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第四章 願いの天秤 08

 取調室は、まるで儀式のような静けさだった。


 捜査室は待ちかねていたらしく、早々にリドリーたちの申請を通し、取り調べの段取りを組んでくれた。鉄格子の窓には、日没直前の強い陽光が差し込んでいた。


 取調室に通されたスダリは、その表情に光の陰影が彫り込まれたせいか、リドリーには疲れが浮かんでいるように見えた。今日だけで、五度目の取り調べになると聞いた。ずっと俯いたままで供述はなく、ほとんど調書には記録を残せなかったという。


 だが、スダリは伏目がちに、リドリーとロイを交互に見やっていた。鑑察官による取り調べがいつもの様子と違っているからなのか、動揺しているように見えた。


「ドレッドのグラファド邸に行って来ました」

 リドリーの言葉に、スダリの視線が宙に留まったように見えた。この捜査結果を待っていたのかも知れない。

「倉庫から、情動結晶を採取しました」

 目が合った。沈黙が長く感じられた。


 スダリの掠れた声が、意外に大きく聞こえた。

「それは、どのような……」

「あなたは、マクダリオさんを殺害した時、どんな気持ちでしたか?」

 リドリーは、答え合わせをするかのように尋ねた。明らかに試されていると分かるだろう。答え方によっては、自分のものではないという証明になりかねない。案の定、スダリは額に汗を浮かべて押し黙った。


「供述と一致すれば、あなたの情動であることの、有力な証明になります」

 唇を噛むような仕草が続いた。

「あなたの情動ではないのですね?」

「私が、殺したんです」


「マクダリオさんに会いに行ったのは、何故ですか?」

「ですから……雇っていただこうとして……」

「あなたは、マクダリオさんを恨んでいると言っていました。恨みを持った相手に、雇われたかったのですか?」

 スダリは、少し考えたようになって、

「オリナ様の役に立ちたいと思いました」


「マクダリオさんに、そう頼み込んだ?」

「――はい」

「でも、聞き届けられなかった」

「はい」

「その時は、どんな気持ちでしたか?」


 犯意につながる感情は、言いたくても言えるはずがない、とリドリー思った。スダリは黙っていた。


「マクダリオさんに殺意を抱く動機を持っているのは、あなただけではありません」

 反応を見ながら、ゆっくりとした口調で、「ハリさんも、同じです」

 スダリが、呆然とした顔を上げた。

「ハリ様が……」

 微かに何度も首を振る。「何を言って――」


「ハリさんは、当時ドレッドにいたことがわかっています。家を追い出され、病に苦しんだ。マクダリオさんに恨みを持つには充分です。動機も、状況も、あなたと大差はありません。あなたが記憶通りの具体的な供述をできなければ、当然、彼も捜査対象です」


 スダリが、目を見開いた。

「あなたが知っていることを、記憶にあることを話してください。殺害した時、どんな気持ちでしたか?」

 噛んでいた唇を、何度も解いて動かそうとしているように見えた。


 ――差し障りがないと思える記憶なら、話そうとするはずだ


「当日、グラファド邸に着いたあなたは、どこに向かいましたか?」

「――玄関に行きました」

「誰が出迎えましたか?」

「声を掛けましたが、誰も出ませんでした。使用人の気配もなかったので、庭にまわれば誰かに会えると思って、庭に回りました」


 リドリーは、少し考えて、

「あなたは、手ぶらでしたか?」

 スダリは、少し戸惑ったような表情で視線を揺らしたが、

「いえ……。飼っていた白い鳥を持って来ていました」

「何のためですか?」

「オリナ様に……謝るためです」

 ここまで、スダリの話に嘘はない、とリドリーは感じた。


「庭に、誰かいましたか?」

「――いえ。そのまま奥に進みました」

「その後、どうしましたか?」

「倉庫に続く門が開いているのが見えました。――門を覗くと、旦那様の姿が見えました」

「マクダリオさんは、どこにいましたか?」

「倉庫の中におられました」

「マクダリオさんは、どうしていましたか?」

「――荷を改めておられるようでした」

「間違いありませんね?」

「はい」


 リドリーは質問を切り上げた。目配せをすると、ロイが話し始めた。


「ハリの居場所を書いたメモが、君のアパートから見つかったのは、聞いているだろう?」

 話が変わったせいか、スダリは戸惑ったように頷いた。

「ハリに、会ったよ」


 ロイは、驚きの表情を見せるスダリをなだめるように、穏やかに微笑んだ。

「事件のことは、何も話していない。まだ、彼は察してもいないだろうから、安心するといい。ずっと笑顔で、大勢の子どもたちに勉強を教えていたよ。慕われているようだった」


 見る間に、スダリの目が潤んでいった。

 頭を下げた。涙が、机をかすめて落ちていった。

「ハリに伝えたいことは、ある?」

 少し間があって、俯いたまま首を横に振った。手の甲で涙をぬぐい、また首を振る。

「ありません。もう、会う資格もありませんから」


「それは、どちらの罪のこと?」

 スダリが、視線を一瞬だけ上げ、口元を引き締めるように

「両方です」

「いずれ、ハリはこの事件のことを知らねばならなくなる。オリナが死んだことも、マクダリオが誰に殺害されたのかも。君の知っているハリは、今後、君やオリナを探さないと思うかい? その過程で、これらの事件に必ず触れることになる。その時、誰が正しく話せるんだ? 君やオリナの気持ちを、誰が伝えてあげられるんだ?」

 スダリが、ハッとしたような表情になった。


「君は、マクダリオを殺していない」

 ――ロイ?

 リドリーは、隣に座るロイを横顔を思わず見上げた。打ち合わせにはなかった話の流れになったからだ。


「ハリに、嘘をつくのかい?」

「――殺したのは、私です」

「倉庫で、どんな気持ちで殺害したのか、言えないのだろう? 君の犯行ではないからだ」

「私の犯行です」


「君は、オリナとハリを探していた。それは何故だ?」

「――ハリ様と一緒に暮らすことが、オリナ様の願いだから……」

「君がマクダリオを殺害したのだとしたら、偽装をするはずがない。もしも偽装が発覚してしまったら、今のように、動機のあるオリナやハリも疑われるからだ。君は単に一人で捕まればよかっただけなのに、君は偽装をして逃げた。安心して暮らすべき二人を危険に晒したことになる」


 リドリーには、スダリが明らかに動揺しているように見えた。

「君が偽装をして逃げたのは――」

 一度言って、ロイは微かに首を振った。「いや、君が偽装をして捕まろうとしなかったのは、それから先、罪を犯したオリナを守ろうとしていたからだ」


「……違う――」

「オリナに詫びるために飼い鳥を用意した君が、彼女から父親を奪えるのか? それとも、君が父親を殺害することは、彼女にとって幸せなことだったのか?」

 スダリが、一瞬目を見開いた。

「そんなわけが――」


「オリナは、君が父親を殺すことを喜ぶ人間だったのか?」

「違う!」

「オリナは父親が死んで、平気でいられたのか?」

「違う! オリナ様はそれを苦しんで――」

 スダリがハッとしたように口をつぐんだ。

「マクダリオの死体を見て、オリナは笑っていたのか?」

「違う! だまれ!」

「庭で、倉庫で、君はどんなオリナを見た?」

 スダリが息を呑んだように黙った。


「君には、庭から侵入してマクダリオを殺害することはできない」

「できる――できるじゃないか、庭から門を入って、倉庫にあった木槌で――」


「君は一つ、計算を間違えている」

 リドリーは、ロイの言葉を受けて、

「あなたは、庭からは倉庫に入れないはずです」

 殺害したことには嘘をついても、会うまでの経路は嘘をつかずに記憶を辿るだろう。そこに必ず矛盾が出るはずだ。ドレッドからの帰路で考えた、リドリーの筋書きだった。


「マクダリオさんには、一人で荷積みをする習慣がありました。それは、他人の改ざんを避けるためです。実際、当日は使用人たちに休みを取らせていた、と当時の捜査記録に残っています。そんな彼が、馬をつなぐのが翌日になる馬車の荷積みを、わざわざ倉庫の扉を開けたままするはずがないんです」


 スダリは、目を見開いて呆然としたような顔をした。

 マクダリオの習慣を見ていたスダリには、その様が容易に想起できたのだろう。

「マクダリオさんを殺害できるのは、屋敷の中から倉庫に入れる人物だけです」


 たとえ、訪問したスダリが玄関から屋敷の中に通されたという供述だったとしても、マクダリオが荷改めをする倉庫にまでは招き入れられるはずがない、とリドリーは読んでいた。記憶を辿りさえすれば、この二つの方法以外で供述はしないと踏んだのだ。


 スダリは、机上に拳を作り、微かに開いた口から震える歯を覗かせていた。

「君の記憶にあるように、門は開いていた。それは、内側から開けた者がいたからだ。君は、庭から中の様子を窺おうとした。そこで血のついた木槌を持っていたのは、君ではない。オリナだ」

 拳が、震えていた。


「その姿を見て、君は自分がオリナを守らなければと思ったのではないのか?」

 微かに、呻きが聞こえた。


「オリナは、――君が守ろうとした人は、父親を殺して平気な顔をしていたのか?」


「――平気な……そんなわけが……そんなわけがないだろう……!」


 スダリは、肘をついて両手で目を押さえた。嗚咽を潰すような唸りが聞こえた。


 ――これは、自供と見ていいのか?


 リドリーは、その様子を注視した。しばらく、部屋の張り詰めた空気が、危うい均衡を保っていた。


「……情動は……」

 微かに、スダリの声が聞こえた。「情動は、確かに残っていたのでしょうか……?」


 リドリーは、採取した結晶のシャーレを取り出した。規定に基づき、その分類を説明する。

「この薄紫色は、『枷鎖(かさ)の砕破』の情動結晶です。閉じ込められた気持ちを解き放つために、主に暴力に訴えようとする情動です。遺恨のある犯行時に、よく現れます。黄色の線は、『成就の快楽』情動。犯行が完遂したことを表しています。どちらも見ての通り、結晶の繊維が粗く、風化して消えかけていました。よく四年も持ったと思います」


 話しながら、リドリーは一つの疑問を思い出した。そうだ。スダリは、情動結晶が誰のものかが分かることを警戒していた。なのに、なぜ犯行現場が倉庫だと自供したのだろう? オリナの犯行だという証拠はまだ出ていないが、それを裏付けてしまう危険があったはずだ。


 ふふ、と小さな笑い声が聞こえた。

 スダリのものだと分かるのに、少しかかった。

「……私は、これまで嘘をつき過ぎました。今日の供述も、どこまで本気にされるでしょうか」


 何を言っているのだろう、とリドリーは訝った。同時に少し戦慄を覚えた。ロイも、身構えるように机に手をついた。


 スダリは、震える歯で下唇を噛み、ゆっくりと顔を上げた。

「警察は、私が旦那様を殺したと思っているはずです。では、私が凶器の場所を自供したらどうでしょうか? その通りに凶器が出てくれば、私が殺した何よりの証拠となるでしょう。私は裁かれるのです」


 濡れた目は、これまでにないほど鋭く光り、宙を睨んでいた。

「凶器は裏の林に埋めました。場所も詳しく供述できる。ですが、あなたの話では、もう凶器からは何の情動も出ないでしょう」


 リドリーは、前の取り調べで、武器に残る情動の話をスダリにしたことを思い出した。鳥肌が立った。


 倉庫内の情動の風化状態を調べさせ、屋外の凶器に情動が残っているかを判断しようとしたのだ。


 もちろん、凶器から情動が出たところで、それがオリナのものだと分かるとは限らない。だが、隠し場所を『安心して』自供できるようになる。凶器のありかを知っていることは、犯人であることの何より強力な証拠だ。スダリは、その場所を自供しても大丈夫かを確かめるために、倉庫の情動を生贄に差し出したのだ。


 ――このための質問だったのか!


 リドリーは愕然とした。


「オリナ様には、犯行は無理だと思いませんか? 手足が錆びるような病を患い、あんなに重い木槌を凶器にするなど不自然です。誰もがそう思うはずです」

 スダリは半ば泣き声のまま、しかし誇るように言った。「どんな情動も、もう出ない。あるのは私の供述通りに、オリナ様に使えないような重い凶器が出るという事実だけです。皆は、どちらを信じるでしょう」


 リドリーは、尋問が打ち破られたのを悟った。


 荒い息にむせながら、スダリは歯を食いしばった後、絞り出すように掠れた声を出した。

「お願いです……私を裁いて下さい……!」

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