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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第4章 甃庵と蘭洲
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(4-5)三宅石庵死去


 竹山誕生から約二ヶ月後の七月十六日、三宅石庵はこの世を去った。享年六十六歳。

 いずれこの日が来るであろうことを予期してはいたものの、甃庵は、これまで自分の周囲にうっすらと張りめぐらされていた防壁が突如取り払われたかのような錯覚を覚えた。

 葬儀は懐徳堂で行われた。喪主は春楼、葬儀主幹は甃庵が務め、五同志も人数を出して運営に参画した。

 生前の石庵を偲び、葬儀には多くの弔問客が訪れた。商家の隠居風で、かなり高齢な老人が、石庵の霊前に手を合わせて涙を浮かべている姿などもみられた。

 石庵の亡骸は、河内国高安郡服部川村にある曹洞宗神光寺(そうとうしゅうじんこうじ)に葬られた。

 高名な儒者でありながら、偉ぶったところが少しもなく、つねに庶民目線で門下生と向き合っていた。甃庵は、石庵のそういった面を少しでも見習おうと思った。

 石庵の葬儀後、五同志と甃庵とで、懐徳堂の今後の運営について話し合いが行われた。

 甃庵は、懐徳堂の二代目学主になる心構えでいた。石庵から、おぬしが懐徳堂を継いで盛り立てていく以外、ほかに道はないであろうと叱責されて以来、学主になる覚悟を自分自身に少しずつ植え付けてきた。その思いはようやく揺るぎないものになっていた。

「春楼殿は、この場に呼ばないのですか?」

 着席するや否や、舟橋屋がそう切り出した。

「春楼殿は、懐徳堂の運営には携わっていないので、お呼びしておりません」

 そもそも甃庵は、春楼をこの場に呼ぶことなど想定さえしていなかった。

「ですが、石庵先生亡き後、ご子息である春楼殿が、先生のご遺志を継ぐことになるのが筋ではないでしょうか?」

 舟橋屋が強い口調でそう言ったため、甃庵は驚いて舟橋屋を見た。ほかの同志四人も、舟橋屋に目を向けた。

「いきなり本題に入ってしまったようですが、つまり、舟橋屋さんは、次の学主は春楼殿にするべき、とお考えなのですね?」

 三星屋が訊いた。

「そういうことです。みなさんはすでに甃庵殿が二代目学主になるのが既定路線であるかのようにお考えのようですが、私は春楼殿が学主に就任すべきだと考えます」

「しかし、懐徳堂は石庵先生の私塾ではありません。学主は世襲ではないはずです。甃庵殿が言う通り、春楼殿はこれまで懐徳堂の運営には関わっておらず、ましてやいきなり学主に就くなど、どう考えても無理があります」

 道明寺屋が言った。

「もとより、私は懐徳堂は石庵先生の私塾であると思っておりました。ですから、後継の学主は春楼殿以外には考えられません」

 舟橋屋は、五同志の中でも石庵の最古参の弟子であり、しかも以前、叔父との関係修復に石庵の助言が功を奏して以来、石庵を信奉していた。

「舟橋屋さん、あなたが石庵先生をお慕いしていることは重々承知していますが、年若く、講師の経験もない春楼殿に学主を継いでもらうのは不可能です。将来的には改めて検討する余地はあるでしょうが、ここは穏当に、甃庵殿に学主を継いでもらう、ということでご承知願えませんでしょうか?」

 三星屋はそう言ったが、舟橋屋は、憮然とした表情を変えなかった。

「分かりました。どうやら私は、みなさんとは意見が合わないようです。でも、私は考えを改める気はありません。春楼殿が学主を継がないのであれば、私は今日をもって、懐徳堂の同志から抜けさせていただきます。あとはご存分になさって下さい」

 舟橋屋は席を立ち、部屋から出て行った。他の同志たちが慰留したが、取りつく島もなかった。一同、しばらく沈黙した。

「仕方ありません。春楼殿に学主を継いでもらうのは、無理筋というものです」

 三星屋はため息をついた。

 懐徳堂創設以降、一枚岩だった五同志の結束にひびが入った。甃庵は、自分が二代目学主になるのは既定路線であると考え、五同志の面々全員がそれを支持するものと思い込んでいた。だが、実際はそうではなかった。

「申し訳ございません。舟橋屋さんを不快にさせてしまったのは、不肖、私の責任です」

 甃庵は、深々と頭を下げた。

「甃庵殿の責任ではありません。いくら石庵先生を敬慕するからといって、舟橋屋さんの主張には無理があります。舟橋屋さんがこれほどまでに頑なだとは思いもしませんでした」

 三星屋はそう言った。

 結局、甃庵が二代目学主に就任することが決まった。

 預人も甃庵が兼務した。春楼にはこれまで通り右塾に住んでもらい、今後、春楼にも少しずつ懐徳堂の仕事に関わってもらい、将来に備えてもらうこととなった。

 二代目学主になったものの、舟橋屋の同志からの脱退という思わぬ事態が出来し、甃庵にとって苦い門出となった。

 八月、甃庵は大坂町奉行所へ伺候し、学主就任のあいさつを行った。すると、知り合いの与力から、ちょうど呼び出そうとしていたところだったと言われた。

「道明寺屋、尼崎屋へは、代地として道頓堀御預地のうちから一部をあてがうこととする。ついては、懐徳堂の校地は下げ渡すゆえ、爾後、末永く有効に活用せよ」

 朗報であった。三月に江戸へ赴き、関係者へ代地問題の支援を要請したことが奏功したものと思った。甃庵は深く謝意を述べて奉行所を辞した。

 実際には、この代地は貨幣で支払われることになり、代銀二十貫目が道明寺屋、尼崎屋へ分け与えられた。

 これにより、懐徳堂の敷地は永代拝領地となった。

 大坂町奉行所の頭越しに江戸の関係筋へ接触して物事を進める甃庵の手法は、奉行所からすれば賢しらに映り、不快感を抱かれる懸念があった。甃庵はそのことをよくわきまえていて、以後、事あるごとに奉行所へ伺候し、礼節を欠かさなかった。奉行所との円満な関係維持に、甃庵は細心の注意を払っていた。


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