魔法少女と悪夢
レヴァテインの槍がブレイブウルフの胸を貫く瞬間は管制室のモニターに大きく映し出されていた。
オペレーターの美弥子だけは目を背け、他の者はその瞬間を見届けていた。このようなことがあろうことかマガツ機関の敷地内で起きてしまったこと、起きるのを止められなかったこと。様々な感情が彼らの内を駆け巡った。
「なんということを……」
とりわけその気持ちが大きかったのは、所長という責任ある立場にある神木夜代であったことは言うまでもない。
この事件を仕組んだ宇多川健二だけが満足そうにしており、彼の後ろには最初に付き添っていたのとは別の灰色の少女が控えていた。
「これでナイトメアの魔女も目覚めてくれることでしょう」
「取り返しの付かないことをしでかしておいて!」
「そう心配しないでくださいよ。言ったでしょう? 僕が魔女を制御すると」
「九条くんに友人を殺させたんだぞ!?」
「つまらないことを言うなぁ……ショーの佳境なんですよ」
冷めた視線を夜代に投げかけたが、すぐに嬉々とした表情に切り替わりモニターの画面を戦闘ドームへ切り替えた。その場所にも外の様子を映しだしたビジョンがあり、一人いる四之宮花梨も友人の死に様を見ていたはずである。
「やあ。見てくれたかな? 実に悲しい光景だったねえ。君の心中察するに余りあるよ」
健二はモニターの中で幽鬼のごとく立ち尽くす四之宮花梨に笑いながら告げていく。
「でもねえ。君が大人しく魔女の力を僕に見せてくれていればこんなことにはならなかったんだ。分かっているかな、全部君のせいなんだよ?」
その場の誰もが、これが誰のせいなのかはっきりと分かっている。
だが、モニターに映し出される少女にそれが分かっているのだろうか。彼女が見ていた映像にショックを受け、あの男の言葉が届くのみなのではないかと。
『三つ』
しかし彼らの心配をよそに、正面モニターに映し出される少女の平然とした声が管制室に聞こえてきた。
彼女は口にした数と同じ本数の指を立て、それを言葉とともに一つずつ折り始めた。
『訂正しておこう。一つ、私が原因ではない。全ては貴様の企み。思惑通り事が進んで良かったじゃないか。一つ、私はあれの死に何ら感慨は抱いていない。そもそもあれは死なない。一つ、私を御すことができると本気で思っているのなら勘違いも甚だしい』
「出た……! 出たぞ! 史上最強の魔女! ああ、早く制御装置を出せ! 干渉波を最大で、肉体を砕け!」
モニターに映る室内が赤い照明に染め上げられる。
「うぅッ!」
「耳が……!」
「頭が割れちゃいそう……」
異常に不快な甲高いノイズがスピーカーを通して管制室にまで響き渡る。
「あはははは! どうだい!? これまで色んな魔女を研究してバラバラにして調べあげた、魔女の心と体をズタズタにする干渉ノイズ! 全部君のため! 幾多の魔女の命は君のために捧げられたんだ!」
「やはりこの前、炎獄の魔女を追っていたのは逃げられたためか……」
「ええ! 厄介なことに貴方に知られて誤魔化しきれないとは思いましたが、こうして覚醒の時は迎えられたので良しとしましょう。邪魔をしてくれた狼も始末できましたしね。折角なら他の侵入者は従順になった魔女に処分させましょう。さあ君の初仕事だ、処置が済んだらすぐに行ってもらおうかな!」
新しい玩具を手に入れた子どものように無邪気に目を輝かせ、モニターで苦しみもがいているであろう魔女に声を掛ける。
だが魔女は不快音の響く室内で、平然とトランプの束を弄んでいた。
「おいどうした? そんなことをしろとは言ってない……素直に従って、力を使って、侵入者を殺しに行けよ!」
『ふむ』
カットしたトランプの山からカードを一枚引き、ドーム内を映すカメラへその柄を差し向けた。
引いたのは五つの目を見開き、四本の腕に剣、聖杯、金貨、杖を携えた悪魔のカード。
『起こしてくれてありがとう。お礼に世界を終わらせよう』
そして世界は大きく揺れた。
「うわっ!」
「きゃあ!」
下にいる四人のオペレーターは地震のように揺れる世界で身を寄せ合った。
「何だ! 何が起きた!?」
司令席にしがみついて地震に耐える健二の視線の先にある正面モニターには、もう何も映っていない。
ドームを映していたカメラが壊れた、それともまさかドーム自体が?
慌てて魔道研の外を映すカメラに切り替えれば、そこにあるはずの建物は既に消滅していた。
代わりに闇の柱が闇夜の空を更に暗く、暗黒に染め上げていた。
「馬鹿な……計算じゃ、あの数値で確実に魔女を抑えつけられるはずで……」
事態を受け入れられずにいる健二をフン、と鼻で笑い捨てたのは、痛む腕を押さえて床に座り込んでいる神木夜代であった。
「どれだけの魔女を犠牲にしてきたのかは想像したくもないけど、それで得られた計算は君の想像を遥かに超えていたようだね」
「馬鹿にするな! 僕を馬鹿にするなぁ!」
健二に顔を蹴られ、口から血を流しても夜代は浮かべた笑みを消さなかった。
「何にせよ君に……僕にも、もうできることはない。後は見ているしかできない」
彼の目は、無様な失態を犯し魔女を覚醒させただけの裏切り者などもう見てはいなかった。モニターに映し出される闇から現れた、魔女の力に支配された黒い長髪の少女に向けられていた。
「悪夢の始まりだ……」
諦めを孕んだ声が管制室に響いた。
「始まらないわ、悪夢なんて」
次いで響く扉の開く音に女の声。
一番扉に近い位置にいた灰色の少女が即座に攻撃に転じる。懐に忍ばせていた短剣を手に、突如扉を開いて現れた青い髪の女に向かい、女の影に腕を捻り上げられ床に顔から押えつけられた。
女の影から飛び出してきたボディスーツの人物に見覚えがあったのは、彼の主人だけだった。
「ヒサか!」
灰色の少女を組み伏せる者の名を夜代が叫び、
「くそ! 何なんだよ!?」
外の事態も今の事態も想定を超えている事に苛立ちを隠せぬ健二が手にした拳銃をヒサへ向けようとし、
「相手が違うよ坊や」
その声を受け、ヒサからその女……真神風里へと銃の標的を変える。
だが銃口の先に人の姿は既にない。
風里はすっと懐に歩み入り、銃を持つ健二の手にそっと両手を添えた。
「ガキの玩具にゃ物騒ね」
次の瞬間、風里は健二の腕を取り、背負投た。
相手の手首を捻り自分の肩に肘を乗せ、関節を極めながらの一本背負いは容易く健二の肘を粉砕し、彼の体を堅い床へと叩きつけていた。
「あ! あがああああ! 腕、があああぁ!」
「大袈裟ね……ちょっとお仕置きしただけじゃない」
やれやれと言う風里の手には、投げと同時に健二の手から掠め取った銃が握られていた。ロックを掛け弾倉を抜き、彼から離れたところへ投げ捨てた。
「なんで侵入者……他の、他の人造少女は何してた!?」
「ああ、あの過去の悪業の遺産? それなら優秀な副店長が制圧してるわよ」
肩を貸して夜代を立たせた風里が告げると、夜代は空いている腕をキーボードに伸ばし、大画面で映る外の映像の左下に小さく館内の様子が現れた。
『はぁい』
カメラに向かって手を振っているのは、うず高く積まれた灰色の少女たちの天辺に腰を下ろしている巻菱蓮であった。
「あの数を……気付かれもせずに倒したというのか」
脂汗を浮かべてうずくまる健二が苦々しい口調で吐き捨てた。
「気付かれないためにあの子たちに外で大暴れしてもらったのよ。おかげでマガツ機関に巣食ってた膿を出せたってとこね」
「はっ……。僕を炙り出すために黙って見過ごして、わざわざこの時を待っていたっていうのか! お前たちはぁ!?」
「全ては……何も知らない大勢の職員やスペシャライザーに知られないためだった。だから組織とは関わりの薄い子たちに知られることなく協力をしてもらった。騙すようなやり方で心苦しかったが、君の目的が四之宮くんだったことで、音無くんたちが関わることは必然だったのかも知れないが……」
そう告白する夜代は心の底から申し訳無さそうな顔をしていた。
事実を知りながらも事実を伝えずにボランティア倶楽部の面々を協力させた風里も同じ面持ちである。彩女たちを大事に思う彼女は黙って利用するような真似に反対であったが、夜代の事情、そしてマガツ機関に所属する知り合いのスペシャライザーの少女たちも同じくらい大事な存在であった。
そんな二人の気持ちを、健二は笑った。
「くっかかかか……! なんだ、なんだ結局あんた達も僕と変わりゃしないじゃないか! 安心したぁ、どう取り繕ったところで自分たちのためにいたいけな少女たちを利用した冷酷な大人! せんぱぁい、あんた昔と変わってないじゃないですかぁ」
愉快に声を上げる健二の顔面に、風里の爪先が突き刺さった。
「あんた、うっさいよ」
利用してしまったことは事実。だがそれを面白おかしく茶化されるのは我慢ならなかったのだ。
顔を蹴られても尚、健二の言葉は止まらなかった。
「あんたもだ……あんたがあの子たちを利用したせいで一人死んじゃったんですよ? ひっどい女性だ……あっはは、はは」
「私が言ったことはもう忘れた?」
「は?」
「悪夢は始まらない。ナイトメアは止められる。彼女たちが止めてくれるわ」
夜代がキーボードを弾き、正面モニターには二人の魔法少女が戦っていた建物の映像に切り替わる。
夜代と風里、這いつくばる健二。灰色の少女を黙って押さえつけるヒサ。そして反乱の鎮圧を口を閉ざして見守っていた四人のオペレーター。
全員が外の光景を目にしていた。




