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第三章 孤独な景色 08

 翌日――

「担当鑑察官を連名にする特例準備はできてるよ。いつでも発令できる」


 ロイは、重厚な調度品に囲まれた部屋に入るなり、ブロン・バハニアにそう声をかけられた。


 本題ではない話を切り出されて戸惑っていると、そう顔に出たのか、バハニアは拍子抜けをしたような顔になって、

「違う話らしいな……」

「いえ、その件なのは違いないのですが」

 と、ロイはドアを閉め、席の前に進み出た。右の手のひらをみぞおちに当て、独特の定型の礼をとった。


「ごきげんよう」

「ああ、ごきげんよう。いつも会ってはいるが、この部屋に来るのは、久しいな」


 バハニアは、丸顔の童顔をほころばせた。確かにそう言われれば、前にこの部屋を訪れたのはいつだったろう、とロイは思った。


 ロイは、東棟の三階にある、鑑定部の部長室に入っていた。


 鑑定部とは、鑑察課が属する部で、特に保安局からの捜査協力の依頼を受けて、あらゆる物品や物件を法術で鑑定する部局である。公文書に法印を仕込んで、複写をすればそれと分かるようにしたり、特定の人間にしか開けられないよう、金庫などに使う認証鍵を作ったりするのも、鑑定部の法術だった。


 バハニアは、その長である。歳は五十に届いていたはずだが、親しみのある笑顔は若く、肌にも声にも張りがあった。


 いつも、軍の制帽を思わせる黒い帽子をかぶっている。法王庁兵站局の局長帽だった。上が広く平たい形で、ひさしが小さく、鉢まわりの紅い帽章は、数百年前の陸軍少将の階級章だと言い伝えられていた。


 バハニアは、ロイの全身を眺めるようにし、穏やかな表情で、

「穏やかではなさそうだな」

「はい。今日は、折り入ってのご相談に伺いました」

「珍しいな」


 しかし、どことなく嬉しそうに、「君でも手詰まりになるのか。まあ、征野の包囲網を突破するのとは違うだろうからな」

「部長」

「悪い悪い」

 バハニアは軽く両手をあげて、「聞かせてくれ」


 ロイは、スダリの案件について、手短に説明した。

 ロイが経緯を説明し終えると、バハニアは発令書を引き出しに入れた。


「それが、ハーディが上げてきた、担当換えの話になるんだな」

 と、小さく頷いた。「なるほど。時間を稼ぎたいわけか」

「はい。軍からの引き渡し要請を引き延ばせないかと、ご相談に参りました」


 正規の手続きでは、皇宮直属の元帥府が身柄引き渡し手続きを行うが、皇宮は警察の治安強化を目指しているので、この手続きで引き渡し要請されることは、恐らくないと思われた。


 問題なのは、伝統的に慣習化されている、軍の部隊からの身柄引き渡し要請である。


 数秒間、バハニアは動きを止めた後、

「七日で、足りるか?」

 相変わらず、答えが速い。ロイは内心舌を巻いた。この人は、こうやって戦線の部下たちを守ってきたのだ。


 バハニアは、口元を不敵に歪めた。

「旅団級までなら問題ない。伝統には伝統だ。皇宮に次ぐ歴史を持つ法王庁を、軽く見てもらっては困るからな」


 軍が相手となると、バハニアは対抗心を露骨に出すところがあった。兵站局の帽子のひさしを、指で撫でた。むしろ楽しんでいるようだ。


 兵站局は、法王庁の発足当時から存在する歴史ある部局で、戦場など軍事拠点への兵站路の安全を法術で確保する任務にあたっている。軍とは良くも悪くも深い繋がりがあった。法術で開発した火薬や武器を、昔から軍に納める役割も担っている。現在でも、火薬を近衛軍に納めるため、日の出とともに馬車で禁門までを行進する伝統儀式がある。


 バハニアは、元兵站局長という一風変わった経歴を持つ鑑定部長だった。若き兵站局職員時代には、軍の過度な要求に悩まされ、何かと対抗していたという話を、たびたびロイは聞かされていた。


 先ほど交わした挨拶も、兵站局の慣例で、バハニアが鑑定部に好んで持ち込んだものだった。


「学術的および実践的な鑑定基準の向上に資する案件であり、法印術式の発展に寄与する研究のため、調査期間を要する。――理由はこんなところだろうな。丁度いい。保安局に来ている軍の伝令に文書を持たせよう。私の独自のルートを使う。ただ、警察には内密にな。公にすると長官の耳に入るからな」


 法王庁長官のことである。バハニアは笑った。「軍も私たちと共同研究をしてまで、被疑者の身柄を引き取ろうとは思わないさ」


 そして、机で両手の指を組み、少し思案したように、

 「しかし、おさえるべきなのは警察の方だろう」


 ロイは頷いた。たとえ軍を一時的に止めても、軍の圧力を感じている以上、警察が鑑察課への要求を収めないからだ。スダリの新たな動機を崩さなければ、時間は稼げない。


 鑑定部全体が、帝国の治安維持に尽力して犯罪捜査に積極協力することを義務付けられている。警察との関係が悪くなれば、たとえ鑑定部長といえど、一鑑察官を庇えるものではなかった。


「心当たりがあります。少しの間なら引き延ばせるかもしれません。それでも時間が足りなければ、課長がご依頼した発令を――」


 ロイの脳裏に、ふと、リドリーの姿が思い出された――


 今朝早く、リドリーはドレッドに発った。


 執務室でロイが目覚めたのは、夜明け前だった。リドリーは、自席で書類をまとめていたところだった。今からドレッドに行き、マクダリオの屋敷でスダリの自供にあった犯行現場を検分するのだと言った。


「お願いがあるんだ」

 と、リドリーは微笑んだ。「鑑定書は、必ず私に書かせて」


 ロイは、答える代わりに、自分も行こうと申し出た。力になりたかった。しかし、リドリーは首を横に振った。

「私が見てくる。大丈夫だから」


 それを聞いて、ロイはハッとした。一瞬何も考えられなくなった。声の響きに、思い当たる仕草があったからだった。


 かつてリドリーが執務室で倒れたとき、介抱中のロイを制して、ソファから強いて起き上がる姿だった。

 リドリーを、遠くに感じた。


 ――あの頃の、リドリーだ


 周りの助けを借りようとせず、駆り立てられるように前に進もうとする姿。

 心を閉ざし、擦り切れた胸中をそのままに、頑なに一人で苦悩を抱え込む姿。


 ロイは、感じた距離に戸惑いながらも、わかった、と笑みを浮かべた。


 その後しばらくの間、二人で事件の話をした。ハリも帝都に来ていること。四年前のマクダリオ殺害には、支配人、パルファ、ハリ、オリナにも動機があること。オリナが遺言書を書いていたこと。オリナからの手紙で、スダリがマクダリオに会いに行ったであろうこと。


 そしてリドリーは、朝一番の駅馬車でドレッドに向かった――


「――時間が足りなくなれば、発令をお願いに伺います。その時に、リドリーには話をします」

 ロイは、バハニアに一礼した。


 決して、本人は納得しないだろう。余計に苦しめるかもしれない。そうならないために、何としても捜査の手がかりが欲しかった。


「今の案件は、ずいぶん難解のようだな」

 と言われて、ロイは口元だけで笑みを浮かべた。

「時間がないことに加えて、糸口が見えません。被疑者自身、記憶が欠落している上に、事件とは別のことを償おうとしているためです。ドレッドで、手がかりが見つかるといいのですが」


 特に、こうして捜査が行き詰まると、その糸口をつかむことが重要になる。クレイとの雑談ではないが、当てもなく帝都中の鍵穴を捜索するわけにはいかないのだ。


 リドリーの見る情動空間なら、その手がかりを見つけられる。証拠があるはずの要点を絞り込める。もちろんその証拠を掴む必要はあるが、スダリから確たる自供を取るには、リドリーが持ち帰る手掛かりに期待する以外にない。


 ロイは内心で唇を噛んだ。僕には、そのための時間をわずかに作ることしかできない。


「君がここに赴任してからは、プラムと三人で、よくこの部屋で捜査の話をしたな。ずいぶん前だ。思い出したよ」


 ここにも一人、サリアスを諱で呼ぶ人物がいた。


 地方の鑑察官だったロイは、ある広域捜査で本庁と協力することがあった。その際、兵站局長から鑑定部長になったばかりのバハニアの目に留まり、異動を勧められた。


 バハニアから軍の匂いを感じたロイは、なるべく関わりを避けたいと感じて申し入れを辞退した。だが、バハニアが手を回して、強いて召し上げた。


「君がこの部屋に来るのは、プラムが退官して以来になるんじゃないか? もう一年以上になるな」


 そうか、とロイは思い出した。この部屋に来ると、そこには必ずサリアスがいた。そして、いま立っているこの場所から、彼女は僕に退官を告げたんだ――

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