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第二章 瞳の奥の記憶 03

 珍しく、ドアが静かに開いた。


「担当官は、おられます、か?」


 語尾を不遜に強調して、クレイが鑑察課の執務室に入って来た。辺りを見回して、ロイと目が合う。


「リドリーなら、まだ取り調べだよ」


 すると、クレイは部屋の中央の丸テーブルに、ドサリと身体を預けるように座って、


「……抜け出す時間を間違えたか」


 ロイは、エリスと顔を見合わせた。


「リドリーは、警察にいなかったのかい?」

「いや、俺が帰ってない」

 クレイは、くすんだ銀髪を掻きながら、「朝から現場周辺の聞き込み。今やっと終わったとこ」


 他の私服警官と合流はしたものの、クレイの足はそのまま法王庁に向いたのだという。たまにあることだった。帰りづらいのだな、とロイは思った。


「収穫は、あったのかい?」

 クレイは、テーブルに突っ伏したまま、首を振った。


「スダリがオリナと顔見知りなら、スダリは前もって犯行計画を企てていた可能性もある」


 とクレイは話し出した。つまり、そうなると放火もスダリの計画になければならないという。だが、放火直後に救護隊として夜警団の詰所から現場に駆け付けるのは不可能だ。


「だから、スダリは出火の仕掛けを施すために、侵入の情動が風化して残らないように、数日前にオリナ邸に姿を現していたかも知れないだろ?」


 そこで、クレイたちは、近辺の目撃証言を得るために朝から捜査をしていたのだという。

 たったひとつの可能性を探るにも、警察の捜査は人手も時間もかかる。大変な仕事だとロイは思った。


「アパートにも寄ってきた。けど管理人が言うには、訪問者はいないそうだ」

 スダリの住居は、軍の管轄ではなく、夜警団が準備しているアパートだった。おかげで捜査はしやすいが、家宅捜索で私物を押収してからは、何も動きがなかった。


「ドレッドの方は、どうだい?」

「馬を跳ばしてる。第一陣が今日帰ってくるはずだ」

 クレイは、テーブルにやってきたロイを見上げて、

「ドレッドの情報が入ったら、スダリに訊きまくってやる」


「あれから、僕も考えてみたことがあってね」

 ロイは椅子に座って、「スダリの持ち物に関することなんだけれど」


「アパートの押収品なら、確認中だよ」


「事件直後、スダリは救護隊の姿と装備のままで、医術棟に収容されている。その時の所持品も押さえているだろう?」


「棟の患者衣に着替えさせたから、全身の装備ごと、取ってあるよ」


「そこに、救護隊員の正規の装備に含まれていない物は、なかったかい?」


 クレイが、不思議そうな目をロイに向けた。

「持ち物は、本人に確認したけど?」

 救助に使うハンマーなど凶器にできるものはあったが、そもそも扼殺だったし、放火に使えそうな法具もなかったという。


「現場からは『付託』情動がいくつも出ているんだ。信頼する相手に、何かを託したいと思うときに出る情動だ。普通は、犯行現場に出るような情動じゃない。もしかすると、オリナがスダリに託した物品があるのかも知れない。二人の関係を紐解く糸口になる。もちろんそれは、救護隊の装備にはないものだ。軍に頼むのが無理なら、夜警団に照会できないかな」


 クレイは、ロイをまじまじと見つめた。

「お前は、天才か!」

「ずっと『刑事』っぽい」

 すかさずエリスが横槍を入れた。そこにはクレイがそうは見えないという響きがあった。案の定クレイはエリスを睨んだ。エリスは横を向いた。


「収容時の押収リストはできてる。調べるよ」

 クレイは、手製のメモに記しながら、「スダリの周辺って、ほんと何も出ないんだ。日々が訓練、救助出動、あとは自宅。夜警団の連中も、仕事以外では付き合いなんてないんだ。人となりが分かるものが、ほんと何もない」


 だからと言って、軍関係者に聞くこともできないのだろう。ロイは、枯渇した捜査環境を思った。


「ジル爺にも、はじき返されるしさ」

 ベテラン解剖術師は、鉄壁の中立だ。

 クレイは、「そりゃ、分かるけどさ」と呟いて、ロイと目を合わせた。


「安楽死情動が、扼殺を選ばないって言ってただろう? でもさ、無理心中で自分の身内を扼殺する事件だってあるじゃないか。あれだって、可能性がないわけじゃないんだろう?」


 ロイは、一度頷いて、

「無理心中も、相手への強い同情が関係しているし、将来への苦しさから相手を解放させたいという思いも強く出る。決定的な違いは、どこかで『自分も楽になりたい』と感じていることなんだ。『逃避』の情動群に分類される。これが少しでも混ざると、結晶構造が変わって、全く違う色になる」


「扼殺が、選ばれるようになるのか?」

「絡み合った情動を、いわば天秤にかけて、行為が選択される。『自分』が情動に入る分、行為の選択肢が変わるんだ」


「……安楽死情動には、『自分』がないのか?」

 ロイは、テーブルに置いた手元に目を落として、

「そういう意味では、『辛苦からの解放』情動には逃げ場所がないんだろうね」


 言ってから、果たしてどうだろうか、とロイは表情を翳らせた。いつか、この情動からも『逃避』が見つかるのかも知れない。あるいは、もっと別のものが――


 人の思いは複雑だ。どんな時にどんな情動が出るのか。心の天秤が、どんな行為を選ぶのか、未知は多いだろう。


 そして、法術はどんな情動を結晶にするのか。


 法術が発展し続けられるということは、それだけ新たに見えるものがあるということだ。思いもよらないことなど、どこにあるか分からないのだ。


 クレイは、思いがけずに考えにふけるロイの様子を見て、

「この理屈でも、だめか……」

 と、天井を見上げて、大きく息を吐いた。「今は考えても仕方ない。足で稼ぐさ!」


 そう言って立ち上がり、両腕を上げて身体を伸ばした。

「戻る。持ち物を調べてくる。ドレッドからの情報もあるだろうしな」

「そうだね。何か見つかったら、教えて欲しい」


 執務室を足早に出ようとするクレイに、

「ドアを閉める!」

 とエリスが声をかけたが、もうそこにクレイはいなかった。


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