第一章 彩りを読む人 01
警察いわく、この若い男は窃盗犯であるらしい。
リドリー・レノウェンスは、若い男と机を挟んで向かい合わせに座っていた。
男はタレ気味の目で彫りが深く、どうしてと思うほど眉間に力が入っている。口は退屈を装うように平たく尖り、身体は横の壁を向いていた。片腕を机に置き、角張った関節の太い四指を机上で踊らせる。指も太いが金色の指輪も負けじと太い。
わざとなのか、男は目玉をギョロリと動かしながら、四角い顔を壁から天井、入り口付近へと向けて、部屋を見まわした。これで何回目だろう、とリドリーは思った。取調室なんて見るものなんかないのに。
周囲を威圧したいという男の意図がよくわかる。だが、視線のルートは計算しているようで、リドリーやその隣に立っている私服警官の目とニアミスを起こすことはなさそうだった。
男が盗んだのは、はちみつが入ったガラスの小瓶だった。フタには青い星の装飾があり、瓶には丸いラベルに丸い書体で花の名前が書かれている。一口ずつパンにつけたり、香りを満喫したり、透き通った輝きを楽しんだりする。特に女性に人気が高い、被害店の商品だった。
リドリーも、休みの日に友達と買いに行ったことがあった。好みの瓶に好みのはちみつを詰めてくれる。見本として陳列された大小の瓶は、花や動物などいろんな形で琥珀のように輝いていて、店内を眺めてまわるだけでも楽しかった。帰りの辻馬車の中では、はちみつの香りで花の名前を当てるゲームをして、友達と盛り上がった。
犯行の日、男は、客が増えた昼過ぎごろに店に入ったという。間もなく、不審に思った店主に呼び止められ、ズボンのポケットに入っていた見本の商品が見つかった。見本自体も売ってくれる店なのだが、盗むとは大胆だ。
似合わない。
取り調べ前に、私服警官がリドリーに愚痴をこぼしていた。こういう窃盗は、目立たないように風貌に合った仕事をするものだ、入る店を間違えている、という。意見すべきはそこなの? とも思ったが、リドリーは、現場での調査結果を朝早くから仕上げ、こうして取り調べの時間を迎えたのだった。
取り調べが始まったばかりのときは、
「わざとじゃねぇよ。気がついたら入ってたんだ」
と男は作ったようなダミ声で、窃盗の意思を否認していた。最初はいくつか私服警官とやりとりをしていたが、やがてこうして黙ってしまった。何とか話を続けようとしても、男は、もうこれ以上問い詰められることはないと踏んだのだろう。
そもそも初犯で微罪、となれば警察もここまで粘らない。男には、別の詐欺事件を幇助して、詐欺グループから金をもらっている疑いがあり、警察が目を付けていたところだったのだ。警察は、この金の流れから詐欺グループに辿りつきたいのだが、男を逮捕して尋問するだけの証拠がなかった。
男を慎重にマークしていたところ、今回、店主から窃盗被害の訴えがあった。金の流れとは別件になるが、接触しないわけにはいかなくなってしまった。
今回の窃盗容疑で、男に『不当な収入源』があることを立証したい、と警察は言う。そうすれば、余罪を追求する名目で、男の収入源を全面的に調べることができ、詐欺グループからの金の流れを取り調べられる、と言うのだが……
はちみつの小瓶一つで『不当な収入源』にできるかな、とリドリーは考え込んでいた。
「私は、鑑察官です」
とリドリーは言った。警察ではない専門官であることが判るよう、そう名乗ることが手続き上定められていた。鑑察官という耳慣れない自己紹介に反応して、男は訝しげな目で、リドリーの手元を睨んだ。
「あなたは、店の中で店主に呼び止められました。今からお見せするものは、その時あなたが立っていた床から法術で採取した、証拠物件です」
リドリーは、小さく平たいガラスのシャーレを取り出した。
「これは、その床から採取された『情動』を結晶にして樹脂で固めたもので、情動結晶と呼ばれます」
手のひらにすっぽり収まるそのガラスの中には、薄紅色の楕円形のシミのような色彩があった。角度を変えると、わずかにオレンジや黄色の光沢が、まるで薄紅色の中を漂うように、奥行きのある揺らめきを見せた。
一部の昆虫甲殻に見られるような構造色だった。
もう一つの特徴は、泥水が跳ねたような小さな茶色い斑点が浮かんでいることだった。
「この薄紅色の模様は『恐懼の情動』に分類される情動結晶です。つまり、あなたが店主に呼び止められた時、咎められるかも知れない、と恐れを覚え、その場から逃れたいと感じて出てきた情動です。そして、茶色の斑点は『期待の喪失』に苛立ちが混ざった情動結晶で、これは他人の失敗に苛立った時によく発生するものです」
男は、急に異質な取り調べに変わったことに戸惑ったのか、眉間の力が一時解放され、憑かれたようにシャーレを見つめた。
「あなたは、店主に呼び止められた時、咎められることを恐れ、そして逃れたいと感じた。つまりこの薄紅色の情動は、盗品を隠し持っていた自覚が、あなたにあった証拠です。知らない間にポケットに入っていた、という訳ではないですよね」
リドリーが言うと、男の額から玉の汗が面白いほど吹き出した。顔は紅潮し、目は机の上を所狭しと泳ぎ回っている。男は、鑑察官から取り調べを受けることの意味を知ったのだろう。慌てて取り繕うように、
「ちゃんと支払うつもりだったさ」
「それなら、逃がれたいと感じる必要はないですよね?」
にこやかにリドリーは詰め寄る。私服警官は、男の態度の劇的な変わり様に驚いたのか、リドリーと男を交互に見て、その口元には微かな笑みを浮かべていた。
男は、水揚げされた魚のように、目を見開いたまま口をパクパクとさせている。やがて、ようやく頭の中でシナリオができたのか、唾を飲み込み、机上で拳を作って、開き直ったような口調で言った。ダミ声は消え、若い張りのある声になっていた。
「ああ、そうさ。そうだよ。ちょっとした出来心ってやつだよ。盗りはしたが、迷ってたんだ。そう、良心のカシャクってやつさ」
言いながら、男の口調は少しずつ調子を取り戻していった。これまで盗みなんてしたことはない、と言い切り、興奮気味に立ち上がった。そして決め台詞のように、
「それにな、俺はまだ店の外に出てねぇんだよ!」
これは用意された言い訳だ、常習だ、とリドリーは直感した。私服警官と同意の視線が合った。
店内の窃盗では、その犯罪を確定させる条件が難しい。基準の一つが『盗品を持ったまま店を出る』こと。支払う意思がなかったことを客観的に指摘できるからだ。
店を出た瞬間に捕まえるのが定石であるところを、今回は店内で呼び止めた。ある意味で、ここは店主のミスと言えるだろう。店に似合わぬ客の異質な風貌が、店主の判断を狂わせたのかも知れない。
リドリーは、結晶の入ったシャーレをもう一つ出した。
「これは、商品がテーブルに置かれていた場所、つまり、あなたがはちみつの小瓶をテーブルから取り上げ、ポケットに隠した場所から採取した情動結晶です」
その結晶は、少し白く曇った円形のシミだった。微かにキラキラと銀粉のような反射も見えるが、
「ただ薬剤が固まっただけの結晶です。どうしても場所が特定できず、店主が証言した場所で採取を試みましたが、全く反応がありませんでした」
リドリーは、しなやかな手つきで、それを薄紅色のシャーレの横に並べた。
「あなたは今、出来心で盗んだと言いました。しかし、盗んだ事実があるはずなのに、盗んだとされる場所からは、窃盗特有の情動結晶が出なかったんです」
人は、犯行現場には、強い情動を残す。たとえ常習犯でも、その刺激に慣れて自覚が鈍くなることはあるが、盗む瞬間には一定の強い情動が出る。多くは床などに定着し、時の経過とともに風化してしまうまでは、その場所で結晶として採取できるはずなのだ。
「つまり、あなたには、そもそも盗む意思がなかった」
取調室が、時間ごと止まってしまったように静まり返った。数瞬後、私服警官は強張った顔でリドリーを見た。狭い路地に置き去りにされた子犬みたいな目が訴えているようだった。嘘だろ、ここまでしょっ引いて来たのに、盗んでないなんて言うのか? どうするんだよ!
リドリーは、穏やかに笑みを浮かべ、どちらかというと私服警官に向かって言った。
「窃盗にまつわる情動結晶が出なかったのは、盗みではなく、別の目的があったから」
私服警官は、戸惑って目を宙にさまよわせた。たっぷり四、五秒の静寂の後、その目がパッと光を宿して見開かれ、男に向き直った。
「お前、カツアゲか!」
まずは店主に、商品を盗む仕草を発見させる。その後に密かに商品を戻し、店の外へ出たところで店主に呼び止められれば、ここで罠が完成する。歓喜の瞬間だ。後はどんなに身体を調べられても、もちろん盗品など出てこない。
濡れ衣を着せられた、この店は客を泥棒呼ばわりするとんでもない店だ、騒がれたくなかったら、しばらくのあいだ口止め料をよこせ、と店主をゆするはずだった。窃盗詐欺の常套手段である。
だが男は、商品を戻す前に、店主に呼び止められてしまった。
リドリーは、薄紅色の情動結晶を男に向けてかざした。茶色い斑点が、シャーレの中で艶を放っていた。他人の失敗に苛立つ情動結晶だ。
「あなたは、店主の失敗に苛立っていませんでしたか?」
だが、その返事を得るまでもなく、男はまるで追い剥ぎに丸裸にされた旅人のように、呆然と立ち尽くしていた。
本件では、店主を騙して脅す、詐欺未遂と恐喝未遂が取れそうだ。初犯なら、合わせても大した処罰は受けないが、他の店でも既に犯行に及んでいるに違いなかった。
この手口を、雑貨店や古書店など屋内販売の店に説明すれば、被害を告白してくる店は数々出てきそうだ、とリドリーは思った。方々から口止め料を得ていた事実が出れば、余罪追求のため、男のあらゆる収入源を調べることになり、詐欺グループの件もまな板の上に乗るだろう。
「いろいろと余罪がありそうだなぁ」
と、私服警官は意気揚々と男の肩に腕を回し、体重をかけた。男の身体があっけなく椅子に落ちる。私服警官は、男の顔を覗き込んだ。獲物を狩る目だった。
「ちょっと長い付き合いになるぞ。仲良くしような」
男の口は震え、顔はみるみる青ざめた。少なくとも今日はとても長い一日になるのだろう。何日目かには、詐欺グループにたどり着けるかもしれない。
リドリーは、警察の武運を祈った。




