球技大会に向けて
中間テストが終わって学校の行事も七月の期末テストまで何もない、というわけもなく、六月の頭には球技大会が催されることになっている。全校生徒参加の大きなイベントだ。
学年毎に別れてリーグ戦形式で行われるが、種目は共通している。男子は野球、女子はバレーだ。
というわけで体育の授業もいつもと内容を変え、クラス別にチームを編成して練習試合形式で野球をやっている。
「得意じゃないから好きじゃないんだよなぁ」
クラスメイトがバッターボックスに立つのをグラウンドの脇で眺めながら一人呟く。打順が回ってくるか守備に呼び出されるまで、こうしてのんびりしている。
「はぁ……」
「ふぅ……」
そして俺の左右では、俺なんか比にならない程に憂鬱な表情と溜め息を吐く大野と岡田が座っている。
「なんでそんなに暗いんだよ? ジメジメするから近寄るな」
「女子と離れ離れの体育に意味なんてない……」
「いつもみたいに覗いてこいよ。俺は止めないし何も聞かない無関係」
大野にそう言い両手で耳を閉ざした俺に、
「連れない男だな」
岡田が文句を言ってきた。
「お前らと関わり合いになりたくないだけだ」
「聞こえているじゃないか」
「アーアーキコエナイ」
俺なんかに構わずさっさと体育館に覗きに行けばいいじゃないかと思ったが、グラウンドから離れられない理由はすぐに分かった。
「……」
体育教師がこちらに目を光らせている。俺……じゃなくて、左右にいる二人を監視しているかのように。
「お前ら、度々覗きに行くせいでとうとう」
「目を付けられちまった……」
「自業自得だな」
フフンと鼻で笑ってやった。世の中、悪事は栄えないのだ。
「ちくしょう! お前だけ充実しやがって!」
「俺?」
「サークルでハーレム状態らしいな」
こいつらも先輩や聖たちと俺が一緒にいることに不満を言うのか。やれやれと肩を竦めた。
「今見下すような仕草をした!」
「してねえよ」
「つまり無自覚に俺たちを馬鹿にしたということか」
「もうやめてくれよ」
二人の負の感情に呑み込まれそうで気が滅入ってきた。
「相沢。次、お前」
救いの手はバッターボックスから戻ってきた中村から差し伸べられた。これ幸いと呼び掛けに応じ、すたこらさっさとダブルオーの間から逃げ出した。
「リア充め」
「爆発しろ」
「物騒なこと言うなよ! ったく……」
二人に言い捨ててから中村からバットと、それからヘルメットを手渡された。
あれ、こいつメット被ってたっけと訝しんだ目を向けると、少し申し訳無さそうな、心配するような彼の視線に気が付いた。
俺の代わりにダブルオーの傍へ行く中村を見送ってからバッターボックスに立った時、あいつの視線の意味が理解できた。
ピッチャーマウンドにいる別のクラスの一年生に見覚えがあった。野球部所属で、俺に絡んでくる運動部員の中にもそいつの顔があった記憶がある。
げえ、と胸中で鳴いた。メガネ越しに見えるピッチャーの表情は若干ニヤついていたからだ。
面倒臭いことにならなきゃいいなと願ったが、そうは問屋が卸さなかった。
一球目、ストライクゾーンから大きく外れたボールは俺の目の高さを通過していった。
速いなあ、俺には打てそうにないなあと冷静に分析する傍ら、少し横にボールをずらせば俺の頭を狙える……という挑発に思えた。
考え過ぎだと言い聞かせたかったけど、中村が渡してくれたヘルメットが自分の身は自分で守れという忠告に思えてならなかった。あいつなりに、他の野球部員に悟られないよう俺を気遣ってくれたのだろう。でもどうせならバッターボックスに立たせないで欲しかったが、それは無理だったか。
二球目はど真ん中、速球だ。ピッチャーのコントロールはいいみたいだし、やっぱり一球目はわざと高めに投げたのか。
キャッチャーの指示が分かったら次にどこへ飛んでくるか分かるかもしれないが、盗み見たキャッチャー役の顔はマスクに覆われていてよく見えなかった。
「…………」
今、キャッチャーが小さく言葉を発した気がした。
何て言った?
狙うって言ったのか?
頭を?
慌てて正面を見た時、ピッチャーは投球モーションに入っていた。よりによってこのタイミングで視界が霞んだ。
「……ッ!」
全身を竦ませて身を強ばらせたのが功を奏した。次の瞬間には頭部にガツンと激しい衝撃を感じて、尻もちを着いていた。
「おい!」
「大丈夫か」
ガンガンと耳鳴りがする。遠くの方から声が幾重にもなって聞こえてくる。
弾け飛んだヘルメットがなければ即死だった。俺の頭を守ってくれた防具に感謝していると、大野たちにグラウンドの隅に連れて来られていたことに気付いた。
「悪いな、助かる」
「黙ってろ。傷は?」
座らされると、左のこめかみ付近を大野が弄り始めた。
「もっと女子に触れるような優しい手つきで頼む」
「触ったことねえよ! ……腫れてるけど、んなこと言える元気があるなら心配ないか……馬鹿にしやがって!」
「心配するか怒るかどっちかにして欲しいな」
後からやってきた岡田が、何やら手を差し出してくる。
「俺たちにとって生命の次に大事なモノだ、受け取るがいい」
「ああ……メガネね。親切にどうも」
どうも視界が霞んでから一向に世界がよく見えないと思っていた。岡田から受け取った丸メガネを掛け直すと、俺を心配する二人と近くにいる中村、他のクラスメイトの男子たち、そしてマウンド上に集まって愉快そうに笑ってる相手バッテリーの姿が見えた。
正直かなりイラッとしたが、こういう仕打ちに慣れていないからどうするのが正解か自分でも分からない。やり返すのか、黙って耐えるのか、歯牙にも掛けず無視するのか。
思考を遮ったのは、体育教師の男性が俺を案じる声だった。
「相沢! 保健室に行かなくていいか!?」
「平気っす。そこまでしなくても大丈夫です」
とは言うけど大野の言葉通りなら腫れているらしい。自分じゃ見れないし、痛いところに触れて確かめる気も起きない。
「このままにしておくわけにもいかん。誰か保健室から氷のうを持ってきてくれ!」
「あ……俺行きます」
先生の言葉を受けて一番に飛び出して行ったのは中村だった。俺に気を遣っていい立場じゃないってのに、やっぱりあいつは良い奴だ。他の男子も俺の身を心配して声を掛けてくれる。みんな良い奴だ。
だからこそ、他のクラスのあいつらの行いに尚更腹が立つ。
俺が大丈夫だと言うと、みんなは体育の授業に戻っていった。先生もずっとここに留まるわけにもいかないから、氷のうが届いたらしっかり患部を冷やすようにと念を押して立ち去った。
大野と岡田、ダブルオーの二人だけが俺の傍に残った。
「……爆発とまではいかないが見事に敗れ去ってきたぞ」
「話は中村から聞いた」
バッターボックスに立つ前の台詞に対する中々の返しだと思ったが、呆気無く無視された。ちょっと虚しいと思う反面、この二人も俺の立場を知ることになったかと観念した。
「あまり聞かせたくなかったけどな」
「やれやれ。面倒なことになっているようだ」
岡田にまでそう言われるだなんてよっぽどだなと苦笑した。笑える程度には余裕だ、別にこの件で俺自身が追い込まれたり気に病んだりはしてない。ただ気掛かりなのは、先輩や聖たちに知られて余計な心配を掛けたくないという、その思いだけだった。
一人休む俺を置いて、ダブルオーの二人はグラウンドに向かう。
「……どこ行くんだ? お前ら守備あぶれてたろ」
「中村が帰ってくるまで穴埋めてやろうと思ってな」
「ついでにデッドボールの返礼もしてきてやろう」
やけにかっこつけた台詞を残した二人の後ろ姿を見送りながら、怪我して帰ってくるんじゃないぞと願わずにはいられなかった。
しかしこの左目の負傷、聖たちに訊かれた時のために適当な言い訳を考えておこう。こうして思い悩めるのも、同じサークルの部員である俺だけの特権だと、そう思うことで相手チームの蛮行に対する怒りを紛らわせることにした。
「よう、お待たせ」
声の主は氷のうを片手に持って俺の隣に戻ってきていた。
礼を言って受け取ると、それを腫れた傷口に宛がう。ズキンとしたのは最初の一瞬だけ。次第にひんやり具合が気持ち良くなってきた。
「大野、ピッチャーかよ。大丈夫なのか?」
「知らねえ。めっちゃ堂々と登板してたけどすぐ降板すんじゃね?」
中村は普通に話し掛けてきたから俺も普通に答えたけど、俺と話して大丈夫なのか。まあ今は運動場の隅だし、多くの生徒の視線は試合に向いているからバレたりしないかもしれない。
中村の横顔を窺っていたせいで、マウンド上から聞こえた小気味良いキャッチャーミットの音にハッとして顔がそちらに向いた。
大野の投げた球は既に岡田が構えるミットに収まっており、バッターボックスに立つ野球部員は微動だにせず固まっていた。
「あ、あのフォームは!」
「知っているのか、中村」
むぅ、と唸る中村の見守る先。岡田からボールを受け取った大野が再び投球する。
非常にクイックでコンパクトな動作からのサイドスロー。ピュンと指から離れたボールは一瞬で岡田のミットに吸い込まれていく。
「あれは俺がジュニアチームに所属していた頃の話だ……当時の俺は同じ年齢の男子よりも少しだけ体格がよく、そのおかげで打者として見出されてレギュラーを勝ち取ることが」
「すまん、その話長くなりそうか?」
急に昔語りを始めようとする中村を遮った。そこまで詳しく話してもらわなくても結構です。
「あのフォームはまさに、当時練習試合をした俺たちのチームに一球もかすらせることなく完封したスワロウテイルと呼ばれる伝説のピッチャーそのものだ!」
「スワロウテイルねえ……」
言われてみると確かに岡田の放る球はツバメが飛ぶかのように鋭く突き刺さるように飛んでいる。でも仮に大野がその伝説のピッチャーとやらだったとして、そんなアダ名で呼ばれていただなんてちょっとどころか全然似合わずにすごくむず痒くなってくる。
「そしてあいつの投げるボールをただの一度も取りこぼすことなく正確に受けるキャッチャー……まさかあいつもいたなんて」
「ああはい、おかだくんですね」
「この球技大会……荒れるぜ!」
なんだか滅茶苦茶盛り上がっている。クラスメイトも歓声を上げている。相手チームもすごくざわざわしている。野球部員に至っては……こう、とてつもない強敵を前にしたような焦燥の表情が浮かんでいる。
「…………どうなってんのこれ」
怪我をした俺だけを取り残し、スポ根モノのドラマが始まったような不思議な錯覚に陥ってしまった。




