休日のボランティア 2
「少し前にこの辺りで女子高生が気を失って倒れてることが続いたの、知ってる? 同じ高校生だから知ってるわよねえ。西台の子だったかしら東台だったかしら……ともかく何が原因か分からなかったでしょ? もしかしたら不審者がいるんじゃないかって一時期この辺も物騒だったのよぉ……。それが最近ぱったり止んだでしょ? みんなホッと一安心……なんだけど、実は同じ頃ある噂が流れてたのよ。この屋敷に誰か棲みついてるんじゃないかって……それがなんと、女子高生の事件が終わると一緒にその噂も消えちゃったの。偶然かしらねえ……おかげでこの辺りも落ち着きを取り戻したんだけど。それから女子高生の件と屋敷の噂は何か関わりがあるんじゃないかって考える人も出てくるでしょ? 私も実は関係があるんじゃないかと睨んではいるんだけどね……でもそもそもこんな古びた洋館があるのが治安の悪化に繋がるのよって言い出す方もいてねえ。その人たちの誰かが知らせたのか、このところスーツを着た不動産関係っぽい男の人が何度も足繁く通ってるのよぉ。だから、そのうちこのお屋敷も潰されちゃうんじゃないかって……噂よ、噂」
外で聞いた話を身振り手振りを交えてそこまで再現し終えた俺はようやく一息つけた。
「……という話をさっきそこで聞きまして」
館のエントランスホールには全員集まっている。床には埃や汚れがあるが、瓦礫の多くは片隅に寄せられている。椅子に座って話を聞いていた音無先輩と少し離れて立つ明がきっちり片付けたのだろう。
「もしその話が本当なら、掃除しても無駄になるから残念ねえ……って言い残しておばさんは帰られました」
「なるほどねえ」
脚を組んで黙っていた音無先輩がようやく口を開いた。
「知らない間にそんなことになってただなんて」
「ねえ貴女たち……ここに居着いている少年にはあった?」
俺の後ろで聖と一緒にいた四之宮先輩が前に出て音無先輩と明に訊ねる。
ここにいる少年。それは館に宿った、一種の付喪神みたいなもんだ。洋装で金髪碧眼の男の子であり、この館に来る度に顔を見せてくれていた。
「うん。入った時に呼んでみたんだけど、出てくる気配なくってさ」
「顔は見てないってことね」
ふむ、と顎に手を当てる先輩に聖が語りかける。
「どうかしましたか?」
「いえね。あの子みたいな霊的な存在って、案外周りの環境に影響を受け易いのよね。周囲から必要ないなんて話がその耳に届いていたら」
「存在が消えてしまう?」
「かもねって話よ。単に話にショックを受けて出てこないだけか、休んでいるだけかもしれないし」
しかし姿を見せないのは心配である。それに噂が事実だとしたら、ここは取り壊されるかもしれない。
「本当に潰されちゃうんですかね?」
「さあ。目撃されたっていう不動産関係らしき人が実際にどういう腹積もりなのかは分からないし……そもそも本当に不動産なのかしらね」
「疑ってるんですか?」
「確証のない噂話に踊らされるなってことよ」
そうではあるが、この館に何か起きようとしている可能性は高いだろう。
と、話に口を挟まなかった明が不意に腰を上げた。
「無駄になるなら……作業は止める……ですか?」
ぎこちない敬語で部長に訊ねる。当の彼女は脚を組んだままんーっと唸り、
「続けましょう。そういう約束だし、それは守らなきゃあ」
先輩ならそう言うと思った。明もその意志を確認したからか、何も言わずに引き下がった。
「あたし達のボランティア活動は無駄になるかもしれないけれど……できることは限られているけど、だから取り掛かったことはきちんとやらなきゃ、ね」
「言われなくても」
「半端になるのは気持ち悪いっすから」
「外は大分片付けましたから、僕らも中を手伝いましょうか」
話はまとまり、全員佇まいを正した。
「あたしと明くんは続きをやるから、三人は床掃いたり拭いたりしてくれる?」
「了解っす」
そして俺たちは散り散りに動き出した。
ボランティア倶楽部で準備した掃除用具を手にしながら、音無先輩が言ったことを頭の中で反芻していた。
できることは限られている、か。
もしも本当にこの立派な洋館が取り壊される危機に直面しているとしたら……俺は知り合った少年のために何かできることはないのかと。
何の力もコネもない高校生ながら、そんなことをふと考えていた。
陽が沈むにはまだ猶予はあるが、結構傾いてきた。そんな時間帯にようやく俺たちの奉仕活動は一段落ついた。
「今日はみんな、お疲れちゃんだよぉ」
館の外に出て門の扉をきちんと閉めてから、音無先輩が終わりの言葉を口にした。その顔もジャージもすっかり汚れている、がこれは先輩だけに限ったことじゃない。言葉を受ける俺たちも漏れなくあちこち汚れていた。
「ホント疲れたわよ。ボランティアも楽じゃないわ」
四之宮先輩がぼやく通り、まさしく今日はボランティアの名に相応しい活動だった気がする。端から見れば誰も住まない洋館の清掃なんて、何の得にもならない行為に思われるはずだ。
「完璧に片付いたとは到底言えないけれど、結構綺麗にできたからあの子も喜んでくれてると思うな」
「結局……顔は見せてくれませんでしたね」
聖の言う通り、あの館の現在の主と呼べる少年は一度も姿を見せなかった。一目だけでも会えていたら、ここまで心配な気持ちにはなっていなかっただろう。
「うん。折を見てもう一回来てみよっか?」
「すぐは勘弁よ。あたしだって忙しいんだし……それに期末テストも徐々に近付いてきてるわよ。奉仕活動ばかりやってられないでしょ」
「テスト……」
一般社会で生活し慣れていない明が四之宮先輩の台詞に反応していた。中間テストを経験したとはいえ圧倒的に試験の場数が少ないから身構えてしまってるに違いない。
「安心しろまだ三週間くらいあるから」
「たったの……」
あれ、余計不安にさせてしまった気がするぞ。でも大丈夫、一夜漬けでも何とかなるもんさ。
「ではみなさん、明日はしっかり体を休めてください!」
明日まで休日。明後日から平常通り学校だ。先輩の言う通り、明日は一日家でのんびりしたいと思う。
「さて、と。じゃあ夕飯食べに行きましょう!」
「解散じゃないの?」
「みんな揃ってるんだし、どうせなら一緒に何か食べようよ」
先輩たちの会話に、それは魅力的な提案だと心惹かれた。
「ですがこの格好じゃあ……外で食事するには勇気がいりますね」
確かにこんなに汚れた服装じゃあ食事処には入りづらい。聖の懸念も尤もだ。
「ならあたしの家にしよう! お風呂も洗濯もできるじゃん!」
「いいっすね!」
先輩の手料理を久々に頂けると思うと間髪入れずに賛同していた。
「それでいいならいいけれど……二人は?」
俺以外の一年生に四之宮先輩が訊ねていた。
「お邪魔じゃなければ……」
「邪魔なわけないじゃなーい! 明くんもいいよね!?」
「ん……す」
音無先輩の押しの強さに明もこくんと頷いていた。案外押しに弱いな……何か頼む事があった時は強気に押してみるといいかもしれない。
「それじゃあ出発!」
歩き出す先輩たちに俺たち後輩も付き従った。
「ところで聖さん」
「何?」
俺を真ん中にして横並びに歩く後輩三人。右隣りにいる聖に耳打ちするように声を掛ける。
「お前、あそこに住むつもりない?」
「あそこって……あそこ?」
うん、あそこ。
俺たちの視線は後方にある洋館に向けられていた。
「またいきなりどうして……?」
「誰か住んでりゃあさ、取り壊しの話も立ち消えるんじゃないかなって思って」
俺の提案は、だがしかしあっさりと却下される。
「冷静に考えて無理だよ。マガツ機関に引っ越したばかりなんだから……」
「いい物件が見つかったって説明すればいいじゃん」
「……水道も電気も通ってない。一人で暮らすには広すぎる。契約の手続きもあるだろうし……やはり難しいよ」
「そりゃそうだよなあ」
いきなりここに引っ越せって提案しても土台無理な話だ。分かっていたけど言ってみるだけ言ってみただけさ。
「……明はどうだ?」
俺はすかさず反対を歩く明に問い掛けた。
「遠慮する」
遠慮かあ。遠慮されちゃったかあ。強引に押してみようかなあ。
「お前が住めばいい」
予想外! 明からの新たな提案!
「……え、遠慮する」
一人であそこに住もうとは思えない。聖も明も、同じ気持ちだったんだろうな。
溜め息混じりに洋館の方を振り返った。結局俺には何もできず、成り行きを見守るしかないのだろう。
最後に俺たちを見送る異国の少年の姿が窓際に見えた気がした。




