終わりの後に
仕事を終えた後の撤収は迅速に進んだ。
真希奈さんが少女を連れ、俺は後ろをついていく。
館の外に出てバンの元まで戻った時、別の車が到着するところだった。
軽トラックを運転していたのは大門豪さんだった。
乗車したまま真希奈さんと二言三言会話すると、荷台に車椅子、助手席に少女を乗せて先に行ってしまった。
「依頼人を送り届けるってよ」
説明を受けながら、ここへの出入りには少女の存在が必要だったんじゃなかったのかという疑問が浮かんだりしたけど、それを問うには心身の……特に精神的な疲労が酷く、生返事をするだけに留まった。
惨状の後始末、残された救助者、そしてスイートスポットの今後の事などはマガツ機関が行うという話も、耳に届くだけで頭にあんまり入ってこなかった。
ワゴン車の助手席に乗り込むと、ハンドルを握る真希奈さんに任せて帰路へ着いた。
チラリと見た車内の時計は十二時過ぎを示していた。道理で体が重いわけだ。
そのまま眠るでもなく、ただ体を休めるように座席に身を沈め、考えるのはさっきまで経験していた出来事。
人の生死がすぐそこで振り分けられていく世界。真希奈さんが目にしている光景を追体験し、最後は自分の目で人が人を殺めるところを目撃した。
結局少女は復讐という目的を遂げることができた。俺は彼女を止めることはできなかった。
何故止めたかったのか?
人を殺すなんていけないことだから。
理由なんてそれだけだし、それで充分だと思う。
けど止められなかった。
何故?
その答えを求めて、一人で考えて、ずっと思考の迷路を彷徨っていた。
あいつらなら……あの人たちなら俺の疑問に答えをくれるかもしれない。
俺の暴力行為を咎めた同級生。
強い力と心を兼ね備えている先輩。
訊いたら答えてくれるだろう。正解を示してくれるだろう。
でも簡単にそれを求めていい問いではない、気がする。自分なりの答えを出せずに他人のそれを求めるなんて。
「おい」
「ヒェエエッ」
突然頬に冷たいモノを押し付けられ、思わずその場で飛び跳ねていた。
「さっきからずっと上の空だな。寝んねの時間過ぎて脳が止まってるか?」
呆れ顔でそう言う真希奈さんの左手にはペットボトルが握られていた。押し付けられたのはそれである。
右手にした缶コーヒーを飲みながら突き出してくるペットボトルを有難く頂戴すると、蓋を開けて一口。
疲れた体に染み渡るようだった。
俺が今いるのは、大門オートサービスの事務所である。
いつの間にか車を降り、いつの間にかここに通され、いつの間にかソファに座って考え事を続けていたのだ。
真希奈さんは俺の隣に座ることはせず、ソファの裏側に回って背もたれに尻を預けた。互いに飲み物を口にする音と電灯がジージーと鳴る音がやけに耳についた。
そのまま沈黙がいつまでも続くと思ったが、口火を切ったのは彼女からだった。
「何か言いたいことがあるんじゃねえのか?」
「え?」
横目で見下ろしてくる半眼は、こちらのことを案じているようにも見えた。気を遣って話しかけてくれたのかもしれない。
「いや……言いたいことは……ちょっと纏ってない感じです」
だから俺は正直に答えた。口に出すには言葉がまだまだ全然浮かんでこない。
「っつあーもう!」
そしたら急に真希奈さんが声を上げて俺の頭に手を置いてきた。
「うだうだ考え込んで辛気臭えんだよ! とにかく吐き出しちまえ!」
「や、止めてくださいよ……!」
髪の毛をぐしゃぐしゃにしてくる真希奈さんに口答えするも一向に止めてくれなかった。そのまま頭を揺さぶられ、ようやく解放された頃にはぐわんぐわんと世界が回っていた。
「おら、さっさと吐け」
「うっぷ……」
「そっちじゃねえよ!」
コツンと頭を叩かれた。
彼女に弄られて少しだけ気が紛れた。沈殿していた思考も幾分だが晴れた感じがする。
だから……ほんの少しだけ、黙々と考えていたことを表に出せそうだと思った。
「……最後にあの子、笑ってましたよね」
確認するように訊ねてみたが、返事はなかった。否定されなかったのは、それが間違いないからだろうということで話を続けていく。
「半日も一緒にいませんでしたけど……あの子が笑ったのはあの瞬間だけでした。あの子の笑顔を見て……真希奈さんはどう思いました?」
自分の思いを口にする前に彼女に意見を求めた。この人はどう感じたのか、聞いてみたかった。
「仕事終わったしさっさと帰るか、だな」
「そうですか……」
ぐびっと缶コーヒーを飲む真希奈さんに聞いたのは間違いだったかもしれない。
「人に聞いてねえで、お前はどう思ったんだよ」
即座に切り返された。まだ確固たる答えは出せていないけど、思った通り……感じた通りのことを言葉にした。
「あの子が笑顔を浮かべたのを見て……あれで良かったんじゃないかなって、思いました」
おずおずと口を開いたが、話を聞く真希奈さんは何も言わずに缶コーヒーに口を付けていた。
「復讐自体は……俺だって、腹が立った相手にやり返したことがある手前、止める資格はないと思います。けど、人の命を奪うことは絶対に間違ってるって……そんなことをしたらあの子が、復讐する相手と同じ立場になっちまう。それでいいのかって」
良いわけがない。人殺しなんて十字架は人が背負うには重すぎるはずだ。普通なら。
「でもあの子は復讐したから笑えたんですよね。だったらそれは正しかったのかって……けどそれを認めたら、人を手に掛けたことも認めたことになって、それは間違ってる。そう思うと、結局答えなんて出せなくて」
俺は言葉を切った。そこから先はまだまとまっていなかった。
話を黙って聞いていた真希奈さんは空になった缶コーヒーを放り投げた。空き缶は弧を描き、綺麗にゴミ箱に収まった。
「余計なことに気ぃ遣ってんな」
「余計ですか……」
「考えあぐねるのはガキの特権か」
彼女から言わせれば幼稚ってことだ。なのでもう一度、大人の意見を聞きたかった。
「真希奈さんは! ……他に何か思わなかったんですか? 仕事じゃなくって、その……人として」
「思わないね」
きっぱりと言い切られた。俺のような歯切れの悪さは微塵も感じさせない。
「少しもですか?」
「考えても何にもならねえことだ」
「考えたことはあるんですか?」
「昔のことだ。今は割り切って仕事してる」
「それって、割り切らなきゃあやってられない……ってことですか?」
ん……。
彼女の喉から漏れたのは肯定なのか同意なのか、はたまた不意に感傷に浸ったから出た声なのかは分からなかったが、
「ん? 何で俺がお前に突っ込まれてなきゃなんねんだよ!」
「アイタタタ」
再度頭をぐしゃぐしゃされた後、俺の手にしていたペットボトルが引ったくられた。
漏れた声を飲料と一緒に流し込むかのように飲み干すと、空のペットボトルを舌打ち混じりに投げ捨てた。ゴミ箱の縁に当たった空きボトルがカラカラと床を転がっていた。
「……けど割り切るって、そんな簡単なもんですか?」
乱された髪を涙目で整えながら訊ねた。
「仕事のことだけ考えてりゃいいからな。楽勝だ」
仕事のこと、か。俺で例えるならボランティア倶楽部の活動にあたるだろうか。
しかし利益の発生する仕事と奉仕活動じゃあ比較対象としては些か相応しくないかもしれない。
「僕もいつか……割り切れる日が来るんでしょうか」
「大人になりゃあ分かる」
「経験積めってことですか?」
「今日みたいにクソな経験はしたくねえだろ、もう」
茶化すように笑う真希奈さんの言葉に返事はできなかった。彼女の言うことは確かにその通りだったから。
「お前はお前のいる場所でお前に合った経験積んどきゃいい。今日のは……ちょっとした余興と思って頭の片隅にでも残しとけ」
「余興……」
「悪夢の方がいいか?」
今日の事は俺にとって特殊な出来事だった。そう思えと言われている気がした。
「ま、今日の経験で思うところがあったならもうちっと悩んでみろや。さっきも言ったが考えすぎるのはガキのうちしかできねえからな」
「はい……」
「けど答えを出せずにウジウジするのはこういう時だけにしろ。仕事の……活動の最中に咄嗟の判断が必要な時は絶対に迷うんじゃねえぞ」
「それって、人を助けるかどうか……の時とか?」
脳裏に浮かんだのは真希奈さんが洋館に突入する直前、犠牲にされそうな女の人を見下ろしながらした会話だった。
人助けを軽い気持ちで行うな、だ。
あの時は現実の光景に打ちひしがれて酷い気分にさせられて、それでもあの人を助けたいという想いを真希奈さんに伝えた。
最初は見捨てるようなことを言っていた彼女も、何かの気まぐれか結局女の人を助けるという結果を選んでくれた。
「その場面で一番てめえが傷付かない選択は何か分かるか?」
「……人を助けない、ですか?」
「何もしないで何も考えねえことだ」
それは助けるとか助けないとか以前のものだ。ただ何もせず、見ず、聞かず、割り切る……切り捨てる。
「一番テメエが傷付く選択は、分かるか?」
首を横に振った。割り切るっていうのがどういうものなのか考えているせいで、その問いに対する答えまで頭が回らない。
「何もしないで後悔することだ」
俺は頭を上げて彼女の横顔を見ていた。
「悪人を助けて後悔することよりも、善人を助けられずに後悔することよりも、何もせずに後悔することが最低の選択だ。だからお前は、決断に迫られた時は迷うなよ。……それと決めたらちゃんと言えよ。分かりにくいんだよガキが」
その時になってようやく分かった気がした。
女の人を見捨てる気でいた真希奈さんがどうして助けに向かったのか。
この人は、俺があの時、内に秘めていた助けたいという決断を尊重してくれたのだ、と思う。
訊いても答えてくれそうにないから確かめようがないけれど。
「説教臭くなっちまったな。体洗ってくるか」
そう言って腰を上げると、床に転がっていたペットボトルをゴミ箱に収めた。そのまま俺を事務所に残して姿を消すかと思いきや、
「背中でも流し合うか?」
「え!?」
何たる唐突なお誘い。目を白黒させてしまった。
「はっ。ノリが悪いな」
言い捨てて彼女は事務所から立ち去った。一人ぽつんと取り残され、悶々と考えてしまう。
もしもさっき即座に頷いていたならば……風呂場で痛い目に遭っていただろうと思い至り、頷かなくて良かったという答えに行き着いた。
落ち着いて考えると、境回世界で扱かれた思い出ばかりがありありと思い出されてくる。今みたいにほぼ平穏に話せたことは稀なんだろうなと、ソファに深く沈み込んで目を閉じる。
真希奈さんがお風呂から上がるか、豪さんが戻ってくるか、どちらが先になるかは分からないけど誰かが来るまで少し寝ていようと思った。
話が終わって程よい疲労感に苛まれたため、眠りに就こうと意識する間もなく眠っていた。




