とある休日の 2
店主が店内を改めた直後、二人連れが訪れた。
「どうもぉ。お久しぶりです」
「……」
特異な衣装を着た二人組。メイド服をベースにした飲食店の制服である。残念ながらこの店のものではない。ここで働いているのは初老の主人一人だけである。
笑顔を浮かべる長髪の女性は商店街に店舗を構える甘味処の副店長である。同じ衣装を着ているということは、連れの人物も同じ店で働いているのであろう。
いらっしゃいませ。
にこやかに来客を出迎える。女性は迷いなくテーブル席へ着くと、連れのメイドを手招きする。
「こっちいらっしゃい」
「本当に此処で貴女のお勧めする洋菓子が出てくるのですか?」
「私の言うこと疑ってる?」
「そうではありませんが……」
店内を見回しながら席に着く連れの人物の訝しげな視線が店の主人に向けられる。
どうにも常連の女性が過大な評価を連れの方に吹き込んでいるようですね。
あまり評価が過ぎるとご期待に添いかねるが、かといって期待もされていない視線を向けられるのも不本意。
主人は店のカウンター……いやショーケースから二つ、焼き菓子の器に彩り鮮やかな果実とクリームを飾りつけた菓子を取り出してテーブル席へと運ぶ。
「まあタルト。好きなのよぉこれ」
笑顔を更に輝かせる女性、対して向かいの人物はまだ疑っている様子。
口にしていただければ分かりますよと心中で呟く店主の思いが通じたのか、眉根を寄せながらフォークを手にした。
「んふふ」
一口お先にタルトを召し上がる女性に見守られながら、クリームを乗せたイチゴがゆっくりと口へと運ばれて。
「……ん」
二口そして三口と、続けざまにフォークを運ぶ。そして味を確かめるように手を止めて。
「んん」
唸りを聞いて主人は満足していた。言葉にならない感想をありがたく頂戴したからだ。
「ん……?」
「んふふ」
「何ですか」
向かいの女性が頬杖をついてじっと見つめてくるのが気になったらしく、メイドが手にした食器を置いて問いかけている。
「君も随分変わったわねと思って。初めの方は抜身の真剣みたいに張り詰めていて、余裕がなかったものねぇ」
「貴女の店でこき使われていますからね。いくら私でも多少は丸くなります」
「私じゃなくって風里さんのお店なんだけどねぇ」
商店街に軒を連ねる店の一つが彼女たちの職場である。あの口ぶりでは苦労を重ねている様子。
サービスのコーヒーを二人に提供しつつ、店主はその会話に静かに耳を傾けていた。
「そもそも。私が大人しく働いているのはあの女ではなく貴女が公私に渡って目を光らせているからであって」
「ヒサちゃんのご主人様に頼まれてのことよぉ」
「そう、それです。主の言いつけもあるので渋々……いえ、そんなことは建前です。本音を言えば、貴女に付き従うことで私は私の業前を磨きたいのです」
「へえ……」
微笑む女性の瞳が薄く開かれる。
「貴女ほどの実力者がどのような理由であのおん……女性に仕えているのかは存じませんが、とにかく私は傍にいることで少しでも貴女の技を体得したいのです」
「成長したいっていう心意気は買うけどぉ……」
困った口ぶりに思えたが一つ頷くと、
「まずはタルトを食べちゃいましょう。話はそれからよ」
「了承した」
「貴方がそこまで考えているのならいいわ。私の技術を教えてあげる……一人前の菓子職人に育ててみせるわ」
「…………え? いえ、私が学びたいのは!」
突然メイドは立ち上がった。副店長から教わることに何か不満があるのかと思われたが、どうにも妙な雰囲気である。
「あらあらどうしちゃったの?」
不思議そうに訊ねる女性に対し、どこか虚空を見つめるような素振りをしていたメイドは徐々に我に返るように視線を下ろした。
「いえ……今、主が我が名を呼んだような気が」
「長く離れているせいでご主人様が恋しくなっちゃったのかしら……ホームシックぅ?」
「そんなことはあり得ない! 先も言った通り、私は主の言いつけに沿って貴女の下で職務に従事しているわけで!」
お客様が外界を気にせず過ごして頂けるようになるべく外の音は聞こえないようにしているのですが、特別な絆で何か感じるものがあったのでしょうかね。
店の主人は口ひげを撫でながら、言葉を投げかける彼とそれを受け流す彼女の……従業員と副店長の会話を音楽代わりに店内の手入れに勤しんだ。
「そろそろお店に戻りましょうか」
「はあ……」
「もっとシャンとしてよぉ。期待してるんだからあ」
「期待ですか?」
「買い物ついでにこうして連れてきたのもその舌に新しい味を学んで欲しかったからなのよぉ。いい舌を持ってるのよ……自分じゃあ気付いてないようだけど」
「毒味のために敏感な舌が必要なこともありますが……」
「そういうことじゃないんだけれど……いいでしょう。のんびり鍛えていきましょう」
「菓子作りではなく身のこなしの鍛錬を」
その時には既に彼女は店の扉に手をかけていた。
「うふ、ごちそうさまでした」
またのお越しを。
「まったく……」
女性に翻弄されるメイド姿の彼も席を立つと足早に去っていった。
店内に一人となった主人はレジへ赴き、いつの間にか置かれていた代金をその中へと仕舞った。
まだ大人の空間へと模様替えするには時間が早い。
次に来る二人を持て成してから店内を改めましょうか。
果たして店主がそう思った通り、続いての客も男女の二人連れであった。
先の二人と相違ある点は、高校生のコンビであるところだ。
「ちわーす」
「二人です」
そちらのテーブル席へどうぞ。
角の席へと促し、二人が向かい合って座ったところで冷水に満たされたグラスを二つ差し出し傍を離れた。
注文はしばらくこないと判断したのは、メニューも見ずに会話に花を咲かせていたためだ。
「……あのオチはないな……」
「斬新な……シナリオでしたわね……」
どうにもその花は萎れているようであったが。
「予告じゃあゾンビパニックだったはずなのに」
「気が付いたら宇宙船に潜入してましたね……」
「巨大ロボまで出てきてた……」
「エンドロール後に宇宙人の赤ちゃんを抱いてるヒロインには驚きましたわ……」
聞こえてくる二つの深い溜め息。近頃公開された洋画の話題である。
観に行かなくて良かったかもしれない、と店の主人は密かに思うのだった。
「悪いなあ、気晴らしに誘ったつもりだったのに変な映画観せちまって。事前に知ってりゃあ……」
「事前に知ってしまっては映画を楽しめませんわ。たまにはこのようなムニャムニャ……もよろしいかと」
「はっきり言わないところに優しさを感じるよ」
互いに苦笑し歓談を楽しむ合間に注文を伺う店主。モンブランケーキを彼女に、チョコレートケーキを彼に差し出し、しばし取り留めのない会話を続けていた。
「……それで任務の方は順調ですか?」
「あん?」
二人ともケーキを平らげたところで彼女が彼に切り出した。
「学校で秘密裏に何か探っているのでしょう?」
「んん……まあな」
「今日お誘いしてくれたのも、私が学校で気にかかることがないか訊ねたいから……ではありませんの?」
「んな思惑はねえって。この間から色々あったお前のことが心配だったからだよ」
「お心遣いに感謝しますわ」
「おう。それで少しでも恩返ししたいって気持ちがあってもしも最近学校で異変を感じてることがあったら聞いてやらないこともないけどな」
「ま! 恩着せがましい言い方!」
「冗談だよ、冗談。……けど何か引っかかることがあるなら何でもいいから教えてもらいたいのはマジ。ちょっと行き詰まっててな」
これより先の会話は聞き耳を立てていいものではないでしょう。
店内の仕事をしつつ、しかし自然と耳に入る会話の内容は図らずも記憶に残ってしまう。
他言されることはないからこそ、客は気兼ねなく話をしていく。
掻い摘むと東台高校の学生の一部で良からぬ物品が蔓延しており、問題の出処と解決を彼が探っているという話である。
その話をしている間の二人は非常に引き締まった表情をしており、主人は胸の内でその問題を解決できることを祈るのであった。
真面目な話が終われば後は再び学生らしい話題で盛り上がり、やがて退店の時となった。
「この後はどこへ連れて行ってくれますの?」
「この後かあ……」
此処で今日の予定は終わりのつもりだったらしく、彼の口からすぐに答えは出てこなかった。
「歩きながら考えるか」
「それも素敵ですわね」
「嫌味はやめてくれよ?」
「素直な気持ちですよ」
若いとはいいですねえ。
我が子でも見守るような心持ちの店主に彼女がお会計を。
「俺が出すよ」
割り込むように彼が。
「お言葉に甘えます」
「あ……」
彼女は優雅に身を翻し店を後にした。
「……割り勘って言ってくれると思ったのに」
男らしくない彼の呟きは胸に閉まっておきましょう。
ペアの客が去りまたしても静になる店内。
本日最後の来客を出迎えるべく、店の様相はガラリと変わる。
外の闇と融け合うような暖色照明。ほんのりとした薄暗さが先程までのカフェスタイルとは違う雰囲気を漂わせ始める。
最後の来客が姿を見せ、バーのカウンターに腰を据えた。
お帰りなさいませ。
歓迎と同時にロンググラスを一つ差し出す。中には彼女の髪と同じ青みを帯びたカクテルで満たされている。
彼女は差し出されたカクテルに手を付ける素振りはない。ただ静かに座し、待っていた。
「時間通りかな?」
新たに現れた男性は店内の大時計の針を見ながら彼女の隣の席へ座った。
「少し待った」
女性は横に座る人物を見、店主はカクテルグラスを置いた時に二人揃ってわずかにギョッとした。
「……どうしたのその顔?」
二人とも、彼が身につけるサングラスとマスクの合間からちらりと覗く傷跡に気が付いた。
「いやいや、ちょっとした実験の失敗さ。今日は下げてもらって結構……口の中が痛くてね」
失礼しました。
店主はそっとグラスを引き、寂しそうにそれを片付けた。
「乾杯も出来ないわね」
「楽しみにしてくれてたのかい?」
彼女は少し冷えたグラスを手に取ると一口だけカクテルを口に含み、飲み下した。
「冗談。あんたと楽しもうなんてこれっ…………っぽっちも思ってないんだから」
「傷つくなあ」
マスクの下で彼が苦笑いしている。
長年二人の付き合いを目の当たりにしてきている店主であるが、ずっとこの調子である。
お似合いだと思うのですがね。
余計な一言は決して口に出さず、黙って店内で己に与えられた役割をこなすのである。
「それで。今日はどんな話を聞かせてくれるのかしら?」
「うむ。君と、君に預けている僕の懐刀の出番が近い」
ピクリ、と彼女が身構えるのが周囲の者には分かった。若干の緊張が表情に浮かんでいる。
「何が起きるの?」
ここから先は重大な話し合いになりそうですね。
察した店主は特別な応対をするわけでもなく、他の客にそうするのと同じように黙って耳を傾け……ではなく、自然と聞こえてきてしまう話を胸の内に仕舞って仕事を続けるのだった。
それからしばらく、最後の二人組が退店するまでの間に耳に届いた話の内容を思い返しながら、今日の来客者と縁のある出来事がそろそろ起きるのだろうと、店主は感じていた。
店の照明を落とし、戸締まりを済ませ、店は静かに姿を消した。




