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魔法少女の奉仕活動  作者: シイバ
魔法少女の奉仕活動一
12/260

魔法少女と決着

 ――もしもし? あたしだけど。

 やっと起きた? それじゃすぐにでも動けるかしら。

 なんでって……彼が狙われてるからよ。

 そんなの、あいつに仲間がいたからに決まってるでしょ。

 知らなかったわよ、いるんじゃないかと予想はしていたけど。

 とにかく早く中央公園まで来なさいな。五分もあれば身支度済ませて来れるでしょ?

 ああ、それはできないわ。今、彼と音央ちゃんが危ないところだから。

 それに――



「――かわいい後輩と友達が傷付けられたの我慢できるほど、出来た人間じゃないわよ。よく知ってるでしょ?」


 目を閉じた俺の耳に届いたのは、殴られる音でも骨が砕ける音でも吹き飛ばされて地面を削る音でもなく、知った人の声だった。


「四之宮……先輩?」


 白い髪の少女の後ろ姿が目の前にあった。


「おはよう。こんにちはかしら? 遅くなってごめんなさい」


 左手の携帯電話を折りたたみ制服に仕舞う先輩は、右手一つで巨人の腕を受け止めていた。

 その手にしている二枚のトランプが石腕の一撃を強烈に拒んでいる。


「貴様……何奴だ」


 腕を引き数歩後退する。あいつが下がるところを初めて見た。


「かりんちゃぁん……」

「彼を守ってくれていたのね。ありがとう」


 鈴白さんが先輩の顔を見上げて堰を切ったように涙を流している。戦いで張り詰めていたものが途切れてしまったんだろう。俺も安堵のためか、急に体から力が抜けてその場にへたり込んでしまった。固めた意志が霧散したのか、体が小さく震えてる。恐怖心が首をもたげてきたらしい。


「本当、男の子ってカッコつけるのが好きね。中園さんの時もそうやって怪我して……少しは学習してちょうだい」

「痛っつぅ」


 トランプを指に挟んだ右手で頬を撫でられた。結構酷く痛めてたみたいだ。屈んだ先輩の眼鏡の奥で、その目を細めた。


「これはまたアヤメのキスコースかしらね。今呼んだから、しばらくしたら着くでしょう」

「き、キスしちゃったんですか……?」


 反応したのは鈴白さんだ。顔をポーッと赤くして、想像してるんじゃないか。そんなれっきとしたキスじゃないんだよ、本当だよ。


「って、そうだ。先輩どうしてここに……? 朝出かけて、どっか行ってたんじゃ」


 先輩は立ち上がり、こちらを窺っていた相手に向き直った。


「君を襲った相手は倒したけれど、仲間がいる可能性があったから、君がまだ狙われる危険もゼロじゃないと考えていたの。だから今日は少し離れたところから君を見守っていたわ」


 傍で守ろうとしなかったのは、狙われることもなく事が過ぎ去る可能性もあったからか。先輩に何か考えがあったのか。


「ちょっと離れすぎちゃって見失った時は焦ったけれど、公園の異変が目についてね」


 トランプを挟んだ指を横に払い、構えた。二枚のカードはスペードとハートのエース。一枚は見たことがあり、一枚は見たことがない。


「おかげで神速の力を使って駆けつけたけど、急いだ甲斐があったわ」


 そして堅牢の力を使って俺たちへの攻撃を防いでくれたのか。先輩に直接助けられたのは、これで二度目だ。二回も迷惑を掛けた、なら二回感謝しなきゃな。


「貴様もあの端末に情報があったか……? 戦う姿を見せてみろ」

「お望みとあらば」


 胸ポケットから取り出したカードデッキに、手にしていた二枚を差し込みカットしている。先輩が戦うつもりなのか。


「かりんちゃん、ダメ……」

「心配しないで。短時間なら平気よ」


 鈴白さんが止めようとしている。彼女も先輩が変身すると異物に苛まれることを知っているのか。


「音無先輩を待ちましょう!」


 鈴白さんの援護をするつもりで口走ったが、四之宮先輩は微笑んでいた。


「大丈夫って言ってるでしょ? それに今一番無茶していたのは相沢くんじゃない」

「けど……」

「たまにはあたしにもカッコつけさせなさいよ」


 それだけ言い、先輩は完全に俺たちに背を向けた。もう俺たちの言葉は結構だと言われたようだった。

 無茶をしでかした俺には先輩を止める資格を今は持っていないのかもしれなかった。


「音央ちゃんを頼んだわよ」

「……分かりました」


 俺は鈴白さんの肩を抱き、窪地の端へ連れて行くことにした。なんとか体は動くとはいえ、このほんの少しの勾配を越えて窪地を出るだけの余力はなかった。


「お兄さん……! かりんちゃんを止めなきゃ」

「信じよう。先輩は大丈夫って言ったんだから、信じよう」


 俺は先輩が変身して蝕まれる姿を見たことがないからそう言えるんだと思う。それを知っている鈴白さんに信じろと言うのは酷かもしれない。

 だけど先輩と俺に言われて、彼女もどうにか納得してくれたらしく小さく頷いた。


「鈴白さん、ありがとう……。先輩!」


 俺は背後の先輩に呼びかけた。俺が言えるのは、これくらいしかない。


「……勝って!」


 人差し指を立てて右手を振る先輩の後ろ姿は、小柄だけどとても頼もしく見えた。

 鈴白さんの肩を抱いたまま腰を下ろし、なんて細い体なんだと感じた。こんな華奢な子が俺を守ってくれていたんだ。


「大丈夫かい?」

「平気です……それより、もしかりんさんがおかしくなったら、わたしがお兄さんを守ります」


 俺の制服の裾を掴む彼女の手にギュッと力が籠もる。その手にどれだけの力が残っているのだろう。

 俺にできることは……真神店長がしていたことを思い出す。あの人がしていたように、鈴白さんの頭をそっと撫でた。


「じゃあお礼に俺が鈴白さんを守るよ」


 しばし首を捻っていた彼女は、その意味が分かったのか慌てて言い返してきた。


「そ、それじゃ意味がありません! わたしが守るんですっ」

「ははは、いいじゃん別に」

「よくないですぅ!」

「それにさ、そんなことにはならないさ。だから見守ろう」


 ピンク色に染まった髪を手の平で優しく二回叩く。超柔らかい。いつまでも触ってたい。またサワサワとしながら、彼女が頷くのが分かった。


「うん……かりんさんのこと、信じます」


 俺も頷く。傷付いた二人で寄り添いながら、彼女を苦しめた巨大な人型岩石と向き合う先輩の背中を見守る。

 そして戦いが始まる。


「うちの部長が着く前に終わらせてもらうわね」

「よかろう。初手から全力を出させてもらう」


 先輩がデッキを手にした腕を振ると、数十枚のカードが体の周りに円を作り回転し始めた。


「さて、種も仕掛けもあるマジック。最初は公正に行きましょうか。フェア・ドロー!」


 ピッと突き出した指がカードの円陣から一枚のトランプを選び取る。指に挟んだそのカードは、


「スペードのエース。彼に一番使ったカードだし、最初を飾るに相応しいわね」


 カードを頭上に掲げてこれから呟く言葉は、鈴白さんがその姿を変えたのと同類の変身の呪文だ。


「イッツ・ショウタイム」


 回転していたカードたちから水が巻き起こり、先輩の体ごと呑み込んだ。水柱を裂いて中から現れたのは、両刃の剣を手にした青い格好をした先輩だった。

 髪型は鈴白さんのように大きく変化し青いポニーテールになり、上半身を覆うマントの下にはベストを羽織り、膝丈のスカートと腰のカードホルダーを翻す。右手にはスペードの意匠を施した剣、そして左手にはワイシャツの袖に食い込むほどに絡みつくチェーンと、指先まで隠す包帯が異質な雰囲気を醸し出していた。

 左腕から悪い空気が漂っているのが分かるのは俺がスペシャライザーになったからだ、なんて理由じゃない。変化した姿の中でそこだけ歪なのは誰の目にも明らかだ。


「やはりその姿なら見た覚えがある。闇に堕ちた奇術師……早急な決着を望むのは自身の変調が理由か」

「あたしと貴方の実力差なら時間は必要ないってだけよ」


剣の切っ先を突きつけ、二人の間で空気がピリピリと張り詰めていく。俺と鈴白さんは不動の二人を黙して見守る。


「女子供の相手は飽きたところだ。貴様は吾を愉しませてくれよ」


 拳が振り抜かれる。先輩の肩に岩が直撃し、そのまま吹き飛ばされる嫌な光景が浮かぶ。


 が、先輩の体が流水の如くゆるりと揺れる。身を翻し、勢いそのまま突き出された腕に剣戟を叩き込んだ。


「効かぬ!」


 振り回した腕が先輩の体を宙に跳ね上げる。体勢は乱れていない、自分で跳んだんだ。


「硬いわね」


 柄を両手で握り、腕を広げると一瞬で剣が二振りの片刃剣に変わった。

 先輩を狙い天空に掲げられる拳を右手の片刃でいなし、左手の剣を伸び切った肘へ突き立てる。


「ムッ!?」


 強固な岩に隙なく覆われたあいつの体にあんなに刀身の細い剣が深々と突き刺さり、貫通している。

 片方の剣を奴の腕に残したまま先輩は距離を取る。手にする得物が一つ減ったのに、先輩の顔に焦りの色など微塵も浮かんでいない。


「凄まじき膂力。人成らざる悪魔の力よ」

「勝手に悪魔扱いしないでよ、失礼ね」


 平然な顔をしているけど、右腕を押さえている。異物が疼いているのだろうか。制服を掴む鈴白さんの手に若干力が篭った。大丈夫だよ、俺は彼女の頭を撫で続けた。


「とはいえ流石に防御主体じゃあ埒が明かないわね」


 残った片手剣を素早く回すと一瞬で消え去った。彼女の手つきも身のこなしも、まるでマジシャンだ。

 右手は腰のホルダーに伸び、そこから飛び出した全てのカードが再び先輩の周りで円を描く。


「公平な時間は終わりよ。次は主導を取らせてもらうわ」


 回り続けるトランプの円から一枚のカードを指で射抜いた。


「トリック・ドロー……クラブ」


 自ら選んだトランプの確認をすることなく宣言した先輩の周囲に風が吹き荒れる。竜巻のように立ち上る風の渦がぶわっと散って現れた先輩の容姿は大きく変貌していた。

 目に優しい緑色のショートヘアにハンチング帽。動きやすそうなバルーンパンツというフォルムはマントを羽織っていたスペードのフォルムよりシンプルな印象だ。

 変わらないのはベストと左腕のチェーンくらいのものである。

 そして固めた土を打ち砕いたのは、右手に構えた巨大なハンマー。ドラム缶に柄のついたようなそれを軽々と片腕で操り、肩に担ぐ。


「力比べといきますか」


 歩みを進める速度は流麗だったスペードと打って変わって力強い足取りだ。


「この身に傷を負わせ、さらに力を高めた姿だと。面白い、面白いぞ」


 二人の距離が詰まる。もう間合いだ、両拳を絡めた岩男が腕を振り上げる。あれは鈴白さんからの拘束を解いた時と同じ構えだ、再びこの地を抉った一撃を繰り出すつもりだ。


「はあぁぁッ!」


 対して先輩は下方からハンマーを振り上げる。

 重力に従い加速する拳、重力に逆らい迎え撃つ鉄鎚。

 先輩の不利を悟り、大地が先程同様激しく振動することに身構え、鈴白さんの肩を強く抱き寄せる。


「みゃうっ」


 仔猫みたいな声につい気が緩みそうになったけど、すぐに引き締めて衝撃に備えた。

 鼓膜を揺さぶる金属音、岩の砕け散る音、そして大気を震わす轟音が空へと抜けていった。

 身構えていた俺は、地面が微震する程度だったことに拍子抜けした。そして俺と鈴白さんが目撃したのは、振り抜かれた鉄鎚が岩石製の拳を弾き飛ばし、右腕の肘から先を粉微塵に砕き散らした光景だった。


「まさか、これほど」

「さあ、フィナーレと洒落込みましょう」


 腰のカードホルダーを平手で叩き、中からトランプがシュシュッと飛び出した。


「フィニッシュ・ドロー! フル・ハウス」


 五枚のカードが先輩の前に浮かび、彼女が手にする巨大な鉄鎚は頭部と柄が分離し、鎖で繋がれたモーニングスターへと形状を変えた。

 光り輝くトランプが得物に吸い込まれるように消失すると同時、先端の鉄球が三つに増えた。

 上空に飛び上がる緑衣の魔法少女。手にした三叉のモーニングスターを前に、巨人は正面から迎え撃つ。

 ぶつかり合う残った豪腕と必殺のモーニングスター。

 片腕の巨人に残された腕に、いや、その体に大きな亀裂が走った。


「マジシャンズエース……貴様の実力、中々満たされたぞ。できることなら、ブレイブドッグとも……」

「グランド・フィナーレ!」


 先輩が叫んだ瞬間、鮮やかな極光が一帯を染め上げた。

 どれだけ長い間目を閉じていただろう、はたまたそれは一瞬の閃光だったのかもしれないが、俺が目を開いた時に戦いの場に残っていたのは、先輩だけだった。

 戦いの終わりを告げるかのように先輩が右手に持ったモーニングスターはみるみる小さくなり、手の中で煙のように消失した。


「今のあたしに勝てないようじゃ、あの子と戦っても瞬殺よ」


 戦地に背を向け俺たちの所へ先輩が来てくれた。


「言われた通り勝ってきたわよ」


 全て終わらせた先輩がニコッとした。俺も鈴白さんもようやく終わりを実感し、肩の力が抜けてきた。


「やっぱりかりんさんは頼もしいです……あっ」


 何かに気付き、鈴白さんが声を上げた。俺もすぐに先輩が左腕を押さえていることに気が付いた。


「先輩、変身解いてください。キツイんですよね」

「……そうね。でもまずは落ち着ける場所に行きましょう」


 窪地の外に行くことを提案され、俺は鈴白さんの肩を抱いて立たせて歩き出す。体は疲れてるけど、ほっとしたから心に余裕がある、なんとか上がれそうだ。

「もう大丈夫だね。流石先輩だ」

「本当です……。あとでいっぱい感謝しなきゃいけないですね」


 俺と鈴白さんは顔を見合わせて笑い合った。


「ちょっと待って」


 四之宮先輩の声に呼び止められ、俺は足を止めた。


「はい?」


 俺が後方に顔を向けようとしたその時、背中から突き飛ばされ顔から転倒しそうになる。


「あっ」


 庇わなきゃ! 咄嗟にそう思い、一緒に転ぶ鈴白さんを胸に抱き寄せて地面にぶつからないように俺が先に背中から落ちた。


「っんんんん……!」


 体が痺れる。けど彼女は無事みたいだ。


「お兄さん!」

「だ……大丈夫大丈夫」


 それより呼び止めておいて突き飛ばすなんて悪戯を疲れ切った俺たちに仕掛けるなんてどういうつもりだろう。危ない行為に一言物申したくて顔を上げた俺が見たのは、光る槍に腹を貫かれて力なく項垂れる先輩の体だった。


「え……」

「かりんちゃん!?」


 どうしたんだろう。戦いは終わったのに、なんで先輩が傷付いてるんだ。攻撃されたのか、一体何から、どこから。


「待ってくれてありがとう。大者を仕留められたぞ」


 先輩は項垂れたまま、だけど先輩の声がする。その声の主は光の槍の先、柄の上に音もなく降り立っていた。

 鳥のような羽毛の生えた羽根を背負い、胸元の開けた衣装に長い金髪を携えた、一見美しい天使のような外見。だけどその女性の目は酷く冷徹な視線で俺たちを見下していた。


「あいつなら一人くらい始末できるかと思ったが、とんだ期待外れだ。最初から手を組まず一人でやるべきだったか、な」


 地面に降り立つ女の様を、俺と鈴白さんは絶望に彩られた顔で仰ぎ見ていた。四之宮先輩は微動だにしない。動いてくださいよ、先輩。


「次はお前たちの番だ」


 俺はハッとして声を荒らげた。


「も、目的は俺じゃないのか! 俺とか、俺を守ってる先輩とか! この子は、関係ないだろ!?」


 感情のない冷たい視線が俺に突き刺さる。これまで向けられたことのない眼差しに全身が竦むのを感じた。


「それぞれ目的が違うのは分かっているだろ。奴は餌を、奴は強者を、私はスペシャライザーの命を」


 光の槍に手を掛ける。次はそれを俺と彼女に突き立てるつもりか。いや、それより先輩……先輩が。


「な……なんで俺たちを」

「この街で活動するには多すぎる貴様らが目障りすぎるんだよ。だから死ね」


 槍が抜かれ、支えを失った先輩の体がゆっくりと崩れ落ちる。赤く染まった光槍の切っ先と先輩が倒された事実が俺に突きつけられる。眩いのに目の前が真っ暗になるのを感じた。ここで全てが終わるのを自覚した。

 その時、女の傍らから無数の白鳩が舞い上がった。代わりに先輩の体が消失していた。

 えっ、と思った時には女の頭上に鉄鎚が迫っていた。

 鎚と槍がぶつかり合う。その鎚を操っているのは、勿論四之宮先輩だ。


「不意打ちか。姑息な奴め」

「自己紹介どうも」


 拮抗した力は相殺し、弾けて飛んだ先輩が俺達の前に舞い降りた。先輩が無事だったことに、だが俺は心から歓喜できなかった。


「先輩、血が……!」


 右腕に切創が刻まれ、指先から血が滴っている。俺たちを庇った時に傷を負ってしまったんだ。


「かすり傷よ。それよりようやく本命が出てきたようね」


 傷が痛むのか、額に汗が滲んでいる。無傷でさっきの敵を討ち倒した先輩が、不意打ちとはいえ傷を受けていうことは衝撃だった。


「ほう。私のことを知っていたか」

「あんたのことなんて知らないわ。ただ人の声を真似る敵がいることは、彼の話を聞いて分かっていたからそいつが出てくるのを待ってたの。さっきの奴はそういう能力は使わなかったし、ならもう一人いると踏んでただけよ」


 俺の話でそれが分かっていただって。そういえば音無先輩の声で誘い出されようとしたことが、あの日あった。俺には思い至れなかったが、こういう相手に慣れた先輩はそこまでしっかりと分かっていたのか。


「学校に侵入してアヤメの声を盗むなんてセコい真似もしてくれたわね」


 先輩に言われて俺はあっと気付いた。この金髪の女性は、音無先輩がバスケ部の助っ人をした時に相手校のベンチにいた監督っぽい人と瓜二つじゃないか。

 あの時に先輩の声を覚え、東台高校のバスケ部員の人に何かして俺たちを分断しようとしたのか。

 確かにあの胸の谷間に見覚えがある。ちくしょうすぐ気付かないなんて、俺はなんて間抜けなんだ。


「色々仕込んであたし達を始末しようとしたんでしょうけど、それもここで終わりよ」


 言って、先輩は一瞬の光に包まれて変身を解いた。


「ふん、言っておいて変身を解くとは。気でも触れたか」

「馬鹿ね。あんたの相手をするのはあたしじゃないってだけよ」


 頭上で土を踏みしめる音が聞こえた。そこには寝癖とスカートを風に煽られる先輩が到着していた。制服の下のスパッツがチラチラと見え、目のやり場に困った。


「せ……先輩!」

「あやめちゃん!」


 それでも俺たちにとってはやってきた希望だ。この状況を打破できる力を持った、魔法少女。制服の上には、既にベルト状になったスマホが装着されていた。

 窪地に滑って下りてきた音無先輩に、四之宮先輩が歩み寄る。


「怖い顔しないでよ。あたしは平気よ……かすり傷を負ったくらい」


 確かに音無先輩の表情はムスッとしている。四之宮先輩が変身した姿を見てたのかもしれない、なら変身することを望んでいない先輩が不機嫌な表情なのも納得だ。

 不意に先輩が目の前の彼女を腕ごと抱きしめた。力強い抱擁、熱が伝わってきそうな熱い抱擁に、俺と鈴白さんは少し顔を紅くした。


「ちょ、ちょっと……いきなり何するのよ」

「……」

「二人が見てるじゃない……いい加減……離し…………い、イタイイタイッ!」

「ふんっ」

「ぎゃ、あ、アアアッ!」


 メキメキメキ、と四之宮先輩の体が軋む音に、俺と鈴白さんは抱き合ったまま顔を蒼くした。

 音無先輩の熱い抱擁から開放され、四之宮先輩は大地にどしゃりと崩れ落ちた。


「まったくもう……みんな無茶しすぎよ。あたしだけ蚊帳の外で寝てたなんて……。ああもう!」


 がに股でズンズンと進む先輩の先にはあの女が待っている。俺と鈴白さんはその後姿を仔鹿のように震えて見守っていた。


「……やれやれ、これで気が済んだかしら」


 起き上がった四之宮先輩の腕にあった裂傷はいつの間にか癒やされていた。いや違うダメージが深刻に見えるけど大丈夫だろうか、体幹が歪んでますよ。


「けど起こさずに来たのは正解だったわね。これであの子は消耗なしであの女と戦える」

「この状況を想定してたんですか?」

「念の為の策よ。まだ寝てたってことはワイルドエナジーが回復しきってない証拠。だからなるべく万全に近い状態で控えててもらいたかったの」


 体を傷めた先輩が俺の横に腰を落ち着ける。女の子に左右に挟まれるだなんて、充実した状況じゃないか。そう考えられるくらい安心できてるのは、三人の女の子のおかげだ。


「あの子が終わらせるところ、三人で見ていましょう」


 俺と鈴白さんは頷いた。俺たちが正面に向けた視線の先には、敵と正対する先輩がいた。


「お前から死ぬか」

「うっさい! 八つ当たりするからそのつもりでいてよね」


 ベルトの画面を指で弾き、金色の帯が溢れ出す。


「ブレイブ! スタイルチェンジ!」


 光が先輩を包み込む。思ったが、変身する瞬間はみんな何かに包まれてそのシーンを直接見れないんだな。衣装が変わるところを見てみたいが、それは礼儀に反するのかな。

 光が収まり、黒衣と犬耳、赤いマフラーが目立つ魔法少女が現出する。


「噛み砕く牙、ブレイブウルフ! たぁッ!」


 大地に立ち名乗りを上げた瞬間に地面を蹴り、間合いを詰めにかかる。


「速いな」


 だがその間合いを保つため光の槍が狼の侵入を拒む。

 切っ先はウルフの鼻先を掠める、軸をずらし詰め寄るところを横薙ぎの一撃で拒否する。

 深く大地に身を沈め頭上で槍をかわし、地に手を着き脚が振り上げられる。踵が女の顔面を捉えるより早く、槍の柄で受け止められる。

 腕力だけで宙に舞った先輩は上空から弓のように体をしならせ、右拳を握り込んだ。 


「でやぁ!」

「チッ」


 迎え撃つ槍を横から殴りつけ、隙のできた脳天を左の裏拳が強襲する。

 女がそれを左手で受けた瞬間、有り余る二人の力の衝突が衝撃波を起こし土煙を巻き上げた。

 俺が顔を背け再び前を向いた時には、漆黒の狼は後ろに大きく飛び退いて最初の間合いに戻っていた。


「馬鹿力だな」

「馬鹿じゃないわよ!」


 左手を振る女に反論するのは戦士ではなく、少女の顔をした先輩である。

 一瞬の攻防、それは俺の目で追えるものじゃなかった。


「あの……今一体どうなったんです?」

「解説ならあたしより音央ちゃんに聞いて。今の目じゃあの速さは到底追いかけられないわ」

「え、あ、っと、と……わーって避けて、わーって避けられて、ぴょんって飛んで……あうぅ、上手く説明できません……」

「いや! 気にしないでよ」


 シュンとしてしまった。それだけあの二人の攻防は速く、レベルの高いものだったんだ。四之宮先輩と岩石男の戦いは、相手の動きもそう速くなく人の目で追うこともできた。けどこの戦いは、こと速さに関しては一つ二つ次元が違う。

 内容を詳しく知りたいなら後で直接音無先輩に聞くしかないのだろう。


「それより相手も中々やるわね。策を巡らすタイプかと思えば、ウルフの身体能力にも充分ついていけてる」

「強敵、なんですか?」

「あの子が完調なら苦戦する相手じゃないでしょう。今は強敵、と評しておきましょうか」


 大量のエネルギーを消費する技を俺に二回も掛けたせいだ。二日間では、どれだけ寝ても先輩の力の回復には足りてないんだ。


「それって、危ないんじゃないですか」

「大丈夫よ」


 俺の心配を他所に、先輩はしれっと答えた。


「戦いに関する彼女の引き出しはまだまだこんなもんじゃないわ」


 だから安心して見ていられる。横顔がそう言っていた。


「フフ、素手じゃ分が悪いんじゃないか?」


 女が槍を回す。自分の有利を確信している口ぶりだ。


「そうかもね」


 左足を引き、右手を突き出し、腰を落とす。構えを取ったウルフが更にわずか腰を沈め、右足で大地を抉り飛び出した。

 土を爆ぜて飛び出す速さは先程よりも速く、最早俺の目には影としか写っていなかった。

 だが女は破顔する。如何にスピードを上げようと、あの光槍の先が届く範囲には直接踏み込ませないという自信が漲っている。

 薙ぎ払われた槍が先輩の体を捉えた。体にぶつかり止まった槍は、よく見れば腕で受け止められていた。

 交差した二人はそのまま動きを止める。短い沈黙。先に破ったのは顔を曇らせた女だった。


「……何をした?」


 腕で止められた槍が徐々に押し返される。

 いや、違う。槍は狼の腕に触れてはいない。少し離れたところで、空中で止まっている。


「牙を使わせてもらいました」


 黒腕を振る。今度間合いを取ったのは、危険を察知した女の方だった。


「な、何があったんです?」

「よく見てみなさい。あの子の手首、見えるでしょう? 極限まで薄く、強靭に磨き抜かれた狼の牙が」

「あやめさんのエナジーファングです」


 そこには確かに存在していた。薄く煌めく白刃。獣牙のように反った先輩の武器。


「これで五分よ!」


 弧を描く斬撃のリーチは槍より短いが、その分素早い取り回しが可能だ。素手と変わらぬ俊敏な動きで幾重にも斬りつけ、相手を押し込んでいく。

 刃だけじゃない、拳も蹴りも交えた近接戦が、槍のみで迎え撃っていた女を圧倒し、そして、


「ごふッ」


 槍を斬り上げ開いた鳩尾にブーツの先が突き刺さる。決まったかに思えた蹴りだったが、背中の翼を羽ばたかせて後ろに飛ばれたために決定打とはいかなかった。

 それでもダメージは負わせている、腹部を押さえた女は忌々しげな表情を浮かべていた。


「そんなに離れちゃ届かないわよ」

「くっ……お互い様だ」


 距離を置き呼吸を整えるつもりか、女はその場に留まっている。追撃のチャンス、だけど先輩もそこから動かず、だけど不敵に微笑んだ。

「あんな中途半端な距離じゃあ首に噛み付かれるわよ」

 隣で先輩が解説すると、その言葉の通りのことが起きた。

 腕を天にかざす狼が低い雄叫びを上げる。力が込められ、その手首から生える輝く牙が長大に伸びていく。


「てやっ!」


 窪地の半径すら超えるほどに伸長した牙が天を裂き、地を砕く。


「ふざけ――」


 女の台詞すら断ち地に刻まれた傷痕は、窪地を飛び出し公園の地面にまで大きく続いている。

 振り下ろされた一太刀を受け、女は膝をついていた。

 槍で受け止め直撃は避けたようだが、光でできたその刃は見事に切断されていた。


「結局近距離も中距離も間合いになってるのよ。あの子を倒すなら接近戦で打ち勝つか、長距離からの攻撃。どちらかが主な手段でしょうね」


 四之宮先輩が黒衣の少女に人差し指を向け、BANG、と銃を撃つ仕草をしてみせた。

 相手に遠くから攻撃する手段がなければブレイブウルフが勝つ、四之宮先輩のお墨付きだ。彼女らと付き合いの長い鈴白さんは勿論、俺もその勝利を疑わなくなってきた。

 これで俺の巻き込まれた一連の騒動が終わる、そう思った矢先に、高らかな笑い声が聞こえた。


「何が可笑しいの」

「睨むな睨むな。貴様の実力はよく分かった。私では到底及ぶまい」


 女が槍の柄を手放すと、光の粒となって虚空に消えた。得物を手放したことに対し、野生の狼が警戒心を高めたのを感じる。


「だが勝つのは私、死ぬのは貴様だ」


 白刃を消し、身構えるウルフ。後方に控える俺たち三人も、何か起こるのかと注意深く様子を窺った。

 奇妙な音が聞こえる。そよ風が流れる音を表現したような穏やかな音色。だが風なんて吹いていない。

 その音が次第に大きくなるにつれ、発生源が徐々に明らかになる。薄く笑った女の口から漏れる吸気と呼気。不気味な擬音に変貌していく。

 ピクリ。

 狼の頭から生える獣耳がパタパタと動いた瞬間、異常を察して飛び出した。


「それ以上はさせない!」


 大気を裂いて駆け抜ける黒狼に浴びせられたのは、大気を震わす音の塊……声だった。


「――――――――」


 その音色は一帯を優しく俺の耳を揺さぶった。耳辺りの良い慈母の慈愛に満ち溢れた暖かな声は、心地よさの中に凶兆を孕んでいた。


「なんだ、これ」


 頭がぐらりと揺らぐのを感じ、手で押さえた。それは右腕で肩を抱いている鈴白さんも同じらしく、顔色が優れていない。

 と、隣で地面に倒れ伏す音がした。


「四之宮先輩!?」


 俺は鈴白さんから離れ、先輩の体を抱き起こした。眼鏡の奥の瞳は閉じられ、すうすうと規則正しい吐息を繰り返している。

 眠っているのか。


「あれ……なんだか急に……」


 続いて背後で鈴白さんが倒れた。先輩と同じ症状だ、一瞬にして昏倒してしまっている。

 寝かせられたのだ。原因ははっきりとしている、あの女の発した声。

 俺はハッとして敵と対峙していた狼の姿を確認した。そこで俺が見たのは、女の間近に迫っていた獣が膝を折り、大地に手を突いている様子を女が見下している光景だった。


「好い様ね」


 あろうことか女がその後頭部に足の裏を乗せやがった。人の尊厳を踏みにじる振る舞いに俺は歯軋りしたが、彼女が呆気無く肘を折り、顔を地面に踏み付けられる場面を目にし言葉にならなかった。


「なに……した」

「自分の体が一番良く分かっているだろう」


 あんな足、跳ね除けてくれるはずなのに。されるがままの格好が痛々しい。


「おやおや。ヒュプノボイスが通じないとは、奇特な存在もいたものだ」


 ここにいる者の中で異常の見られない俺に気付いた女がこちらに近づいてくる。開放された魔法少女に動く気配は見られなかった。


「あいつが気掛かりと言ったのは貴様のことだろう」


 俺だけが起きていて、こんな状況でどうすればいいのか。思考するのに忙しく、女の言葉に答える暇はない。


「魔力による影響を受けないのか。マーキング、洗脳……精神干渉、催眠波。異常の無効化……」


 考えているのは女の方もだ。それは俺の特殊性についてだった。


「なるほど。そういった攻撃を仕掛ける者には厄介な能力だが……その持ち主が非力な人間なら脅威には成り得んな」


 ここでも俺の無力を指摘される。言われなくたって重々承知してるんだよ、ちくしょう。


「だが成長や研究などされても厄介だ。早々に芽は摘むに限る」


 俺は目を見張った。女が手を伸ばしてきたことなんてどうでもいい。その後方で突っ伏していた音無先輩の姿が、いつの間にか消えている。

 女の顔が激しく振れ、俺の視界の外にかっ飛んでいった。


「はぁ……はぁ……」


 女の代わりに俺の前に立っていたのは、瞼が閉じることに抗う先輩だった。


「君は……護る……」


 言葉を紡いで必至に睡魔に逆らっているようだった。立ってはいるけどフラフラだ。

 それでも腕を叩きつけて女を吹き飛ばし、俺の、オレたちのことを守ろうとしてくれている。そんな先輩の名前を叫ぶことしか俺にはできない。


「アヤメ先輩!」


 俺の言葉が届き切るより速く、飛翔し突貫してきた女の拳が先輩を俺の視界から消し去った。


「貴様ァ! 息の根を止めてやるぞ!」


 目を血走らせ、吹き飛ばした彼女を追撃していく。頭に血が上ったがための大振りな攻撃すら、今の先輩には避けることができていない。

 一撃毎に血が飛び散る。合間に反撃のような素振りを見せるが、そこには先程の勇姿の見る影もなかった。

 俺の目ですら一挙手一投足が追える。傷付く体も、顔も見えてしまう。見ていられなかった。

 思わず顔を背けた俺の頬に触れたのは、四之宮先輩の指先だった。


「……何が、起きているの」

「先ぱ……? 目が覚めたんですか!」


 意表を突かれた。あれほどあっさりと眠りに落ちた彼女が重い瞼を開いて俺に問いかけているのだ。


「急に意識が遠のいたところまでしか覚えてない……」

「あいつの声を聞いて、先輩と鈴白さんが眠ったんです。音無先輩はなんとか耐えてるんですけど、もう……」


 あれじゃサンドバッグだ。四之宮先輩が目にすることが心苦しく感じたけれど、彼女は思いの外平静を装っていた。


「あたしはどうして起きたの?」


 無理に取り繕っているのだろうか、俺には分からない。そしてその質問の答えについても。


「分かりません。俺が揺すって、しばらくしたら目を覚ましたみたいですけど」


 眠そうに目をシパシパさせながらも、先輩は何か閃いたのか口を開いた。


「ちょっと失敬」


 あっと思った時には、先輩の腕が首に背中に絡みつき、ぎゅうっと抱きつかれていた。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ! 先輩!?」


 こんなに先輩との距離が近づいたのは初めてだ。しかも先輩の方から積極的にだなんて、こんな状況だというのにドギマギしてしまう。


「……なるほどなるほど」


 焦る俺には目もくれず、先輩は一人得心したように頷いた。顔を離した先輩が赤い顔をする俺に伝えてくる。


「君の能力はアヤメと同じね」

「え?」

「人に影響を与える」


 つまり、どういうことだ。


「君により近づいた時、眠気が薄れていくのを感じた。強く結びつくことで、貴方の能力が他人へ伝播していく」


 鋼鉄の意志が他人に伝わっていく。先輩が覚醒したのも俺が触れたからか。そういえば鈴白さん、俺が離れてから眠りに落ちていた。

 俺の腕をガシっと掴み、先輩が訴えてくる。


「相沢くん。貴方の力が必要なの」


 俺なんかの力が。


「今彼女は自分のエナジーで辛うじて耐えている。だけど彼女が異常を気にせず戦うために、貴方がその目を覚まさせてあげて」


 アヤメ先輩の役に立つのか。


「でも、音無先輩に触れても、戦って離れたら鈴白さんみたいに影響を受けちゃうんじゃ……」


 四之宮先輩だってそうだ。今はこうして話せているけど、俺がアヤメ先輩の方に行ったらきっと眠ってしまう。

「だからより強く結びつくの」


 方法は分かるでしょう。そう言われて耳打ちされた内容は、俺を動揺させるのに充分だった。


「む、無理ですよ!?」

「やらなきゃあの子が危ないわよ」

「でもそれで完全に覚醒する保証は……そ、そうだ四之宮先輩で試して」

「あたしとしたいの……?」

「違います!」

「……残念ではないけどがっつり否定されると傷付くわね」

「す、すいません」


 先輩はふぅと息を吐いて、笑った。


「彼女を助けてあげて」


 助けたいです。

 先輩たちは俺が日常に戻るのを望んでいるのかもしれない。

 けど俺は、俺にできることがあるならそれをしたいです。

 迷惑かけてしまいます。

 感謝しかできません。

 だから、他にできることがあるならやりたいです。


「恥ずかしいけど、やってきます!」


 四之宮先輩の肩から手を離し、俺は音無先輩の方へ駆け出した。


「ふう……安心して眠れるわ」


 よいしょっと寝る四之宮先輩を背に、一方的に攻め続けられていたアヤメ先輩の元へ急ぐ。


「しぶといな! さっさと死ぬか寝るか!」


 顔を狙う蹴りを防ぐこともできず、頭を跳ね上げて先輩が飛ばされた。


「かはッ……」


 地についた足はもつれ、とうとう地面に横たわってしまった。


「先輩!」


 だがそれは、俺にとってはチャンスだ。二人の距離が開いている、すかさず先輩の傍へ滑り込み、肩を揺さぶった。


「起きてください! あんな奴に負けちゃダメです!」


 口から息が漏れるけど、目はもうほとんど閉じている。顔も肌も傷だらけで、こんなになるまであいつの相手をしていた先輩の姿に胸が熱くなった。


「ハハ、ようやく意識が途切れたか? 随分と手間を取らせてくれた」

「てめえ……!」


 俺は精一杯の怒りを相手に向けたが、涼しい顔でいなされる。俺なんかじゃ、万が一でもなけりゃこいつに傷の一つもつけられないんだ、当然だ。

 けど先輩は違う。


「二人一緒に逝かせてやろうか。サービスだ、破格だぞ。遠慮するな」

「いいや……逝くのはお前だけでたくさんだ!」


 フン、と鼻で笑いやがった。その自信満々な態度、砕いてやる。俺じゃなくって先輩が。

 覚悟を決めた。

 四之宮先輩に耳打ちで受けたアドバイスを思い出しながら音無先輩の首を腕で支え、恐れ多くも先輩に顔を近づけ、唇に。


「む、む、むむむ……」


 やっぱりダメだ! 俺の口は彼女に触れる直前で行き先をほっぺたに変更した。

 これだって、俺が先輩と培ったこの数日の中で一番強く結びついた行為とほぼ一緒だ。工場では先輩にされ、今は俺からしたという違いがあるだけだ。


(唇よ。唇に接吻して君の力をより強くあの子に伝えるのよ)


 四之宮先輩が耳打ちでしてくれたアドバイスを思い返す。唇にさせたかったのはきっとあの人の悪戯に違いない。ほっぺただって充分効果があるはずだ、だって俺はそれで傷が癒えたんだから。


「……」

「せ、せんぱーい……起きてくださーい」

「…………」

「別れの口づけ、でいいんだな」


 女は告げてくる。その表情は些か呆れているようにも見えたが、


「ちょっと待て! 今起きるからちょっと待って!」

「待てと言われて」


 腕を振り上げた。そりゃ待つわけがない。

 最早一刻の猶予もない、恥ずかしがって遠慮した結果やられてしまうだなんて元も子もない。

 俺は意を決し、唇を突き出した。


「ふぁぁ~……」


 顔をぶつける寸前、俺は確かに欠伸を聞いた。ん、と思って開いた目と先輩の目があった。

 瞬間、下顎が消し飛ぶ程の衝撃を感じ、空を舞っていた。

 天高く拳を突き上げた先輩を視界に捉えた時、逝った、と覚悟せざるをえなかった。

 大地にぶつかった俺を介抱してくれる人はいなかった。左右からすうすうと穏やかな寝息が聞こえる。俺も寝たかったが、寝たら死ぬ系の怪我をしている気がする。


「信じらんない! 人の寝込みを襲うなんて……草太くんってば!」

「誤解……誤解です」


 必死に弁明した。文字通り死にそうだったが、言い合う俺と先輩の間に別の声が挟まれる。


「馬鹿な……何故貴様が覚醒できる?」


 その言葉に先輩は女の顔を見、続いて俺の顔を見た。地に突っ伏したまま、グッと親指を上げた。それで先輩も察してくれ、手をポンと打った。


「あいつの力が貴様に影響を与えたというのか?」

「みたいねえ。いや、驚きだわ」

「譲渡、分配……? なんにせよこうなると厄介な能力だ。早急に始末するとしよう」


 女は歩を進め、先輩の横を通り過ぎて俺の方へと向かってくる。それにいち早く反応したのは、ほかならぬ先輩その人である。女の肩を掴み、振り向かせる。


「ちょ、ちょ。なんで無視してくれてんの」

「ふっ、死に損な――」


 女が俺の視界から消え去るのはこれで二回目だ。しかもさっきより高速。強制睡眠の術から脱したとはいえ、傷だらけの今の方が体と技のキレが凄まじくないか。


「草太くん。二人を頼むわよ」


 先輩が親指を立ててくる。頼まれたなら、やらないわけにはいかない。俺は男の子だから。

 深刻なダメージを受けて笑う膝を立たせ、まずは体の軽い鈴白さんへと近づく。彼女を抱いて四之宮先輩のもとへ行き、二人同時に触れるようにすれば二人とも起きてくれるはずだ。


「鈴白さん、大丈夫?」


 すぐには起きない彼女を腕に、四之宮先輩に近寄る途中で、狼と女が対峙しているのが見えた。女の顔には焦燥の色が濃く浮かんでいる。


「なんだ……なんだそのパワーは! 死に体だった貴様のどこに隠していた!?」

「はぁ? 別に隠してないけど? 眠いのに対抗するためにワイルドエナジーのほとんどを精神防護に用いてたから力が出なかっただけだし」

「なに……?」

「それでも睡魔は強いしもうフラフラだったけど。彼のおかげでバッチリ目が覚めた」

「眠かった、だけだと……私の攻撃を喰らいながら、お前はただ眠かっただと」


 顔を左腕で拭うと、先輩の顔は自信に満ちてて、かっこよくて、綺麗で。

 人差し指を突き立て、不敵に笑い、宣言する。


「あの子たちには、もう指一本触れさせない」

「……ふざけるなよ。私はまだそいつらに、指一本触れてはいないんだぞ!?」

「あっそう」


 女の顔面ど真ん中に先輩の縦拳が直撃し、吹き飛ばした背後から体を蹴り上げる。

 風のように疾く稲妻のように鋭い動きは、俺の目では追えない動きに戻っていた。


「取り敢えず、やられた分はきっちり返しとくよ」


 跳ぶ狼、撃ち落とされる天使。その羽根は土埃で薄汚れ、体はふらついている。

 対して降り立ったブレイブウルフはエナジーに満ち溢れている。勝敗は明らかだ。

 腕の中に抱く鈴白さんの息遣いが変わる。彼女もようやく目が覚めた。あとは四之宮先輩を起こすだけだ。それが済めば、俺にできることはもう何もない。

 四之宮先輩に触れた時、女の乾いた笑いがその場に木霊した。


「結局、相手の力を見誤ったクズだったのは私もか。まあいい」

「よくないっての。これで終わらせる」


 ウルフが腰を落とす。右腕に力を集中し決める体勢に移行したと直感した時、相手もまた様子を変えた。


「……」


 それは聞き取れないほど小さな呟き。寝ぼけ眼の鈴白さんとまだ触れたばかりの四之宮先輩には聞こえていない。だけど獣の聴覚を持つウルフには聞こえているはずだ。


「何を唱えてるの?」


 その彼女にも言葉の意味は通じていない呪詛。そして大地が揺り動く。


「くぅ……!」


 気を取られている場合でないと判断を下し、先輩が一足で飛び込もうとする、その軌道にそれは現れた。


「ブウウウウゥゥウレイ!ゴグウウァアア!!」


 ひび割れた巨岩が地を裂いて姿を現す。朽ち果て、最早立つこともままならぬ体であるが、それは間違いなく先程四之宮先輩に腕を砕かれ、消し飛ばされたはずの岩石男である。


「ワレ、ワレワレワワアワワワ、ダ、ダガ!!」


 だがその様子は常軌を逸している。唯一動く左腕を駄々っ子のように地面に叩きつける様は、敵ながら武人然とした平静さを装った口調の者とは似ても似つかない。


「なんだありゃあ」

「あの人……泣いてます」


 変貌ぶりに驚愕する俺の右腕の中、同じくその光景に驚き起こされた鈴白さんが呟いた。


「反魂の術、ね」


 左腕には、今起きたばかりで状況を直ぐ様把握している四之宮先輩が俺たちに教えてくれる。


「未練を残して散ったあいつの魂を、あの女が無理矢理その声で引き戻したのね」

「そんなことが!?」

「声に魔力を乗せれる者なら、その力で死者蘇生の文言も使いこなすことができるでしょうね。けど、これは……」


 四之宮先輩も異常にすぐ気付く。あいつと手を合わせ、最後を見届けたのは彼女なのだから。


「少なくともあいつはあの時穏やかに自分の消滅を受け入れたわ。あの女はそんな最期を冒涜したに等しい」


 奴の最期を見送ったからなのか、先輩の言葉はそいつに肩入れしている。鈴白さんも、そんな相手の心情を多感な心で受信しているようだ。

 ブレイブウルフは岩石を纏う巨躯と対峙してはいない。だが、何のためにこいつが呼び出されたのかは向かい合う彼女が一番理解している。

 犬歯が覗くほど食いしばる狼の胸中は如何ばかりか俺には推し量れない。ただ分かるのは、先輩は全力であいつに挑んだという事実だった。


「エナジー……ストラアァッィイク!!」


 渾身の一撃は駄々をこねる赤子の頭部に苦もなく届く。迎撃など考えてはいない、ただ己の未練を口惜しく、呪いのように喚いていただけの相手だった。


「ここはお前の居場所じゃない……闇にお還り」


 諭す声。それは呪いの言葉に焦がされていた心を救う一滴の水。波紋のように広がる青い光がその身を包み込み、体は土へと還っていく。


「……礼を言う」


 言い残し、光とともに完全に消え去った岩があった所へと先輩は立っていた。その全身は小さく震え、戦慄いている。


「お前は……仲間の命を!!」


 見上げた先には倒すべき存在がいた。だがそいつは既に狼のの攻撃では届かぬ高みへと舞っている。


「仲間……違うな、駒! 私のためにだけ組んだ! 死んでから役立つとは情けない奴!」


 今までにない程アヤメ先輩が怒っているのがビシビシと伝わってくる。比喩でもなんでもなく、空気そのものが弾けている。


「どれだけ怒ったところで、貴様にはもう手も足も出せまい! そこで大人しく見送るがいいさ」


 奴の言う通り、アヤメ先輩どころか俺にできることすらもう何もない。できることはすべてやったのだから。そして、俺にできないことをできる人がここにはいる。


「今です!」


 鈴白さんの掛け声と同時に女の足と羽根に棘だらけの蔦が絡みつく。


「何を!?」


 驚愕し見下ろす女の瞳には、俺たちの隣にいる四肢と背中から蔦を伸ばす茨の精霊、拘束を得意とする少女の姿が見て取れただろう。

 岩石男に抵抗され傷だらけになった蔦だが、逃げようとするほど消耗した女を拘束するには充分だ。

 鈴白さんは賢い女の子だった。俺が何も言わなくても、起きている自分がすべきことを悟って、ステッキを振るい茨の女王さまを呼んでくれたのだ。


「そのまま引きずり下ろして!」


 言葉に従い茨の鞭が女を地面に叩きつける。あれだけ強かに打ちつけられればもう体の自由は効くまい。


「先輩!」

「わたし達の……あの人のやられた分」

「きっちり返してあげなさい」

「――応ッ!」


 もう止めるものは何もない。電光石火の握撃が地に堕ちた天使の頭部を掌握する。


「こんな……貴様ら、などに」

「あんたには仲間がいなかった……それが敗因」


 そのの声に呼応するように青い雷鎚が迸る。


「エナジー」

「貴様らなどに、このわたしが、敗けるはずが!」

「ストライク!!」


 必殺の技を叩き込まれ、断末魔の叫びとともに女の姿はその場から消え去っていた。光が収まり、戦い終えた戦士の怒気と闘気も拡散していくようだった。


「せめて、同じ場所へ逝って詫びるのね」


 もう俺が手を離しても大丈夫だ。俺たち三人はゆっくりと音無先輩に近づき、周りを囲んだ。


「終わったわね」

「まったく。あんたも音央ちゃんも草太くんも揃いも揃って無茶して!」

「あうう……すみません」

「で、でも二人のおかげで俺も無事だったんだし、結果オーライですよ!」

「そうよ。それに彼がいなかったら、貴女あのまま眠りこけてたでしょ」

「そりゃそうかもしんないけど……」


 釈然としないながらも先輩はスマホ、続いて鈴白さんがステッキを仕舞って変身を解く。それでようやく、本当に全部終わったんだと実感した。


 そして俺は分かったことがある。俺がいると先輩たちにたくさん迷惑をかけてしまうこと。そして俺がいるから先輩たちにできることがいくつかあること。

 真神店長の言葉を思い返していたところに、その人の声が遠くから聞こえてきた。


「オーイ! みんな、無事?」


 ハァハァと息と胸を弾ませてくる店長は、目にした光景に頭を抱えていた。


「ギャー! 備品のテーブルと椅子が全部壊れ……ちょっとこんな大穴開いてたらお客さん来れないでしょうが!?」

「「「「私たち(俺たち)のせいじゃありません」」」」

「もう何よそれぇ……」


 全員でハモったのを見て泣き崩れる店長に、俺たちは自然と明るい笑い声を上げていた。

 異常は怖い。日常は大切だ。けど異常の中でも過ごせる彼女たちとの日常も、大切なものなんだ。

 そして全てを終えたと思い笑い声を上げる俺たち学生は、激戦の跡地に黒い情報端末が落ちていることに誰一人気付いていなかった。

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