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第二章 瞳の奥の記憶 02

 スダリは、椅子に座っていた。


 両足を揃え、両手は膝に置かれている。視線は静かに机上に落ちていた。


 黒い髪は短く、眉は太めの印象だが、精悍で涼やかな顔立ちだった。だが目元は憔悴し、表情はない。リドリーが話を区切るたびに、律儀に小さく頷いていた。


 多くの取り調べでは、罪を追及される不安から、落ち着きを失う者や、反抗する者、諦めて落胆や後悔をする者などが多い。しかし、スダリはそのどれにも当たらない。すでに償いの中にいるような、重く静かな感情の佇みを、リドリーは感じた。


 ――まるで、囚人だ


 事件直後に医術棟へ収容されてからは、貸与された患者衣を着ていたようだが、退院した今は薄手の普段着姿だ。入院中に、救護隊の同僚から差し入れられたという。


 背筋はまっすぐだが、肩がすくみがちで、訓練で鍛えられた身体が小さく見えた。


 取調室には、リドリーとスダリが中央の机を挟み、部屋の隅には警護を兼ねた書記の警官が座っていた。


 リドリーは、警察が既に聴取していた調書から、火災現場での行動の一つひとつについて、改めてスダリに確認していた。


 玄関から入り、ホールを抜け、一階の廊下を左。

 寝室に向かう。一般に救助困難者が多く、優先のため。

 邸宅がクーラン地方の建築様式で、その典型の間取りを辿る。

 寝室で被害者を発見。ほぼ覚醒のまま臥床(がしょう)

 被害者の状態を確認。正常。分類、緑。

 被害者を避難経路に誘導。在宅者数を聴取。一名。使用人の所在も確認。不在。

 廊下を直進。

 被害者、煙曝(えんばく)。分類、赤。

 廊下を奥へ。煙から一時退避のため。

 書斎に入る。

 被害者を殺害。


 スダリは、一つひとつの内容に丁寧に頷いた。


「間違いありません」

 救護隊員の特徴なのか、地声が厚く、静かな声でもよく響いた。鍛えられた声だった。


「今日は初期聴取です。現場で採取された情動結晶をもとに、事実確認のための短い質問を続けます。一つひとつ答えてください」


 スダリは、お願いします、と呟いた。


「まず、寝室でのことを質問します」

 寝室では『邂逅』の情動結晶が採取された。再会など、思いがけず誰かに出会い、期待を伴う驚きを発した時に出現する。


「部屋の扉は、誰が開けましたか?」

「私です」

「寝室で被害者を発見した時、あたなは、どのように感じましたか?」

 スダリは、じっと宙を見ながら、

「特にありません」


「では被害者は、あなたに気付いて、どのような様子でしたか?」

「特にありません」


 隠している、とリドリーは思った。『邂逅』情動は、少なくとも二人のうちどちらかの情動だ。採取できるほどの強さで残っていた。互いに何の反応もしていないはずはなかった。


「あなたの記憶を確認します。寝室で、被害者があなたを見て驚いたなど、その時のことをはっきり思い出せますか?」


「はい。ですが、特に何もありませんでした」


 救助が来たことにオリナが驚きを示しただけなら、わざわざ隠す必要はない。スダリとオリナに面識があったことに間違いはなさそうだ。今のスダリには、それを隠す理由があるのだ。


 この後、部屋の外で『付託』情動が発生する。


「あなたは、被害者と共に廊下に出ました。その際、何か会話を交わしましたか?」

「いえ、お互いに無言でした」


 本来なら、このまま時系列に沿って尋問を続けるところだが、この様子では情報は得られないだろう。


 それに、スダリとオリナの過去の関係については、警察の調査結果が出るまで質問を控えるよう、クレイに頼まれている。これ以上は尋問しづらかった。リドリーは質問を変えた。


「書斎でのことを、質問します」


 スダリの目が、微かに大きく開いたように見えた。

 リドリーは、その様子を見つめながら、少し間を置いて、一枚のシャーレを机に置いた。


「これは『失誤の隠匿』と呼ばれる情動結晶です。被害者が倒れていた床から採取されました。この情動は、想定していなかった自分の失敗を隠そうとした時に、出現するものです」


 言葉の意味を理解する独特の時間を、リドリーは計った。


 一瞬、スダリの表情に緊張が走った。

 自覚がある、とリドリーは直感した。


 少なくともこの情動の持ち主はスダリである。すでに警察の尋問では、避難経路を間違えた失態を隠そうとして殺害したと自供している。しかし、それは偽証だとリドリーは思っていた。『失誤の隠匿』で殺害が成立すれば、この後に『辛苦からの解放』が生じない。そして、本当に隠匿したかった何かを、今スダリは自覚し、脳裏に浮かべているはずだ。


「この情動に、心当たりはありますか?」


 固まっていたスダリの眼差しが、微かに揺れ、しかし力が抜けたように、ゆっくりと横に流れた。


「そんな情動が、出ていたのですね……」


 発現した情動に直接紐付く尋問をすることは、鑑察官のみに許されており、警察にはできない。情動結晶の存在自体、スダリは初めて認識したはずだった。


 スダリは、ゆっくりと下唇を噛んだ。少なからず動揺を与えているようだ。

 だが、しばらくして、思わぬ答えが返って来た。


「……私は、卑怯な人間なのです」


 リドリーは、真意を測りかねた。しかし、その言いまわしには聞き覚えがあった。


 ――私が殺したはずです。私はそういう人間なのです


 何かを誤魔化そうとしている様子は感じなかった。クレイが聞いた時と同様なのだとすれば、どちらも虚言というわけではないのだろう。


 しかし、スダリはこの事件の話をしている訳ではない、とリドリーは感じた。警察も尋問に苦労したに違いない。ひとまず、掘り下げてみることにした。


「自分のどういうところを、卑怯な人間と感じていますか?」


 スダリの視線は、相変わらず机上にあったが、その目は何かに焦点を定めているように見えた。


 するとスダリは、まるで事件とは無関係な、少年の頃のことを話し始めた。

 知人の家で飼われていた小鳥を、スダリが誤って死なせてしまった、という話だった。


 少年のスダリは、ある日、鳥籠を掃除するため、小鳥を予備の籠に移した。だがいつもの小さな水入れがなく、仕方なく倉庫にあった大きめの器に水を入れて代用したという。


 しかし、鳥籠を洗い終わって戻って来たとき、スダリは絶句した。小鳥が、器の中で不自然に翼を広げ、溺死していたのだ。


 直後、スダリは思い出した。決まり事の一つとして、水入れに大きな器を使わないよう言われていたのだ。器の縁で小鳥が足を滑らせ、その中に転落するからだ。


 器の中では羽ばたけない。身動きが取れず、溺死する。スダリの落ち度だった。


 そしてその事故で、スダリは、自分の本性が出たのだという。


 入り口を開けたままにした空っぽの鳥籠を元の場所に吊るし、小鳥を裏の茂みに葬った。

 小細工をして、小鳥が逃げたように装ったのである。


 スダリは、怖くなった。嘘が発覚することに対してだけではない。こんな工作をして嘘をついている自分が怖くなったのだ。


 何度も正直に話そうと思い悩み、だが結局、嘘をつき通したという。


「自分を変えたいと思うようになりました。誰かの役に立てる、誰かを助けられる存在になりたかった。……救護隊員を目指したのも、そういうことが頭にあったからです……」


 スダリは、机に置かれたシャーレに目を向けた。

「自分の失敗を隠そうとする……。結局、わたしの本性は、何も変わらなかったのですね」

 深く息をつき、「書斎で、この情動を確かに感じました」


「今回は、どのように行動しようと感じたのですか?」


 スダリの視線が宙に動き、奥歯を噛みしめたような窪みが頬に見えた。

「避難経路を誤り、要救助者に大量の煤煙を吸引させた失敗を隠そうとしました。殺害し、火の中に遺体を置き去りにしようと思いました」


 抗う者を迎え討つより、認める者を追う方が難しい。ただ、今日は初期聴取だ。まずはスダリがどう認識しているかの確認が優先である。


「このシャーレの中には、別の情動結晶が隠れています。こうすると見やすくなります」

 リドリーは、シャーレをスダリの方に掲げて、除構板の一枚をスダリ側の表面に当てた。スダリは、不思議そうにシャーレに目を向けた。


「この水色の結晶は『辛苦からの解放』情動と呼ばれるものです。安楽死情動という別名を持ちます。……仕事柄、あなたも耳にしたことがあるかも知れません」


 スダリは、シャーレを見ながら、

「そういうものがあることは、知っています。ですが……私のものなのですか?」

「あなたと被害者、少なくともどちらかのものです。被害者の苦痛を取り除きたい、と感じるなど、心当たりはありますか?」


 スダリは一度シャーレから目を離し、視線を左右に移した。微かに眉が歪む。様子が変わった、とリドリーは思った。本当に心当たりがないような素振りに見えたのだ。


 ――記憶が失われているのか? 


 クレイが、スダリは大事なところで記憶が曖昧になる、と言っていた。そういう現象は、決して珍しいことではなく、大抵は時間とともに回復する。取り調べ中に記憶が戻ることは多い。


 こうした一時的な記憶の部分喪失は、情動の単位で発生する。それは、喪失の原因となる精神的負荷が、他ならぬ情動だからだ。


「……思い出せません」

 スダリが呟いた。戸惑った様子だった。


 記憶の欠落を自覚している者は、その出来事が自分のものではないと言い切らない。

 だが、質問に答えようとする意思はあるようだった。思い出そうとしているのかも知れない。


「警察の尋問では、あなたは自分が被害者を殺害したと供述しています。どのように殺害しましたか?」

「扼殺です」

「あなたの記憶を確認します。被害者の首に手をかけるなど、その行動を思い出せますか?」


 スダリが、初めてリドリーと視線を合わせた。目は戸惑ったように揺れたままだ。

 記憶にないのだ、とリドリーは思った。


 スダリは俯いて、

「まだ……」

 と言って、黙り込んだ。


 スダリの自供は、記憶にない部分を、「扼痕がある」という状況の知識で埋めたものなのだ。


 軽い罪を認めることで、重い罪を隠す被疑者はいる。だがスダリが認めているのは既遂の殺人罪だ。


 ――何か、別のものを償おうとしているみたいだ


 『失誤の隠匿』では殺害が成立しなかった。この事実を少しでも早く証明しなければ、とリドリーは改めて思った。


 リドリーは、深い情動感知で見た風景をたどった。

 二度の『失誤の隠匿』の後に『辛苦からの解放』があった。


 スダリには、『失誤の隠匿』の認識はあるようだ。だが、それに紐付くはずの扼殺行為の記憶はない。

 つまり、扼殺行為があったのは二度目の『失誤の隠匿』で、その記憶から失ったことになる。そして殺害は成立せず、後の『辛苦からの解放』に移ったはずだ。


 書斎でどんなやり取りがあったのかを確認すれば、情動の順番を示せるかも知れない。当然、二人の関係に触れることになる。ここから先は、ドレッドで警察の調査結果が出た後だ。


「では、今日の尋問はこれで――」


 リドリーは言葉を切った。少し考えてから、

「あなたが記憶している限りで、最後に、被害者はどんな様子でいましたか?」


 スダリの最後の記憶、それは、扼殺行為の直前の記憶のはずである。


 スダリは、質問の意図をはかりかねたのか、一度ためらうように視線をさまよわせた。そして、しばらく目を細めてから、思い至ったように顔を上げた。


「床に、仰向けになっていました」

「被害者に、意識はありましたか?」


「……私を、じっと見上げていました」


 スダリのまっすぐな視線が、リドリーに届いた。

 リドリーは、少しの間沈黙して、言った。


「終わります」

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