはできないだろう。
「とっちめて捻り出させてやる」
問い詰めるべき対象がシフトしたため、この場に留まる意味を失った。
じゃあなと言い残して立ち去ろうとする真希奈の背に部屋の主が言葉を投げかける。
「その時が来たら手を貸してもらえるかい」
足を止めた彼女は肩越しに振り返り、ほくそ笑んだ。
「依頼なら喜んで承るぜ。それ以外ならノーセンキュー」
今しがた報酬の話が癪に障ったばかりである。無償での奉仕はお断りだと釘を刺す。
「負けた相手へのリベンジの機会をと思ったのだけど」
「…………あ?」
「乗り気でないなら仕方ない。他をあたってみよう」
「オイ待てよ誰が負けただコラ」
踵を返した真希奈は再度所長に詰め寄った。両手を机に叩きつけて鋭い視線をぶつける。
「イヤイヤイヤいいんだよ無理難題は頼めないから」
「無理じゃねえよ! 負けてねえよ! 読んだろレポート! 節穴かよてめえの目は!」
「反省しているよ。こちらの情報不足で君に黒星がついてしまって……でもこれは仕事の正式な内容ではないし公式には記されない」
「だから負けちゃねえつってんだろ……!」
言い分を聞き入れられずに苛立ちを募らせる女性の口の端と言葉がワナワナと震えていた。
「ではそれを証明してくれるかな?」
「いいぜやってやるよクソが! その時ってのが来たら真っ先に連絡しろよ! それであんたの言い分が的外れもいいトコだって教えてやんよ!」
そう言い捨てて、肩を怒らせ去って行った。
「うんうん。是非そうするよ」
「……うん?」
廊下をドシドシと進みながら、下手な挑発に乗せられて儲けにならない依頼を引き受けた自分自身の行動に首を捻る真希奈がいた。
とは言え――負けてはいないが――勝ち星を上げたわけでもない。そう引き分けだ。あの生意気なガキと再戦の場を整えてくれるのならば望むところである。
「見てろよあんにゃろう」
もう負けた負けたなんて連呼させない。そう思いながらの帰途で出会ってしまった。
「おやおや。誰かと思えば一流整備士の真希奈さんじゃありませんかぁ。表に見慣れない素敵な単車が停まっていたのでもしかしたらと思いましたよ」
丁寧な物言いをする相手に冷めた目線を向ける。
顔にメガネと笑みを貼り付けていたのは、マガツ機関所属のスペシャライザーの一人、菊池景子その人である。
「あいっかわらず鼻につく喋り方だな」
「それは失敬。何しろこういう話し方が身に沁みついています故」
「染みなら削ぎ落としてやるよ」
「滅相もない。私の手入れなどで貴女の手を煩わせるだなんて。これからもその手は世のため人のため仕事のために役立ててくださいな」
冷ややかに見下す真希奈を嘘くさい笑顔で見返す景子だったが、
「用がねえんなら話しかけんなよ」
真希奈はそう吐き捨てて彼女の横をすり抜けた。
「ああそう言えば聞き及んでいますよ。マガツからの依頼を難なくこなしたそうじゃないですか。流石は真希奈さん」
真希奈は小さく舌打ちした。たった今報告してきたばかりのことを既に知っている耳の早さが気に食わなかった。
お喋りに付き合うのも煩わしく、そのまま歩み去ろうとする。
「大変だったでしょう。子守りをしながらお仕事だなんて……母性の芽生えていない私には到底無理ですよ」
足が止まった。依頼を済ませたことを察しているのはともかく、同行させた少年については他言していない。報告書には記したが、その内容を他人が知るはずもない。
本当に、こいつは、どこまで探りを入れてやがるんだ。
「てめえはどこで」
「先日お会いしたんですよ」
振り返った真希奈の鼻の先に景子の鼻が触れた。距離を詰めた彼女は鼻を突き合わせたまま、真っ直ぐ真希奈を見上げてくる。
「貴女の勤める会社の社長さんに」
ここでもその名が出てきたことに頬がピクリと引きつった。
「色々とお話してくれましたよ、あのお仕事がどんなものだったか」
「社長の面倒見てくれてありがとよ。聞いた話はさっさと忘れとけ」
「忘れられるわけないじゃないですか。ショックでしょうねえ、依頼人の女の子もお亡くなりになってしまって」
「別に何とも思っちゃねえよ」
「そうでしょうね」
先の発言をあっさり覆し真希奈の言葉に同調してくる。飄々と変わる態度を取る相手は得意ではない。好きではないとも言える。
「ま、別にいいんですよお亡くなりになった人のことなんて」
二歩、後ろに引いた景子は腕を組んで目を細めた。
「私は貴女に失望してるんです」
少し間を空け、真希奈は「は?」と口元を歪めた。
「貴女が連れ回した少年……相沢くんについて、個人的にすごく興味があるんですよ」
そう語る景子は瞼を閉じ、頭を抱えるような仕草でコメカミの辺りに指を這わせた。
「力を失ってるそうだけど、視えないモノが視える力……親近感が湧いちゃうからいつか二人でオハナシしてみたいと思っていまして」
舌で唇を撫でた後、光の加減か暗く輝いて見える瞳が薄っすらと開かれ、真希奈を鋭く見据えてくる。
「ですから依頼人を守れなかった真希奈さん? もう彼には近付かないでもらえます? 私がオハナシする前にとばっちりで死なれたりしたら迷惑なんで」
「断るっつったら?」
「残念ながらこの話に選択の余地はありません。……ああでも、素直に従うか力ずくで従うようになるかは選ばせてあげますよ」
「なら二度とナマが言えねえように力ずくでてめえの口塞いでやるよ」
今度は真希奈から景子の鼻先に顔を寄せていた。
「やれるものならどうぞ」
夜代は一人になった室内で、細い糸目を更に細めて満足気に頷くのだった。




