一つの苦悩
ボランティア倶楽部の部員の中で一野聖だけが違う町に住んでいる。
そのことを不都合に思ったこともなければ、わざわざ改めようと考えたこともなかった。
双葉明が転校してくるまでは。
平日にこなせなかった洗濯物や部屋の掃除を終え、昼食の食器も洗って片付けたところでようやく一息ついていた。
部屋着は男の時のものをそのまま使っている。部屋着だけでなく私服もそうだ。
変わったのは下着とシャンプーと洗顔料くらいのものであった。
畳敷きの居間で敷布団は隅に寄せられ、ちゃぶ台が占領していた。
聖はぺらぺらな座布団の上に胡座をかき、ちゃぶ台の上に置いた己の変身アイテム、ユニコーンデバイスに視線を落としていた。
今考えていることは先の転校生、双葉明のことであった。
聖と明は対を成す力を手にしている。
一角獣と双牙獣。ユニコーンとタウラス。エストルガーとアステリオー。
好敵手という間柄と呼べるし、聖自身も相沢草太に明との関係を訊かれた際はそう答えていた。
だが聖が明に抱く感情は、そんな言葉で語り尽くせるものではなかった。
「……」
聖がユニコーンデバイスに軽く触れると、音声が再生される。
デバイスの機能ではない。後から組み込まれたシークレットメッセージである。
『……じり。君がこのメッセージを聞いているということは、ユニコーンの力を引き出せたのだろう』
それは女性の声である。その声を懐かしむような表情を浮かべて聖は耳を傾けていた。
『そして私は既にいないはずだ。生きていたらこんなメッセージは消しているから』
これは聖が草太の力を借りて、ユニコーンデバイスの能力を引き出すことができたあの日に流れたメッセージであった。
『別に死を覚悟したから遺言を残すわけじゃない。万が一があった際に君に大事なことを伝えておく必要があるからだ。もし何らかの誤作動でこのメッセージを聞いてしまっているなら……後で笑い話にしてくれ』
ふっと笑いを孕んだ声であったが、聖は笑うことなどできない。
女性に万が一の事態が起き、メッセージは事実上の遺言として残されていると、聖にはそう思えていたからだ。
『さっきも言った通り、このメッセージを聞いているからにはユニコーンの覚醒が上手くいったのだろう。正直なところ、君には難しいと思っていた。だが君ならやってくれるかもしれないという期待もあった。期待に応えてくれて嬉しいよ』
覚醒が成ったのは聖一人の力ではない。手を貸してくれる友人がいたからだ。
『しかしその反動で君の身に思いもかけぬ事象が起きているはずだ。なのでこのメッセージが終了した時、君が生活していく上で必要となる手続きの変更は自動で行われるようにしてあるから心配はしなくていい』
そのおかげで思っていたよりすんなりと学校には復帰できた。あとは実生活での慣れが不十分な点もあるが、そこは当人の努力次第だと彼も理解している。
『……勿論それも、私が君の傍にいられなくなった時のための……何を言ってるんだろうな。君がこのメッセージを聞いているというのはそういうことなのに、いちいち言う必要もないのに』
そこで一度ノイズが入る。恐らくは音声の録り直しを行ったのだろう。
『聖。君と明の間柄については私も重々理解しているつもりだ。黒十字を途中で抜けた私には、クロスクロイツが君たちの力を如何様に利用するのか、見当はつけども確信はできない。不確かな憶測で君を混乱させるわけにもいかない。だがこれだけは言える。君と明、二人が協力して初めて黒十字を討ち倒すことができる。思うことはあるだろう、辛い記憶もあるだろう。だが君なら、君たちならそれを乗り越えていける。そう確信している』
黒十字を逃げ出した聖を助け、育ててくれた恩人の言葉。
マガツ機関がある人工島上でクロスクロイツ……現ローゼンクロイツと戦った際、一時的に明と共闘する形になったことを聖は思い返す。
不本意であったし、何より二人がかりでもローゼンクロイツに傷を負わせるだけに留まった。
だが手応えは感じていた。まだ力不足ではあるが、恩師の遺した言葉の通り、二人ならローゼンクロイツを倒すことも可能かもしれない。
そう思ってしまうことで、一野聖の双葉明を拒む心が薄らいでいたのは否めない。
双葉明が転校してくるまでは、だ。
彼が聖の学校生活というプライベートな部分に大きく接近してきたがために、薄れかけていた聖の拒否反応は殊更に強くなった。
憎悪に近い感情である。
その想いを抱くだけの理由が、聖にはあった。
『最後に……』
何かを伝えようとした恩人のメッセージはそこで途切れた。無理矢理デバイスに後付された再生システムの不具合か、録音時の不具合かは定かではないが、その言葉が聖の聞くことができる、彼女の最期の言葉だった。
「…………無理ですよ」
デバイスに遺されたメッセージを聞き終えてしばし沈黙していた聖であったが、ようやく彼女の言葉に返事をした。
幾度そのメッセージを聞いても、彼女の言葉に対する返事はいつも同じであった。
「貴女を殺した相手と仲間になるなんて、僕にはどうしてもできない」
何も応えぬデバイスだけが、聖の返事を黙って聞いていた。




