仕事の終わり
目的地に設定された広間に着く道中に辿ってきたのは、真希奈さんのバイザーからメガネに送信されてきた映像に映し出されてきた光景。画面越しではないリアルな戦場、死にまみれた世界だった。
じっくり見たいとは微塵も思わなかった。だから出来る限り下を見ず、先を見据えて車椅子を押し続けた。嗅いだことのない臭いが充満する舞台を抜け、廊下を進み、真希奈さんが指示した通りの順路を通って目的の場所を目指す。
途中から真希奈さんとの通信が途切れてしまったが大丈夫だろうか。わざと切ったのか、障害が起きたのかは分からないが、とにかく先へと急ぐ。
目的の場所へ着くまでの間、分かっていたことではあるがやはり車椅子の少女と会話などはなかった。
結局俺は彼女の足となり、彼女を運び、彼女の復讐に加担していることになる、のか。
復讐なんてしても何も救われない、失った人たちは帰ってこない、誰も望んでない。
どんな説得の言葉であっても、俺が言っても何の重みも感じられない。自分でも分かる。
例えどんな正論をもってしても、大門オートサービスに依頼が舞い込んだ時点で、少女の想いを止めることはできなかったのかもしれない。
色々と考えていたが、この仕事の結末はもうすぐそこにあるはずだ。
眼前の扉を押し開け、中に真希奈さんの姿を確認した。別れた時に装着していたバイザーはなく、服は左腕の袖がなくなって肌を晒していた。でも無事そうだ。
「良いタイミングだ。こっち来い」
俺たちの到着と同時にこちらへ向けていた親指で、真希奈さんが傍に来るように促してきた。車椅子を押して駆け足気味で近寄りながら、彼女の足元に人ひとり倒れているのが見えた。
真希奈さんから送られてきた映像で見た男だ。手を後ろで拘束されているようだ。
その姿をじっくりと観察する前に、真希奈さんが視線の先にに割り込んできた。遮るような動きに、車椅子を押す足が止まった。
「ご苦労さん。異常はなかったか?」
異常、というのが何を指しているのか。俺から言わせてもらえばここに来るまでの道中の惨状全て異常事態だけど。ここまで来れたということで首を縦に振った。
改めて近くで真希奈さんの姿を窺うと、無事だと思っていた彼女の体は所々傷付いていた。顔には傷と血が滲み、右腕は左の脇腹を庇うように抱えていた。
「なら少し離れて後ろ向いてろ」
貴女の方は大丈夫なのかと訊ねる暇もなく指示され、言われた通りに一歩二歩と退いて後ろを向いた。
視線を外す直前、彼女が左手にナイフの刃が煌めいたのが見えた。
完全に背を向けた俺の後ろで、真希奈さんがあの子に声を掛けるのが聞こえた。
「後はやりたいようにやれや」
ごそごそとやり取りをしているのを省みたい衝動に駆られるが、それを遮るように真希奈さんが俺の首に腕を回してきた。
「っし。俺の仕事はここまでだ」
「終わ……ったんですか?」
真希奈さんに引かれるまま、入室してきた扉の近くまで連れて行かれる。依頼主を残したまま、仇討の相手を傍に転がしたまま。
「いいんですか? あの……」
「いいんだよ。後はあいつが自分でケリを付ける」
その言葉に紛れて、後ろで床を擦る音と男の縋り付くような泣き声が聞こえてきた。
「この仕事の結末は……知る必要はねえ」
俺の注意を逸らすように真希奈さんの囁きが耳元でして、とうとう部屋の外に連れ出され、静かに扉が閉じていた。
「扉の向こうで何が起きてるかは想像つくだろ? 馬鹿じゃねえんだから」
仕事の目的が何か、具体的に明確に教えられてはいない。だけど、確かに彼女の言う通り、想像できないわけじゃない。
きっと俺の想像は当たっている。彼女の左手に煌めいていた刃の姿はなく、今どこにあるのかは……言わずもがなだ。
「耳を塞げ。目を背けろ。直接脳裏に焼き付けることもねえ」
もしかしてこの人は、中で起きているであろう惨状の現場を俺が見なくて済むようにしてくれているのか。
「……おかしいじゃないですか」
今晩、ここまで付き合わされてきて、最後にそんなことを言われることに違和感を抱いてしまう。
「ここに至るまで色々見せてきたじゃないですか。映像越しですけど、色々と……。それをどうして、今になって」
「あのガキにぶっ飛ばされた時に思い出したっつうか、まあ……初心を思い返したっつうかな」
真希奈さんの初心?
一体どんな思いを抱いていたのか、それよりも子どもにぶっ飛ばされただなんて……映像を打ち切り通信の途切れた現場で何が起きていたのだろう。
推し量りながら投げかけていた視線に気付かれると、首に回されていた手で乱暴に頭を撫でられた。
「もう気にすんな。お前はここまでよくやったし、ここまで見てきた分で充分だろ」
充分、なのだろうか。積極的に目にしたい光景ではなかった。だからもういいと認められればホッとする気持ちは確かにある。
けど、ここにきて急に突き放されてしまった気がする奇妙な感覚。遠ざけられてしまったかのような印象が、釈然としない。と、真希奈さんの腕から解放された。
「ここで待ってろ」
そう言い残し、彼女は一人で扉の向こうへ戻ろうとした。
立ち去る後ろ姿、俺は咄嗟に左腕を掴んで止めていた。
「……んだよ。一人にされるのがそんなに嫌か?」
「あの、その……」
「もう何もいやしねえよ。安心してろ」
「そうじゃなくって」
このまま行かせたら、後悔する気がしたからだ。
「俺も行きます。見届けます」
「今言っただろ。もう充分だ。これ以上見て得るものなんてねえよ」
「まだ終わってません!」
そう、まだ終わりじゃない。まだ途中だ。
「あの子は……今、自分の復讐を果たしているんでしょ? だったら俺は……見届けなきゃいけない気がします」
「気のせいだ」
「なん……ッ」
「だからよぉ」
彼女の右手が俺の髪をワシャっとしてきた。口をへの字に曲げ、呆れた様子であった。
「お前が見るにゃドギツい光景だからついてくんなって言ってんだよ!」
「だからついていかなくちゃって!」
目を見ながら叫んで、迷い、惑い、怯え、不安を宿した瞳で、それでも俺は自分の意志を真っ直ぐに伝える。
「ここに連れてくる前に言ったじゃないですか……。復讐なんて止めさせたいなら説得してみろって」
自分の無力さを突きつけられた言葉。あの子に話しかけることさえできなかった瞬間が脳裏に焼き付いている。
「俺には何もできませんでした。説得出来るだけの言葉も、経験も、何もかも、俺にはなかったんです……。だから、知りたいんです。彼女がどれだけの想いを胸にここまで来たのか……興味本位で見たいわけじゃありません。得るものはないかもしれないけれど、それでも俺は……」
「わあったよ。ったく、ガキは面倒臭え」
頭を押さえつけていた真希奈さんの手が離れ、不満そうに小言を漏らしている。
「けど吐くなよ? てめえのゲロなんざ見たくねえ」
「は……はい」
釘を刺されはしたが、それは同行を許可されたということだ。
吐き気や不快感が込み上げてくる前にごくりと唾を飲み込み、扉を開ける真希奈さんの少し後ろについて再び薄暗い広間に踏み込んだ。
静寂の中で鼓動のように規則正しく響く音が一つ。
トスン。
トスン。
トスン。
不気味な音の発生源は、空になった車椅子の先にあった。足をもがれた少女は床を這い、ナニカに覆い被さり刃を括りつけられた右腕を振り下ろし続けていた。
鮮血に塗れた切っ先。
彼女が何をしでかしているのか、直接見えてはいないけれど想像は難くない。彼女の下にある男の足は、腕を振り下ろされる度に小さく揺れていた。
歩みを止めた真希奈さんに倣って俺もそれ以上近付くことはしなかった。
「終わったか?」
真希奈さんの投げかけた言葉が腕を振り下ろした少女に届く。
ゆっくりと振り返った少女の顔は返り血に染まり、初めて見せる充ち足りた表情は俺の胸を締め付けた。




