(1-9)蘭洲の被災
道頓堀北の妙知の家が火元となった火事は、暮六つ(午後六時頃)過ぎには淀屋橋筋にほど近い北鍋屋町にまで達していた。
「火事だ―」
「逃げろ―」
屋外の騒々しさに、蘭洲は慌てた。半鐘を叩き鳴らす音がかまびすしい。
外は強風が吹き荒れている。
この家で漢学塾を開いた父、五井持軒は三年前に亡くなった。蘭洲は母親のたかと二人で暮らしながら、父の後を継いで細々と漢学塾を主宰していた。
その一方、たかは中風を患って寝たきりであり、蘭洲はその看病に追われていた。火事だと言われても困るが、このまま家に居たら、座して死を待つことにもなりかねない。強風に煽られて、火事はこの家にまで類焼する可能性が高い。
背に腹は代えられない。蘭洲は、持軒と、夭折した長兄の位牌、その他身の回りの物を風呂敷に包むと、たかを背負って北鍋屋町の自宅兼家塾を後にし、東へ進んだ。
淡路町通りは人でごった返していた。たかは痩せ細ってはいたものの、人混みの中で人一人を背負う負担は、二十八歳の蘭洲にとってもきついものがあった。
「もう無理だ」
ようやく人混みを抜け、東横堀の思案橋を渡ったところで疲れが限界に達し、背中のたかを下ろしてその場にへたり込んだ。
強風の影響で火の回りが早い。やがてここにも火の粉が飛んでくるかもしれない。蘭洲は休憩もそこそこに再びたかを背負い、さらに東へ避難した。
行先は決めていた。この様子だと、船場や大坂城周辺は壊滅的な打撃を受けると考えられたため、少々遠いものの、平野郷まで逃れることにした。
平野郷には含翠堂があり、かつて父の持軒が出講した際、蘭洲も同行したことがある。その縁を頼ってしばらく含翠堂で厄介になり、たかの養生を図るつもりであった。
蘭洲はたかを背負い、約二里の道のりを南東方向へ進んだ。途中、何度も休憩した。
深夜になり、ようやく平野郷まで到達したが、背中のたかはぐったりしていた。
「母上? 母上? お加減が悪いのですか?」
蘭洲はたかに呼びかけたが、かすかな反応しか返ってこない。そのため、たかを路辺の草地に寝かせ、助けを求めるために三町先の集落まで走った。
集落に着き、「井筒屋」という旅籠を見つけると、蘭洲は入口の戸板を激しく叩いた。
「お願いします。病人です。どうかお助け下さい」
何度も戸板を叩き、叫んでいると、やがて主人と思われる中年の男性が出てきた。
蘭洲は夜半の騒々しい叩扉を詫び、事情を話した。
「それはさぞお困りのことでしょう」
男性はそう言い、大八車を用意してくれた。それのみならず、提灯を片手に、蘭洲と一緒にたかを寝かせた草地まで付き添ってくれた。
蘭洲は、草地に横たわっていたたかを大八車に乗せると、男性と一緒に旅籠まで運んだ。
旅籠では一室が用意され、たかは布団に寝かしつけられた。
蘭洲は付きっきりで看病した。旅籠の主人、井筒屋佐平は医師を呼んでくれたが、たかの容態は回復しなかった。
それから七日後、たかは息を引き取った。
井筒屋の采配でたかの葬儀が営まれ、遺骸は高安郡の神光寺に埋葬された。
蘭洲の悲しみは大きかったが、井筒屋の望外の親切に気持ちの温もりを感じていた。
「このたびは何から何まで、大変お世話になりました。きっと母も、安らかな心持ちで旅立てたことと思います。それもひとえに井筒屋さんのご親切のおかげです。素寒貧の私には、このご恩をどうお返ししたら良いか、考えがまとまりません」
蘭洲はこれまでの半生において、自分は運に恵まれていないとか、人から軽んじられているのではないかと感じることがしばしばだった。人並み以上に努力し、精進してきたつもりであるのに、それに相応する見返りが得られていないと感じていて、つねに不遇感を抱き続けてきた。今回の火難も、自分の悪運のゆえであると一人長嘆していた。
だが、井筒屋から無償の厚情を受けた今、目から鱗が落ちる思いがした。
「世の中、捨てたものではない」
今までの自分は、人から何かをしてもらうことばかり求めていて、人へ何かを報いることを怠っていたのではないか。あるいは、自分が報いた分、人からそれと同じだけ返してもらわなければ割に合わない、という考えに凝り固まっていたのではあるまいか。
見返りを求めずに、ただ報いること。ただ報いるだけで心が満たされること。それこそが「仁」と言うべきものなのかもしれない。蘭洲はそんなことを思った。
何度も礼を述べて、蘭洲は井筒屋を後にした。今は何ら報いる術もないが、後日、必ず謝礼を尽くそうと心に決めていた。
母を亡くした蘭洲は、一人で含翠堂を訪ね、創設者の土橋友直に面会した。
蘭洲は友直に、妙知焼けで焼け出されて身を寄せる場所がなく、しばらく逗留させてほしいと依頼した。友直はそれを承諾した。
「多松堂の三宅石庵先生も、先日、ご子息と一緒に含翠堂へ避難されてきて、同志の井上赤水殿の屋敷に逗留されております」
蘭洲はその名を聞くと、眉をひそめた。三宅石庵という儒者に対し、あまり良い印象を抱いていないためであった。
「石庵先生には、含翠堂で講義を受け持っていただいております。そうそう、せっかく当地へ参られたので、蘭洲殿にも講義をご担当願いたいのですが、いかがでしょうか?」
「喜んでお引き受け致します。何なりとお申し付け下さい」
蘭洲は頭を下げた。妙知焼けですべてを失ってしまったが、これから新たな仕切り直しである。旅籠の井筒屋も、友直も、ごく自然に「仁」を実践している。儒者の端くれである自分も、二人を見習わなければならない。蘭洲はそう自分に言い聞かせていた。




