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懐徳堂の人々 ―大坂の学問所―  作者: 宇山 了
第2章 懐徳堂創設
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(2-5)懐徳堂開講


 懐徳堂の入門希望者はぼつぼつと集まり始めた。近所の商家の子弟が多く、束脩が安いこともあって、引きは悪くなかった。

「ここは漢学塾です。寺子屋ではありませんので、ある程度読み書きができないと、講義についていけません。それに、そろばんは科目に入っていませんから、悪しからず」

 まだ文字も読めない三、四歳の子供を連れてきて、この子を入門させたいと申し出る親が多かった。世話人の甃庵はその都度、懐徳堂は寺子屋ではない、ということを強調し、それを聞いて入門せずに帰っていく人もけっこういた。

 ほかにも、石庵の多松堂時代からの門下生や、商家を隠居した老爺などの入門者もいた。

 懐徳堂創設を機に、讃岐の木村寸木は、懐徳堂の構内に寄宿舎を寄進した。讃岐をはじめ、学問に意欲のある遠方からの入門者を受け入れできるようにとの思いが込められていて、石庵は、寸木の厚意に深く感謝した。

 享保十年(一七二五)早春、懐徳堂で石庵の講義が始まった。まだ寒さがつのる時期であり、土佐堀川の梅の花が満開を迎えた時期であった。

 講堂に集まった門下生を前に、書見台に「論語」を置き、石庵は粛々と講じた。

 だが、石庵は、自分自身に不具合を感じていた。

 まず、書物の文字がぼやけて、うまく読み取れなくなった。還暦を迎えた頃から、視覚の衰えを実感してはいたのだが、それがさらに進んだように感じた。

 また、声がかすれて、通りが悪くなった。

 もともと石庵は声が通らなかった。少数の門下生を前にして、座談のような講義をすることを得意としていたが、声帯の衰えなのか、ただでさえ通りにくい声がさらに通らなくなったことを自覚していた。

 懐徳堂の講堂は、石庵がこれまで開いていたどの塾の学舎よりも広く、聴講者の人数も多い。訥々とした講義しかできず、しかも門下生が聴きにくそうな素振りを見せていることが見て取れたため、石庵はそれを苦痛に感じた。

 石庵は講義を休みがちになった。月のうちの半分が講義日として予定されていたものの、それがさらに半分になり、実際には月のうちの四日に一回ほどしか講義が行われなかった。

「申し訳ないが、どうも体調が優れず、大勢の門下生の前で講じることができない」

 石庵は、休講の理由を甃庵にそう伝えた。

 甃庵は、石庵の講義が往年と比べてかなり劣化したことを認めないわけにはいかなかった。還暦を過ぎた石庵のことゆえ、それもやむなしと思い、ときには甃庵が代わりに講義を受け持つこともあった。

 だが、甃庵は別の事情を抱えていて、塾を留守にすることが多く、必ずしも石庵の代理講師を務めることはできなかった。

 開塾早々、講義に穴を開けがちでは、せっかく五同志が多額の出資をして立ち上げた塾が骨抜きの存在になってしまう。甃庵は、そのことを憂えた。

「もう一人、専任の講師が必要です」

 甃庵は、石庵には内密にしたまま、五同志にこの案件を付議した。

「石庵先生は病気がちで、月の半分の講義日程をこなすだけの気力、体力をお持ちではないご様子。しかも、先生には視力の衰えと声のかすれがあって、先生の話が受講生たちには聞き取りにくいようです。このままでは、立ち上がったばかりの懐徳堂の看板が衰微すること必定であり、塾の存続、運営に支障を来たすことになる懸念があります」

「思いのほか、石庵先生の老け込みが早かったようですな。お歳がお歳だけに、何年かのちには、石庵先生に代わる講師が必要になるとは思っておりましたが」

 三星屋が言った。

「こうなったら、甃庵殿に講義を主導してもらうのが良いではありませんか?」

 道明寺屋がそう提案した。

「それが本筋だとは思うのですが、私には家族のことで、ときどき龍野と赤穂へ行かなければならない事情があります。申し訳ないとは思いながら、今は講義に専任することが難しい状況なのです」

 甃庵は播州龍野の出身で、家族や親戚の一部が龍野と赤穂に在住していた。

「やはりここは、どなたか講師を引き受けてもらえる儒者を探すしかないようですな。現実として、日講がきちんと行われるようにしくみを整える必要がありますからな」

 備前屋がそう言い、新たに講師を迎え入れることに決まった。

「ただ、いざ講師を迎えると言っても、なかなかめぼしい人物が思いつきませんな」

「私には一人、思い当たる御仁がおられます」

 甃庵はあらかじめ、候補者となるべき人物を物色してあった。

「それは、どなたでしょうか?」

「五井持軒先生のご子息、蘭洲殿です」

「ああ、なるほど」

 道明寺屋と舟橋屋は、もともと持軒門下であった。持軒が晩年、家塾で講義を行えなくなってからは、蘭洲が父に代わって講義を行っていたことを知っていた。

「蘭洲殿は先頃の大火事で被災して平野郷へ避難し、今は含翠堂で講義を受け持っていると聞いています。あくまでも仮にそうしているだけであって、今後の身の振り方を模索中なのではないかと思います。ですから今、懐徳堂へ招聘すれば、講師を引き受けてもらえる可能性は高いと思います」

 甃庵は、四歳年下の蘭洲とは旧知の仲であった。家庭の事情から、二人とも若年時に他家で養われた経験を有する点も似ていたので、共感できるものを感じていた。

「確かに蘭洲殿なら、持軒先生のご子息で、学識もあり謹厳実直、講師としてふさわしい。異存はありません」

 三星屋がそう言い、ほかの同志もみなそれに同意したため、その足で懐徳堂内の石庵のもとを訪れ、了解を得ることになった。

 近所に住む老婆が、通いで石庵父子の身の回りの世話をしていて、懐徳堂の一階で洗濯をしていた。

 二階の住居では、石庵が自室で仰臥しており、春楼は別室で丸薬製造を行っていた。

「昼間からこの体たらく、面目次第もありません。特に体調が悪いわけではありませんが、つい睡魔に襲われまして、午睡をむさぼっておりました」

 石庵は半身を起こして詫びた。

 石庵ほか一同が一階の庶務室へ移動し、着席すると、甃庵が切り出した。

「実は、懐徳堂へ新たに一人、講師を招聘したいというご相談です」

「ほう」

 甃庵は、日講を時間割通りにこなすためにも講師が必要であること、甃庵自身は家庭の事情で定型的に講義を受け持てないことなどを話した。

「異存ありません。むしろ、それは適切な対応だと思います」

 石庵は賛意を示した。

「学主でありながら、私がまともに講義をこなせず、穴を開けていることを申し訳なく思っておりました。最近、私が学主としてここに居座り続けていていいのかどうかについて、ちょうど考えていたところです」

 石庵は後ろめたさを感じていた。五同志の厚意に甘えたまま、その期待に応えられていない自分が情けなかった。

「そのようなことはおっしゃらないで下さい。我々が石庵先生に学主就任をお願いしたのは、先生にはこの塾の看板になっていただきたいという思いからです。失礼ながら、先生がお年を召されていることは承知の上でしたが、先生お一人に日講をすべて受け持っていただくことがそもそも無理なお願いでした。今後、日講は主に新任の講師にお任せし、先生の受け持ち分は減らすということでご了解下さい」

 三星屋がそう言うと、石庵は、申し訳ないと言って頭を下げた。

「ところで、講師として招聘する方はどなたでしょうか?」

「五井持軒先生のご子息、蘭洲殿にお願いしたいと考えております」

 甃庵がそう答えた。

「蘭洲殿?」

「火事の後、蘭洲殿は先生と同様に平野郷へ避難し、含翠堂で講義を受け持っているとお聞きしております。その学識と、人物の堅牢さからして適任ではないかと、私もご一同も考えております」

「私も蘭洲殿なら適任だとは思うが、果たして、引き受けてもらえるだろうか……」

「何か、蘭洲殿にご事情でも?」

「江戸へ出たいと考えているようです。その際、私が江戸の知人あてに手紙をしたため、便宜を図ってもらえるように依頼することを蘭洲殿と約束もしています」

「それは、知りませんでした」

「ただ、本当に江戸へ出る気なのかどうか。蘭洲殿はまだ決めかねているのではないかと思います。説得すれば、懐徳堂の講師を引き受けてもらえるかもしれません」

「懐徳堂へ来ていただける芽は残っている、ということですね」

「可能性はあると思います」

 翌日、甃庵が平野郷へ赴き、蘭洲の招聘に当たることになった。腹を割って話せば、きっとうまくいくであろう。甃庵はそう思った。


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