日常の風景
「引っ越ししたぁ?」
「うん」
初夏の陽気が暖かい、いや寧ろ暑い、暑いから制服は夏服に変えた。多くの生徒がもう半袖だ。女子も肌面積が増えてきた。喜ばしいことだ。
っと話が逸れた。そんな明るい日差しが差し込む学校の中庭。直射日光から逃れるように木陰のベンチで昼食をとっていた俺は、左隣にいる一野聖の報告に声を上げていた。
「また突然だな。どうして急に?」
「少し前から考えてはいたんだ」
弁当箱を空にした俺と聖は手を動かしてパタパタ片付けながら口も動かす。
「僕のプライベートにはいつも危険が付きまとっていた。だから学校からは距離を置いていたんだ……物理的にも、精神的にも」
俺の横にいるこの一野聖。白い肌に流れる金髪、一見すると容姿端麗な美少女としか思えないが、その正体はユニコーンデバイスの力によって強力な戦士に変身する特殊能力者……スペシャライザーと呼ばれる存在の一人である。
加えてもっと重要なことは、こいつは元々れっきとした男子であり、先に述べたユニコーンデバイスの副作用のせいで、年頃の男子の目を引く肉体に変わってしまったのである。
とは言え、そんな力を普通の人には隠して生活していた聖だから、周囲に危害が及ばないように敢えて距離を取っていたのだ、それは理解できる。
ではどういった心境の変化で今回引っ越しなんてしたのか、その答えをすぐに続けてくれた。
「君や先輩たちに出会って、僕一人で抱え込まなくてもいいのかもしれない……そう思えるようになったんだ」
「ボランティア倶楽部のおかげ、ってことか?」
「ああ。それに僕が戦うべき敵、黒十字結社も壊滅して、あとは首領だったローゼンクロイツを残すのみ。そうなると、いつまでも過去に囚われて、一人あそこで暮らすこともないんじゃないかって、思えてきて」
聖は隣町の家賃の安そうなアパートに住んでいた。生活する分にはいいのだろうが、あまり快適な環境ではない様子ではあった。
「あそこは、黒十字結社と死闘を繰り広げた後に生き延びた僕のために……雨宮さんが事前に手配してくれていた住まいなんだ。きっと彼女は、戦いのその後を見越していたんだと思う」
「そうだったのか」
雨宮さんというのは、黒十字結社と戦っていた聖を支えていた女性のことだ。話で聞いた限りのことしか知らないが、きっと聡明で、頭の切れる人だったに違いない。
「でもいいのか? そんな彼女が残してくれた場所を去るような真似……」
考えようによっては雨宮さんとの繋がりの一つを断つようで、賢明な判断には思えずにいた。
「さっき言っただろう。あそこに一人でいる限り、僕はずっと過去に……雨宮さんとの思い出に囚われ続けるって。それは、彼女の望むことじゃない」
今は亡きその女性がどう考えるのか、俺には分からない。付き合いのあった聖の方がよく理解しているだろうし、こいつがそう言うのなら、そうなんだろう。
「本当に大事なモノはここに仕舞っている。それで充分だよ」
聖は自分の胸に手を当てた。豊かである。少しずつだが成長しているかもしれない。もちろん心のことである。心が成長しているに違いない。
ともあれ聖自身納得の上での引っ越しである。ならば俺がとやかく口を出す必要はない。
「けど、なら言ってくれりゃ引越の手伝いくらいしてやったのに。一人じゃ色々と大変だったろ?」
どれくらいの荷物があったのかは知らないが、一人で荷造りや手続きのやり取りは面倒だったに違いない。
「ううん、先方でほとんどの作業をしてくれたから、実は僕がやったことなんて数える程もないんだよ」
俺の考えは見事に外れた。
「先方がやってくれたって? そんなにサービスのいい引越し先があるのかよ……ちゅうか、どこに越したんだ?」
まだ肝心なことを聞いていなかった。住所が変わったのなら、ちゃんと知っておかなくては。
「参守南部洋上研究島。マガツ機関のある場所さ」
「あそこかよ!?」
どうしてそこに越したのかピンとこずに驚きの声を上げた。同時に、俺の右隣から不満そうな声が上がった。
「俺が気に喰わないのは」
ベンチに座っていた三人目、双葉明がようやく口を開いた。昼食の間も一言も発さなかったので、若干その存在を忘れかけていた。
「何故寄りによって俺の隣に越してきたのかだ」
空っぽになったアンパンの包みを音を立てて握り潰す。これが明の昼食だった。
この粗暴そうで目付きの悪い、黒髪に黒い肌の女子生徒。こいつもまたスペシャライザーの一人である。
その力は一野聖と対を成している。タウラスデバイスを用いて変身するのだが、聖と同じで、元は男である。一箇所だけ違うのは、明には男の部分が残っている点だ。中々立派なものが付いているのを、こいつが転校してきたその日に確認させられたのもほろ苦い思い出である。
「空いている部屋を順番に割り振られただけだ。僕だって好き好んでお前の近くに越したわけじゃない」
ツンとした態度で言い放つ聖。面白くないようで、明もフンと鼻を鳴らした。
「まあまあまあまあ」
黒十字結社から逃げ出した聖と黒十字結社に所属していた明。二人はライバルであり、色々な因縁があった。そのせいで今もこんな具合である。
ただ、少し前に互いの想いを吐露したせいかこれでも大分マシになったのだ。
後は徐々にこの距離感が縮まればいいと思うのだが、それまでは俺が潤滑油になって二人の間に立とうと決めた。同じサークルに所属する者同士、円滑な関係を築いていくことをサポートするのはマネージャーの務めであろう。
「けど明だけじゃなくて聖もマガツ機関の世話になるのかぁ。あそこって面倒見いいんだな」
「僕たちみたいな存在は大なり小なり何か抱えているからね。そんなスペシャライザーへの協力は惜しまずにしてくれるって、所長の神木さんは仰っていたよ」
「そりゃありがたい話だな」
「親切を餌に懐柔されなければいいが、な」
「お前が懐柔されないか、僕がしっかり監視してあげるからその心配は無用だよ」
両隣の二人の目から火花が飛び散り、俺の眼前でバチバチと弾け合うのが視えた……気がした。
「マアマアマアマア」
これを止めるのはマネージャーの役目である。最近の仕事は二人の火種にバケツの水を掛けてばかりの気がする。
「オーイ!」
中庭に降り注ぐ大きな声。声の主は誰か分かったが、どこにいるかはすぐに分からなかった。
「オーイ!」
再度の呼び掛けでようやくその人の居場所が知れた。
見上げた先、校舎東棟の二階の窓から身を乗り出す勢いで手をブンブン振っている人がいた。
「仲良く昼食!?」
音無彩女先輩。
俺たち三人が所属するボランティア倶楽部の代表であり、あの人もまたスペシャライザー……それも魔法少女って呼ばれるような存在だ。
「声が、でかい」
隣で明が呆れている。俺もそう思う。ここから返事をしようにも、声が届くか疑問だったので大手を振って応じるだけに留めた。
先輩の隣にいる白髪の女子が、その行動をたしなめるような仕草を見せている。
あの人は四之宮花梨先輩。ボランティア倶楽部の一員であり、やはり魔法少女である。
全員スペシャライザーであることは他人に伏せ、学校で過ごしている。人に言える秘密ではない。
だからこうして共通の秘密を共有できる倶楽部の存在は、ありがたいものである。
言い忘れてたが勿論俺もスペシャライザーだ。だった、の方が正しい。色々な事情があって、俺の力は四之宮先輩の中に巣食う魔女を封じ込める蓋の役割を果たすためにこの身から切り離された。
今の俺は丸メガネを掛けた極普通の男子学生なのだ。
「今度みんなで食べようねー!」
ブンブン。
音が聞こえそうなくらい腕を振った先輩がそう言い残して体を引っ込めた。
「元気が有り余っているね」
俺もそう思う。聖の言葉に頷いた。
「仲良く昼食、だってよ。一応そういう風に見えてんだなお前ら」
「「仲良くない」」
息がピッタリじゃないか。
「何が可笑しい?」
クスリとしたら明が突っかかってきた。
「別に。なんでもねえよ」
弁当箱を収めた袋を片手に、ベンチから腰を上げた。
「引っ越した件は先輩たちにも報告しないとな。放課後に部室で……明!」
「な、なんだ?」
俺に名前を叫ばれた明がビクリとして見上げてきた。
「ちゃんと来いよ? もうお前もボランティア倶楽部のメンバーなんだからな」
「分かってる……一々念を押すな」
「ならいい」
「本当に分かっているならね」
そう付け加えた聖もベンチから立ち上がり、最後にグチグチと言われた明も重そうに尻を上げた。
こんな感じでボランティア倶楽部一年組の昼食の時間は過ぎていくのだった。
――――――
霞む目を擦りながら一人廊下を歩いて教室へ戻っていた時、不意に伸びてきた手に掴まれて階段の裏に連れ込まれた。
「な、なん、何!?」
突然の襲撃。心構えのできていなかった俺は慌てふためき混乱の極みに陥っていた。
「落ち着けって!」
俺の腕を引っ張ってきた男子には見覚えがあった。それもそのはず、クラスメイトだから当然だ。
「何……だ、中村じゃん」
「何だじゃねえっての」
相手が見知った人物だったことに安堵すると共に、何の用なのかと訝しんだ。
「何でもないのに引っ張りこんだりしないだろ」
床に尻を着けないように座って向かい合いながら、階段の陰でこそこそと隠れるように話をする。
「お前……ちょっと遠回りして教室に戻れ」
「どうして?」
理由を訊ねると中村は言いにくそうに口をもごもごとさせ、ようやく言葉を続けた。
「相沢さぁ……悪い意味で目立ってんだよ」
「はぁ? なんじゃそりゃ」
意味が分からず表情を歪めてしまったが、中村は至極真面目な顔をしていたのでこちらもすぐに真顔に戻った。
「さっきだって中庭でよ」
中庭での自分の行動を省みる。同時にああ、と思い至ってしまった。
「一野と双葉だけじゃなくてあの音無先輩とまでイチャイチャしやがって……!」
「そういやお前も野球部だったか……だから先輩とはただサークルが一緒ってだけってちょっと待てなんで聖と明の名前も出てくる」
訊き返した途端首を締められた。
「ぐえー!」
「羨ましいんだよちくしょう! 双葉なんてやってきて早々お前と……ちくしょう!」
「あ……あれはあいつが外国にいたせいで日本でのスキンシップの加減が分からなかっただけだって!」
ということで一応周囲には説明していたのだが、やっぱりいきなりアレはねえよなと思う。俺だってそう思う。
と、ようやく開放されるとまた真面目な顔をしてきた。
「……まあよ、そういう理由でお前のことを目の敵にしてる奴がいるから、遠回りしていけって助言してやってんの」
つまり今廊下を通って行くと、この間俺に絡んできた面子が待ち構えていると教えてくれてるんだ。
「お前は良い奴だな」
「分かり切ったこと言ってんじゃねえよ。ただ、こうしてお前と話してるの見つかったら俺も部内での立場がねえから……」
「理解してるよ、サンキュ」
先に立ち上がった中村は「じゃあな」と言い残して俺の傍から離れていった。
ちょっかいを掛ける対象に接触してたとあったら、あいつもタダじゃ済まないだろう。
リスクを負いつつも忠告してくれた。うちのクラスは良い奴が多くてありがたい。感謝の念を抱きつつ、運動部員に遭遇しないようこそっと遠回りして教室を目指した。




