はじめてのおつかい……じゃないですよ!
「――よいしょっ!」
一人だけ戻ってきました。
ここはさっきまでわたしと、お兄さんとまきなさんがいたお部屋です。
こっちの世界と境回世界をつなぐ陣から飛び出したわたしは、
「飲み物、三つ」
まきなさんから言いつけられたお買い物を唱えてお外に出ます。
手にはわたしがいつも使っているトゥインクルバトンと、まきなさんから預かった千円札を握りしめています。
千円! 大金です!
なくしたら大変です。マジカルシェイクでお手伝いしてかざりさんからいただけるお小遣いの何日分でしょう。
だからなくさないよう両手で包んで自動販売機を目指します。
小脇に抱えたバトンがちょっと邪魔です。仕舞いたいけど、両手が使えないと出し入れができません。
急いで工場の敷地を出ると、ありました! 自動販売機です!
大金を入れて、準備完了。
「うんと……」
だけどここに来て悩んでしまいます。だって、まきなさんは買うのは何でもいいって言ったからです。そう言われると、どれを買っていいのか分からなくなっちゃいます。
まきなさんは大人です。きっと甘いジュースより、苦味のあるコーヒーが好きなはずです。
「……これ!」
でもわたしはお砂糖やミルクの入っていないコーヒーがダメです。だからついつい甘めの缶コーヒーを買ってしまいました。
お兄さんはとっても疲れているはずです。だから飲みやすいのが喜ばれるに違いありません。
「……これ!」
だから体に吸収されやすいっていうスポーツ飲料にしました。
最後にわたしの分……なんですけど、ここが一番の悩みどころ。わたしは何が飲みたいんでしょう?
自動販売機の商品とにらめっこ。どれがいいか、考え中。
あ、見つけました!
「りんごジュース!」
これにします。ボタンをぽちっと押して最後のお買い物。
小銭だけになったお釣りと缶とペットボトルを抱えて……わわ、バトンを仕舞っておけばよかったです!
また脇に挟んで、来た時よりもバランス悪く工場に戻っていきます。
「音央。一人で何やってる?」
まきなさんのお部屋に入るその前に、ごうさんがわたしに声を掛けてきました。
「飲み物を頼まれたので買ってきました!」
はにゃにゃ。ごうさんに抱えた荷物を見せたら取りこぼしちゃいそうになりました。
「やれやれ」
ごうさんはそう言うと引っ込んで、すぐに戻ってきます。
「袋に入れてけ。見ててヒヤヒヤする」
「わあ! ありがとうございます!」
くしゃくしゃに丸めていたレジ袋をパンと広げてくれました。
わたしはお礼を言いながらその中に買ってきたジュースと、お釣りもジャラジャラと入れちゃいます。
「えへへ。助かります」
両腕は自由になりました。バトンと袋だけならとっても楽ちんです。
「そりゃいいが、お前その格好で外に行ったのか?」
「へ?」
指摘されたわたしの衣装は、まっ白でふりふりの幻獣奏者のコスチュームです。慌ててお買い物に行ったから気にしていませんでした。
「目立ち過ぎるぞ? 髪も目に痛え色になっちまうし……誰にも見られなかったか?」
「だ、大丈夫です!」
きっと……多分。自動販売機しか見てなかったから、周りに誰かいたかなんて分かりません。でも大丈夫……だと思うんです。
「まあお前なら誰かに見つかってもちょっとしたコスプレで通せるとは思うがな」
「コスプレ……ですか」
うんと、要するにかわいいってことですよね。褒められちゃいました。
「ほら、早く戻ってやれ。あいつと二人っきりにさせてると、坊主が酷い目に合っちまうぞ」
「はい! 行ってきます!」
ごうさんに頭を下げて、まきなさんのお部屋に入りました。
お部屋の床に境回世界への入口になる魔法陣を描いて、そこにぴょんって飛び乗りました。
ひゅうって落ちる浮遊感を目を閉じて耐えます。そうすると、まぶたの向こうがぱぁって明るくなる瞬間が来るんです。
それが世界が変わった証なんです。
目を開くと広がっているのはとっても広い大世界。下には大きな深林があります。とってもきれいな緑色。
びゅうびゅうと吹く風を全身で受け止めて、手にしたビニール袋は絶対に手放せません。バトンもですけれど。
このまま落ち続けたら地面にぶつかっちゃいます。でも大丈夫、この世界に飛び込んだらいっつもやってきてくれる子がいるんです。
空を飛ぶ大きなクジラのクゥちゃんです。この子の背中が、いつでもわたしを受け止めてくれます。
「ありがとうクゥちゃん!」
タタっと背中に着地すると、タタっと駆けて……また大空に飛び出します!
また飛んでます! けど今度は体勢をちゃんと整えてるから大丈夫、バトンをかざして陣を出して。
「フラちゃん!」
ついさっき、わたしを森坊さん――お兄さんとわたしを追いかけまわしてきた猪みたいな子です――からわたしを助けてくれて、それから空に打ち上げられたお兄さんも頑張って助けてくれた子を呼び出します。
バサッと羽ばたく大きな翼。わたしひとりなら自由に空を飛ばせてくれるお友だち。その子を呼び出して、わたしの背中にぴたっとくっついてもらいます。
いつもはバトンと合体して空を飛ばせてくれるんですけど、わたしの体にくっつけることもできるんです!
気持ち良く空を自由に飛びながら、目的の場所が見えました。
大きな運河の川辺に目的の四角い建物があります。安全のためにまきなさんが建てたお家です。
近づいていくと、二つの人影が家の傍に見えました。まきなさんと、制服とは違う服を着ているお兄さんです。なんだかとってもボロボロの服です。まきなさんが用意したんでしょうか? もっときれいな服を渡してあげればいいのに。
「まきなさーん!」
お空から声を掛けます。わたしの声は大きくないけど、お空から呼びかけた声はちゃんと届いたみたいです。
気づいたまきなさんが手を振ってくれてます。お兄さんも気づいたようです。
「お待たせしました。急いで買ってきましたよ」
スタっと大地に降り立ったら、背中のフラちゃんは姿を消します。ここまでありがとう。
わたしはバトンを両手で叩いて仕舞うと、ごうさんが渡してくれた袋に入れた飲み物を提げて二人の傍へ駆け寄って。
「缶コーヒーとドリンクと……これで良かったでしょうか。えへへ」
袋の中を見せよう。その時でした。わたしの方にすごいはやさで近づいてくる人が!
「うわああああああああん!!」
「おに……はにゃわあッ!?」
ドッカーンって! ものすごい衝撃がおなかにきました!
「ふぐっふぐっ……」
尻もちをついちゃったからお尻をなでたいのに、なんだかそれどころじゃない様子です。お兄さんがわたしの腰に顔をくっつけて、泣いてます……。
「久々の再会がそれじゃあ音央もドン引きしてんだろ?」
いつも首の後ろで髪を留めてるまきなさんですけど、今は頭の後ろの方で留めてます。髪が長いといろいろなヘアスタイルができて楽しそうです。わたしも変身してるときはながいけど、普段は両サイドでちょこんと結ぶくらいしかできないんです。うらやましいです。
って、それどころじゃなかったんです。まきなさんの声を聞いたお兄さんは、わたしの腰に腕を回したまま逃げるように背中の方にいって隠れようとしてます。
「ど……どうしたんです?」
わたしがいない間に何かあったに違いありません。怯える仔猫みたいなお兄さんは答えられそうもなくて、だからまきなさんに訊いてみました。
まきなさんは困ったみたいに頭をかきながら、わたしがいなかった数分間の話をしてくれました。
おどろきました!
わたしがいないほんのちょっとの時間で、こっちでは一ヶ月くらい時間が経ってたんです!
わたし、反省しました。こっちにわたし以外の人を残していったらだめだって。わたしの帰りが遅かったら、もっともっと長い時間がこっちでは過ぎてたんです。
あんまり長い時間をこっちですごすのは、元の世界に帰ったときに影響があるって幻龍王さまも言ってました。だから一ヶ月もお兄さんをこっちに置いてけぼりにしたのは、いけないことなんです。まきなさんは平気そうですけど。
そのお兄さんはというと、まきなさんがお話してる間もずっとわたしにしがみついて震えてました。とっても大変な目に合ったに違いありません。ごうさんの言った通りです。
よしよしって、仔猫にするみたいに頭をなでてみます。少しは安心してくれるでしょうか?
「お話は分かりましたけど……やっぱりお兄さんをこんな風にしちゃったのはだめですよ!」
「……」
また困ったみたいな顔をしています! ちゃんとわたしの言葉は届いてるのか心配です!
「……俺は依頼があった通りそいつを鍛えてやってただけだよ」
「やり過ぎですよぅ!」
「けど大分見違えたろ? いや見た目は変わってねえけどな。ちょっとは逞しくなってんだろ」
まきなさんに言われて初めて気がつきました。なんだかなんだか、お買い物に行く前と比べるとお兄さんの体がゴツゴツしてる気がします。
さっきまではわたしと同じでぷにぷにしてたはずなのに、腕が少しだけ男の人らしく……って、お兄さんは最初から男の人なんですけど。例えるなら、あやめさんみたいな……違います違います! あやめさんが男らしいって意味じゃないです!
「まだまだ鍛える余地はあっけど、今回はこれぐらいで勘弁しといてやるか」
「まだいじめる気なんですか!」
「イジメじゃねえっつうの。ったく……もうちっとゆっくり帰ってきても良かったのによ」
「これ以上二人っきりにはできません! まったくもう、まきなさんってば」
「へいへい。もういいですよ」
まきなさんは手を振ってそう言います。髪をかきあげて、それからわたしの後ろに隠れるお兄さんに声をかけてきました。
「お疲れさん。これで俺のできるレクチャーは終わりだ。ガキの喧嘩なら負けねえだろ……勝つかどうかはてめえ次第だ」
「……ありがとう、ございました」
お兄さんは身をひそめたまま、しっかりとお礼は言えました。
「いつまで怯えてんだよ。あれでもお前の地力に合わせてやってやったんだぞ、もっと感謝しろ」
「してますよ……けどやっぱ怖かったっすもん……」
やれやれとまきなさん。一体どんな過酷な体験をしてきたのか、わたしには想像するしかできないのです……。
「お前はもう家で休んでろ。おい音央」
「なんですか?」
「今から契約しにいくか?」
その申し出はわたしにとってはとっても嬉しいものです。けれど大丈夫なんでしょうか?
「まきなさんは休まなくってもいいんですか?」
「ああ? こちとらガキのお守りで退屈してたんだ。余計な心配すんな」
お守りをされてたお兄さんは、すっごく肩を落としてとぼとぼとお家の方に向かっていました。なんだか見ていて悲しくなります。
「お前がよけりゃ今から行くぞ」
「あ……あ! ちょっと待っててください!」
わたしは手にしていた荷物のことを思い出しました。お家に帰るお兄さんに追いついて、ボロボロの服を引っ張ります。
「これ! 後で飲んでください!」
お疲れ気味のお兄さんにペットボトルを手渡します。少しでも癒やしになればいいんですけれど。
「うぅ……ありがとう」
はわわ! 涙ながらにお礼を言われてしまいました!
びっくりしてると、その間にお兄さんはお家の中に入っていっちゃいました。
今はゆっくり休んでもらうのがいいと思います……。わたしだって、そのくらいの気づかいはちゃんとできるんですから。
「もう、いいか?」
まきなさんはのびのびとストレッチしていました。やる気まんまんみたいです。
「はい、お待たせしました。あとで一緒に飲みましょうね」
「喉が乾いたらな」
缶コーヒーとりんごジュースを入れた袋をかかげて見せるとそう言われました。まきなさんの喉が乾くよりわたしの方が先に音を上げちゃいそうです。
二人で森に入って、再びここに帰ってくるのは丸一日後になったのですけど……そのときになってもまだお兄さんはぐっすりとベッドで眠っていたのでした。




