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第四章 願いの天秤 06

 朝、リドリーは駅馬車の停留所にいた。


 屋根と柱だけの造りで、窓口を兼ねた詰所と繋がっている。ドレッドの詰所は乗客の宿舎にもなっていて、四階建ての白く大きな建物だった。屋敷を調査したあと、リドリーはこの宿舎に泊まった。


 眠気が漂ってきて、リドリーは両手を上げて伸びをした。宿舎の寝室で、採取した情動の結晶を育てる作業が深夜までかかったために、寝不足になっていた。


 透明度の高い薄紫に、黒い影が透けて見える『枷鎖の砕破』の情動と、その周囲を包む金色の粉末を散らしたような環状の『成就の悦楽』情動が、シャーレの中で姿を現していた。


 情動がかなり弱いため、結晶の成長に随分と手間をかけたが、その甲斐あって識別可能な色彩になった。犯行現場を示す証拠にはできそうだった。もちろん、これがオリナのものだとは主張できないが。


 暗い倉庫の中で四年間、誰にも知られることなく人を恨み続け、犯行の完遂を悦び続けた。その情動たちは、もう間もなく女神の庇護にたどり着くだろう。


 だが、罪は消えない。


 オリナはどうだったのか、とリドリーは考えた。父親を殺め、その後、何を思って生きていたのか――


 スダリはオリナの犯行を隠そうとして、バルコニーから転落したように偽装したのだ。火災現場の件でも、隠し事をするのは、オリナを守ろうとする何かが影響しているのではないかと思えた。


 そして、疑問が残った。スダリは、なぜこの犯行現場を自供したのか――


 リドリーは、スダリの中に、情動が調べられることへの警戒感があるように感じていた。リドリーの能力は別として、調べ方ひとつで誰の情動かが分かることがあるからだ。


 それなのに、その危険のある犯行現場を供述した。リドリーは、その時のスダリの取り調べを思い返した。慎重に、迷いながら、しかし意を決して供述していたように感じられた。もしも何かのはずみで情動結晶がオリナのものだと分かってしまったら、庇った努力も水の泡になってしまうのに――


 詰所から、一人の武装した警備兵がやってきた。

「もうすぐ、来ますよ」

 と教えてくれた。リドリーには聞こえなかったが、さすが中継地点の守り人には、駅馬車の遠い角笛の音が分かるのだろう。


 朝一番の便は、隣町のグッフェンを経由してやって来るので、遅めの時刻だった。それでもドレッドから発つ人は少ないと見えて、窓口で乗車手続きをしたのは、今のところリドリーだけだった。


 自分は、帝都に帰ろうとしている。心残りはあった。

 倉庫を捜査した後、凶器を探そうと、屋敷のあちこちに当たりをつけて情動感知した。念のため、転落偽装をした現場や、バルコニーで集中的に捜索した。だが、全く何の感触も得られなかった。


 そもそも古い情動である。狭い範囲で強い術圧をかけないと反応しないため、屋敷中を広く調べることはできなかった。凶器を隠しやすそうな場所に絞った。あとは、埋められる地面……広い庭、林の中……リドリーは気が遠くなった。それに殺害現場の情動ですら風化しきっているのだから、屋外ではもっと前に消滅しているだろう。


 倉庫で情動が出たことは、ドレッドに来ている警察の捜査官に伝えた。もちろんオリナの情動だとは言えないが、木槌であろう凶器がどこかに隠されているはずだとも共有し、彼らが探してくれることになった。

「どんなことをしてでも見つけるから、安心なさい」

 とナージも励ましてくれた。


 しかし、時間はなかった。今リドリーが停留所にいるのも、早く鑑定書を書かなければと思うゆえだった。スダリに、オリナの犯行であることを認めさせ、あるいはそれを裏付ける供述を得る必要があった。


 スダリにどう自供させるのか。自信があるわけではなかったが、身柄を軍に引き渡されてしまっては元も子もない。尋問の筋道を考えないと――


 焦る気持ちを抑えようと、リドリーは鞄を開けた。すでに全ての捜査内容は頭には入っていたが、捜査資料を見ながら、取り調べに向けた策を考えようと思った。

 鞄の中で、ハーディから渡された資料に手を触れた。相当量あるので、それだけを革の書類入れに収めていた。


 すると、見慣れない小さな紙切れが、書類入れからその端を覗かせているのに気がついた。


 不思議に思って、書類入れを開いた。紙切れは、メモを挟むポケットからはみ出していた。

 紙切れの薄い緑色を見て、差出人が分かった。


 ――エリスのメモ書きだ


 二つ折りされた紙を開いて、目を見張った。

 そこにはエリスの字で、『無理はしないでください。いつでも手伝います』と書かれてあった。


 この書類入れにいつの間にこんなメモを、と思う間もなく、機会は一度しかないことに気がついた。ハーディからこの資料を受け取った日の夕方、急いで院の実講についてエリスに助言をした時だ。


 身の入らない指導に感じたことだろう。こんな気遣いをさせてしまうなんて、指導担当としてあり得ないことだ。サリアスが聞いたら何と諭されることか――


 だが一方で、リドリーは別の思いに至った。


 ――私は、こんなことにも気づかなかったんだ


 ここまで思ってくれていたのに、ありがとうも言わず、一人で飛び出してきてまった。エリスにも、ロイにも――


 ふとリドリーは、一時間ほど前、町局へ挨拶に行ったときの、ナージとの会話を思い出した。


 倉庫で採取した情動が無事に結晶にできたことを、ナージに伝えた。そして、それがオリナのものではないかと思う、と話すと、

「いや、まさか。あのお嬢さんが」

 とナージは笑った。だが、リドリーの顔を見て、話に付き合ってみようと思ったのか、


「つまり、スダリはそれを庇おうとして、事故に偽装した、ということだね?」

「はい。スダリは当日、オリナのために飼い鳥を持って屋敷に向かったはずなんです。偽装の後もオリナを気にかけて、ずっと行方を探していたんだと思います。スダリは……もとの供述では、火災現場で初めてオリナの姿に気づいた、と言っていました」


 すると、ナージはしばらく思慮した様子になって、

「スダリは、お嬢さんの行く末を案じて、その罪を隠して守ろうとした。けれどお嬢さんはスダリに何も言わず、そのあと町を出てしまった。スダリの思いとは、きっと逆の行動だね。そうすると、お嬢さんはスダリを巻き込みたくないと思っていたのかも知れないな」


 そして、物憂げな遠い目になった。「考えてみれば、皮肉な話じゃないか。互いに、相手を思ってしていることなのに、相手の思いを考えていなかったわけだからな」


 リドリーは、まるで自分のことを言われたような気持ちになった。


 遠くから、角笛の音が届いた。

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