魔法少女と転校生
あれから数日が経ち、俺はというと聖に手を引かれて登校していた。
「あのなあ……この前も言ったけど、わざわざ俺の送り迎えなんてしなくっていいんだぞ?」
「この前とは事情が違うだろ? 明の件は終わったようなものだし、僕や先輩たちが心配してるのは君の目の方さ」
「もう大丈夫だよ。見えるようになったし」
あの日は確かに視力はゼロになった。けど次の日には、少しではあるが見えるようになっていた。
「これは何本?」
聖は俺から手を離して少し離れたところで指を立てたようだった。残念ながら、今の俺の視力じゃほんの数メートル先の指の本数さえはっきりしない。これ以上視力は戻っていない。
四之宮先輩に全ての力を振り絞った代償なのだろう。あれ以来、エンブレムアイで皆の紋章を視ることはできなくなっていた。おそらく、アイアンウィルそのものが消えてしまっている。少し傷が付いても、先輩の治癒であっという間に癒やされてしまったのは確認済みだ。
力を失い、視力も失った。でも代わりに四之宮先輩に巣食う魔女は彼女の内の最奥に堅く封じ込められている。アイアンウィルが蓋をしているのだろう。
エストルガーの力を借りたために一時的に女性的な体になりはしたが、今は元通り男だ。聖には、早く僕も戻してよとせっつかれるが、力を失い普通の男子高校生となった俺にはどうしようもない。
音無先輩は膨大な力を放出した反動で、今はワイルドエナジーの充填期間中である。戦いが必要な活動は今のところないけれど、あった時は聖と、そして四之宮先輩が対処することになる。
魔女が先輩の中から消えたわけではない。だから俺たちは先輩が変身することには反対だったが、大丈夫だからと言って聞かない。今は状況を整理する期間が必要だ。
期間が必要なのは俺たちだけじゃない。マガツ機関という組織も、今非常にごたごたしているらしい。マジカルシェイクに行った時に真神店長がそう教えてくれた。
来週から一学期の中間試験がある。落ち着くには丁度いいタイミングである。
と同時にそわそわとテスト範囲の勉強に追い込みをかけなくてはならず、言う程落ち着けるわけではない。
「聖、放課後部室行くか?」
「そうだね。勉強するにはいい環境だし」
教室に着くと放課後の確認をし、自分の席にカバンを置いた。
「おはよう委員長。ノートありがとう」
カバンから取り出した三冊のノートを隣の席の委員長に返却した。
「おはよう。役に立った?」
「バッチリ。ホント悪いね、テスト前だっていうのに。委員長も勉強しなきゃまずいのにさ」
「ううん。昨日は他の教科を勉強したから。今日はまた別のノート貸そうか?」
「そりゃありがたいけどさ……そこまで甘えていいの?」
「うん。気にしないで」
委員長は笑ってくれていると思う。隣の席の人の顔も朧気な視力は早急にどうにかする必要があった。
「悪いね。テストまでにはメガネ調達しようと思うから……それまで、板書したノートよろしくお願いします」
俺は委員長に手を合わせて頭を下げた。
一番後ろの席からじゃ黒板の文字なんて全然見えないので、こうして委員長にノートを借りていたという次第だ。テスト前なのに貸してくれる彼女の度量には感謝してもしきれない。
「ね、ねえ……メガネが欲しいなら、その、私が」
「はいおはよう。皆席に着け」
委員長の声を遮って教室に響いたのは、メロン先生の声だった。同時に朝のホームルームを知らせるチャイムが鳴り響いた。
「メガネ屋さんの話?」
「う、うぅん……いいの」
委員長の話が打ち切られてしまった。メガネ屋さんなんてどこにあるか知らないし、教えてくれるのならそこに行っても良かったのだが。
とにかく両親にさっさと連れて行ってもらうのがいいだろう。視力が極端に落ちたのは親にも教えたので、早めに済ませておこう。
「おい相沢! 私の話を聞いてたか?」
「はい! 聞いてませんでした!」
メガネのことを考えていたからメロンちゃんの話なんて全然聞いていなかった。俺がハッキリとそう告げるとバカタレと言われてしまった。隣の委員長からも呆れ気味の声が聞こえてきた
「相沢くんってば……」
「ハハハ……それで、夕張先生は何て?」
「このクラスに転校生だって」
転校生? 一学期半ばの中間試験前という時期に転校してくるだなんて、大変だなと思った。
「よーし、入って自己紹介だ。喜べ男子、女子だぞ」
クラスのあちこちから男子の歓声が沸き起こる。教室の扉が開かれた音が聞こえると、その声は一層大きくなる。
「鎮まれお前ら! ……ほら、名前から」
残念ながら、俺はどれだけ目を凝らしても教室の前まで見ることはできない。だから他の男子が嬌声を上げる程の女子が来たことにもイマイチ心が踊らなかった。
仲間外れにされたようで少しアンニュイな気分に浸っていると、
「……お前は!」
ガタリと椅子を鳴らす音と聖の声が聞こえて首を横に向けた。
「聖、お前の知り合いか? ……あ、おい!」
メロンちゃんが聖に訊くと同時に、こちらに近付く足音に気付き正面を向いた。
そこには女子の制服を着た人が立っていた。
相手には申し訳ないが、睨むように目を細めてその子の顔を窺ってしまう。
短い黒髪に、京子よりも少し黒い肌。大きく開けた胸元には深い谷間が見えた気がした。
「……」
誰だろう。向こうからもすごく睨まれてる気がする。
「ったく。ついでだし席はそこ、相沢の前の空席でいい。自己紹介しない本人に代わって言うが、名前は……」
突然、胸ぐらを掴まれて立たされた。
「え? 何、何!?」
何故かいきなり滅茶苦茶乱暴に扱われたせいでひどく狼狽える俺の眼前にその子の顔が迫り、そのまま口を塞がれた。
「んー! んんー!?」
「ひっ」
「な……!」
「アイエエエ!」
「相沢あぁぁ!?」
クラスのあちこちから悲鳴が轟く。一番叫びたいのは俺なんだけど、あいにく口ががっつり塞がれていて叫んだりできない。
「……双葉……明……お前ら、仲良く……仲良くしてるな……」
メロンちゃんが何を見て仲良くしてると判断したのか問い詰めたかった。そして先生が口にした名前に愕然としつつ、俺は解放された。
「チッ。元には戻らないか。まあ、これで元に戻るなら既に聖がそうしてるはずか」
彼……いや彼女は立ち上がってこちらを見ていた聖の姿を見ながらそう言った。
「俺は決してお前の傍を離れないからな。覚悟しておけ」
言うだけ言って、明は俺の前の席にどかりと腰を下ろした。
ライバルの登場に聖は呆然としていた。
「あ……あ……あう」
突然の事態に隣の委員長は魚のように口をパクパクさせていた。
「今のって……」
遠くから京子の声が聞こえた。俺は頭がぐわんぐわんして意識が遠のくような錯覚を覚えた。
「告白……」
「告白だ」
「キスと告白だ」
教室のあちこちから誤解を孕んだ声が噴き上がっていた。訂正するのも説明するのも不可能な立場と状況にいるのはよく分かっている。分かっているんだ。
だから俺は、さめざめと泣いた。テスト前の大事な時期に、大変なことが起きてしまったなあと段々他人ごとのような気持ちになっていった。




