ロスト・ジパング1853 再定義の都 エド・シティ編 2
第二話:亡霊たちのギルド
エド・シティの夜は、青白いLEDの光に支配されている。二十四時間稼働し続ける工場と、全市民のバイタルデータを吸い上げる監視塔「ポイント・ゼウス」のハミング音が、この街の呼吸音だ。
ケン・サトウは、官舎の狭い自室で、神経接続型のヘッドセットを装着した。網膜に『アザーズ・ヒストリー』のログイン画面が投射される。このゲームは、表向きは「高度な歴史推論アルゴリズムの負荷テスト」という名目で許可されているが、その実態は、現実に居場所のない若者たちが「あり得たかもしれない自分」を演じるための、巨大なシェルターだった。
仮想空間の広場に降り立つと、ケンのアバターに三つの影が近づいてきた。
『遅かったわね、ケン』 最初に声をかけてきたのは、細身の女性アバターを持つサラだった。現実の彼女は、ユーロヘゲモニー(欧州覇権体)が管理する隔離都市で、帝国の演算処理のために脳を徴用されている「リテラル(特定技能階級)」だ。彼女にはもはや固有の国籍はなく、ただその「高い知能」というリソースのみが価値を持ち、ユーロヘゲモニーよって管理されている。
『北日本管区(ロシア領)のサーバーから、面白いデータが届いているんだ。解析してたら時間が溶けたよ』 大きな熊のようなアバターは、イワン。彼は、かつて貴族の血を引くと噂される北の勢力圏に属しているが、日々の糧を得るために帝国のハッカーとして働いている。
『ケン、君が昨日言っていた「あの文字」についてだが……』 最後に口を開いたのは、仏領東部大陸連合出身のチャンだ。彼の故郷もまた、十九世紀の日本をモデルにした人種管理学の実験場となり、独自の言語と文化を徹底的に「翻訳」され、消去された。
ケンは、昨夜見つけた『独立』という文字のホログラムを、クランの共有スペースに展開した。暗闇に浮かび上がる、鋭利な墨の跡。
『……美しい』 サラが、感嘆の吐息をついた。 『私たちの言語は、命令と論理のために最適化されている。でも、この記号には「情念」が組み込まれているわ。一文字の中に、数万語の論文よりも重い意志が圧縮されているみたい』
『イワン、君が手に入れたデータは何だ?』 ケンの問いに、イワンが重いファイルを展開した。 『一八五三年の分岐点における、日本列島の防衛シミュレーションだ。……信じられない。この世界線では、日本は降伏していない。それどころか、この複雑な文字を使って、自分たちの独自の軍事理論を構築し、列強の蒸気艦を一度は撃退しているんだ』
シミュレーションの映像が流れる。そこには、星条旗ではなく、太陽を象った旗を掲げ、見たこともない甲冑に身を包んだ男たちが、自分たちの言葉で叫び、笑い、そして死んでいく姿があった。
「もし……」 チャンが、絞り出すような声で震わせた。 「もし彼らが、最後までこの『言葉』を守り抜いていたら。僕たちの故郷も、ヘゲモニーだの連合帝国だのといった列強の所有物ではなく、自分たちの真の名前を持つ『国』として存在できていたのかもしれない……。そうなんだろう、イワン?」
四人の間に、重い沈黙が流れた。彼らはみな、エリートとして教育され、帝国のシステムを支える部品として生きてきた。不自由はない。平和もある。だが、この文字を見た瞬間に感じた「魂の飢え」だけは、帝国のアルゴリズムでは決して埋められないものだった。
『ケン、このデータをどうするつもり?』 サラの問いに、ケンはしばし逡巡した。
「……まずは、この『死せる文字』の意味を完全に復元したい。そして、シミュレーションをさらに進めるんだ。一八五三年の先にある、僕たちが失ったはずの二〇××年の姿を」
彼らはまだ、自分たちの好奇心が何を招くのかを知らなかった。 この「ロスト・コード」の断片をネットワークに繋ぎ止める行為が、世界を統べる完璧な管理システムにとって、許されざる「致命的なエラー」と見なされることを。
二十一世紀の若者たちが、無邪気に拾い上げた一片の文字。それが、やがて巨大な帝国の屋台骨を揺るがす「思想のウイルス」へと変貌していくことを、この時の彼らはまだ、予感すらしていなかった。
(つづく)




