魔法少女と決意
尻もちをついた俺の眼前には窪地と化した大地の淵が迫っていた。あとほんの僅かこれが迫っていれば、自分と車はこの窪みに呑み込まれるところだった。
円状に凹んだ地面は地層が露わとなり、その中心点には両拳を絡めて大地に叩きつける姿勢を取る岩石の姿があった。
「鈴白さん!」
さっきまで立っていた辺りに鈴白さんは倒れていた。純白の衣装は汚れ、肌にも傷が刻まれている。
今すぐ駆けつけたかったのに、足腰に力が入らない。地震の影響か、それとも心底にその威力と恐怖を刻まれたせいか、体が言うことを聞かない。
「あの程度で吾を止められると思ったのなら心外だ」
ズズ、と音を立て巨躯が身を起こす。奴を拘束していた茨は既にその場にいない。魔法陣も消え去っていた。
「それともあの攻撃以上の手段はもう持たぬか……ならばもう終いだ」
「う……うぅ……」
震源地の間近にいた彼女の体は俺以上に自由が効いてない、敵が近寄っても立ち上がれない
「クエェッ!」
「……!」
傷を負いながらも上空に逃れていた龍と月のコンビが彼女を守ろうと立ち向かうが、ただの腕の一振りで吹き飛ばされ、その先に光輪が浮かび上がると吸い込まれるように消えていった。傷付きすぎてその場にいられなくなったのか、茨の鞭の持ち主も同じ理由で消えてしまたのかもしれない。
二匹が存在しなくなり、いよいよ鈴白さんを守る仲間は何もいなくなってしまった。
「はぁ……はぁ……」
俺だって動けない。だから彼女を助けに行くなんてできない。あの二人の間に飛び込んだところで、俺にできることなんて何もないんだ。
「愚行だな。本来ならば遥か後方で指揮を執るべきが、小僧一人のために吾の前に立つからこうなる」
――俺のせいか。彼女が今にも討たれようとしているのは俺がいたからか。俺がここに残らずに逃げ出していれば、今よりマシな結果が訪れていたのか。
俺の判断ミス。俺のせい。俺が原因。元凶。
工場での記憶がまたも脳裏を激しく揺さぶる。大勢の人の顔が、メロン先生の顔が、委員長の顔と痛々しい傷が病床となり心を蝕む。
――君が気に病むことじゃないよ。命懸けなのはお互い様。
そうだ、悪いのは俺じゃない。いきなり暴力で襲い掛かってきたあいつらの方に決まってる。
――中園さんを助けたんでしょう? かっこ良かったわよ。
けどだからって、それが今彼女を助けに行かない理由になんてならない。助けに行けないのは、俺が弱っちいからだ。
「動けよ……俺」
足を叩いても言うことを聞きやがらない。怖気づいた心が、助けたいという微かな思いを踏みにじり体を支配している。
「くそ……くそっ!」
悔しい。やっぱり先輩たちみたいに力が備わっていない自分の無力さが情けないほどに悔しい。女の子が傷付けられるのをへたり込んで見ているしかできないだなんて。
地面に手を付き悔し涙が溢れそうになる俺の指先に、紙切れがクシャリと触れた。
それはズタボロになっているが、真神さんが襲撃の前に見せようとしてくれた用紙だった。綺麗な文字でいくつかの名称が箇条書きされている。
俺のために考えてくれた名前。どれもこれも俺には相応しくない大層でカッコつけた名前。
その中の一つに目が留まった。今の俺に欠けているものを突きつけられた。
――わたしだって、あやめさん達と同じ、みんなを守る魔法少女なんですから!
先輩たちがそうしてくれたように、彼女もまた俺のことを守ってくれた。俺にできることがしたい。真神さんの与えてくれた名前の一つが、ほんの少しだけ俺の意志を後押ししてくれる。
――彼女たちにたくさん助けられて、たくさん感謝してあげなよ。
今が感謝の意志を助けてくれた子に伝える時なんだ。今伝えなきゃこの先ずっと彼女に心からこの気持ちを伝えられない。
俺の想いは既に鈴白さんのもとに到達していた。それに遅れること数秒、さっきまで言うことをまるで聞かなかった体は窪地を駆け下り、想いに追いついた。
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
少しの距離を走っただけで呼吸がすげえ乱れてる。外から見れば普通の人間がこんな異常の塊のような奴の前に両手を広げて立っている光景なんて自殺行為もいいところだろう、俺も冷静な部分じゃそう思うし呼吸くらいおかしくなって当然だ。
「お兄……」
「しゅ、ハァハァ、鈴白さん。助けてくれてありがとう。すげえ嬉しかったよ」
いきなり言われて、彼女は混乱してるだろう。疲弊してなかったら、何で飛び出してきたんですかあって非難されてもおかしくない。
それでも俺は彼女に感謝したかったし、こうして助けたかった。
「小僧。一体どうした」
困惑してるのは背後の鈴白さんだけじゃなく、眼前にそびえ立つ壁のようにでかい奴もらしい。近くで見るとこんなにでかかったのか、恐ろしくて脚が震える。
「どうしたもこうしたもねえよ! 彼女を守ってるに決まってんだろ!」
半ばやけくそ気味の怒号を口にし、それは相手の耳に届いているはずだが、そいつはしばらく無言だった。聞こえなかったわけないけどなと思っていると、首を捻る動きをしたように見えた。
「分からんな。守られる立場のお前が守るなどと」
ズン、と一歩踏み寄られる。おっかねえ。
「退け」
「退かねえ!」
左頬が弾け、衝撃で膝が崩折れた。口の中が熱い、顔の穴という穴から血が吹き出しそうだ。
奴は指一本で俺の頬を打っただけにすぎない。それだけで涙が出るほどの激痛だ。
「己がどれほど脆いか分かるだろう。大人しく退け。弱者に興味はない」
「退かねえって……言ってんじゃん」
血とともに言葉を吐き出す。
「痛くないのか?」
「痛ってえに決まってんじゃん! 最悪だよこの馬鹿力野郎!」
「本当に分からん奴だ。今は見逃すと言っているのだ、普通は退くぞ」
いちいち警告してくるだなんて、こいつは意外と優しい奴じゃないか。思わず笑みが溢れてしまい、それを誤魔化すように口の端から流れる血を手の甲で拭った。
「普通はな、女の子を守るのは男の役目なんだよ!」
「お兄さん……」
まだまだ体の自由が効かない鈴白さんがいる。そんな彼女を置いて一歩でも動くだなんて、意志を固めた俺はしたくない。
「それは女児ではない。スペシャライザー、魔法少女だ」
「だったら俺もスペシャライザーだ! 普通でここに立てねえってんなら普通なんて辞めてやるよ!」
俺は胸を叩いた。ここには真神さんから名前をもらった力が宿っているんだ。自分という存在を魔法からの影響を受け付けずに確固たるモノにしているという意味で与えられた名前。
「それにな、お前の貧弱な石っころでの攻撃なんかじゃ俺の“鋼鉄の意志”は絶対に砕けねえ、絶対だ!」
俺に足りなかったのは覚悟を決める強い意志。
委員長を助けようとしたあの時にはなかった迷わない気持ち。
後悔したくないから自分にできることを模索していたさっきまでとは違う。
鈴白さんを守るためにここに立っていることに後悔なんてない。今なら笑ってこいつの攻撃を受けてもいい。
「……もうよい。死期が早まるだけのこと。その意志が砕けぬのなら吹き飛ばすまで」
豪腕が振りかぶられる。笑ってられるのは恐怖が麻痺してしまったからかな。それでもいいや、怯えた表情でぶっ飛ばされるより断然マシだ。
「その選択を後悔して死ぬがいい」
「だから……後悔なんてしないっての!」
瞳を閉じて、自分の選んだ道と運命を受け入れた。




