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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第4章 甃庵と蘭洲
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(4-12)懐徳堂の改装工事


 宝暦元年(一七五一)一月、甃庵は、懐徳堂の改装工事に踏み切った。

 懐徳堂の建屋ができてから二十七年が経過していた。当時、妙知焼け直後の建築資材不足の折、突貫工事で仕上げたこともあって、もともと脆弱な造りであった。そのため、数年前からあちこちで傷みが目立つようになっていた。

 五十九歳になった甃庵は、自分の目の黒いうちに基礎から建屋をしっかりと普請してもらい、半永久的にもつぐらいのものに仕上げてもらおうと考えた。

 ただ、それには多くの資金が要る。甃庵は、同志らに改築の必要性を訴えて賛同を得、相応の寄付を受けた。なかでも鴻池又四郎からの篤志金がかなり多かったが、それでも改築費用の全額を賄うことはできなかった。甃庵は大工の棟梁と膝詰めで交渉し、不足分を五ヶ年賦での支払いとすることで了承を得た。

 大工たちは、甃庵の心意気に感じ入り、ほぼ休みなしで工事を進め、六月には竣工した。

 改築を終えた懐徳堂は、木の香が漂い、柱や壁も頑丈になって、甃庵は大いに満足した。

 一方で甃庵は、家族に対して節約を指示し、借金を完済するまでは衣服の新調や贅沢な食事などを控えさせ、宴遊や旅行を禁じた。

 竹山は二十二歳、履軒は二十歳になった。

 二人とも、蘭洲の指導を受けて儒学を学び、すでに一人前の儒者と称して恥じないほどの学識を備えるまでになっていた。

 竹山は、上背は人並みだが、大食漢であるため肥満気味であり、しかも膂力が人並み外れて強かった。

 履軒も、どちらかと言えば丸めの体躯であったが、竹山と違って腹八分目を守り、日頃から体調に気を使っていた。

 履軒は、目が大きい。顔の輪郭も大きく、しかも首筋には大きな瘤があった。

「これは私の知恵袋です」

 瘤のことを人に訊かれると、決まって履軒はそう答えた。

 大人になった二人は、酒を嗜むようになった。

 竹山はうわばみであり、履軒は、飲める体質ながら鯨飲(げいいん)せず、ほどほどで盃を伏せた。

「だいたい兄上は、飲食をむさぼり過ぎる。それで体に良いわけがありません」

「よく食べ、よく飲み、(しこう)してよく学ぶ。飲食盛んにして、学も盛んなりだ。徳二(履軒)のように、定量を気にしながらの飲食など、味気なさ過ぎる」

「結局、兄上はよく学ぶための飲食ではなく、満足を得るための飲食ということですな」

 履軒にそう言われて、竹山は苦笑するしかなかった。

 蘭洲は儒学のほか、和学にも通じていた。父の持軒が和学に造詣が深かった影響もあって、幅広く和書を読み、かつ研究も行っていた。

 一人娘のせつとは、ときどき会っていた。幼少時は左右二ヶ所をおさげ髪にし、舌足らずだった幼子は十歳になり、言葉もしっかりしてきた。

 蘭洲は、せつに和学の教養を身につけてほしいと願った。そのため、「伊勢物語」に注釈を施し、「勢語通(せいごつう)」という手稿本を著した。せつにはまだ難しいが、もう少し大きくなったら、蘭洲みずから読み聞かせようと思った。

 「勢語通」に続いて、「古今和歌集」にも注釈を施し、「古今通(こきんつう)」という書物を著した。これも将来、せつに読み聞かせるつもりであった。

 興が乗った蘭洲は、「万葉集」の注釈本である「万葉集詁(まんようしゅうこ)」、さらに「源氏物語」の注釈本である「源語詁(げんごこ)」と「源語提要(げんごていよう)」も著した。

 竹山と履軒は、蘭洲が著したこれらの注釈書を見て、蘭洲の和学への造詣の深さに舌を巻いた。

 ただの大酒飲みではない。二人は、寸暇を惜しんでもっと幅広く学ばなければ、師には追いつけないと自分自身を鼓舞し、はちまきを締め直した。


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