第四章 願いの天秤 07
リドリーが法王庁に戻ったのは、帝都を出てから三日後の昼だった。
待合停留所のある中央広場から、大通りを曲がって何辻かをまたぐ。たった三日間なのに、街路樹の彩りは秋が進んだように見えて、とても久しぶりの風景に感じられた。
そのまま庁舎につながる馬車道に入る。リドリーは法王庁の門をくぐり、東棟に向かった。
色づく広葉樹の木陰越しに、思いがけず、ロイが東棟の玄関から降りてくるのが見えた。
リドリーは声を掛けようとしたが、躊躇った。力を貸そうとしてくれたのに、にべもなく断ったことで、どうにも気が差してしまったのだ。
中央の旧館に向かって歩いているロイを見て、憂いを払って駆け寄ろうとすると、それより少し早く、ロイの足が止まった。遠目にリドリーに気付いたようだった。向きを変えてこちらに歩いて来る。二人は互いに近づいていった。
リドリーは片手を上げかけて、ふと止めた。挨拶が軽すぎるように感じたのだ。行き場をなくしたその手は、耳に髪をかけていた。
「……ただいま」
するとロイは、柔らかな笑顔で、
「おかえり。遠出の捜査、大変だったね。お疲れさま」
いつものロイだ、とリドリーはホッとした。胸のつかえが解けていく気がした。ロイはそっと、書類が入った方の重い鞄を持ってくれた。
「ドレッドは肌寒くなかった? 涼しい町だから」
「うん。朝起きた時、気付いたら毛布にくるまってた」
二人は、中庭のベンチに腰をかけた。互いの体調を気遣う会話のあと、
「また、状況が少し動いたよ。警察が、スダリの動機を見直し始めた」
スダリが調査員を雇ってハリとオリナを探していたという話を聞いて、リドリーは息を呑んだ。調査員の証言が取れて、オリナの居場所を掴めていなかったことが明らかになったのだという。
これで「オリナを追って夜警団に入り込んだ」というスダリの自供が崩れ、捜査は一時停滞を余儀なくされた。
リドリーは、頬が熱くなるのを感じた。これで、寝室で採取した『邂逅』の情動結晶が、スダリとオリナの二人のものだったと鑑定書に書けるのだ。
捜査室は、またスダリが嘘をついていたことで、スダリの供述はもはや信用できない、今の証拠だけでも裁判にかけるべき、という意見が出たという。
それでも犯行の筋書きは取らねばならない。スダリが火災現場で偶然オリナに遭遇し、便乗して殺害したという説や、他に侵入者がいたという説まで出ていて、スダリへの取り調べを重ねている状況だった。
「だから、鑑定書は、まだだよ」
と、ロイは言った。「課長も、粘ってくれた」
リドリーは、帝都を発つ前に、ロイがハーディに情動を見た事情を話していたのを思い出した。互いを分からないままに行き違いの気を遣うより、知っておくほうが良いこともあるのかも知れない。
「えっと、……あのね」
と言ったものの、言葉がまとまらなかった。とても簡単なことのような気もしたが、うまく伝えきれないという思いもあった。しかし、言葉の続きを待っているロイの様子を見て、リドリーは笑顔になっていた。
「ありがとう」
目が合うと、ロイは一瞬、視線が固まったようになり、
「どう……いたしまして」
と横を向いて、コホンと咳払いをした。
「マクダリオ邸で、結晶が採れたんだね。昨日の昼、クレイが教えてくれたよ」
ドレッドにいた捜査官たちが、帝都から持ち込んでいた伝書鳩を飛ばして、先んじて知らせを送ってくれたのだという。
「倉庫では、情動は見えたの?」
一瞬、言うことにためらいを感じたが、
「うん。……寝室で最初に現れた『邂逅』と同じ、オリナの情動だった」
霧に満たされて閉じてしまいそうな空間に、風化し切った弱々しい情動の姿があった様子を話した。
ロイはその間、自分の足元に目を向けて、考えに耽ったようになりながら、時折小さく頷いた。
「四年もの間、そうしていたんだね」
「うん。――もうすぐ昇華していくと思う」
「警察から、取り調べでスダリから何度も質問されたと報告があったんだ。マクダリオ邸の倉庫での捜査はどうなったのか、って」
やっぱり、そこが鍵を握っているんだ、とリドリーは思った。
取り調べでは、まだ伝書鳩の知らせをスダリには伝えていないだろう。情動結晶の解釈に絡む尋問は、鑑察官の職域だ。
「早速、取り調べの手続きをとるね」
すると、ロイが改まったような口調になった。
「実は、ハリに会って来たんだ」
ロイの語る、ハリが穏やかに過ごしているように見える光景を、リドリーは痛ましく感じた。この上、いずれ二つの事件を知る苦しさを掟められようとしている。
「僕も取り調べに出たいんだ。スダリに直接伝えたい。構わないかな?」
「うん。わかった。――正念場だね」
この取り調べで、スダリから真相を聞き出さなくてはならない。捜査期間は残されていないのだ。




