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第四章 願いの天秤 10

「ひどいです、寂しかったです、遅いですー」

 鑑察課の執務室に入るなり、リドリーはエリスに抱きつかれた。


 部屋に残っていたのは、エリス一人だった。リドリーが取り調べに出かける時にちょうど入れ違いになり、帝都に帰って来てから、ちゃんと話ができていなかった。


「お茶をいれよう」

 ロイは、共同厨房につながる小さな配膳室に向かった。

 リドリーは、ホッと息をついた。エリスの肩に手をやって、そっと腕の絡みをほどいた。エリスのおかげで、リドリーは頬の火照りが静まるのを感じた。


「ただいま。心配かけてごめんね。手紙、ありがとう」

「えへへ、バレちゃいました?」

 エリスはニカッと笑った。


「もうみんな帰ったのか。――あ、そうだ。課長にも挨拶をしとかなきゃ」

「今日は、いませんよ」

 と、エリスは課長室につながる扉を見て、「朝からお休みなんです。続けて徹夜をしたらしいですから」

 何があったんだろう、とリドリーは思った。


 ロイが温かな紅茶を入れてくると、リドリーは机からクッキーを出した。エリスは自分の椅子を持って来た。

 紅茶の香りが、帰って来たことを改めて実感させる。取り調べの衝撃を思い返しても、不思議と心地は平静だった。


 机に、捜査書類が広げられた。

「オリナが屋敷から倉庫に入ったと考えるのが、自然だろうね」

「うん。そこではマクダリオが荷積みをしていた」

 リドリーは、その様子を思い描きながら、「やっぱり、庭へ続く扉は、その時は閉まっていたと思う」


 オリナがスダリに宛てた手紙には、マクダリオと話をするとあった。おそらく、オリナの希望は叶わず、話が上手くいかなかったのだろう。

「そこを、木槌で殴っちゃったんですね?」


 凶器は、地面に杭を打ち込むための木の両手槌で、先端は鉄板で包まれたものだとスダリは言っていた。同様のものが三本ほど倉庫にあった。スダリの言う通り、病を抱えて伏せがちだった身で、よく重い木槌を凶器に選んだものだ。突然沸いた殺意がそうさせたのか。


 あの倉庫の作業場には、テーブルの下にナイフなどもあった。ずっと扱いやすいはずなのに――


 ロイも同じことを考えたらしく、

「凶器の選び方も不自然だけれど、さらにオリナは、殺害後に倉庫の扉を開けたことになる。そうでないと、庭から倉庫の中を見られないからね」


 そうなのだ。一般的には、犯行時はもちろん、犯行後も死体や現場を隠そうとするため、犯人は扉を開けたりしない。


 一方で、倉庫の門が開いていたというスダリの供述は、本当だろう。


 スダリは、オリナがマクダリオに話をするという手紙を気にかけて、飼い鳥を持って会いに来た。庭に回り込んだスダリは、倉庫から出て来たオリナの姿と、マクダリオの死体を見た。


 スダリの驚きは想像に難くないが、オリナはスダリを見てどう思ったのだろうか? 


 リドリーは、オリナがマクダリオを倉庫の中で殺害し、扉を開ける姿を思い浮かべた。扉は大きいが、身体を預けるように押せば滑らかに動く。病のオリナでも問題はないだろう。

 扉の向こうは、馬に装具をつける部屋だ。さらに庭に出る門も――


 リドリーは、一つの違和感を思い出した。

 ナージが座った、薪割り台だ。

 大きな薪割り台の硬い表面には、ナタの切れ込み以外に、強く叩かれたようにへこんだ跡が、いくつもあった。まるで――


 ――事実だけを見ろ


 リドリーの脳裏に、サリアスの声が思い出された。

 ガタリ、と椅子を鳴らしてリドリーは立ち上がり、机に手をついた。エリスが心配そうに、

「どうかしたんですか?」


 リドリーは、頭の中にオリナの黒い気持ちが流れ込んでくるような感覚に襲われた。リドリーは目を見開いた。


 ――あのへこんだ跡は、木槌だ


 先端の槌の部分は金属板で包まれていて、薪割り台のへこみと同じような大きさだ。

 薪割り台は、木槌で何度も叩かれていた。


「何か、気づいたのかい?」

 リドリーは、薪割り台の話をして、

「その薪割り台で、オリナはマクダリオを殺める予行をしてたんだ……!」


 話がこじれて衝動的に殺害したのではない。計画殺人だったのだ。


 そこに、スダリがやって来た。自分の手紙がきっかけになったとオリナは察しただろう。

 手紙には「また便りを送ります」と書かれていた。決してスダリを呼ぼうとした(ふみ)ではない。


 だがオリナから見れば、この手紙で殺害予定の当日にスダリを引き寄せることになり、計画殺人に巻き込んでしまったことになる。


 そしてスダリは、オリナを庇おうと転落事故に偽装していく。

 リドリーは、オリナはスダリを巻き込みたくなかったのかも知れない、というナージの言葉を思い出した。


 オリナは、自分のせいでスダリを罪に落としてしまったと思ったのではないか。スダリは、オリナから家族を奪い、『オリナを壊してしまった』と言っていたが、それはオリナも同じだったのだ。『スダリを壊してしまった』と感じていたとしたら――


 火災現場の書斎では、オリナの生存情動が見つからなかった。あったのは『失誤の隠匿』情動だ。意図せず壊してしまったものを隠そうとする情動。結晶では一つだが、情動空間では二度出現していた。


 あの結晶は、互いを壊し合った二人の情動が混ざったものではないのか。図らずも二人は再会した。スダリは、オリナの殺人の罪を隠したいと思い、オリナは、スダリの偽装の罪を隠したいと思った。


「それなら、説明がつくね」

 と、ロイは言った。「オリナが、なぜナイフなどではなく木槌を凶器に選んだのか。それは、オリナ自身が犯行を転落事故に見せかけようと計画していたからだ。倉庫の扉を開けたのは、マクダリオの死体を庭に出すためだったんだ」


「その役割を、スダリが背負った」


「最初から、二人が共謀してたんでしょうか?」

 エリスが、クッキーを飲み込んで言うと、ロイが答えた。

「それはないと思うよ。スダリは飼い鳥を持って訪ねていた。共謀者の犯行当日の行動には、そぐわないからね」

「じゃあ、完全にオリナの単独犯行じゃないですか。この線で行けないんですか?」


 リドリーは、首を振った。

 皆がどちらを信じるか、というスダリの言葉が蘇った。これは、倉庫で採取できた情動がオリナのものである前提で組める話なのだ。その証明がなければ、客観的には凶器の隠し場所を自供したスダリの犯行と考えるのが自然だ。


 凶器の木槌が――


 リドリーは、思わず息を呑んだ。

「ある。証拠なら、ある!」


 まだ、情動が残っているとしたら……!


 ――時間はない。けど、賭けるしかない


 身体が動きかけて、しかし反射的に止まった。

 ――また、私は気持ちを置いていくのか


「リドリー?」

 ロイの声に、リドリーは少し照れくさそうな顔になった。

「巻き込んで悪いんだけど……二人に、手伝って欲しいことがあるんだ……」

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