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第四章 願いの天秤 01

 ――なんで、俺がここにいるんだろう

 クレイは、居心地の悪さに、思わず目を閉じた。


 捜査室の上級室長の部屋だった。中は明るく広く、一つひとつの調度品も重厚感のある佇まいで、くつろぐには最適だろう。この息苦しいほどの重い雰囲気さえなければ――


 ここに来た経緯は明確だ。珍しく定刻に昼食を摂ろうと保安局を出たところで、先輩のロージャに捕まったのだ。ロージャは、どういうわけか鑑察課長のハーディと一緒だった。


「ちょうど良かった」

 ロージャにそう声を掛けられて、良かった試しは一度もない。思わず足を止めてしまったのが、いけなかった。


「鑑察課長殿を、中にご案内してくれ。オレ、今から非番なんだわ」


 交替夜勤が明けた後さらに残務をすると、いつもこの時刻になる。だが、多忙なのはお互い様の職場だ。クレイも遠慮はない。


「自分は、これから昼飯を買ったら、そのまま外を回ります」

「野獣のとこなんだわ」

 クレイは、嫌な顔を隠さなかった。またこの人は面倒なことを――


「案内させますんで」

 と、ロージャはハーディを促して、さっさと話を進めた。チラリとクレイに目をやって、

「ほら、最近おまえ手柄あったじゃないか。被疑者が現場で鍵を手に入れてたってやつ。あれ、喜んでたらしいぞ。まだ顔出してないだろ?」


 それはもともと俺の手柄じゃないし、とクレイは思った。そもそもスダリの動機を覆したアレを、あの野獣が喜んでるはずが……


 考えているうちに、

「ありがとな。カッツさんにも伝えといてくれ」

 あっという間に、ロージャは去っていく。何度か振り返って、詫びるように片手を上げていた。目は笑っていた。


「ああ、クレイ君、申し訳ないですね。案内をお願いします。私も急に呼ばれたもので、手ぶらですみません」

 とハーディが会釈すると、クレイはため息とともに、昼食を諦めた。


 上級室長が鑑察課長を呼び出すなんて、とクレイは戸惑った。ちょっと穏やかではない。しかし、最近の局内の動きを考えれば、目的はすぐに分かった。スダリの件で、情動結晶の鑑定を迫ろうというのだ。


 上級室長のアンカディロ・カルベロは、保安局の二階の自室にいた。

 部屋の中央には、応接テーブルを挟んで、ハーディとカルベロが向かい合って椅子に座っていた。


 なんて不釣り合いなんだろう、とクレイは思った。ハーディは中肉中背の体格なのだが、カルベロは、広場の噴水にある石像のように大きい。ちなみに人の像ではなく、その足跡が湖になったという神ダイラスの彫刻だ。


 ソファに座るとその差は顕著で、肘置きからはみ出す脚と胴体が強調されて、ゾウとアリを連想させた。


「ご足労をいただき、感謝しよう。お呼び立てした手続の経緯はいるかね?」

 その身体のどこで響いているのか、カルベロの地声は楽器のようにとても大きな低音だった。ハーディは、磨き上げられた褐色のテーブルに視線をやりながら、いえ、と呟くように答えた。


 カルベロは、捜査室長であるカッツの直属の上司にあたり、よく二人の『口論』を耳にする。だが互いに考え方が近いのだろう。最後には合意して、後を残してはいないようだった。


 案内が終わったとばかりに、クレイは部屋を出ようと軽く会釈した。すると、カルベロは大きな目でギロリとクレイを睨んだ。動けなくなった。ここにいて話を捜査室に伝えろという意味なのだ。


 どうして重い刑事事件を扱う捜査官たちは、こんなにギャングのような雰囲気を持っているのだろう、とクレイは配属されて間もない頃に思ったことがあった。先輩が言うところによると、ギャングたちには複雑なつながりがあって、裏社会での見えない序列の中にいる。彼らの情報を芋づる式に得るには、彼らの序列基準に入り込んだ方が効率がいいのだという。


 それを演じているうちに、内なるオーラが出るらしい。

 クレイは、自分の将来を憂いたくなった。


「ならば、さっそく本題に入ろう。アドル神教区の火災殺人事件で、未だに情動結晶の鑑定書が発行されていない」

 じっくり獲物を狙うような目で、客人を見ていた。


 保安局の上級室長と法王庁の鑑察課長は、クレイの知る限りの組織力学では、ほぼ同等のはずだ。だが、この様はどう見てもカルベロの貫禄が圧倒的だと思われた。


 保安局の上級室長は、もとを辿れば貴族の名誉職なのだが、平民の推薦枠に充てられていた。極端に悪い言い方をすると、実力のある者を平民から登用し、失態の責は本人にとらせ、功績の褒賞は推薦した貴族にも与えられる。


 その甘い汁を吸いに、多くの貴族がこぞって平民を枠に充てていた。形骸化した組織を改革するため、民間登用を進める段階的な措置で、皇宮の意向だった。カルベロもその一人である。現場からの叩き上げだ。


 上層部に、「夜道で賊に首を斬られたくなかったら、保安局に刑事部を作れ」と苛烈に主張を繰り返しているという。周辺諸国の不穏な情勢が、組織的で凶悪な犯罪を増やす。罪状に合わせた専門の捜査部隊を編成しなければ対抗できない、というのが持論だった。


 野獣、と上層部からは揶揄されていた。


「規程によると、逮捕後七日以内に、鑑定書を発行すべきものとある」

 珍しく正論から入った、とクレイは思った。いつも突飛な台詞を吐くので周りがついて行けず、会話にならないがゆえの二つ名である。


「今日だ」

 逮捕当日は数に入れないので、正しくは明日までだ。やっぱり雑な人だ、頭に血が上っている。

 だが、そこは二人の論点ではないようで、ハーディもチラリと視線を向けただけで、何も言わなかった。


「こちらからの再三の要請にも応じず、未だ鑑定書を発行する兆しもない。果たして、法王庁は我々と協力する意思はあるのか?」

「そ……そうですね、たいへん時間が掛かっておりますね。わたくしとしても、事件の解決を致すべく……その……力を尽くしたいと……」


「現場には被害者と被疑者のみ。侵入者の形跡なし、首には扼殺痕、そして殺害の自供。『辛苦からの解放』の後『失誤の隠匿』で被害者を扼殺した。これに何の疑問がある?」

 徐々に早口になり、まくし立てるようになった。野獣が転がりだしたとクレイは思った。


「その……煤煙中毒が死因である可能性もあるため、扼首は殺人に至らなかった説もある……かと」

「それは裁判で争えばいいことだ。これだけ状況が揃っていて、殺した可能性を見逃すのか? 救護隊員という命を救うべき立場でありながら市民の命を奪う輩を、野放しにするつもりか!」


 全身の皮膚が震えそうなほどの音量だった。建物中に聞こえたかもしれない。だったら誰か助けに来てくれよ、とクレイは祈った。


「ええ……被疑者は、記憶も曖昧で……」

「忘れたと言えば罪にならんのなら、誰だってそう言うわ!」

 カルベロは、怒りを隠そうとしなかった。「期限を守れん鑑定を、どうするつもりか?」


 通常なら「犯意不明」となるだろうが、今回は殺害の自供があるため、何かしらの犯意鑑定が必要になる案件だ。

 ハーディは、額に汗を浮かべて、

「原則では七日間ですが、新たに逮捕されたドレッドの事件が関係しているために、そちらの裏付けを取る必要がありますので……」


 一瞬、カルベロが言葉に詰まったように、口をつぐんだ。確かにそうか、とクレイは思った。このほど、スダリをマクダリオの件で逮捕したが、それをオリナ殺害の動機に絡めたのは、スダリであり、警察でもある。鑑定の期間延長をするには、もっともな理由だ。軍の引き渡し要求に対抗する口実が、そのまま鑑察課への猶予になる。


「その……関連した事件の捜査のため、ドレッドでは情動結晶の採取なども必要に――」

「四年も前の情動など、遠に消えておるわ!」


 カルベロは、ソファの肘置きに拳を叩きつけた。ゆっくりと揺らいだ鼻息を吐き、

「いいか、今は、悪しき風習と新しい規律との戦いだ。街の、帝国の、その治安を我らの手で守らねばならんのだ。おめおめと被疑者の身柄を軍に引き渡すことはできんのだ」


 軍に対抗するためだと素直に主張を変えたのは、鑑定書の期限では話が維持できなくなったからだ。こういうところは分かりやすい人だ、とクレイは思う。単純で準備が浅い。その分、押しは強い。


 クレイも、軍の伝令が気になっていた。しかしどういうわけか、保安局の詰め所にいた伝令たちは、昨日から姿を消していた。意図はわからないが、引き渡しが今日明日という火急の事案でなくなったのは確かなようだった。


 そのことをカルベロに報告したカッツが、「野獣も首を傾げてたよ」とクレイに漏らしていた。


「我らで治安を守る意思を示す時だ。待ってなどおれん」

「その……ドレッドでの検分次第では、被疑者が扼殺に至るほどの遺恨をもっていたのかどうか、手がかりが掴めるかも知れませんし――」

「それは裁判に委ねろと言っているだろう! のらりくらりと言い訳ばかりしおって、情動のないところに鑑察官が何の捜査をする気か? 事の大きさが分からんのか!」


 身を乗り出してテーブルを激しく叩いた。「そのような者であれば、捜査官としての資質を疑わざるを得ん」


 まずい、とクレイは思った。「捜査官の資質を疑う」とは「兼務任官を解除する」という意味である。


 鑑察官ではいられなくなる。


 しかし、そんなことをすれば、さすがに法王庁だって黙ってはいないだろう。これまでに不適性で解任された者はいるが、みな法王庁との協議の上だった。よほど筋を通さない限り、治安維持のための協力体制に水を差しているのは警察だ、と逆に言われかねない。下手をすると皇宮の耳にも入る。警察にとっても「兼務任官」は義務なのだ。


 だから、決して言葉通りに本気ではないはずだ、とクレイは思った。だが少なくとも、カルベロの強い意思は、ハーディに伝わったはずだ。


「軍の悪しき伝統を排するためにも、保安局として示しが必要だ。我々警察とて無傷ではいられない。法王庁の担当官にも、人柱になってもらう。捜査官を解任する」


 さらりと言われて、クレイは聞き流しそうになった。


 ――本気か!


「代わりの鑑察官を誰にするか決めたまえ。その旨、法王庁に使いを走らせよう。直ちに鑑定書を発行してもらう。それまで、この部屋からは出られんよ」


 しばらく、沈黙があった。


「……まことに、わたくしたちの権限は、この帝国が市民の安寧を守るためのもの。みな、力を尽くして、身を粉にして、捜査を続けている……」

 ハーディは、そっと視線を上げた。「警察官の方々は、ドレッドへの行き帰りでは、早馬を駆り、森の中の悪路も通り、手に脚に水脹れを作って、捜査にあたられたと伺っています。とても殊勝な姿勢だと感じ入っておりました」


「もちろんだ。ドレッドでの過酷な捜査が実を結び、千金の結果を持ち帰って来てくれた。その努力を、ここで無にはできん」

「本当にその通りです。まったく同じ意見です」


 ハーディは、ぎこちない笑みを浮かべ、カルベロの目をじっと見つめ返した。

「わたくしも、部下が持ち帰ってくる結果を、この部屋で待とうと思います。数日かかりますが、一緒にお付き合いをいただけますか?」


 部屋の空気が、凍りついた。


 カルベロは、驚愕したように見開いたむき出しの眼球を、頼りなげに微笑む客人に向けていた。石像のようだった。

 そして誰も、動かなくなった。


 え? と、クレイは沈黙の中で、成り行きを考えた。


 ――俺、今日ここに泊まるの?

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