第四章 願いの天秤 09
リドリーとロイは、保安局の待合所になっているホールで、壁沿いの椅子に座り、しばらく休んでいた。
どれだけ時間が経っただろう。窓から見える外の景色は、もうすっかり暗かった。
取り調べの衝撃は、だいぶ落ち着いた。代わりに、疲労感がリドリーの身体を重くしていた。
二人は、法王庁に戻るため、ホールをゆっくりと歩いた。
この時間でも、制服姿の警察官が行き交っている。その様子を眺めながら、リドリーは重い足取りで歩を進めた。
少し前を歩くロイが、詫びた。
「力不足だった。ごめん。もう少し、上手く動揺を誘えたらよかったんだ」
ううん、とリドリーは首を振った。ロイの尋問で、スダリは充分に狼狽えていた。彼の目には、殺害現場に佇むオリナの姿が浮かんでいたに違いなかった。
倉庫の扉が閉じていたことには、確たる証拠はなかった。あくまでマクダリオの習慣から想像できるというだけの状況証拠で、スダリが冷静に考えていれば、反論の余地は充分にあった。しかしスダリは自供の寸前まで追い詰められていた。明らかに、ロイの追及が冷静さを奪っていた。
それを、一瞬でひっくり返された。
取り調べとは、被疑者を観察することだ。だが、逆にこちらも観察されているのだ。リドリーは、それに気づかずスダリに隙を見せてしまっていたことを悔いた。
――スダリは、ドレッドに捜査の手が回り、マクダリオの死の真相、そしてオリナの罪が露見することを恐れて、私に保険をかけさせたんだ。
ロイは、確信を持ったような口調で、
「オリナが実行したことは、きっと立証できる。何があるはずだよ」
スダリがマクダリオを殺害していないことは、リドリーには確信があった。
だがそれは、証拠能力のある情動結晶ではなく、リドリーが情動感知で見ただけのものだ。それも四年も前の痕跡から、オリナのわずかな特徴を確認したに過ぎない。他の者はもちろん、ロイにとっても、何の裏付けもないものなのだ。
しかし、マクダリオを殺害したのはオリナであると、ロイがあれほどスダリに詰め寄ったことが、リドリーには印象深かった。ロイはスダリの動揺を強く誘い、自供に落ちそうなほどに迫っていた。しかし、一歩間違えれば、誘導尋問あるいは根拠のない仮説で被疑者を追い詰めたと責を問われ兼ねなかった。
前を歩くロイの後ろ姿を、ぼんやりと眺めた。
皆は、どちらを信じるか――
あのスダリの言葉は、真実だ。
たとえ理解をしていても、そこに目に見えるものがあれば、誰しもがそちらを信じ、選ぶだろう。見えるということは、人にとって、それだけ強い力を持つのだ。
自分にしか見えないもの――
誰にも入れない壁を、ただ内側から見上げていた。
その高みに頂上などない、永遠に閉ざされた一人の世界。
リドリーは、サリアスと共にいた日を想った。
――先生は、私と同じ景色を、直接そのまま見ることができた
かけがえのない時間だった。
決して外には持ち出せない景色を、先生は見てくれた。
『おまえ……どこまで見えている』
先生の、まるで内緒話のように響く言葉を聞いた時から、私の世界は変わったんだ。
誰にも言えない、内緒の話のような――
ふと、ロイの後ろ姿が目に入った。
はっとして、胸が騒いだ。
ロイには、サリアスのような法術はない。
なのに、ロイは私が見たものを、私の言葉で聞いて、話をして確かめて、そこで何が起きたのか、それが誰の思いなのかを考えて、
――私と同じ景色の中にいる
胸の奥が、じわりと熱くなった。
その感覚に、リドリーは戸惑った。
「前から……その……少しだけ、聞いてみたいことがあったんだけど……」
しかし、続く言葉を、なぜか声にできなかった。
――どうして、そんなに信じてくれるの?
ロイは、歩みを緩めて振り返り、小首を傾げた。リドリーは、その視線を合わせられず、目が横の壁に逃げていた。
「なにか、聞いてみたいこと?」
「……なんでもなかった、と思う」
リドリーは、逸らしたままの目で、壁の模様を追いかけた。
法王庁に戻るまでの間、どんな会話をしたのか、リドリーは覚えていない。




