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第二章 瞳の奥の記憶 09

 翌朝。逮捕四日目。


 リドリーは、取調室にいた。


「今朝は、昔の話を聞かせてください」

 最初にそう切り出した。スダリは、時間が止まったようにリドリーを見つめた。


「あなたが、オリナさんやハリさんと暮らしていた頃の話です。本件の被害者とあなたを理解するために、あなたにとって、二人がどのような人だったのか、話を聞かせてもらえますか?」


 昨日のうちに、リドリーはドレッドでの調査内容とクレイの尋問調書に目を通した後、オリナからの手紙について考えていた。


 オリナ邸の火災から医術棟での逮捕まで、スダリは自宅に帰っていない。つまり、常日頃から手紙を衣装箱に隠していたのだ。スダリにとって相当の秘密であるに違いなかった。


 この思い詰めたようなオリナの手紙の経緯を知ることは、今回の事件を紐解く鍵になりそうだった。ただ、スダリの警戒を避けるため、リドリーは手紙について直接の質問をするつもりはなかった。


 警察も手紙について尋問する必要があるだろう。しかし、スダリが警戒してしまう前に尋問をしたかった。リドリーは、鑑察官単独での先行尋問の要望を鑑定捜査指名書に記し、警察に申し入れて、今日の取り調べに至った。


 手紙にある「ミミ」が誰なのか分からないが、ドレッドで集められた資料では、家族構成にいない。まずはクレイが尋問した内容から探ろう、とリドリーは決めた。


「あなたは、二人とはとても仲が良かったと聞きました。マクダリオさんの誤解で不遇はあったけれど、この二人がどんな素顔だったのか、そばで見ていたあなたに聞いておきたいと思いました」


 スダリは、戸惑ったような表情で視線を下げた。しばらく何か考えていたようだったが、

「オリナ様は、頻繁に体調を崩されるので、普段はお部屋で静養されていました」

 と、静かに話し始めた。「ですが、ハリ様はいつもお元気で、よく庭や裏の林を走り回っておられて。怪我をなさらないように、私が遊びに付き添うようになりました。時折オリナ様も、心配して様子をご覧になるために、体調が優れない時も、無理を強いて庭まで出ておいででした」


 眼差しは机の上に落ちていたが、当時を見ているのだろうか、昨日とは違って、穏やかな表情だった。


「ハリ様は、オリナ様とは十ほど歳が離れて、まだまだ幼くていらしたので、私が木の実や葉っぱで作る遊び道具が珍しかったのでしょう。大変よく慕って下さいました」


「オリナさんの病状は、重かったの?」

「歩かれる分には差し障りありません。階段もお一人で……」


 スダリは、一度言葉を切って、「四、五ヶ月くらいに一度、関節が痛む発作がありました。痛みは薬で散らせますが、数時間はベッドから動けず、苦しんでおられました。普段も、お身体の動きが優れない時は、ご自分の部屋で静養されることが多くありました。すると、退屈だろうからと、ハリ様が私の手を引いて、オリナ様のお部屋に。よく話し相手をして差し上げていました」


 まるで別の世界の話だとリドリーは思った。現場で、扼痕のある遺体と共に発見された者の話とは、とても思えない。


「ハリさんは……その、いつまでお屋敷に?」

 不貞の疑いで絶縁され屋敷を出たことは、クレイの調書で確認していた。


「ハリ様が九歳の頃でした。節目の年すら祝えなかった、とオリナ様がとても悲しまれていました」


「誤解だったのに、解けなかった……」

「……はい。旦那様は、気難しい方でしたから」


「オリナさんには、とても辛いことだった」

 スダリは、押し黙った。様子が変わった、とリドリーは感じた。引き締まった身体に、強張りがあった。


 ぼそりと、低い声でつぶやきが聞こえた。


「……私は、オリナ様を壊してしまったのです」


 リドリーは、ぞっと背筋が冷たくなった。まただ。唐突に、まるで暗闇に覆われたような言葉が出てくる。


 ただこれまでも、自分がオリナを殺したはずだ、自分は卑怯な人間だ、とそれぞれに表現の異なる発言をしているが、すべて同じ暗闇から聞こえている気がした。


「オリナさんが辛い思いをしたことに、あなたが関わっているの?」

 囚人のような目になった。最初の尋問の時に戻ったように感じた。


「……支配人の話を、昨日……」

 クレイが聞き出した話だった。

「ええ。調書を読みました」


「ギルドの調査で、支配人の横領が突き止められました。ですが、最初に旦那様の耳に横領の話が入ったのは、支配人が『心付け』と称して奥様に渡そうとしていたブローチを、私が旦那様にお見せしたからなのです」


 スダリは、自分の父親が住み込みで荷馬車の馭者をしていたと話し始めた。荷の積み下ろしの管理も生業だった。支配人は、商人ギルドの追及を逃れるため、スダリの父に罪を被せようとしていたというのだ。たとえお前がギルドから追放されても生活は守ってやる、こういう物も手に入る、と支配人が父にブローチを強引に渡しているところを、少年のスダリは倉庫の陰で目撃した。スダリは、困り果てた様子の父に黙って、支配人の罪を訴えようとマクダリオにブローチを見せた。


「それが、支配人がもともと奥様に渡すつもりだったものとも知らずに……。それまでにも何度か『心付け』があったことを、後で知りました。父は薄々それに気づいていたので、奥様を巻き込む騒動になることを恐れて、ブローチを受け取ったとき誰にも言えずに悩んでいたのです。私はそれを知らず、火種をまいてしまったのです」


 この後、『心付け』が不貞に映るまで、あっという間だったという。


「支配人は亜麻色の髪をしていました。ハリ様の髪色に近かった、たったそれだけの理由でした」


 パルファとハリは絶縁された。


 家を出る時の幼いハリの顔を、スダリは忘れられないと言った。泣いてはいなかった。ただ小さな声で、お兄ちゃん、と助けを求めるような表情だったという。何もできなかった。


 リドリーは穏やかな口調で、

「あなたは、お父さんを守りたくて、そうしたのでしょう? 心付けの事情を知る立場でもないし、それが不貞の疑念になることは予想のしようもなかった。それでオリナさんを壊したというのは、背負い過ぎではありませんか? そもそも支配人が原因なのでしょう?」


「自分の父を守るために……。いいえ、それすら怪しいものです。本当は、私は自分がお屋敷に残りたいがために、後先を考えずにオリナ様の家庭を壊したのです。私は――」


 スダリは一度言葉を切って、「私は、自分を守ることしか考えなかった。そのせいで、オリナ様を本当にお一人にしてしまった……」


 リドリーはオリナの手紙を思い出した。一人でいることに耐えられないと綴られていた。


 『ハリと母様が家を出て、ミミがいなくなって、やがてスダリも去ってしまってから、一年です』

 『ハリや母様、スダリと一緒に、また暮らしたい』


 絶縁の後、『ミミ』とスダリがいなくなる。


 そして、手紙を最初に読んだ時に、リドリーには違和感があった。また一緒に暮らしたいと書いたものの中に、『ミミ』がいない――


「私は、自分のことしか考えていません。それは、その後すぐに分かりました。……昨日、小鳥を死なせた話をしましたが……」


 スダリは、掠れた声で言った。「あれは、旦那様が飼っていた鳥の話なのです。元は奥様からの贈り物で。ハリ様が一緒に遊ぶと言って鳥籠を持ち出されるので、私とオリナ様が諌めながら一緒に世話をしていました。奥様とハリ様がおられなくなってからは、ずっとオリナ様がお部屋で飼っておられました。オリナ様は、小鳥を相手にハリ様との思い出話を……。ハリ様がおられないので、私が一人でお部屋に伺うのをなるべく避けていましたから」


「――名前を、付けていた?」

「はい。もともと名はありませんでしたが、ミミと呼んでいました。鳴き声がそう聞こえる、とハリ様が名付けられて」


 その小鳥を、スダリは死なせてしまった。


 鳥籠から逃げたように、偽装をした。


 その時は、雇い主が飼っている鳥を死なせたということも、スダリには恐怖だったのだろう、とリドリーは思った。


「オリナ様は、最初は、どこかで生きていてくれたら、と仰っていましたが、まもなく、なぜミミは自分から離れていってしまったのか、と苦しまれて……」


 その姿を見たマクダリオは、あんな鳥がいなくなって良かった、そんなものにこだわるから、身体が悪くなる一方なのだとオリナに言った。なじっているように、スダリには聞こえた。


「驚きました。ですが、ミミは奥様からの贈り物でしたから、ミミを可愛がるオリナ様のお姿が、旦那様には悪く映っていたのだと気づきました。当て付けのように見えたのかも知れません。オリナ様は、ますます塞ぎ込んでしまわれました。――私は、自分を守るために、オリナ様を苦しめたのです……」


 しばらく、取調室が静かになった。


 これで、手紙に書かれていたミミもいなくなった。オリナの手紙で、また一緒に暮らしたいものの中になかったのは、逃げてしまったはずの小鳥が、望んだところで戻ってはこないと思ったからだろう。


 その分、ハリやパルファ、スダリと一緒に暮らすことには、まだ望みがあったということなのか。


「その後……あなたは軍に入隊することに?」

 手紙では、この後スダリがいなくなる。

「いえ。私はその翌年に――私の父が解雇されて、私もお屋敷を出ました」


「何か、あったの?」

「支配人の横領で、仕入値を不正操作したことで、グラファド商会がギルドから制裁を受け、取引先が減ってしまったのです。支配人はもちろん追放ですが、荷馬車の本数も激減し、馭者の父の仕事がなくなりました」


「マクダリオさんも、ただでは済まなかった」

「はい。信頼なさっていた支配人に裏切られ、商会も打撃を受けて、憔悴しておいででした」


「あなたにとって、マクダリオさんはどんな人でしたか?」

「怖かった、とも言えますが、厳しい方でした。とても不器用な方で……。まだ奥様とハリ様がいらっしゃった頃、オリナ様が病の発作で寝込まれたことがありました――」


 オリナの誕生日を祝う晩餐の夜だったが、オリナは夜遅くまで部屋を出られなかったという。すると、マクダリオは家中の時計を巻き戻すよう使用人たちに命じた。そして、さあお祝いだ、とオリナを食卓に迎えた。幼いハリはすっかり寝入っていた。


「時折、子どものようなことをなさる。ですが、オリナ様は、周りに気遣いをなさりながらも、嬉しそうでした。私も嬉しかったのを覚えています」


 その時間のすべてを、支配人は奪ったのだ。


 同じことを、しかし少し変えてスダリは言った。


「あのご家庭の幸せを、私は奪ったのです」


 スダリは、短く鼻をすすった。「父の解雇で、私もお屋敷を出ました。オリナ様は、ずっとお部屋に。ドアの外からご挨拶を申し上げました。ご返事はいただけませんでした。私は、ハリ様や奥様を奪い、ミミを奪い、オリナ様を一人ぼっちにして、幸せを壊してしまったのです」


 手紙に書かれた話の意味は、見えてきた。そしてスダリの闇も、これまでの言葉も。しかし、リドリーは内心で眉をひそめた。


 その贖罪のために、スダリは裁かれたがっている。気持ちは理解できた。だが釣り合わない。たとえどんなに思い詰めているにしても、背負おうとしているのは、既遂の殺人罪なのだ。


「その時、オリナさんに伝えたかったことは、ありますか?」

 スダリは少し考えた。

「ご多幸を祈っていますと。……私が言えたものではありませんが」


 そして、掠れた声で、「伝えられるものであれば、私のせいなのだと……」


 リドリーは、切り出した。

「そのオリナさんに、火災現場で再会した」

 一瞬、スダリは視線を凍らせた。

 口元を結び、ゆっくりと頷いた。


「最初は、わからなかった?」

「……はい。思ってもいませんでしたから」


「あなたは……救護隊員は、火災現場ではマスクで顔が隠れるのでしょう?」

「はい。浄息巾(じょうそくきん)という赤い色の法具を口元に巻く規則です。ですが、要救助者を探すのに大声で呼びかけるため、現場ではたいてい首までずらしています」


 部屋には既に煙が入り込んでいたという。ベッドに人影を確認して、スダリは避難を呼びかけた。近づくと要救助者は避難を拒むようにベッドの反対側へ腰をかけた。首を振ったように見えたという。スダリは部屋の被害を確認しながら回り込み、改めて避難を促して立たせ、肩に手を回して出口に向かった。


 だが、要救助者は立ち止まって、じっとスダリの顔を驚くような目で見つめていたという。そして突然、掠れた声で名を呼ばれた。


「なぜ自分を呼ぶ声がするのか、分かりませんでした。声の主がその女性だということにも、最初は気づかなかったのです」


「そして、あなたも気がついた?」

「はい。痩せておられましたが、お顔と、その声で」


 先に相手に気づいたのは、オリナだった。スダリの『邂逅』がその後を追いかけた。


「あなたは、その後オリナさんに何か頼み事をしましたか?」

「いえ、特に何も」


「では逆に、オリナさんが、あなたに何か頼み事をしましたか?」

 リドリーは、スダリの目が何かを映したような間を感じた。

「いえ」

 嘘をついた、とリドリーは思った。もちろん勘でしかないが、『付託』情動はオリナのものだろう。スダリにとっては、まだ隠すべき闇があるに違いなかった。


 リドリーは、『付託』情動が廊下から二ヶ所採取されていること、そして書斎でも見つかっていることを告げた。

 書斎での『付託』は最初に一度、それに最後の『辛苦からの解放』情動の直前に一度、あったはずだった。


「書斎で、オリナさんから何か頼まれたことはありませんでしたか?」


 しかし、スダリの回答は変わらなかった。


「特に、あなたが扼殺行為をした時に、何か頼まれたものはありませんでしたか?」

 するとスダリは、意外そうな顔をリドリーに向けた。

「いえ……それも、結晶なのですか……?」

 まだ殺害時の記憶が戻っていないであろうところに、我ながら妙な質問をしてしまったとリドリーは省みた。少し焦りが出たようだ。


 ロイは、軍の要請は逮捕後七日間が目安だと言っていた。もってあと三日。『付託』の意味と、書斎での会話を紐解いて、『辛苦からの解放』情動が後発だと裏付ける供述がとれれば、殺人中止未遂、あるいは傷害罪が立証される。


 その供述を得るには、まずスダリの記憶を呼び戻さなくてはならない。


「ごめんなさい。質問を変えます。扼殺行為をした時の記憶は、何か思い出せましたか?」

 案の定、スダリは小さく首を振った。


「『付託』の情動は、信頼を寄せられる相手にしか発現しません。犯行現場には珍しい情動です。あなたとオリナさんは、何か会話をしているはずなんです」

 また、首が振られた。


 例えば、誰かの身代わりで罪を被ろうとする被疑者は稀にいるが、犯行時の行動を示すその虚言は、必ず準備されているものだ。


 ではスダリは、なぜ犯行当時を思い出したと嘘をつかないのか。ひょっとして、オリナを殺害することに、心のどこかで拒絶に似た違和感があるのではないだろうか。


 あるいは、これが全てスダリの演技で、私が見破れていないだけなのか――


 時間はないが、まずは糸口を探し出さなければ。


「今日は、これで終わります」

 すると、スダリが顔を上げた。

「あの、ひとつ伺ってもよろしいですか?」

「はい」

「情動は、凶器から出ることもあるのでしょうか?」


 意外な質問だった。


 今回は凶器がない。それは解剖で明らかだった。単なる好奇心なのかも知れないが、今この場で尋ねることでもないだろう。スダリは、何か別の件を意識しているのではないか。


 回答を断ることもできるが、スダリが何に興味を向けているのか、探ろうと思った。


 もちろん直接聞いても答えないだろう。せめて反応が読めるようにしたい。しかし取り調べである以上は、尋問の規程により、この事件に関連がないことは話しにくかった。どう答えようか……


「もともと、凶器などの道具からは、物の大きさの問題もあって、情動が少し風化するだけで検出されにくくなります。ですが、重大な犯罪に関わる情動の結晶化は研究開発されて、現場と同じように検出できるようになりました。犯行時の情動そのものも重要ですが、もう一つの目的があるためです。相手を殺傷したのが、故意か偶発かを識別することです。多くの現場では、凶器は隠されますから、どういう情動で隠そうとしたのかを識別するのです」


 リドリーには、スダリが言葉を追いかけて、懸命に理解しようとしているように見えた。好奇心というには、真剣だ。


「これが識別できると、故意なら殺人罪あるいは傷害罪。偶発なら過失致死あるいは過失致傷として、それぞれに犯意を決定できる、つまり罪状を特定しやすくなります。実は、この偶発、過失の犯行で凶器を隠そうとした時に出てくるのが『失誤の隠匿』情動なんです。意図せずに相手を殺傷してしまい、その凶器を隠匿しようとした、という犯意として鑑定されます。一方で、殺傷が故意の場合は、全く別の情動結晶が抽出できるようになっています」


 スダリが微かに眉をひそめ、表情が曇ったような気がした。


 ――凶器のある、それも故意の殺傷事件なのか?


「ですから凶器からは、犯行時の情動と、隠そうとした時の情動の両方が出てくることが多いのです」


 リドリーは、話を本件に絡めるために続けた。


「もっとも、今回の火災現場から出た『失誤の隠匿』は、凶器からではなく、遺体のあった現場の床から採取されました。遺体そのものが隠された訳ではありません。つまり、何か別の意図しない失態を、殺人という行為で隠そうとした、という犯意の可能性が考えられるのです」


 リドリーは、スダリの反応を薄く感じた。「殺人行為として完遂しているかどうかは、別の話ですが」

 すでに、本件の話に興味を示しているようには見えなかった。


 スダリは、小さく頷いて、

「軍にいると……。戦場では、夥しい数の死傷者が出ます。多くは砲撃や刀剣によるものですが、彼らを傷つけた武器からは、どれくらいの情動が出るのだろうかと思ったので」


「……そうですか」

「長く、武器には残りますか?」

 回答を少しためらったが、

「情動の強さや性質によって、残存期間は変わります。保管状態によっても、使用頻度によっても」

「保管状態で変わるのですか?」


 ――どこかに管理している? 隠しているものか……常時使う武器ではないようだが……


「屋外など過酷な環境ほど、早く風化します。武器なら屋外使用や摩耗が考えられる分、早くなるでしょう」


 スダリは、神妙な表情で頷き、ありがとうございます、と呟いた。

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