放課後のイザコザ
テスト期間中なので学校は午前中で終わる。さっさと下校する者もいれば、教室や学食で食事をとって居残り勉強をする者もいる。
倶楽部や部活動が全面中止されている今、学校に好き好んで残る理由は俺にはない。強いて挙げるなら勉強するために残ってもいいかとは思ったが、やっぱり家に帰るつもりでいた。
そんな俺がなんでまだ学校にいるかといえば、拉致されたからだ。
こんなことになるとは迂闊だったと反省していた。とはいえボランティア倶楽部での活動のように命に関わる事態じゃないから気が楽だ。
俺を体育館裏に連行したのは一週間程前に俺に因縁をつけてきた運動部の面々プラスアルファだった。
「おらっ!」
「ゲホッゲホッ!」
何度目かになる腹部への拳を受け、俺は膝をついてうずくまった。その様子が面白いのか、殴ってきた男子の後ろに控える男子たちは愉快げに笑い声を上げている。
顔を伏せて苦しみながら、さっさとこんなくだらないことが終わらないかと冷静に考えていた。
この間同じ目にあった時も感じたが、面倒臭い。かったるい。
腹はとっても痛いし気分も悪くなってくるし本当なら苦痛なことのはずなのに、こんな高校生同士の諍いよりもとんでもないことを経験してきたせいか、酷く子どもっぽくて安っぽいと頭の片隅で冷静に断じている自分がいた。
先輩たちと一緒にいた時間に得た経験がぶっ飛び過ぎてて感覚が麻痺しているのか、現実なのに現実味が薄く感じられてしまう。
とはいえ痛いこともまた現実。早く興味を失って去ってくれないかなと考えると溜め息が漏れた。
「……随分余裕じゃねえかよ!」
溜め息が気に障ったのか、さっきまで腹を殴っていた奴の足が俺の頬を蹴りつけた。
「顔は止めとけよ、へへへ」
後ろにいたやつはそう言うが愉快そうだ。
口の中が切れた、これは痛い。現実に引き戻された気分だ。
そこまでされても痛いの早く終わらないかなと考えている俺がいたのも事実だが、視界が急に霞んでしまった。
「ちっ。こんなメガネまでしやがってよ」
男子の一人がメガネの吹っ飛んでいったらしき方に歩いていくのが分かる。
「……おい」
思わず声を出していた。黙ってやり過ごそうと、好きにさせて相手の気が済むのを貝のように待とうと思っていたのに。
「それに触んじゃねえよ」
そのメガネは先輩が俺なんかのために、血を流して痛い思いをしてそれでも立ち上がって鬼を退治して手に入れてくれた物。
「何だその口の聞き方!」
今度は横っ腹に鈍い痛みが走る。声が詰まりそうになりながらも力を込めて言葉を口にした。
「事情も知らないお前らが、気安く触っていい代物じゃねえんだよ!」
ここまで本気に学校の生徒に叫んだのは初めてかもしれない。
けどそれが、余計に相手の神経を逆撫でした。
「そんなにこれが大事かよ!?」
声とともにメガネが蹴り飛ばされる音が聞こえた。
その瞬間、怒りに弾かれるようにして蹴った男子に掴みかかっていた。
「てんめぇ! 何してくれてんだよ!!」
これまで日常の中で誰かと喧嘩もせず、殴り合いなんてしたことのなかった俺が初めて拳を握りしめた。
荒事に不慣れな俺ではあるが大きく拳を振りかぶって、顔はぼんやりとしてはっきりしない相手に向けて殴りかかった。
けど先に殴り飛ばされていたのは俺の方だった。背中を強かに体育館の外壁に打ちつけて、呼吸の止まる思いをしながら腰を落としていた。
「反撃してくるとはいい度胸じゃないか。みんなやっちまうぜ!」
体育会系の男子がぞろぞろと俺の方に迫ってきた。
最近まで帰宅部だった俺が腕っ節で彼らに敵うはずもない。そんなことは分かりきっていた。
けどそれでも立ち向かわなきゃならないと……先輩が手に入れてくれたメガネを足蹴にされて黙っているなんて我慢ならなかった。
これが立ち向かった結果なら受け入れざるを得ない。俺が弱いから、彼らに勝てなかっただけだ。
自分の無力を噛みしめながら、ボッコボコにされる瞬間を目を閉じて待った。
激しく殴られる音、地に倒れ伏す音、外壁に叩きつけられる音。
いくつもの音を耳にしながら、俺に痛みが襲いかかってくることはなかった。
恐る恐る瞼を開けると、そこには地に倒れ伏す男子たち。
どうしてこうなってるんだと疑問に感じる俺の横でぐぐっと苦しげな声が聞こえた。目を向けると、そこには壁に押しつけられる男子の姿があった。
「この間もだったが、こいつらはお前の敵か?」
声の主は俺に話しかけながら、男子を左手一つで壁に押しつけていた。
俺は女子の制服を着たそいつの姿を見上げていた。今の台詞も相まって、俺はデジャヴを感じていた。
前もこんな風に、こいつに助けられたことがあった。
「明……? なんで」
「お前がこいつらに連れていかれるのを見た」
「だから、助けてくれたのか……?」
「たまたまだ」
フンと鼻を鳴らす明は喉を押さえられて声を出せずにいる男子に向き直った。俺をさっき殴り飛ばした男子だ。
「拳はこう撃つものだ」
「あ、おい!」
俺が静止しようとするのも聞かず、明は右拳を男子の顔に放っていた。
「あ……あ……」
男子の顔は恐怖に引きつっていた。
ずりずりとへたり込んだ彼の顔のあった所の横に、明の拳は突き刺さっていた。その拳は体育館の外壁に埋まっていた。そりゃあ、怖くて顔も引きつるわな。
男子は声を上げて這って逃げ出した。それに応じるように、地に突っ伏していた他の男子も蜘蛛の子を散らすようにこの場から去っていった。
後に残ったのは俺と明のみである。
「相手の強さを測ることはできるようだな」
そう言って拳を引き抜いた明はすたすたと歩き、何かを拾い上げる仕草をしてから座り込む俺の方へ戻ってきた。
「……」
「……?」
無言で手を差し出してくるのでうん、と首を捻っていると、更に手を近付けてきた。その手には俺の顔から飛んでいった丸メガネが乗っていた。
「あ、ああ。ありがとう」
受け取ってメガネを掛けると、俺を助けに来てくれた人物の顔がようやくはっきりと見えた。
黒髪に浅黒い肌。むすっとした表情をしているがメガネを拾ってくれるなんて、やっぱり根はいいやつじゃないのかと思わせられる。
思いながらも、明の手はまだこちらに向けられていた。無言だが、これは手を取って立ち上がってもいいということなのだろうか?
おずおずと手を伸ばしてみるが、明の手は引っ込む様子がない。ここは意を決して手を取ってみようとしたところで、更なる闖入者がやって来た。
「相沢くん! ……明! 何をやっているんだ!?」
またも女子の声。現れたのは聖だった。
と、同時に俺は懸念した。
「聖……これはだな」
まずは状況の説明をと試みたが、それより早く動いた聖が俺と明の間に割って入った。
「こっちの方から怯えて逃げてくる人がいると思って来てみれば……! 彼らや、相沢くんに何をしてるんだ!?」
懸念が当たった! やっぱり勘違いしてる!
「いや、あのな」
誤解を正そうとしたが、今度は明が動いた。
「じゃあな」
俺と聖に背を向けると、そのまま立ち去っていく。
「おいっ」
明を呼び止めようとしたが、遮るように聖が立ちはだかる。その間にも明は離れていき、やがて俺たちの視界から姿を消した。
話す機会を逸してしまい名残惜しく去っていった方を見送っていると、視界に聖が度アップになってきた。
「こんな目にあって……やっぱりあいつがこの学校に来たことが間違いなんだ!」
勘違いしたまま突っ走りそうだと感じた俺は、立ち上がる聖の手首を掴んでいた。
「取り敢えず保健室……連れてってくれよ」
このまま明を追わせても余計に話がこじれることになる。
釈然としない表情を浮かべていた聖だったが、渋々といった様子で俺を立たせて保健室まで肩を貸してくれた。




