週末のボランティア活動
市内を走る車両とは違いガタンゴトンと大きな音と振動を伴う一両編成の電車に、ボランティア倶楽部のメンツに鈴白さんを加えた計六名だけが乗車していた。
「……」
俺の隣で窓の外の流れ行く景色を睨み付けている明はまだ入部届を出していないから、正確にはボランティア倶楽部ではないのだが、些細なことだろう。
「ほんっとーにみんなが来てくれてあたしも助かるし、おじさんも大喜びだよ。ありがとう!」
「ハイハイどういたしまして」
通路を挟んだ隣の座席に音無先輩と四之宮先輩が腰掛けており、向かいの席に聖と鈴白さんが並んでいる。
俺たちは今、参守町から電車を乗り継ぎ、音無先輩の親戚のおじさんが暮らしているという土地を目指している。
昨日先輩にお願いされたのは、そのおじさんがやっている農業の手伝いをして欲しいという内容だった。
「手伝う代わりに毎年おじさんにお米を送ってもらってるんだよね。それに丁度みんなとも親睦を深めたいとも思っていたし」とは音無先輩の言である。
親睦を深めたいという意見は俺も大賛成である。だから隣の座席で楽しくトランプ遊びに興じている先輩たちと鈴白さんと聖はいいだろう。
問題はこっちだ。
「……」
この電車に乗ってからというもの、明はずっとこの調子である。ぶすっとして外を眺める様は、横ではしゃぐ四人とは正反対だ。
明の態度に釣られて俺の気分もダウナーになりそうだ。
しかしこの程度で折れるような俺ではない。マネージャーとして、そして体に変調を与えてしまった責任を担った男としてより良い雰囲気作りに努めるのだ。
「良い景色でも見えるか?」
「別に」
「……そっか」
俺は折れなかった。折れなかったけど暖簾に腕押しな様子に早くも話しかける気概を失いかけていた。イコール折れたということになるのかもしれないが認めるわけにはいかない。
「田植えはしたことあるか?」
「ない」
「俺もだ。農業って大変だって聞くけど、一度くらいは経験してもいいかなと少しは楽しみなんだよな。何より先輩のお願いだしさぁ。お前も楽しみだろ?」
「ああ」
なんて気のない返事だ。これなら転校初日に感情を露わにしてトイレで突っかかってきた時の方がまだ張り合いがある。
突っかかれまくって聖に怒られるのも勘弁願いたいが、このまま俺一人だけが一方的に話し続けるのも勘弁して欲しい。俺だって会話の引き出しが多いわけじゃないのだ。
溜め息混じりに先輩たちの方を向いた時、微かに聖と目が合った。すぐに視線を外されたが、色んな意味で明が気になるのだろう。かといってあいつがここに座るわけにもいかない。火に油を注ぐようにヒートアップするのが目に見えている。
俺が間に割って入ることでどうにか燃え広がらずに済んでいるってところか。いいさいいさこれも俺に課せられた責任の一端ということで耐え忍ぼうじゃないか。
それからこの電車に揺られる一時間弱の間に何度か明に話しかけてみたが、返ってくるのは気のない返事ばかりであった。
「よう来たな! 待っとったぞ!」
そう言って出迎えてくれたのは、真っ黒に焼けた肌をした初老の男性だった。
「お久しぶりです! 今年は大人数でお邪魔します!」
先頭にいた音無先輩が挨拶をすると、男性は先輩の頭をわしゃわしゃと撫で回す。
「もうやめてよぉ」
髪の毛をくしゃくしゃにした先輩は同じようにくしゃっとはにかんだ表情を浮かべていた。
この男性こそ、今回俺たちがお手伝いすることになっている音無先輩の親戚の方だ。
先輩より少し小柄ながら、日々畑仕事をこなしている体つきは服の上からでもがっしりとして見えた。
「毎年ありがとうねぇ。カリンちゃんも」
おじさんから一歩下がって立っていた小柄な女性がにこにこと四之宮先輩に話しかけてくる。おじさんとおばさんは夫婦なのだろう。
「ご無沙汰しています」
ぺこりと頭を下げた四之宮先輩の傍に行くと俺も頭を下げてから、そっと声を掛けた。
「先輩はもう何度か手伝いに来てるんですか?」
「ううん。去年が初めて、今年は二度目よ。君が思っている程何度も来ているわけじゃないわ」
それでも今年が初めてになる俺よりは勝手知ったるってわけだ。
「こんにちわ! 今日は頑張ってお手伝いしますっ!」
「あらかわいいお手伝いさんね」
鈴白さんも張り切っておばさんにご挨拶をしている。頭を下げた拍子に背中のバッグが飛んでいきそうだった。
「初めて組が多いんで、いろいろご指導お願いしますね」
「教えられることがあればね」
俺は再度四之宮先輩に耳打ちしてから背後を見やった。
「……」
「……」
お互い荷物を片手に顔を背け合う微妙な雰囲気の二人がいる。他人の家の前でまでそんな空気を醸し出さなくてもいいじゃないかと胸中で呟いた。
「聖。明も。挨拶くらいきちんとしなさい」
「あ、うん」
聖なら普段俺が注意しなくてもそれくらいはできるはずだが、やはり明が近くにいることが調子を乱してしまうのだろうか。
「今日と明日、お世話になります」
「いいのよぉ。手伝ってもらうんだからお世話させてもらいます」
聖はしっかりと挨拶をし、明は少し離れて微かに頭を下げるだけだった。
そんな態度に気を悪くする素振りもなく、おばさんはにこにこと俺たちを歓迎してくれる。
「しかし女子ばかりよく集めたもんだ。力仕事は大変になるぞ坊や」
「か……覚悟します」
そう脅してくるおじさんはカラッとした明るい笑顔を浮かべてくる。
二人とも気さくで優しそうだ。これならきつい仕事も少しは楽しくなるかもしれないと思えた。
「それじゃあ荷物を置いたら早速手伝ってもらいましょうか」
どうぞ上がって、そうおばさんに促された俺たちはぞろぞろと上がりこんだ。
木造平屋建て。昔ながらの田舎のお宅って雰囲気は懐かしさを感じさせる。
そんな家に住んだことはないし、お邪魔するのも初めてなのに、ノスタルジックな感傷を抱かずにはいられない。
多分テレビ番組か何かで見た田舎の風景や家屋の佇まいが頭の奥に刷り込まれているからだろう。
駅からここへ来る道中にコンビニはなかったし、目立つ店もなかった。こじんまりとしたスーパーがぽつんとあるだけだった。
いつも暮らしている街とはかけ離れた土地の様相。街に慣れた俺たちには不便、なのだろう。
けどこういう経験も、たまにするなら悪くはないんだろうな。
学校指定のジャージに着替えた俺は寝泊まりするための客間から逃れ、縁側で一人物思いに耽っていた。
何故逃れたかって?
障子一つ隔てた客間で皆が着替えているからさ!
少し前までの俺なら背後の様子が気になって仕方がなかったはずだ。けどボランティア倶楽部で様々な経験を経てきた俺にそんな邪念は微塵もない。
「わぁ……」
「ん? どうした音央ちゃん?」
「あやめさん、また大っきくなってます……」
「え、どこが?」
「どこって、ここしかないでしょうが」
「ちょっとどこ突いてんのさ!」
「……大丈夫だ。この程度で俺の意志は揺るがない」
「聖くん、明くん、助けて!」
「こっちに振らないでください……って、そんなにジロジロ見ないでくれませんか」
「いや、こうしてみると案外」
「良い身体してるわね」
「こ、高校生はすごいです……」
「もう! 鈴白さんまで!」
「それじゃあ明くんはどうかなぁ?」
「う……や……」
気付けば俺は障子にぴたりと張り付いていた。
そうだ、今の俺はアイアンウィルを失っているのだった。
だから揺るがないはずの意志がプリンのようにプルプルしていてもなんら不思議なことはない。
「やめ……!」
ドタン、バタン、と障子の向こうから激しい音が響いたかと思うと、ガラガラとけたたましい音を立てて障子が開け放たれた。
直後、眼前にチョコボールが二つ迫ったかと思うと避ける間もなく顔がそこに埋まってしまった。
いや、これはマシュマロか。
「もお。女の子がそんな格好で外に出たらはしたないでしょ」
「あ、あ、あんたらがからかうからだ!」
先輩たちのちょっかいから逃れた明は、俺の頭を抱え込んだまま必死な声で口答えしていた。
「……とりあえず離れてくれないか。息苦しいんだが」
平静を装ってそう告げると、渋々といった動きで明が俺を解放した。またからかわれるのが嫌だったのだろうが、まずはきちんと上着を着てもらわないと顔を上げることもできない。
「あたし達はもういいから、一人で着替えていいわよ」
「……」
四之宮先輩にそう言われた明は押し黙ったまま客間へ戻り障子を閉めた。
名残惜しさを感じつつもさっきまでマシュマロに包まれていた顔を上げると、ジャージに着替えた先輩たちの姿を目にした。
音無先輩と四之宮先輩、そして一野聖は俺と同じく高校指定のジャージである。違いがある点は、学年ごとに指定された色である。
俺と聖は一年生だから紺色。先輩たちは二年生だから赤。余談になるが三年生は青色となる。
唯一俺たちとは違うデザインのジャージを身に着けているのは中学生の鈴白さんだ。中学校のジャージだから意匠は違って当然である。
浮かない表情をしている音無先輩に気付くと、俺たちにだけ聞こえる小声を漏らした。
「ちょっと調子に乗りすぎちゃったかなあ」
彼女の視線は後方の、閉め切られた客間の中にいる人物に向けられていた。
「全然大丈夫だと思いますよ、俺は」
先輩を慰めるつもりもなく、思ったまま素直な気持ちを口にした。
あいつが声を大きくして取り乱した様子を見たのは久しぶりであり、取り繕ったように無愛想にした雰囲気を醸し出しているよりもその方が素の感じがする。親しみやすいとは言えないが、壁を作ったような態度をされるよりは断然マシだ。
だから先輩のように物怖じせず接していく様は良いことだと思うし、気に病むことでもないと思う。
「そう言ってくれると気が楽だよ」
「貴女の場合はもっと気遣いをしてあげるべきね。彼が裸で飛び出したのもデリカシーの欠片もない視線を向けていたからよ」
「カリンも音央ちゃんも興味津々って目をしてたじゃない! そうだよね聖くん!?」
「いや、僕は見ていないから……知りません」
縁側でかしましく騒ぐ先輩たちの声が聞こえたのか、庭から近付いてくるおばさんの姿があった。
「随分と賑やかねえ。支度はもう出来ているかしら?」
「あ、はい。あと一人……」
一番近くにいた俺が答えるのと同時に、客間から明が出てきた。今度はちゃんとジャージを着ているが、ファスナーは閉めていない。下に着ているシャツの膨らみがハッキリ分かるが、さっきよりはいいだろう。
「これで全員です」
「はいはい、それじゃあ皆外に出てきてもらおうかねえ。お仕事を振り分けますから」
おばさんに返事をした俺たちは靴を履くために玄関を目指した。皆が縁側から立ち去るのを後ろからついていこうとした時、俺よりさらに後ろにいた人物に袖口を引っ張られた。
「おい」
「え? なに?」
明から声を掛けられるとは思っておらず完全に不意を突かれた。間の抜けた声で聞き返すと、
「殴られなかったか?」
何故かそんな質問をされた。
「いや……別に。なんで?」
「ならいい」
それだけ言うと、ツンとした表情をして俺の横を通り過ぎて先に玄関へ向かって行った。
どういう意図を含んだ質問だったのか分からない俺は、どうにもすっきりしない胸中のまま皆の後を追った。




