第四章 願いの天秤 11
翌日、昼過ぎごろに、ドレッドのグラファド邸の倉庫で、鑑察官検分が行われた。
倉庫の薪割り台の付近で、リドリーが情動感知で場所を特定し、エリスが情動採取をした。
夕方までには、シャーレの中に薄紫色の結晶が確認された。それは、マクダリオを殺害した倉庫の作業場で採取されたものと同じ、『枷鎖の砕破』の情動結晶だった。結晶で見る風化状態から、同時期のものと解釈できた。
「ここにいたのか」
ロイは、ドレッドの町局の局舎にある、監視台に出た。建物の四隅に張り出した石造りの小塔の一つで、緊急時に鳴らす紅色の鐘楼が、夕陽に照らされていた。
リドリーは、監視台の石塀に両腕を乗せ、町の景色を眺めているようだった。ロイは隣に立って、青く広がる空を仰いだ。ハニーブラウンの髪が、青い風をはらんだ。
「凶器が見つかったよ。スダリの供述通り、林の中に木槌が埋められていた。槌の形状は、薪割り台のへこみと一致したし、サビの一部も、血液によるものと確認ができた」
リドリーは、無言で頷いた。ロイはチラリと周りを見て、
「エリスは?」
「ここの詰所で休ませてもらってる。ずっと移動だったし、採取でもだいぶ消耗させちゃったから」
「とても張り切っていたね」
ロイがそう言うと、リドリーの横顔に笑みが浮かんだ。
昨夜のうちに、ロイは捜査室に掛け合って、ドレッドでの検分を申し入れた。事情を話すと、緊急の馬車を出してくれることになり、ドレッドに向けて夜を徹した強行軍となった。
激しく揺れる馬車の中で、エリスはずっと気持ち良さそうに眠っていたが、それでもさすがに疲れが出たのだろう。
「エリスだから結晶にできたのかも。結局、次元構築ができなくて、情動の空間には入れなかったくらいだし。もう昇華が始まっているんだと思う。四年間、よく残ってた」
「そうだね。オリナは、とても強い情動の持ち主だったのかも知れないね。殺人の予行の時も、ただならない思いで、薪割り台の上に父親の姿を見ていたはずだよ」
スダリが当時、わざわざ屋敷の倉庫の薪割り台を使って、殺人の予行をするとは考えられなかった。内部の者、つまりオリナの犯行であることが、これで証明されたのである。
オリナからの手紙に誘われたスダリが、マクダリオを事故死に見せかけたのは突発的な行動で、もはやスダリがマクダリオを恨んで殺害したという説は、完全に消えた。
「薪割り台の情動結晶は、オリナによる殺害計画があった証拠になる」
すでに、帝都に向けて伝書鳩が放たれていた。日没までには、この結果が捜査室に届くだろう。
ロイは、リドリーの横顔を見つめて言った。
「君は、他の奴にも見える証拠を見つけたんだ」
しかし、リドリーの表情は、悲しげに見えた。
無理もない、とロイは思った。結局、火災現場でリドリーが目撃した情動は、まだ証明できないままである。スダリの記憶も戻っていない。これで捜査は、ほぼ振り出しに戻ってしまったのだ。
リドリーが見たように、『失誤の隠匿』の情動の後、まもなく『辛苦からの解放』の情動が出現した。もちろんその時点ではオリナは生きている。いったい何が起こっていたのか――
「それとさっき、ドレッドに来ている警察官から、報告があったよ。スダリがオリナから託されていた鍵、あれは、ドレッドの商人ギルドが管理している貸金庫の鍵だったんだ」
ギルドでは、財産保護のため、それと分からないよう貸金庫ごとに鍵の意匠を変えているのだという。それでも簡易のものらしく、鍵を持ってさえいれば誰でも中を開けられる運用だった。
「貸金庫には、宝石がいくつかと、本金庫の鍵、それにオリナの遺言書が入っていた。証書局で管理されている原本と同じ内容の正本だったようだよ」
ふと、風の中に、リドリーの声が混ざったように聞こえてきた。
「スダリは、あの手紙をどうして手放さなかったのかな……」
ロイは少し考えて、
「確かにあの手紙は、当時オリナとマクダリオに確執があったという証拠になる。もしマクダリオを殺害した時に手紙が見つかっていたら、オリナは最初に疑われていただろうね。その罪を隠そうとしていたスダリにとっては、危険なものだったはずだ」
事実、今はスダリが殺人計画に巻き込まれただけという証拠になっている。
「けれど、手紙には、オリナのハリへの気遣いが書かれていた。きっとスダリは、オリナの気持ちと希望を捨てられなかったんじゃないかな」
そう言ってから、ロイはあることが気になった。
希望をしたためたオリナの手紙を、スダリは捨てられなかった。
オリナの希望とは、ハリと共に暮らすことだった。同時に、病を抱えたハリに療養と薬を与えたかったに違いない。しかしハリやパルファは絶縁されて相続権を持っていなかった。だからこそ遺言書を書いたのだろう。
だが今はもう、それすら叶わない。なぜなら、オリナが父親を殺害したことが発覚してしまったからだ。
親を殺した者は、その時点に遡って相続権を失う。遺言書があったとしても、オリナが相続できない財産を、ハリに託せるはずがないのだ。
スダリは、オリナが父親を殺害したことを隠したかったに違いない。では、その動機でオリナを殺害したのだろうか?
いや、可能性はなかった。その思考は『失誤の隠匿』情動が支配するものだ。この情動では、スダリはオリナを殺害していない。
その後の安楽死情動、『辛苦からの解放』情動が――
ロイの呼吸が、止まった。
この情動が安楽死情動と呼ばれるのは、同情した相手を苦しみから解放するために、死を与えようとするからだ。
そして扼殺を選ばないのは――
「付託……そうか、そういうことか……!」
ロイは、思わずリドリーを見つめた。
リドリーは、哀しげな眼差しをロイに向けた。
「見つけていたんだね」
「私、とても大切なことを見落としてた……」
「……それは、僕もだよ」
リドリーは、横顔になって目を伏せた。憂いを見せる女神像のようだとロイは思った。
「カッツさんが言っていたそうだよ」
捜査課長の名前を急に出したせいか、リドリーはキョトンとした表情になった。
「今のスダリには、裁判を受ける資格なんかない。たとえどんな判決でも、奴はただ受け入れて、ただ処せられて、償ったような服を着せられるだけだ、って」
ロイは、ゆっくりと穏やかな口調で、
「僕も、よくサリアスさんに言われたよ。事実だけを見ろ――それは、僕たちだけに対する言葉じゃない。スダリも同じだと思うよ」
ロイは、リドリーの目から戸惑いが消えていくような気がした。
「取り調べで、確かめるしかない」
すると、リドリーは頷いた。少しだけ、口元に笑みが戻っていた。
ロイは、リドリーが途中まで書いていた、情動結晶捜査鑑定書を思い浮かべた。いずれ自分が続きを書くかもしれないからと、資料の一つとして確かめていたものだ。
情動結晶の採取場所、採取方法、使用した薬剤、採取した情動の分類などの欄までは、すでに記載されていた。そして「犯意および鑑定理由」「背景となる犯行動機」の空欄が続いている――
リドリーには、そこに書かなければならないことがあるのだ。




