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魔法少女の奉仕活動  作者: シイバ
魔法少女の奉仕活動~一学期後半~・Ⅰ
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少女の休日

 九条玲奈が未だにベッドから出ないのは朝に弱いから、というわけではない。休日の朝だからダラダラと過ごしているから、というわけでもない。

 一週間ほど前に彼女が暮らすマンションが建つマガツ機関の敷地内で大変な事態が起きてしまった。一人の青年が暴走し、マガツ機関内で悪夢を起こそうとしたのだ。

 幸いにも悪夢が起きる前に鎮圧された。人的被害は倒壊した建物の下敷きになった者など少数は出てしまうことになったが、引き起こされそうになった事態の規模からすれば、かなり小さく抑えられていた。

 そして彼女も被害者の一人である。今は無き魔製道具研究センターに所属していたスペシャライザーであり、精神や感情を操られており青年の暴走に加担させられていた。

 玲奈や魔道研のメンバーを咎める声はほとんどなかった。なにしろ所属していたほぼ全員が魔道研の部長であり暴走した張本人である宇多川健二によりある種の洗脳を施されていたからだ。

 そのため、魔道研にいた者の多くは自宅療養やカウンセリングを受ける羽目になっていた。

 九条玲奈も今日はカウンセリングの予定が入っていたのだが、時間になっても出かけようとはしなかった。そもそも、あの日から自宅に帰って以降一度も外には出ていないのだ。

 それほど、彼女の中であの日の出来事はショックなものであった。

 彼女はその手で大切に想っていた友を刺したのだ。その感触は今も生々しく残っている。

 感情を操作されていたとはいえ忘れられるものではない。友が無事だったとはいえ許されるものではない。

 自分で自分を厳しく戒め、貶し、蔑み、それも原因となり玲奈はずっと床に伏していた。

 時折鳥カゴにいる鳩のポポに餌や水を与えるだけで、自分が何かを口にすることはなかった。このまま何もせず消えてしまいたいと、後ろ向きな感情がずっと渦巻いていた。

 しかしそんな彼女をつなぎ止めていたのは、同じ部屋にいるポポの声。

 カーテンを閉め切り太陽の光を遮る薄暗い寝室、頭まで被った布団の中でゆっくりと目を開いた。

 そろそろ餌をあげませんと。

 言葉に出す力さえない。もうすぐ消えてなくなることができるのではないかと、栄養の補給を全くしていない頭でぼんやりと考えていた。

 ポポのため、どうにか布団から這い出す気力を振り絞る玲奈の耳に、遠くから一定のリズムを刻む幻聴が聞こえてきた。

 タンタンタンという軽快な音。それが幻聴ではないと気付くと、玲奈はゆっくりと布団から這い出した。

 ふらつく体を壁で支え、何日かぶりに部屋の扉を開いた。

 まだ家の中にもかかわらず、久しぶりに外の世界に踏み出したような心境を抱く玲奈の耳に、より鮮明な音が聞こえ、そして食欲をそそる濃厚な香りが鼻に飛び込んできた。

 誰か居るのかしら。

 玄関を施錠していたので普通は誰か入ってくることはありえない。まずは疑って進むべきではあるが、今の彼女にそこまでの思考能力はなかった。

 ただ匂いと音に誘われるままダイニングへと赴き、普段使うことのないキッチンに顔を覗かせた。


「あ、起きちゃった? ってひどい顔ね!? 大丈夫……そうじゃないなあ」


 お玉を片手に玲奈の様子を気遣ってくる彩女の姿に、幽霊でも見たかのように目を見開いて驚いてしまう。壁がなければその場にへたり込んでいたことだろう。


「あ……あ……」


 その名を呼ぼうにも数日間言葉を発することのなかった喉から声が出なかった。


「ずっと寝込んでたんでしょ? 無理しないでいいから、取り敢えず座って」


 料理の手を止めた彩女は玲奈の体を支え、ダイニングに一つしかない椅子に座らせる。体に力の入らない玲奈はされるがままである。


「あう……」

「はいはいもうご飯の用意出来てますからお出ししますわよ」


 そう言いたいのではないが、言いたい言葉が出てこない。想いは伝わらぬまま彩女はキッチンへと戻り、料理の仕上げに取りかかった。


「お待たせー。食べやすいように薄味にしてみました」


 そう言われて玲奈の前に差し出されたのは、小さく刻まれた野菜の入った透明に澄みきったスープに、卵でとろみを足されたお粥であった。


「もうちょっと精のつくものにしようかと思ったんだけどさあ。ここ数日外に出た様子がないって管理人さんが教えてくれて……あ! ちゃんと神木さんとか管理人さんには許可もらったとはいえ勝手に上がり込んじゃってゴメンね」


 手を合わせて頭を下げられるが、彩女に言われるまでどうやって彼女がここに入ってきたのかを疑問に思う思考もなかった。

 ようやく、どのような理由で彼女が同じ天井の下にいるのかを不思議に思い始めたが、それを遮るように彩女は手料理を勧めてきた。


「はいレンゲ」


 彩女が柄を向けて差し出してきたので、玲奈は腕を上げて受け取ろうとし、力の入らぬ指はレンゲをポロリと取り落としてしまった。


「あう……」


 彩女は何も言わずにレンゲを拾い上げると、流し台の水道でそれをすすいで戻ってきた。

 座る玲奈の隣で腰を屈めた彩女は手にしたレンゲでスープを少量すくうと、冷ますためにふうふうと息を吹きかけた。


「熱くはないと思うんだけどねえ。念のため……はい」


 玲奈の眼前には温そうに湯気を上げるレンゲが迫り、あっさりとした香りがすぐそこから発せられていた。

 いつぶりだろうか、彼女の喉が何かを求めるようにこくりと鳴り、ゆっくりと口を開いた。


「あーん」


 と言って口に注がれたスープ。澄んだ色と匂いに相応しく、抵抗なく飲みやすい風味が舌の上に広がり、玲奈は久方ぶりに味のあるモノを口にした充足感に満たされていた。


「こふっこふっ」

「あわわ、飲ませすぎちゃった?」


 飲み食いを忘れていた体に、彩女の手料理はいささか刺激が強すぎた。咳き込んだ玲奈の身を案じた彩女は、更に狼狽えることとなった。


「うぎゃあ! 泣くほど美味しくなかった!?」


 顔を窺った玲奈の瞳から、涙が一滴零れ落ちていたからだ。


「あ……違うんです」


 たった一口のスープが玲奈の乾いた心と体を潤し、ようやく言葉らしい言葉を口から発することができた。

 彼女を満たした潤いは感情を揺さぶり、あの日以来屍のように停止していた玲奈の時間を押し進めた。目の前の友人を傷付けてから流れることのなかった涙を流したのは、その第一歩である。


「嬉しかったり……申し訳なかったり……。お礼を言いたい、謝りたい……どうしていいか分からずに」


 友を前にして涙とともに溢れた感情はまとまりなく脳裏を駆け巡り、自身が何をしたいのかが全く判断できなくなっていた。

 だからただ涙を流すしかできずにいた玲奈の頭を、彩女は優しい手つきで撫でた。


「謝るのはあたしの方さ。九条さんが大変な目に遭っていたのに、あたしは自分のことしか考えてなかった……カリンのことしか考えられなかった。違う高校に行って、疎遠になって……それでもこの間会った時は友達ヅラして結果はあれ。怒られても、責められても仕方のないと思ってビクビクしてたんだ。本当は」

「怒られるのは私の方……。自分が弱かった、から……カリンさんや貴女を傷付けて」

「あたしもカリンも何とも思ってないよ。ただ……また、九条さんと一緒に遊んだりしたいな」

「遊んでくれますか……?」

「もちろんさ」


 そう言う彩女の顔を見上げ、玲奈は顔をくしゃくしゃにして彩女の胸に顔を埋めるのだった。


――――――


 玲奈に食事をさせると、彩女はソファに彼女を座らせて髪を梳いていた。


「来週にマガツ機関へ来る予定でしたの?」

「そ。試験終わったら来てってさ。多分試験最終日の午後にそのままじゃないかなぁ……まだ正確な連絡がないけど」


 流れるように美しいはずの黒い長髪は、手入れを怠っていたためにすっかり傷んでいる。普段は自分の髪のケアは適当に行う彩女であったが、こと玲奈の髪を扱うにあたっては彼女らしからぬ丁寧で慎重な手付きを心掛けていた。


「でしたら、私に会いに来るのなんてその時でよろしかったのに……」

「すぐに会いたかったんだよ。こんな状態だったんだから、それで正解だったし」


 彩女は自分の身を案じて会いに来てくれた。そのことが嬉しくもあり、心苦しくもあった。大切な友達を心配させてしまったことに、ちくりとした痛みを胸に覚えた。


「それに今日、誕生日でしょ」

「あ……覚えていてくれたのですか?」

「思い出したのはつい最近。貴女に同じ月が誕生日って言われた後だよ」


 寝たきりであったため自分ですら忘れかけていた。

 なのに彩女はそれを思い出して会いに来てくれたのかと考えると、また目頭が熱くなるのを感じた。


「誕生日おめでとう、九条さん」

「ありがとうございます……アヤメさん?」


 心の弱っていたところにお祝いの言葉を述べに来てくれた友に対し、玲奈はワガママを言いたくなった。甘えたかったのだろう。


「何?」

「そろそろ名前でお呼びしてくださいな」

「下の名前で?」

「ええ。私だけずっとアヤメさんとお呼びしているのに、それでは不公平ですわ」


 玲奈の言葉に、彩女を顔をしかめてうぅんと唸った。


「もしかして……嫌?」

「そんなわけないよ。ただ、これまで九条さんはずーっと九条さん! って感じだったから九条さんって呼んでたから。呼び方を変えたら違和感すごそうだなあって」


 髪を梳きながらそんなことを口にする彩女に対し、玲奈はくすくすと笑った。


「そんなものすぐに慣れますわ」

「そうかもしんないけどね。く……コホン、玲奈……は、いつからあたしのこと名前で呼んでたっけ?」

「そうですわね……割りとお会いしてからすぐに呼び始めた気はしますけれど」

「そうだったっけ?」

「ええ。貴女のこと、好きでしたから」


 素直な好意。照れくさいが悪い気はしていないらしく、彩女ははにかんだ笑顔を浮かべていた。


「あたしも好きさ。嫌いなわけないじゃん」

「知っていますわ」


 静かに笑い合い、二人だけの時間をのんびりと過ごした。


――――――


 用事を終えた彩女は、玲奈とまた来週ここへ来た時に会おうと約束を交わして彼女の入居する部屋を後にした。

 外廊下に出た時、隣の部屋の戸の前に立つ人物に気が付き、声を掛けた。


「ここまでの行き方を教えてくれてありがとう、明くん」

「別に。俺は何もしてない……です」


 腕を組んで自分の部屋の扉に背中を預ける明は、ぶっきらぼうにそう言った。

 明がマガツ機関の入居施設の世話になっていると聞いた彩女は、昨日の帰りにここまでの道のりや入り方を教えてもらっていた。

 流石に鍵の掛かった玲奈の部屋に入る手段はなかったため管理人と話をしたところ、管理人がマガツ機関所長の神木夜代に確認を取って鍵を預けてくれたのだった。


「君が教えてくれなきゃ、一人で来ようって思えなかったかもしれない。だから、ありがとう」

「二回も言わなくていい……です」


 ぷいと顔を背けた明は、そのまま自室の扉を開けた。


「また学校でね!」

「はい……です」


 終始ぎこちない受け答えをしていた明は姿を消し、彩女もマンションを後にした。

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