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(3-2)甃庵、秘密裡に動くが……


 甃庵はさっそく、官許取得について五同志へ諮った。石庵へは知らせていない。

 五同志の反応は、おおむね良好であった。もともと一般庶民へ学びの場を提供したいという思いから立ち上げた塾である。官許という、公儀のお墨付きを得ることは、世のため人のための学問所としての性格をより明確にするものであるとの意見が大勢を占めた。

 石庵へ知らせるべきかどうかについては意見が割れたが、結局、ある程度話を進め、具体化してから石庵へ知らせた方が了解を得られやすいのではないかとの意見に収束した。

 甃庵は執斎あてに、懐徳堂で官許取得の話を進めたい旨の返書をしたためた。すると執斎から、江戸にて詳細の打ち合わせをしたいため、出府されたしとの手紙が届いた。

 甃庵は、江戸へ発った。石庵へは、家の用事で龍野へ行くと伝えた。

 半月後、江戸に到着した甃庵は、執斎と大島古心に対面した。官許取得は、懐徳堂からの申請を受けて、公儀が許可したという体裁をとる必要があるため、甃庵が申請書を作成することになった。

 いったん帰坂し、甃庵は申請書作成に着手した。古心から指示された書式に則って、官許取得の目的、塾の運営体制と組織、講義内容、講義日程、対象となる塾生の範囲、塾舎の図面、といった内容を詳細に記載し、書面にまとめた。

 出来上がった申請書を携えて、甃庵は再び江戸へ向かった。

 このときも石庵へは、龍野へ行って帰ってきたばかりながら、また家の用事が出来したため、龍野へ行かなければならないと理由を述べた。甃庵は石庵から、

「ご苦労」

 とだけ声をかけられた。

 石庵師匠は嘘を見抜いていながら、あえてそれを追及せず、泳がせている。甃庵はそう感じた。我ながら嘘が下手だと、内心、冷や汗をかきつつ石庵の居室から退出した。

 江戸で執斎と古心に対面し、申請書を提示した。おおむね問題はないだろうとのことだったが、一部修正を加えたものを二人に託し、甃庵は帰坂した。

 やがて執斎から書状が届き、勘定方の担当者に申請書を提出したところ、まだ一部追記が必要な項目や、修正すべき内容があるとのことであり、三たび出府を促された。

「これはなかなか骨が折れる」

 甃庵はそう思ったが、それでめげることはなかった。それどころか、こうなったら、官許取得が実現するまで何度でも江戸と大坂を往復してやる、と闘志が湧いた。

 問題は、江戸行きを石庵へどう言い訳するかである。こうたびたび江戸へ出向き、都度、家の用事で龍野へ行くと嘘の理由を述べ立てるのは苦し過ぎる。

 甃庵は、どうしたものかと五同志へ相談した。すると、もはや秘密裡に動くことは不可能であるとの結論に達し、石庵へ事情を打ち明けることになった。

 甃庵は、三星屋、道明寺屋とともに石庵の居室を訪ね、懐徳堂の官許取得に向けて動いていることを、これまでの経緯も含めて説明した。

 石庵は、特に腹を立てなかった。ここ最近、甃庵はじめ、五同志の様子がおかしいことには気づいていた。何かを画策している様子だが、以前、蘭洲を講師に招聘したときも、甃庵と五同志が先に相談してその方針を固め、しかるのちに石庵へ話を告げたことがある。懐徳堂は石庵の私塾ではなく、五同志が主宰する塾であり、石庵とて、五同志に雇われて学主に収まっているに過ぎない。五同志や甃庵が発案し、石庵へはあとで経過を知らせるという物事の進め方に対し、それを非難する筋合いではない。石庵はそうわきまえていた。

「執斎殿は、なかなかの策士だからのう」

 石庵は、官許取得の話を自分へ通さず、あえて甃庵に持ちかけた執斎の手錬に苦笑を禁じ得なかった。石庵へ持ちかけても話が先へ進まない、と執斎は判断したのであろう。

 執斎の見立ては正しかった。石庵は懐徳堂の官許取得について、もろ手を挙げて賛意を示す気にはなれなかった。そういうものを取得しなくても、開かれた漢学塾ということで、懐徳堂は十分に存在意義を示すことができる。官や公儀などというものと関わりを深め、肩書きを付与されれば、様々な義務や制約が生じる。学問とは、そういうものに縛られない世界であるべきではないのか。

 石庵は腕を組み、押し黙った。

「先生は、官許取得に反対、ということでしょうか?」

「いや、そういうわけではない」

 自分はもう若くない。自分亡き後、懐徳堂は五同志のほか、甃庵、蘭洲らが運営していくことになる。それは近い将来に起こり得る事象であり、実際、すでに日講の大部分は蘭洲が受け持っている。学主とは名ばかりであり、実質上、自分はもう隠居身分に近い。

 その自分が、懐徳堂の今後の運営方針について意見を披瀝するのは妥当ではない。いや、むしろそれは害悪ですらある。官許取得の是非については、将来を担う甃庵らの考えに則って進めるのが適切であろう。

 賛成とは言えないものの、反対とも言えない。石庵には、そういう思いがあった。

「私が賛否を述べる筋合いではありません。みなさんと甃庵殿が決めた方針に則って話を進めて下さい。私には特に意見はありません」

 三人は顔を見合わせたが、一応、この一言をもって石庵の内諾を得たものと判断し、一礼して部屋から退出した。

 甃庵は、官許取得に向けて動いていることを蘭洲にも伝えた。

「そうですか」

 蘭洲はそう返答しただけで、特に強い反応は示さなかった。


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