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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第4章 甃庵と蘭洲
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(4-10)師父の礼


 五月、大坂に到着した蘭洲は、大坂城の西側、東横堀近くの上町に家を借りて住むことになった。

「蘭洲殿のご帰坂、首を長くしてお待ちしておりました」

 甃庵は蘭洲の手を取り、満面の笑みを浮かべて喜びを(あらわ)にした。

 十一年前、蘭洲が大坂を去る前の懐徳堂はまだ木色は白く、木の香が漂ったりもしていたが、久しぶりに堂内を見回すと、講堂ほか、建屋全体に年季が入ったように感じられた。

 蘭洲が懐徳堂を去って以降、講義は甃庵がほぼ一人で受け持ってきた。ときどき含翠堂その他から臨時講師に出講してもらうことはあったが、常勤講師は甃庵のみという状態がずっと続いていた。所用で甃庵が懐徳堂を留守にするときは、休講にするしかなかった。

「春楼殿に、日講をお願いすることはできないのでしょうか?」

 蘭洲は、率直な疑問を呈した。懐徳堂の右塾には、石庵の一子、春楼が住んでいる。幼少期は病弱だったが、長じてから学問に励み、相応の学識を備えたと聞いていた。

「それが、なかなか」

 甃庵は困惑した表情になった。

「丸薬製造が忙しいようです。春楼殿をあてにはできません」

 甃庵は、春楼に懐徳堂の仕事を手伝ってもらうことはとうに諦めているようだが、蘭洲は納得できなかった。懐徳堂内に住む以上、その仕事に携わらないという(いい)はない。丸薬製造よりも、懐徳堂の仕事の方が優先されるべきではないのか。

「まあ、いずれ、春楼殿にお出まし願う機会もあると思いますので」

 蘭洲に苛立ちの表情が見えたのを察し、甃庵はそう言った。

「ともかく、蘭洲殿に来ていただけたのは何とも心強い。頼りにしておりますぞ」

 甃庵は再び蘭洲の手を取った。蘭洲は面映ゆかった。

「それと、手紙にも書きました通り、蘭洲殿にたってのお願いがあります」

 甃庵は、表情を引き締めてそう言った。

 「孟子」に、「子を()えて(これ)を教う」という文言がある。子息の教育は、父親ではなく、他人に任せることが肝要だ、という意である。父が子に正しい道を教える場合、うまくできないからと言って子を叱りつける。それに対して子は、父だって言うほどできていないではないかと反撥する。身内同士だけに、そういう感情のぶつかり合いは往々にして父子の間に溝を生み出し、お互いの心が離れてしまう禍が生じがちだという。

 甃庵は、竹山と履軒の教育を誰に託すべきか、ここ数年来悩んでいた。平野郷の含翠堂へ預けるか、あるいは京都の古義堂で学ばせるかなど、いくつか候補はあったが、蘭洲が津軽藩を致仕したことを知り、即座に決めた。志操堅固で、謹厳な蘭洲を講師として懐徳堂へ招聘し、かつ二子の教育を委嘱すれば間違いない。

「どうか私の二人の息子、善太(竹山)と徳二(履軒)をお導き下され」

 このとき、竹山は十一歳、履軒は九歳であった。幼少期から、甃庵が二人に経書の素読をさせ、四書五経は一通り読ませていた。今後、儒者として立つためには、精読による経書の深い理解と、膨大な数の注釈書や、他の漢籍の渉猟が必要だが、その鍛錬指導を蘭洲にお願いしたい。甃庵は、深々と頭を下げた。

「私でよければ、謹んでお引き受けします」

 蘭洲は、甃庵の息子二人の教育を託されたことを光栄に感じた。と同時に、引き受ける以上は、軽々な覚悟で臨んではならないと気を引き締めた。

 甃庵は、さっそく竹山と履軒を呼び、二人を蘭洲に引き合わせた。

「師匠に対し、師父の礼を執りなさい」

 甃庵がそう言うと、二人は蘭洲の前で拝跪した。

 こうして蘭洲は、懐徳堂の講師として日講を受け持ちながら、竹山、履軒の指導を始めた。蘭洲は、二人を懐徳堂内で教導するのに加え、非番の日も、上町の自宅へ通わせて、経書の手引きをした。

 竹山と履軒は熱心に学んだ。冬の寒い朝、二人は未明に起きると、竹ぼうきと、水を入れた手桶とを持って近くにある淀屋橋へ行く。橋の上には白霜がびっしりと降りていて、人が足を踏み入れる前の床板は、巨大な紙面のようになっている。

 二人は手桶の水を墨に、竹ぼうきを筆に見立てて、紙面に模した橋上に大きな文字を書いて練習した。ひんやりとした早朝の空気を吸い込み、誰も通らない橋の上で竹ぼうきをひねるのは、二人にとってささやかな遊びでもあった。

「そなたらはいずれ、懐徳堂を背負って立つ儒者になることが求められている。よって、日々心して精進せよ」

 二人は幼少期から、甃庵にそう言い含められて育った。講堂で大勢の門下生を前に経書を講ずる父の姿に、二人は憧憬の念を抱いた。自分もああなりたいと思い、勉学に励んだ。

 蘭洲の教育は厳しかった。

 経書の解釈で分からない箇所があっても、すぐには答えを教えず、注釈書で調べさせたり、考えさせたりして、自分なりの見解を要求した。

 また、子供の玩具である独楽や双六で遊ぶことを禁じ、縁日や盛り場へ出入りすることも許さなかった。

「儒者を目指す以上、おのれの愉楽の欲求に安易に逃げることは厳に慎まなければならない。行いを正して日々、学問修行に励むように」

 蘭洲は二人にそう言い含めた。

「将来、大人になり、学成ってから、御酒を嗜むが良い」

 酒好きの蘭洲はそう付け加えた。

 竹山が十三歳のとき、甃庵に使いを命じられて、夜、懐徳堂の門を出た。すると、隣家の紙屋が飼っている大型犬がにわかに吠えた。

 竹山は驚くと同時に腹を立て、その犬を素手で打ち殺してしまった。

 それを知った紙屋が懐徳堂へ乗り込み、竹山の所業について激しく抗議した。甃庵は平身低頭陳謝し、ようやくのことで事態を収めた。

 竹山は、甃庵から大目玉を食らった。

「君子たるもの、たとえ畜生相手と言えども、殺生などもってのほか。自分の感情を抑えられずに、怒りのまま蛮行に及ぶとはいったい何事か! 世が世なら、そなたは首をはねられていたかもしれないのだぞ!」

 五代将軍綱吉の時代、「生類憐みの令」が出され、犬を殺して死罪になった者や、蚊をつぶして流罪になった者がいたという。

「人が生きていく中で、多くの思わぬ事態や困難、屈辱に遭遇するのが世の常というものである。そういう場面に行き当たっても冷静さを失わず、理知的に対処できる人格を磨き上げることも、儒学を学ぶ目的の一つである。以後、肝に銘じなさい」

 後日、蘭洲は竹山にそう諭した。

 不惑の齢を過ぎても、蘭洲は妻帯していなかった。津軽藩へ仕官していた頃、上役や同僚から、婦人を世話すると何度か話を持ちかけられたが、都度断っていた。

「私はまだ、人としても、儒者としても未熟者であり、妻帯など考えも及びません」

 蘭洲は、妻帯する気はなかった。勤めに精励しつつ、余暇には漢籍や和書をひもとき、独り酒を飲む生活が自分の性に合っている。生涯、独身のまま生を終えるつもりでいた。

 ところが、帰坂し、再度懐徳堂の講師となって上町に住むと、身の回りの世話をしていた下女といつしか関係を持ってしまった。

 蘭洲は、中途半端な気持ちのまま、そんな行為に走った自分を恥じて下女に詫びたが、自分は妻を娶るつもりはないと言い、相当額の代銀を渡して下女へ暇を出した。

 その後、下女は、蘭洲の種である女児を出産した。

 せつ、と名付けられた女児の生誕を知った蘭洲は、最初戸惑いを覚えたが、やがて、自分の血を引く娘がこの世に存在することの喜びを感じた。

 蘭洲は、せつの養育費を下女へ渡し続けると同時に、せつともときどき会って、その成長を見守った。


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