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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第4章 甃庵と蘭洲
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(4-4)中井竹山生誕


 初学者にも分かりやすいかみ砕いた説明と、笑いを誘う逸話からなる座談のような講義を行うのが石庵の真骨頂で、その人柄もあって多くの門下生から支持された。

 その学問は、朱子学を主としながらも、陽明学にも傾注したほか、諸学の良いところをためらうことなく採り入れる柔軟さがあった。後年、そんな石庵の学問に対する姿勢は、「鵺学問(ぬえがくもん)」と批判されることがあった。

 鵺とは、「平家物語」にも出てくる伝説上の妖怪であり、頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇で、鳴き声は虎鶫(とらつぐみ)に似ているという。

 伊藤仁斎の弟子で、医師でもあった香川修徳は、石庵の学問を、

「頭は朱子、尾は陽明、その鳴く声は仁斎に似たり」

 と評した。

 さらに後年、蘭洲はそれに輪をかけるようにして、石庵の学問を、

「頭は朱子、尾は陸九淵(りくきゅうえん)、手足は陽明の如くにして、鳴く声は医に似たり」

 と述べた。医とは、返魂丹の製造のことを指している。蘭洲は、石庵の副業に対して批判的であり、石庵に対する複雑な感情は終生、変わらなかった。

 石庵の学問上の業績として、「中庸錯簡説(ちゅうようさっかんせつ)」がある。すなわち、四書のひとつである「中庸」で流布されている定本は、文章の並び順が間違っている、つまり、錯簡している箇所があることを石庵は指摘した。

 紙が発明される以前の書物は、木板や竹茎を短冊状にしたものに文字を記し、それをひもで結んで綴じた形態であり、木簡、竹簡と呼ばれた。そのため、ひもが切れてしまうと、木板や竹茎がばらけてしまい、またひもで結び直さなければならない。

 石庵は、「中庸」で、話のつじつまが合わない箇所があることに疑念を抱いたが、ある箇所の文章の並び順を入れ替えると、意味が通じることに気がついた。

 これは、「中庸」の大元の原文が書かれた木簡、竹簡のひもが切れて結び直す際、並び順を間違えて綴じてしまい、それがそのまま流布された結果ではないかと考えた。

「過去から今日まで、『中庸』は錯簡した原文が疑いなく正しいものとして読まれてきた」

 石庵はそう提唱した。

 ただ、これには賛否両論があり、中庸錯簡説は必ずしも学説として定説化はしていない。

 ほかにも石庵には、漢籍の注釈書や、詠んだ漢詩や俳句、随想、それに中江藤樹の書簡を編集したものなど、手稿本として相当数の著作があった。だが、それらは妙知焼けですべて失ってしまった。懐徳堂の学主になってから、「中庸定本」などいくつかを再執筆したものの、その数はごくわずかであった。

 著書を失った当初は、火難を恨み、かつ自分の不運を嘆いたが、日を経るにつれて、むしろ清々した気分になり、諦観の境地に至った。

「どうせ死ねば身一つで旅立つわけであり、あの世へ自著を持って行くことなどできない」

 石庵の唯一の心配事は春楼の将来についてだが、その春楼も十九歳になり、すっかり健康体になった。しかも、石庵が促したわけでもないのに、みずから進んで漢籍を読んで考究し、学徒としてかなりの水準にまで達している。

 丸薬製造もすっかり軌道に乗った。春楼の将来の暮らしもまず安泰とみて間違いない。

 懐徳堂の学主としては、もとより褒められるような仕事は何もしておらず、名ばかり学主ではある。だが、それはそれで、五同志や甃庵の意には沿っていたわけであって、卑下する必要はない。懐徳堂の今後については、甃庵が良きに計らうであろう。

 つらつら考えてみると、自分の身の回りの状況は決して悪くない。

「むしろ、十分に満たされている、と言っていいのではないか?」

 病床にありながら、石庵は充足した気分で日々を送っていた。

 享保十五年(一七三〇)五月十三日、甃庵の妻、早が男児を出産した。

 旧暦五月十三日は、中国では竹酔日(ちくすいにち)と呼ばれる。竹は移植が難しい植物だが、竹酔日に竹を植え替えるとよく繁茂するという言い伝えがある。この日は竹が酒に酔っていて、移植されてもそれに気づかず、気分を害さずに竹稈(ちくかん)を伸ばし、枝葉を繁らせるからだという。

「児、享保庚戌(きょうほうかのえいぬ)の竹酔日に生誕す。幸いにして成長の暁には、必ず竹をもって号となさん」

 甃庵は、生まれたばかりの嬰児(やや)の健やかな成長を祈念し、へその緒の封上にそう記した。

 甃庵は竹が好きである。自身の書斎を「此君窩(しくんか)」と名づけ、その窓外に竹を植えた。「此君」とは、竹の異称である。竹酔日に長男が誕生したことは、歓迎すべき吉兆だと感じた。

 甃庵は、嬰児を抱いて石庵の部屋を訪ねた。布団から半身を起こした石庵は、嬰児を腕に受け止めた。

「甃庵殿によく似ている」

 石庵の前ではめったに謹厳を崩さない甃庵は、破顔していた。

 非常勤講師の井上赤水は、先頃、京都へ去った。そのため、日講は甃庵ひとりですべてを受け持つようになっていた。そんな多忙の中、長男の誕生は、甃庵にとって大きな励みになるであろう。石庵はそう思った。

父御(ててご)のためにも、早く大きくなっておくれ」

 石庵がきっと願をかけると、嬰児は泣き出した。

「おお、爺が怖い顔をしたのがいけなかった。相済まぬ」

 石庵は、嬰児を甃庵の腕へ返した。甃庵は、終始笑顔のままであった。

 この嬰児の名は積善(せきぜん)、字は子慶(しけい)、通称善太と命名され、後年、竹山(ちくざん)と号した。竹山が生まれた旧暦五月十三日は、竹酔日であると同時に、三国志の名将で、商売の神様としても祀られる関羽の生誕日とされている。そのため、竹山はのちに「同関子(どうかんし)」という号も用いた。


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