アリスの兆候
「……?」
神木所長の言葉に反応したのは、俺と聖と明だけだった。正確には言葉によって生じた場の空気の変化を疑問に感じたのだ。
みんな反応はしているんだ。けどまるでその言葉の意味を噛みしめるように動きを止めている。大きな衝撃を受けているように思えたけど、俺には何が何だかさっぱりである。
あんまりにも重苦しい空気を感じたので説明を求めていいのか困惑していたけど、そんな俺たちを見かねたのか所長が言葉を続けてくれた。
「大戦のことを知らない君たちには何のことか分からないだろうから補足しておくと」
ありがたいフォローである。
「アリスというのは少女の名だよ。その子は大戦の際、数多いた敵対勢力を率い、今ここにいる子たちを含む大勢のスペシャライザーと対峙したんだ」
そんな女の子がいたのか。
「その子はスペシャライザーだったんですか?」
「いいや。人の姿形はしていたが、果たしてあの子が本当に人であったのか……僕らには解析できていない。分かっているのは、彼女が人の姿をして多くのスペシャライザーに近づき、普通に接していたということだ」
接していた、というのは話したり遊んだりといったことだろうか。先輩たちに訊ねようかと考えたが、どうにも話しかけづらい雰囲気を感じた。
「アリスが何の目的で接触してきたのかはハッキリとしていないが、みんなと親交を深めそして……その時は訪れた」
部屋の明かりが仄かに薄れて暗くなり、同時に神木さんの背後に煌々と光る映像が現れた。モニターはなく、空宙に映像だけを投影するホログラムってやつだろうか。
「この映像は一年半前に起きた大戦の様子の極一部を映したものだ」
横に避けた神木さんが説明する映像はかなり不鮮明なものであった。ブロックノイズが飛び交い、手ブレがひどいのか激しく揺れている。
「そんな映像あったんですか? うへぇ」
と言葉を漏らすのは音無先輩だ。どうやら撮影されていたという事実を今の今まで知らなかったようだ。
「これは最終戦直前、アリスと対峙する前のシーンだ。ほら、ここに音無くんもちゃんといるよ」
幾人もの艶やかな衣装を纏う少女の中に、真っ黒な装束を着た人物がいるのが辛うじて分かった。映像には鈴白さんと九条さんも映っているようだが、何せ画が荒いので自信が持てない。
ただ、映像の中にいるスペシャライザーは皆かなり疲弊している様相は伝わってきた。
「この時景子くんと凜花くんは違う場所にいたから映ってはいないし、だから君たちとも初対面ということになる」
先輩たちに神木さんが告げた時、映像が一際大きくブレた。
背景は曇天が渦巻くように薄暗く、そして渦の中心は空へと立ち上っている。
カメラの映像は渦の中央に向けられる。
「いよいよアリスのお出ましだ」
豆粒程の大きさしかない対象者を懸命に捉えたところで、映像が停止した。
「……?」
止まった画面が動く様子はない。疑問を抱えたまま画面を注視していると、神木さんが説明を加えてきた。
「見せることのできる映像はここまでだ」
大事なところは見せられない、そういうことなのかと解釈したがそうではなかった。
「ここから先は機器の不具合で映像を残すことはできなかったんだ。無論、アリスの発する強大な力の影響さ」
つまり、今映し出されているこの映像がそのアリスという少女を捉えた最後の映像ということか。
改めて画面に目をやる。
渦中の最奥にある人影。暗黒を背にしたそいつは眩い光に包まれている。ある種の神々しさを感じさせる一幕に見えなくもない。この登場シーンだけ見ていると、闇を裂いて現れた光のようだと印象を抱いてしまう。
「本当にこの相手が敵だったんですか?」
だから俺は思わずそんな質問をしていた。先輩たちが戦った相手であるから敵なのは間違いないんだけど、そう思わせないだけの何かを感じさせられた。
「……僕から言えることは、今ここにいる子を含めた大勢のスペシャライザーがアリスを退けてくれなかったら、地球上に人類は存在しなかったという事実だけだ」
急に地球規模の話になったせいで、俺の中から現実味が掻き消えそうになってしまう。あんぐりと口を開け、アリスという敵の強大さを受け止められずにいた。
「退けたと言いましたね? ということは倒したわけではないんですね」
俺に変わって神木さんに質問を投げかけたのは、同じ新参者である聖であった。
「その辺りは実際にアリスと戦った少女たちに答えてもらうのがいいだろう。当時の僕はあくまで傍観者……世界の行く末を年端もいかぬ彼女たちに委ねるしかできなかった情けない無力な大人さ」
己の力の無さを皮肉っているのか、神木さんは笑いながら聖の隣に腰掛ける先輩たちに手の平を向けた。話を促す仕草を受け、音無先輩がゆっくりと口を開いた。
「……アリスちゃんがあたし達に接触してきたのは三年近く前になるかな。多分、みんな面識があると思うけど」
そう言いながら先輩はテーブルを挟んだ向こう側に座る二人を窺った。
景子さんは首を縦にも横にも振ることなく沈黙したまま目を閉じ、凜花さんは小さくプンプンプンプンと首を縦に振っていた。二人とも面識はあるに違いない。
「最初は誰もその正体に気付いてなかった。公園にあるマジカルシェイクに集う友達の一人だって……いつからか、自然とその場に溶け込んでいたの。もしかしたら魔法少女……スペシャライザーかもしれないと思う人もいたかもしれないけど、詮索したりっていうのはマナー違反だから誰も素性を探ろうとはしなかった」
「もしくは素性を探られないような認識阻害の魔法を使いながらアヤメ達の中に滑り込んできたのかもしれないけれど……それはもう、分からない。あたしは既にみんながアリスちゃんと知り合いの状態のところに後からやって来たのだし」
四之宮先輩も、自然にアリスを受け入れていたようだ。この場の誰もが同じようにその少女をいるものとして認識していた、させられていたということか。
「今思えば疑わしい場面は何度もあったんだよな。ちょいと大きな戦いがあった時は常に誰かの視線を感じていた……そういう経験、みんなあるだろ? それがあの子の視線だったんじゃって……今更言っても後の祭りだけどな」
「そうですわね。結局、アリスさんが私たちに敵対行動を起こす時まで誰も気付くことができなかったのですから」
相馬、九条さん。当時を知る人がそれぞれの思いを口にする。聞いていると、敵というより寧ろ……友人。友達のことを懐かしんでいるように思える。
「わたしは……わたしは、今でもどうしてありすちゃんが敵さんになったのか、分かりません……」
一際悲しそうな声で呟いたのは鈴白さんだった。
大戦のあった当時、彼女は小学五年生になるのか。その歳で友達のように接していた相手と敵味方になるのはさぞかし辛かったのだろう。
「どうして敵になったんですか? どんな理由があって先輩たちに接触して、仲良くなって……敵対したんですか?」
俺は二人の先輩に答えを求めた。
「そうすることが世界のためだって。彼女はあたし達に言い放ったよ」
「地球から人を消すことが?」
「自分は地球の代弁者だと、あの子は自負していたようよ。本当かどうか定かではないけれど」
「そんな横暴な……」
代わる代わる答える先輩たちの言葉に、釈然としない思いを抱かされた。
「ええ。私たちも納得することなどできませんでした。だからアリスさんに真意を問うべく、立ち向かいましたわ」
「人類消失という命題はその少女の意志ではなかったと?」
聖が九条さんに訊ねたが、彼女は頷くでもなく僅かに顔を伏せて語り続けた。
「……これは勝手な憶測ですけれど。彼女は人の行く末を見定めようとしていたのではないかと……そのために私たちの傍でしばらくの間行動を共にしていたのではないかと考えています。結果、人に存在する価値なしと判断されてしまったのかもしれませんわね」
「そんなことないです!」
声を荒らげたのは九条さんの隣に座る鈴白さんであった。
「あんなに一緒に笑って過ごしたのに……それに価値がないだなんて絶対にないです!」
「んん……まあ俺たちも鈴白のように思いたい気持ちは山々なんだが、結局アリスの口からきっちりとした答えを得られることはなかったわけだ。最後は時空間の狭間にその存在を封印することでアリスの力を隔離して大戦は終結。平和な世界が続いてるってわけ」
最後に事の顛末を述べて話を締めくくったのは相馬だった。
「おい」
話が一段落したところで、これまでじっと沈黙していた明がすかさず神木さんに向けて声を上げた。
「そんな昔話がローゼンクロイツと関係あるのか」
胸を強調するように腕を組む明は、焦れているのか指でトントンと二の腕を叩いていた。
「ああ……関係ある。かもしれないし、全くないかもしれない」
不満気に眉をひそめる明が一歩踏み出そうとするのをすかさず止める。ここまで聞いておいて今更揉め事は勘弁してくれよ。
「……」
拗ねた子どものように口をへの字に結ぶ明だったが、ここはどうにか堪えてくれた。
「すいません、そろそろこいつの知りたいことをちゃんと教えてくれないと……大分イライラしてるみたいなんで」
態度で示そうとする明に代わって俺が言葉で神木さんに催促した。
「前置きが長くなってしまって申し訳ない。ここからが本題と思ってくれ」
コホン、と咳払いしてから神木さんが話を続けた。
「まずはこの球状グラフを見てくれ」
神木さんが映像を映し出していたホログラフに触れると、画面が切り替わった。
現れたのは、金平糖のようなCGモデルであった。突起の先端に小さく英字が記されているが、それが何を示しているのか全くもって理解できない。
「これは大戦の際にアリスが現れた時に観測された膨大なデータを集約したグラフになる。ここに、最近観測班が捉えたあるグラフを重ねてみる」
球状の中心、そこに赤い点がポツンと灯った。その点は何だと全員の目が集まっていると、神木さんが指を動かして画像をズームしていく。
ズズズー……としばらく焦点を絞っていくとようやく点だったものの形が見えてきた。
「どうだい? アリス出現のグラフと酷似した形状をしているだろう?」
「はぁ……」
同意しかねる曖昧な声を半数の人が漏らした。似ていると言われればそうかもしれないが、大きさの比は月と太陽くらい違っていた。それで酷似していると説かれてもウンウンと頷きにくかった。
俺たちの反応が芳しくなかったことに、神木さんは詳しく説明してきた。
「見給え! アリスが他次元に納めていた本来の魔力の開放時に平素空間に干渉してくる時空歪曲率が空間維持係数を大きく上回っている状況で見られたワームホールの形成に必要な複数種の系統に現在は分類される魔力魔術魔法呪術日本で言えば陰陽道であるしそうそうここには音無くんのワイルドエナジーにも似た波も観測され九条くんの扱う航空術も魔力を用いての飛翔となるわけだがその源を辿れば多くのスペシャライザーの扱う力というのは元は同じ波形をしておりそれが多岐に渡り細分化されることで個々人に独特の能力を発現させているのではないかと僕は睨んでいる例えば鈴白くんの召喚術は音無くんの」
「所長」
白熱してあっという間に脱線した説法に対し、足立さんが冷静に釘を刺した。全員が困惑していることに気付き、所長はメガネをクイッと上げて話の筋を修正した。
「この二つのグラフを比較すると、類似点がいくつか見られるということは今説明した通りだ」
説明してくれてないです足立さんが止めてくれなかったら一生説明されてなかったと思いますという野暮なツッコミは胸の内に留めておいた。
「……類似したデータが観測されたためにアリス覚醒の兆しがあるかもしれない、と仰ったわけですか」
四之宮先輩が要点を掻い摘んで問いかけた内容に、神木さんは首を縦に振った。
「無論それだけではない。大戦終結後には平穏だったこの街に、不穏な兆候が起きている気がしてならない」
「と言いますと?」
「大戦残党の暗躍、力を返還した魔法少女の復帰、新たなスペシャライザーや未知の組織の出現と流入、今回の一悶着に加えて悪夢の魔女の顕在化」
また神木さんが画面に手を伸ばし、新たな画像が現れた。
「これは瓦礫と化した魔道研に埋もれていたデータベースから抽出したものだ。既にデータのほとんどは破壊されていて今はこれだけしか復元できなかったんだけど」
それは三枚の絵だった。齧られたリンゴと、双頭の蛇と、最後の一枚には見覚えがあった。薔薇の巻きついた十字架だ。
「ローゼンクロイツ……?」
何でそんな絵が存在しているのか疑問混じりに呟いた。俺がこれを見たのはローゼンクロイツが入った灰色の少女の頭上をエンブレムアイで見た時だ。
「何故これが魔道研の……クーデターの首謀者がいた部署のデータベースに存在していたのか、復元できた残り二枚の画像は何を意味するのか、君には分かるかい?」
訊かれたのは俺だ。今は力を失って紋章を視ることはできないが、唯一薔薇十字の紋章を視た俺だからこそ訊かれたんだと思った。
「……その三つの紋章を持った奴と、首謀者が手を組んでる?」
「僕もそう睨んでいる」
神木さんの満足いく答えを返せたようだ。そしてようやく聖と明の追い求める敵の影を捉えることができたのだ。
「恐らく今回のクーデターで宇多川くんに直接手を貸したローゼンクロイツ以外にも、協力しているものがいるはずだ。そして彼らの存在もまた、アリス覚醒の兆候の一つかもしれないとも考えている」
得体の知れない存在が蠢いていると感じているのは、俺だけじゃないはずだ。現実にローゼンクロイツとその宇多川っていう人は姿を消したし、また何かを企む可能性だってある。
けど、それとアリスという少女の覚醒を結びつける根拠を、俺はまだ見いだせていなかった。
その疑問に神木さんは答えてくる。いや、これは俺だけじゃなく、みんなに向けての言葉なのだろう。
「ここで不可思議な事象の研究に触れていると、この世のあらゆる出来事には何かしらの因果があると思わせられる……その辺は不可思議の体現者である君たちも何となく分かってくれると思う」
スペシャライザーなりたてであり既に一般人に戻ってしまった俺だけど、この人の言いたいことは確かに何となく分かる。
「現在と過去の事象を比較すれば類似点があるように思えるが、それはともすれば単なるこじつけにすぎないのかもしれない。最初に僕が言った通り酷く不確定な予測と可能性の話にすぎない。だからこそ、君たちには心構えをしておいてほしかった。アリスが覚醒するかもしれないという万一の事態に備えて」
神木さんは将来起こりうるかもしれない事態に警鐘を鳴らしたかったのだ。
確かに事前に何も知らぬままでそんな大事に直面したら、激しく動揺するだろう。起きるかどうか定かではない出来事に対して気を揉むことにはなるが、この場合は知っておいた方が得策だったろう。
「当面の僕らの仕事には復活するかしないか分からないアリスではなく、実際にマガツ機関に被害をもたらした宇多川くんの動向を追うことを加える事になる。無論アリスの存在についても目を光らせるが……宇多川くんを追えば、君の知りたがっているローゼンクロイツにも行き着くだろう」
「そしてリンゴと蛇をモチーフとした者もいるかもしれないということですわね」
「他にもいないことを祈ってるよ」
九条さんと相馬が呟く。逃げた宇多川って人には最低三人の協力者がいるというのは覚えておこう。
「ローゼンクロイツの居所は掴めていないのか?」
明が一番知りたいことをズバリ訊ねた。少しずつ話に絡んではきているものの、物語の中心に薔薇の華は咲いていなかった。
「私たちはローゼンクロイツと共に逃げた宇多川健二の行方を追っています。逃亡経路を探ってはいますが、残念ながら今のところ成果は挙がっていません」
足立さんの報告に明は小さく舌打ちした。
「分かったら教えてもらうぞ」
「ああ。我々もできる限りの強力はさせてもらうさ」
そして神木さんの視線は音無先輩へ注がれた。
「僕から君たちにお願いしたいのは、明くんの日頃の生活をそちらで支えてもらえないかということだが」
「それについてはこの間巻菱さんと話しましたし、あたし達は全然良いですよ……ねえ?」
ボランティア倶楽部の部員に同意を求めてきたので、俺と四之宮先輩は頷いた。聖だけ首を動かさなかった。
「感謝する。それともう一つ、こちらが今回君たちを招いて話したかった目的なのだけど」
色々な映像を映し出していたホログラフは消えており、明るくなった室内で俺たちは神木さんの言葉に耳を傾けた。
「アリス、宇多川くん、ローゼンクロイツ……クーデターに関わると思われる相手に対して、協力をしてもらえないだろうか」
「協力ですか?」
「情報の共有と有事の際の戦力の提供。それを希望する」
マガツ機関に力を貸せと、ボランティア倶楽部に言っているのだ。
あっちの代表からの申し出、こっちの代表はどう答えるのかと顔色を窺った。
「いいですよー」
軽い!
こんな簡単なやり取りで協力関係を結んでしまってもいいものなのか。いいんだろうな、それが先輩なんだろうな。
「ああでも協力するっても、組織に組み込まれるとかそういう方向性はなしでいいですか?」
「そこまでは望まないさ。ただ約束してくれればいい、それでこちらも一安心さ」
神木さん的にはそれでよかったのか。マガツ機関に所属させられたりはしないようだ。これまでと変わりなくボランティア倶楽部のままでいられるならそっちの方が慣れてるし、それがいい。
「鈴白くん」
「は、はい?」
「君は当時小学生ということでマガツ機関への勧誘は行わなかった。今は中学生となり、そして今後もこのような事件が増えていくかもしれない。だから君には、マガツ機関所長として正式にオファーさせてもらうよ」
「あわわ、わた、わたしはぁ……」
少女は顔を真赤にして慌てふためいている。まさか誘われるなんて予想してなかったのだろう。
「無論すぐに返事をしてくれなんて言うつもりはないし、申し出を断ってくれてもいい。その場合は組織からの援助をしてあげるわけにはいかないが、ボランティア倶楽部と同じく色々な情報を伝えることはさせてもらうよ」
神木さんは言葉に窮していた鈴白さんにそう言葉を投げかける。
援助っていうのは具体的にどんなことをしてもらえるんだろうなと気にはなったが、参加しないからといって大きなデメリットがあるわけではないか。そこは今言った通りボランティア倶楽部と同じだ。
違うのは、鈴白さんは団体じゃなくて個人だという点だ。だからか、彼女はどう答えていいのか自分だけで決めきれなかったのだろう。
「……考えさせてくださいぃ……」
消え入りそうな声でそう呟いて黙りこくってしまった。
神木さんもその返事は想定していたのか、それ以上その話はしなかった。




