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第二章 瞳の奥の記憶 10

 ロイが、鑑察課の執務室に戻ってきて、革の書類入れから一枚の資料を出した。


「クレイの足が、興味深いものを見つけたよ」

 と、声を弾ませていた。「新しい靴をプレゼントしないといけないな」


 昼の執務を始めていたリドリーは、ペンを止めた。机上に滑り込んでくる書類に目を落とす。法術で複写されたもので、文字の何ヶ所かに独特のかすれがあった。


「医術棟に収容した当時のスダリの所持品を調べてくれた資料だよ。夜警団の照合結果が出たんだ」


 書類は、医術棟でスダリを患者衣に着替えさせる時に、警察が記録したスダリの物品リストだった。上半分は『着装品』の見出しで、防火コートなど着用していたものが書かれてあり、下半分が『所持品』だ。そのいくつかに注釈があった。


 興味を駆られてか、エリスがマグカップを持ってやってきた。近くの椅子を引っ張って座り、一緒に書類を覗き込む。


 リドリーは、ロイの指先が示す項目を見た。


「鍵?」

 そこには「コート左下内ポケット」とあり、異なる筆跡で「非装備品、用途不明」と書かれていた。


「救護隊員の規定装備にはないものだよ。スダリは、医術棟での事情聴取では、設備の鍵だと供述していたけれど、夜警団が用途不明だと回答したんだ」


 さらに捜査室が、正午までの取り調べで改めて問いただすと、スダリは口をつぐんでしまったという。


「火災現場で、スダリが入手した物だよ」

「それは……オリナからの、付託品?」

 ロイが頷くと、リドリーは思わず立ち上がりそうになった。身体中の神経が覚醒したような感覚だった。


 ――つながった!


 その様子を見ていたエリスは、

「オリナが付託した物が、特定できたってことですね?」


「それだけじゃないよ、エリス」

 リドリーは、昂りを抑えようとして、呟くような声になった。だが、呼気が力強く混ざり込んでいた。


 オリナの『付託』が、単に言葉による願いごとではなく、物をスダリに渡すためだったとしたら。その特別な意味をリドリーは悟った。


 寝室を出た廊下で、オリナは『付託』情動を出した。それは炎と煙の通り道を超えた場所でも発現し、そして書斎へと繋がっている。この一連の『付託』情動が、オリナが「鍵」をスダリに渡すためのものだったと判断できるのだ。


 つまり、炎の壁を越えてオリナが煤煙中毒となったのは、オリナがスダリを導いた結果だった。


 スダリが、避難経路を間違えたのではなかったのだ。


「スダリの自供が、崩れる……」


 また呟いた。身体が熱い。鼓動が速くなっているのを感じた。ほとんど手探りだったスダリ追及の道筋に、光明が差したのだ。


 ロイが、その考えを感じ取ったかのように、

「あの経路を辿ろうとしたのはオリナだった。さっき警察で話をしたら、捜査室は納得したよ」

 そう言って、苦笑がにじんだ。「動機が消えて、かなり落胆されたけれどね」


「そんな意味があったんですね」

 と、エリスは少し口を尖らせて、「ロイさんがクレイさんに調査を頼んでた時は、そういう意図があるなんて、気づきませんでした。先に教えて欲しかったです」


「ごめんね。ちゃんとした証言が取れるのかどうか、分からなかったから」


 リドリーは、片手を胸に当てた。まだ高鳴りがおさまらない。これで、スダリから新しい動機の供述を取る機会を得たのだ。


 そう思うと、少しずつ実感が湧いてきた。嬉しさが込み上げてくる。

「……すごい、すごいよ」

 頬が上気するのを感じた。「ロイ、ありがとう」


 すると、ロイはたちまち目を丸くして、リドリーの顔をじっと見つめ返した。一瞬その視線が外れ、開いた口で何かを言おうとして、閉じた。照れ笑いとも愛想笑いともつかない顔になって、

「えっと……クレイに感謝しなきゃ、ね」

 言葉の隙間に、詰まるような硬い息づかいが混ざっていた。


 すると、エリスはニヤリとして、まるで何かを企むような、上に円い半月の目になった。顔を覗き込むようにして、

「ロイさん、嬉しそう」

 粘りのある声だった。ロイは小さく咳払いをした。そして、いつもの穏やかな笑顔になって、

「そうだね。しばらくの間は、またこれで頑張れそうだよ」

「おっ……と……」

 エリスは口をすぼめて、元の姿勢に戻った。


 ロイが、革の書類入れの留め具を閉めて、脇に抱え直した。

「また出掛けちゃうんですか? ロイさん」

「うん。これから、ジルさんに時間をもらっているんだ。昨日のドレッドからの資料の件と、ゆうべの変死体の件でね」


「新しい事件?」

 リドリーが尋ねると、ロイは首を振って、

「その川の上流で、山道からの滑落があったらしくてね。たぶん事故なんだと思うよ」

 そう言い残し、ロイは二人に小さく手を上げて、執務室を出た。


 リドリーが閉じたドアから視線を戻すと、エリスは軽く握った左手を口元に寄せて、

「……うーん、分厚いな」

 と唸るように言った。チラリとリドリーと目が合った。


「ロイさんも、仕事好きですよね」

「そう……かどうかは、分からないけど」


 鑑察官たちは、それぞれ常に複数の案件を抱えている。リドリーも、この火災現場の他に二件の窃盗事件で主担当だ。ロイは何件抱えているのだろう。


 今日の執務室のように、昼間はほとんどの鑑察官が出払っていることが多い。事件の調査では、いろんな専門の術者と協力するため、みんなロイのように広い法王庁内を歩き回るからだ。


 言われてみれば、庁内のあちこちで話しかけられているロイの姿を、遠くからよく見かける、とリドリーは思った。相当数の案件に関わっているに違いないな。


 すると、エリスは椅子に座ったまま、リドリーの机の上に、横から身体をうつ伏せに乗せてきた。リドリーが呆気に取られていると、エリスは片腕に顎を乗せて、つまらなさそうに、


「わたし、ずっと先輩を見ていて、気になってることがあるんです」


 姿勢に声を潰されているためか、より一層不服そうに聞こえた。


 エリスはそのままの格好で、自分のマグカップを机上のリドリーのコップに、コツンと器用に当てた。


「乾杯」


 なんの儀式だろう、とリドリーは思いながら、

「あ、うん。乾杯」


 すると、エリスは口を尖らせて、

「わたし、ここに配属された最初の頃、先輩はロイさんと付き合ってるんだと思ってました」


「え? ……えっ?」


 突然の話題に、リドリーは理解に苦しんだ。

「ロイさんは、先輩のほとんどの現場について来てるし、先輩もロイさんを見つけたら話をしに行くし。どこにいても、気がついたら二人一緒にいるんです。楽しそうに会話してるし、ちょっと喋っただけで、えっもう通じちゃうの?って思うくらい息が合ってて。二人とも、遠目からでもスタイルいいし、綺麗だし、こういうのが『似合う』ってことなんだなぁって思って見てたんです」


 エリスは目を閉じて、何やら思い描いている様子で話し続けた。声にも陶酔感が混じり始めている。リドリーはそっと見守ることにした。


「あぁ、いい雰囲気だな、すごく絵になるな、いいなぁ、これが本当の職場なんだ、って思ってました」

 いつ訂正しようか、とリドリーは悩んだ。


「でもすぐに、なんか変だなって。だって二人とも、ずっと仕事の話ばかりなんだもん」


 エリスは、ようやく机から身体を起こした。「何かあるでしょう? ダリガンの演劇見ようねとか、帝都楽団のコンチェルトとか、彩鳳楼のディナーとか」

 院生の憧れのコースである。懐かしいなとリドリーは思った。


 エリスは、リドリーに詰め寄るように顔を近づけた。リドリーは思わず首を後ろに引いた。


「先輩は、いっぱい可愛いのに、それが全然わかってません。もっと周りの目に敏感になったほうがいいです。損をしてます。人生大赤字です」


 一応、褒められた気はして、

「……ありがとう、えっと……頑張るね」


「こないだなんて、ロイさんがお茶を入れて、先輩がウェルジアのクッキー出したとき、『この店の先代が暴漢に殺された事件で、血が付着した財布からやっと採れた結晶にね……』って、ロイさんと話してました。二人とも笑顔で。なんかおかしいです。ちゃんとクッキーだって美味しく食べたいし! 中のジャムが血のりに見えちゃうし!」


「そう、だったかな……? あはは……」

 確かに職業病かも知れないな、とリドリーは思った。ちょっとした昔話をしていたつもりだったけど。


 特にロイと話をするときは、ふと昔の修行の話になることがある。当然、事件がらみだった。


「ロイさんは普通に話を合わせてますけど……」

 エリスは少し声を落として、「ロイさん、綺麗な顔でしょう? 私の同期の子たちにすごく人気なんですよ。優しいし、面倒見いいし。庁内で声をかけたよ、とか、話をしたよって、はしゃいでるんです。そのうち、誰かに取られちゃいますよ」


 エリスは、どうしても自分のイメージした通りにしたいらしい。

「あはは……取られるもなにも」

 リドリーは苦笑して、「じゃあ、同期の子たちみたいに、エリスも気にしているの?」

 エリスは、目だけで天井を見上げるように、

「んー。ロイさんは頼りになるし、優しいけど、ちょっと怖い感じがして」


 ロイが育成担当だからだろう。直接指導はリドリーの担当だが、課内では育成内容をロイが中心になって捌いている。評価の指摘も、穏やかだが核心をついてくる。


「みんな、積極的だね」

「うーん。法王庁が特殊だからだと思います」

 リドリーが不思議に思っていると、

「ほら、寮の外出管理は厳しいし、院の修了の時も、配属の時も、式典とか休暇とかないじゃないですか」

 ああ、そのことか、とリドリーは納得した。


 修法院の院生は、他の大学に通う学生たちとは異なり、全寮制の導士課程に進学する段階で、法王庁の職員として採用扱いとなる。いくばくかの給金も支給される立場になるのだ。そのため、院の課程を終えて各部署に配属されるのは、法王庁を管轄する組織内の『異動』でしかなく、大きな関連行事もなければ、いわゆる卒業後のまとまった空白期間もないのである。


「だから、何だか気分が盛り上がらないというか。他の学校の子は、みんな交流会とかで楽しんでるのに、私たちは法王庁内でしか、ほとんど出会いがないんです」


 不公平ですよね、とエリスはマグカップをぐいっと飲んだ。お酒の代わりのように見えた。お茶でエリスが酔っ払いそうだ、とリドリーは思った。


「だから、仕事の話じゃ、ダメなんですよ」

 リドリーは笑って、

「ここ、仕事場だよ」

「先輩のプライベートな昔の話とか、いいんじゃないですか? 生い立ちとか、距離を縮めるって言いますよ」


 思えば、昔話といえばサリアスとの修行にまつわる思い出が多い。修法院に入って二年たたない頃に、後に師と仰ぐことになるサリアスと出会い、それ以来、学んだことは院の講義よりも多かった。


「何か、ないですか? 聞きたいです」

 すっかり、エリスの妄想と好奇心に巻き込まれた。

「そう……だね……」

 最初は、さすがに血生臭いわけではなかった。


 それは、リドリーが、修法院で落第しそうになった時の話だった。

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