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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第1章 妙知焼け
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(1-2)不運な出来事


 石庵は、二つの風呂敷包みの重さに四苦八苦していた。特に自著が入った方は荷姿が安定せず、歩くたびに中身が右へ寄ったり、左へ寄ったりして、まるで誰かに後ろから引っ張られているかのような違和感を感じながら進んでいた。

 還暦を迎えたこの老体をして、なにゆえこんなにしんどい思いをしなければならないのか。あまりのつらさに、そんな恨み節が漏れそうになる。石庵の歩みは遅くなる一方であり、周囲の人波に押されてようやく前へ進んでいるような状態であった。

「嘉吉が見当たらない」

 石庵はふと気づいて前方を凝視した瞬間、誰かがぶつかったのか、後方から衝撃を受けた。その拍子に、自著を包んでいた風呂敷包がほどけて地面に落ち、自著の冊子や紙片が周囲に散乱した。

 またたく間に自著は人々の足で踏みつけられてしまった。しかも石庵自身は周囲の人波に押し出されて前へ進まざるを得ず、後戻りすることもできなかった。

「わしの著作が……」

 もはや人に押されて後ろを振り向くことすらできない。万事休した。

 石庵は、体の半分をもがれたような気持ちになった。これまで長年にわたって精力を傾けて書き綴ってきた自著をすべて失ってしまった。そう思うと足腰の力が抜け、立っていることすら難儀になり、その場に崩れ落ちそうになった。

「父上、しっかりして下さい」

 石庵の腕を春楼が抱え、辛うじて石庵は倒れずに歩行を続けた。

 石庵は、自分の身に起きた不運な出来事を恨んだ。この火事の火元はいったいどこで、誰の不始末で生じたものなのか。よりによって強風が吹きすさぶこの日に。

「父上、嘉吉さんとはぐれてしまったようです」

 自著をすべて失い、しかも頼みにしていた嘉吉さえも見失った。身を横たえる場所すらも分からない状況下、嘉吉なしでこの先どうやって身を凌いだら良いのか。

 東横堀まで来たが、高麗橋は人であふれ返っていた。橋の欄干から堀の中へ飛び込む人の姿も目にした。遅々として進まない橋を渡って二人はさらに東へ進み、ようやく大坂城の西外堀までたどり着いた。

 暗がりの堀端には大勢の人々が座り込んだり、寝転んだりしていた。

「しばし休もう」

 石庵と春楼はその場に腰を下ろした。

 西の方を見やると、暗夜の地平全体が橙色に染まっているように見えた。こたびの火事が、想像を絶するほどの広範囲に及んでいて、今なおその炎獄の勢力は衰えを見せず、強風を糧に浪華の街を呑み込もうとしているかのようである。

 人々が肩を寄せ合うようにして暮らし、路幅も狭く、十分な火除地もないまま家々が密集している大坂の街でひとたび火災が起これば、一蓮托生とばかりに多くの住民が理不尽な災害に涙を呑む羽目に陥る。

 明暦三年(一六五七)に江戸で発生した明暦の大火では、江戸城天守閣が焼け落ち、大名屋敷から武家屋敷、寺社、町家など江戸市街の六割方が焼失し、死者は数万人から十万人に及んだという。石庵は五年前、所用があって江戸へ出掛けた際、江戸城を遠く仰ぎ見たが、天守閣がなく、どうやら再建の予定はないらしいと人から聞いた。

 こたびの火事は大坂城にまで飛び火するだろうか。そんなことを思いつつ、石庵は、今後どうしたものかと思案に暮れた。

 大坂に住む知人や門人たちも、火事で焼け出されて、この夜空の下のどこかへ避難していることであろう。だから、寄る辺を頼ろうにも、その寄る辺となり得る人たちが自分と同じ境遇にあることは想像に難くない。

 いっそのこと、生まれ故郷の京都へ向かおうかと考えた。だが、京都まではここから約十里ある。十里の道のりは、石庵の足だと二日程度はかかる。心身ともに疲れ果てた石庵には、それは過酷な道のりに思えた。

 石庵は、地平に広がる橙色の炎を見つめながら、ここから南東へ約二里のところに平野郷があり、そこに郷学(ごうがく)である含翠堂(がんすいどう)があることを思い出した。

 含翠堂は、七年前に地元の有力者によって創設された漢学塾である。石庵は、創設者の土橋(つちはし)友直や、同志の一人である井上赤水(いのうえせきすい)とは友人であり、しばしば招聘を受けて含翠堂で儒学を講じていた。もともとは老松堂(ろうしょうどう)という名であったが、あまりにも枯淡すぎると石庵が言い、含翠堂に変えたらどうかと提案したところ、それが採用されて今日に至っている。

 二里なら、休み休み歩いても明朝には到着することができる。石庵はこの際、平野郷へ南下し、含翠堂に当面の厄介を乞うことにした。

「平野郷へ向かおう」

 石庵は春楼にそう言って立ち上がり、西外堀を左手に見ながら、南へ進んだ。


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