第三章 孤独な景色 10
暗い街道を走る駅馬車に、角笛の力強い音が聞こえた。
同乗している警備兵が吹いたものだった。短く刻む単純な旋律が、駅馬車の後部外側に設けられた監視席から響いた。間もなく宿駅に到着する知らせである。
暗がりの馬車の中にいた乗客から、空気が溶けるような安堵の声が上がった。リドリーの斜め向かいに、年配の夫婦らしき一組が同乗していた。
夕べの雨で、ドレッドに向かう街道がぬかるみ、四頭立ての駅馬車のあゆみを遅らせていた。遠に陽は落ちてしまい、辺りは暗闇に包まれている。朝からの移動で、すでに三つの宿駅を乗り継いでいたが、ようやく予定の宿駅に到着する。
リドリーは、前方の小窓から、馭者の背中越しに遠く小さな光の群を見た。
次の宿駅が、乳白色の灯りと篝火を灯しているのだ。
リドリーは、薄いクッションの座席に腰をかけたまま、脚を伸ばした。長時間の馬車で身体のあちこちが痛む。鉄製の車体が揺れで軋む音が、まるで自分の骨が悲鳴を上げているように聞こえた。
宿駅に着いたら、軽く身体を動かしてから休もう、とリドリーは思った。軽い夕食を、既に一つ前の宿駅で摂っていた。
夜を明かし、また明朝に駅馬車に乗れば、昼にはドレッドに到着する。着いたら現地の警察に向かい、まずは当時の事故資料を調べる予定にしていた。
幸い乗客は少なく、隣の席にカバンを置けた。ぬかるみで馬車の揺れが激しく、文字を読むと酔うので、書類はずっと鞄に仕舞ったままだった。
「ようやく、無事に到着いたしますな」
夫らしき男性が、リドリーに声をかけた。暗がりで顔の表情は見にくかったが、柔らかく穏やかな声だった。
「ええ。何事もなくよかったです。付き合わせてしまって、申し訳ありません」
リドリーがそう言うと、男性の薄暗いシルエットが首を振った。
「とんでもない。術師の方がおられるなんて、こんな安心な道中はありません。私たちはとても幸運です」
一つ前の宿駅に着いた時、既に日は傾き、日没までに次の宿駅には着けない時刻だった。本来ならそこで乗客を宿泊させ、翌朝に出発するのが規則だった。だが、交代のために宿駅で控えていた警備兵が、リドリーの法杖に気付き、
「ご公務ですから」
と、予定通り駅馬車の馬を交代させ、出発を促してくれたのだった。
特別の優遇というわけではない。都市間をつなぐ駅馬車は、盗賊の標的になることがあった。法王庁の術師が搭乗する時には、警備兵と協力して賊から駅馬車を守るのが、古来からの慣わしなのだ。決められた規則などなかったが、互いに職務を支え合う関係だった。
帝都から同じ駅馬車に乗っていた年配の夫婦は、そこで宿泊して夜行を避けても良いのだが、
「術師様とご一緒に」
と迷いも見せず同乗した。多くの市民はこの慣習を知っていて、その方が安全だと認めているのだ。
有事の時に驚かないよう、馬に銃砲の音を聞こえなくする術をかけると、警備兵にたいそう喜ばれた。法具として汎用されていない術だった。宿駅で馬が変わるたびに施した。暗くなる前には、進む先の地面を照らす光の法術もかけた。賊から目立たないように、進行方向に向いていないと感じない特殊な光だった。
長年にわたり、こういう関係の積み重ねで、法王庁の信頼は培われてきた。医術でも、開拓でも、そして治安でも。
ここにいる人たちのためにも、果たさなければならない役割がある――
それを、嘘で築かずに済ませるには、証拠を突き止めるしかないのだ。リドリーは、今回の事件を思った。
窓の外に広がる夜を、睨むように見つめた。そこに見えるはずの全てを覆い隠している闇が、リドリーの視線も飲み込んでいた。
――この暗闇から、必ず糸口を見つけるんだ




