解散の時間
「僕からの話はこれでおしまいだ。君たちの方から何か訊きたいことはあるかい?」
そう言って今度はその場にいる全員を見回してきた。
誰も手を挙げたりはしなかった。俺も挙げなかった。質問がなかったからではなく、何を訊いたらいいのかパッと思いつかなかったという方が正しい。長い話を受けて、それを自分の中でしっかりと理解する時間が必要だと感じた。
「後でこれが訊きたくなったということがあるかもしれないし、その時は遠慮なく連絡をくれるといい。連絡先は後で音無くんに伝えておこう」
そして最後に俺たち全員を見回し、告げてきた。
「ここまでにしよう。試験が終わったその日の内に話を詰め込まれては君たちも大変だろう。そうそう、行きと帰りの交通費は美弥子くんから受け取ってくれたまえ」
ようやく長い話が終りを迎えた。立ちっぱなしで話を聞いていて肩が凝った。
軽く体を解していると、一歩踏み出した足立さんが先輩たちへ話しかける。
「それでは本日掛かった交通費の方を……」
その様子を見ていると、不意に正面に座っていた女性が立ち上がった。
「さてと。私たちはもうよろしいですか?」
景子さんだ。訊ねられた神木さんは小さく頷いた。
「ああ。景子くんも凛花くんも、今日は来てくれてありがとう」
「イエイエ……」
立ち去る景子さんについていくように立ち上がった凛花さんを見ていると、目が合った。
「……っ!」
ぺこぺこ、ぺこぺこ。
こちらが申し訳なくなりそうな程に頭を下げられる。異国人らしき風体でそんな仕草をされると妙な違和感があった。
「それじゃあみなさん、さようならぁ」
今度はひらひらと左手を振りながら応接室を出ようとする景子さんと目が合った。
お互いメガネ越しに交わる視線。こちらは凛花さんとは逆にすごく自信に溢れているというか、不敵というか、とにかくそんな印象を俺に残しながら初対面であった二人のスペシャライザーは先に部屋から出て行った。
「……鈴白さん。貴女の交通費も音無さんに預けていいですか?」
「あ、はい!」
足立さんにそう言われた鈴白さんはひょこっと立ち上がり、パタパタとそちらに駆け寄っていく。
「えっと……あたし達が五人で来て音央ちゃん合わせの六人で学校からのバス代が……」
単純な計算のはずなのに音無先輩の頭がピンチだというのがよく分かった。四之宮先輩が愉快そうに鼻で笑っている。
「……おい」
ここで明が俺の制服の裾を引っ張ってきた。何だ、と小声で訊ねた。
「俺はここで暮らしているから交通費はいらない」
「…………いや俺に言うなよ」
直接交通費のやり取りをしているところに言ってくれ。何でわざわざ俺に告げるんだ。
「双葉くんはここで生活しているから交通費はいりませんよね?」
タイミングよく足立さんがその件をこちらに確認してくれた。明は小さく頷いたが、それでちゃんと意思が伝わっているのか心配だった。
「そ、そうですね。いらないですって言ってます」
「分かりました」
「え、あれ……じゃあ結局交通費は……四人……」
「五人でしょ」
指折り数える音無先輩と四之宮先輩の会話が聞こえた。
足立さんに明の意思を伝えたのは結果的に俺だったが、ちゃんと自分の口で伝えてくれませんかね。
やれやれと思いつつ部屋を見回して他の面子を確認すると、向かいには立って話をしている九条さんと相馬、そしてすぐそこのソファにはしばらく無言の聖がじっと座っている。何を話しているのか、何を考えているのか、特にすることもないのでそんなことに思いを馳せていた。
「音無くん。君のスマートフォンを貸してくれるかい?」
結局交通費の受け取りを四之宮先輩に丸投げしていた音無先輩に、神木さんがシルバーのスマートフォンを手にしながら頼んでいる。
「もしかして連絡先の交換ですか?」
そういえば何か訊きたいことがあった時のために先輩に連絡先を教えると先程言っていた。
「ああ……正確に言うと交換ではなく提供だね」
笑みを浮かべながら自分のスマートフォンをかざす神木さん。
と、そのスマートフォンから放たれた光が空中に画面を映しだした。まるで先程アリスの映像を見せたホログラフのようだ。
その時ようやくそれがスマートフォンとは別の代物だと理解した。銀色の端末に視線を集中させると、心なしかメガネのピントが神木さんの手元に合った気がした。不思議なメガネであると感心しながら観察する。
「これはマガツ機関に所属する人物のデータを収録した情報端末だよ。勿論スペシャライザーの情報も入れてある。だから持ち出し不可、最高クラスの機密の塊さ」
それが事実ならそんな大層なものを俺たちの目に晒して大丈夫なのかとこちらが不安になってしまう。
「貴女で大丈夫なの?」
とは四之宮先輩の言である。
「失敬ね! あたしが大事な情報を受け取ることが不安なの?」
「ええ」
即答であった。
「案じているようだけど、これは音無くんのスマートフォンだからこそ安心して渡せるというものだよ」
一体どういうことなのか、訝しむ俺たちに所長はメガネをキラリと光らせて説明をしてくれた。
「我々独自の調査により音無くんがブレイブウルフへと変身するために用いるアプリがそのスマートフォンにインストールされていることは把握しているそこに更に大戦以前に収集させてもらったデータに大戦後に再度ワイルドエナジーを手にした君の変身時の膨大な情報を分析させてもらうと非常ぅぅ……に興味深い観測値が得られたわけだこれはアリス復活の兆しと同様に推察に基づくデータに過ぎないので出来れば是非今後君の体を隅々まで調べさせてもらいたいのだがまあまあそこはあまりしつこく食らいついてしまうと互いの信頼関係に翳りが差すことくらい僕だって理解しているので大人として自重させてもらうのだけど話を戻すと君のスマートフォンからは非常に独特な信号が発せられているのだよどうやら持ち主の生体パルスと深くリンクしているようでこれは君が近くにいることでシグナルが活性化しはじめて情報端末としての役割を担っていると推察される言い換えれば君がスマートフォンに触れていなければ他者が操作することなど不可能なんだ今は指紋認証や瞳孔認証で持ち主を識別するスマートフォンも出ているがこれはそんな認証など必要なく端末自身が持ち主を正確に把握しているということだだからその端末内に最重要の機密資料を転送したとしてもそれを見るためには音無くんの許可が必要であり万が一音無くんがいつものようにうっかり端末を紛失したとしても他人に扱うことなどできないまさに鉄壁のセキュリティを持つ機械なのさもしもこれを突破しようとするならばここにある機材をフルに投入してどれだけの時間がかかることか或いは機械的アプローチでなく魔術的アプローチで干渉を試みればしかしそれだと当人の資質に大きく」
「――所長!」
ワッとまくし立てる神木さんを何度も止めようとしていた足立さんが、とうとうその耳元で大声を上げた。
「つまり音無くんのスマートフォンには他人が勝手に扱うことのできない堅牢なロック機能があるということさ」
それまでの長い説明は全て忘れて最後の台詞だけ受け止めることにした。
「……へぇぇ、そうだったんですかあ」
「先輩が言うんですか!」
スマホの機能なんて先輩がしっかり把握してなきゃダメじゃないですか!
「ほら……アプリの機能って意外と分かりづらいじゃん?」
先輩はたははと笑っているけれど、それでいいんですかと思わざるを得なかった。
「貸してもらえるかい?」
「はい……あ、でも」
先輩が神木さんにスマートフォンを手渡した時、気が付いたようにハッとした。
「ふむ」
手渡されたスマホを操って己の情報端末と向かい合わせたかと思うと、すぐに先輩に返却された。
不思議そうな表情を浮かべる先輩に、神木さんは答えてくれた。
「どうやら君が近くにいれば他人でも扱えるようだね。君からどれくらい離れれば操作できなくなるのかそれとも君が許可を下した相手なら自由に操れるのか……ああ気になる」
そわそわと目を輝かせる神木さんの隣で、足立さんが咳払いをしていた。
「ありがとう。既に必要なアプリは入れているから動作を確認してくれたまえ」
「は、はい」
先輩が手にしたスマホの画面を俺を含めたボランティア倶楽部の面々が覗き込んだ。
「これかな。知らないアイコンがある」
ホーム画面の隅にアイコンがある。
アプリの名称は簡素に“database”とだけ記されており、先輩はそれをタッチして開いた。
画面には縦左半分にずらりと並ぶ人名。そして右半分には空白のウィンドウ。
数ある名前の中から先輩が自分の名前を探し出しタッチすると、画面の右に顔写真と簡略な情報が表示された。
「あ、学生証の写真……と、変身した時の名前と能力か」
「所属していない部外者という立場上、詳細なデータは記さないでいるよ。反面、こちらに所属しているスペシャライザーの事細かな能力も記さないでいるけど……そこは了承してくれるかな?」
「ええ。別に構いませんよ」
先輩は神木さんにそう答えると、人名をスクロールさせていく。次に開いたのは凛花・S・ストライド――凜花さんの項目だった。
「ふぅん……あの人は電撃操作の特異体質者だったのね」
横から覗いていた四之宮先輩が凛花さんの能力を読み上げた。
この場で自己紹介をした人物は全員記されていそうだ。これがあるだけでも、俺にとっては充分な情報である。
「所長、そろそろ時間です」
「ああ。分かった」
交通費の受け取りも済んだところで足立さんが横から促した。
「美弥子くん、彼女たちを外まで送ってくれたまえ」
「はい。それでは皆さん、行きましょうか」
足立さんが部屋の外へ向かうのに合わせ、ボランティア倶楽部と鈴白さんも動き始めた。
「私たちもお暇してよろしいですか?」
「うむ。相馬くんもお疲れ様。いい週末を過ごしてくれ」
「あいよ。んじゃあ俺らも行きますか」
こうして俺たちは神木所長を残し、全員が応接室を後にした。




