(7-8)竹山の子、蕉園、刀自死去
十四子のうち、十一子に早世された竹山に、またしても逆縁の禍が降りかかった。
八月四日、蕉園はこの世を去った。享年三十七歳。
すっかりやせ細り、布団に横たわった蕉園の遺骸を前に、竹山は言葉を失った。
葬儀はしめやかに行われた。蕉園は文明と諡され、上本町の誓願寺へ葬られた。
「先達て賢嗣逝去、驚痛仕り、独り貴門の不幸のみならず、実に文運の衰耗とも申すべき仕儀、嘆惜仕り候」
古賀精里から竹山あてに、蕉園の死を悼む弔辞が送られてきた。
類まれな詩才と文才、それに社交性を備えた、竹山にとってこれ以上は望みようがないほどの後継者であった。頼春水の息子、山陽は、蕉園の詩賦集「雕蟲篇」を通読し、
「まさに文妖なり」
と、その詞藻の豊かさに驚き、嘆声を漏らした。
「天、文運開くを欲し、予に才人を授けるも、何と早くその命を奪うや。文運遂に開くことなく、棺に取り憑いて慟哭す。併せて本邦の哀しみと為す」
竹山は、「男蕉園を哭す」と題した五言古詩を詠んで、蕉園の霊前に捧げた。
才能に恵まれていただけではなく、人一倍の努力家であった。蕉園が遺した備忘録には、二十四歳から四十二歳過ぎまでの読書計画が記されていた。読了した書名には朱の圏点が付されていて、ほとんど計画通りに読書していたことが分かった。
竹山の期待に応えるために、無理をしていたのではないか。竹山は、日夜読書に励んでいた蕉園の姿を思い浮かべ、老涙を禁じ得なかった。蕉園の早死は、自分が期待をかけ過ぎたせいだ、と悔やんだ。
竹山は憔悴し、一気に老いが深まった。
蕉園の死に伴い、碩果が懐徳堂預人に就任することが決まった。
ところが、傷心の竹山に、さらに追い打ちをかける事態が出来した。
八月十三日、娘の刀自が急死したとの報がもたらされた。享年二十七歳であった。
医師の並河尚誠に嫁いだ刀自は、蕉園の通夜、葬儀に参列し、遺族の一人として甲斐甲斐しく立ち働いていた。何ら病の兆候が見られなかっただけに、刀自の死の報はにわかには信じられなかった。
だが、夫の尚誠が、一子復一を伴って懐徳堂へやってきたため、それが事実であると認めざるを得なかった。
尚誠が言うには、朝は普通に起床し、特に変わった様子はなかったのだが、急に頭痛を訴えてその場に倒れ、そのまま息を引き取ったとのことであった。卒中が疑われた。
蕉園の死からまだ十日も経っていない。なぜ刀自までが、と、竹山は悲嘆のあまり立っていられなくなり、その場に座り込んだ。
十四子のうち、十三子にまで先立たれてしまった。しかも、無事成人した三人のうち、二人が相次いでこの世を去った。竹山に残されたのは、碩果ただ一人であった。
竹山はその日から寝込んでしまった。食欲が落ち、足腰がおぼつかなくなった。
刀自の葬儀へは駕籠に乗り、碩果らに両脇を抱えられてようやく会場にたどり着いた。刀自の亡骸と対面すると落涙し、霊前に線香を手向けた。
碩果は、天満を引き払って再び懐徳堂に妻子ともども住むこととなり、竹山を看病しつつ、懐徳堂運営の主体者となった。
履軒は、心身ともに衰弱が激しい竹山を心配して頻繁に懐徳堂へ顔を出すようになり、病床の竹山を励ました。
「早く床上げして、また一緒に酒を飲みましょう。兄上には、酒こそが百薬の長ですから」
つねづね、竹山の酒豪ぶりを揶揄し、批判してきた履軒だったが、中風で寝込んで以降、酒を口にしなくなった竹山に対し、あえて酒を持ち出して景気づけようとした。
「わしはもう、酒は飲まん。いや、飲めなくなったと言った方がいい」
「兄上らしくもない。これまでいくら私が諫めても、いっこうに酒量が減らなかったではありませんか?」
「蘭洲先生の訓戒を守らず、毎夜飲みたいだけ酒を飲んできた付けが回ってきたのだ。もう壮時の身体には戻れない」
竹山はすっかり涙もろくなっていた。
「病は気からです。そんなことは、兄上なら十分お分かりのはずではありませんか?」
「その、気力が出ないのだ」
そう言って、竹山はまた涙した。
無理もない。履軒はそう思った。甃庵、竹山の外向性の性格を引き継いだのは蕉園だった。蕉園の器量なら、今後の懐徳堂をさらに維持伸長させ、東の昌平黌、西の懐徳堂と並び称せられるような学問所へと地位を高めることができたかもしれない。
だが、焦園は死去し、娘の刀自までこの世を去った。蕉園に代わって預人になった碩果は、社交が苦手である。
「あの閉戸ぶりは、わしによく似ている」
履軒は、山片蟠桃をはじめ、水哉館の門下生へ碩果のことをしばしばそう語っていた。
もし蕉園が生きていれば、碩果はそのまま天満に住み続けていたであろう。そうすれば、やがては懐徳堂から完全に独立し、閉戸先生として多くの学問的業績を上げることもできたであろう。ちょうど履軒が懐徳堂を出て水哉館を主宰し、経書研究が大幅に進捗したことと同じであり、それが碩果にとって最も望ましい生き方だったのではないか。
碩果は懐徳堂預人となり、恐らく近い将来、学主も兼ねることになるのはほぼ決定的である。碩果にとって、あまり望まない生き方を選択せざるを得ないことになるであろう。
兄と妹の死に直面し、かつ父が病床にあって爾後の経過が芳しくない状況下、碩果は、自分の身に降りかかってきた運命について一切不平不満を言わず、粛々と従っているように見受けられる。与えられた役割に生きる覚悟がすでにできているのかもしれない。
「もしそうであるならば、碩果は我々が思っている以上に大人物なのではないか?」
履軒は、碩果の一見不愛想な横顔を思い浮かべながら、そんなことを思った。




